桜に眠る 2
(まさか父親が帝だなんて思うわけがないのよね)
先々代の帝が侑子の実父だったそうだ。
母はどこかの女御に仕えていた女房だったらしい。
たまたま手がついて、懐妊。
けれど主の女御は嫉妬深く、子が生まれないことにキリキリしていた時だった。
妊娠したと聞くだけで、父親のことを隠せてもなにをどうされるかわからない。
不安になった侑子の実母は、帝に願って、縁あるもののほとんど人が来ない尼寺へ逃げた。
その時、帝の側近が機転を利かせて、実母の母も「自害した」という形で姿を隠させ、同じ尼寺へ行かせたことで、女御は上手く騙されてくれたそうだ。
母一人子一人で生きて来た女房が、親の死に衝撃を受けて尼になることにしたらしい、と。
そうして侑子は人里離れた尼寺で生まれ、産後の肥立ちの悪かった実母は早々にいなくなってしまった。
数年は祖母が側にいたが、元々体が弱かったこともあってすぐに鬼籍に入ってしまい、侑子が一人残されたのだ。
同時期に侑子の実母を受け入れた尼も年で亡くなり、物心つくころには、侑子の出自をしかと知る尼はいなくなっていたので、安全が保たれていたのだ。
そうして年齢を重ね。
寄進があるから一生そこにいても良いとは言われたものの、一人だけ出家もしていないのもどうだろうと、剃髪を考えていた頃だった。
今の帝からの使者が来たのは。
どうやら今になって、先々代には他に子供がいたらしいと知ったようだ。
今の帝が先々代の子だから、それを知ったらしい。
しかも侑子の実母が逃げなくてはならなかった問題の女御は、もういない。
そこで、事情を打ち明けた麗景殿の女御の元へ侑子を招いたのだ。
しかし問題はここからだった。
「突然だが、頼みがある」
帝にそう切り出されたのが、花守の典侍の話だった。
やや荒唐無稽な、花守の典侍という存在に、まず侑子は面食らった。
そんな、天狗かなにかのような人がいるのかと。
ただ自然の声を聞いて、後宮内での相談事に手を貸す役目。
しかもその中には、怪異への対応も含まれるのだ。
侑子にそんな力などない。
びっくりして首を横に振ると、麗景殿の女御が教えてくれた。
「大丈夫。怪異については、手助けをしてくれる存在がいるの。その二人と練習していけば、十分に対応できるようになるはずよ」
「でも、そんな役目をどうして私に……?」
その時侑子の心にあったのは『当たり障りのない存在だから』ではないかというものだった。
よしんば怪異のせいで命を失っても、親がいないので誰も悲しまないから。
しかし帝は意外なことを言った。
「これは、帝の血筋の人間にしかできないことなんだ」
どうも先代も、先々代も、帝と血のつながりのある女人がその役目をしていたらしい。
そして今、一番適していそうな血の濃さがある人間が、帝と麗景殿の女御、そして侑子なのだという。
「他にもいらっしゃいますよね? 兵部卿宮様とか」
宮とつくからには、元は皇子だった人達だ。
他にも内親王はいたはず。
「複雑な話なのだけど……。今の元気で若い元親王は兵部卿宮だけだが、彼は厳密には帝の血筋としては遠い」
「とおい」
復唱して、少し考えて、それから侑子はその理由に思い至って顔が青くなりそうだった。
それは、父親であるはずの帝が、本来の帝の血筋からは遠い人間がついてしまったということではないだろうか。
侑子の表情で、察したことがわかったのだろう。
「そなたの考えの通りだと言っておこう。長く続いた皇家ではあるが、時にはそういうこともあるのだろう。先々代が即位したことで流れが元に戻ったので、今後はそういうことはなくなるだろうが」
帝の言葉に、侑子はうなずく。
とんでもない後宮の闇を垣間見てしまって、御所に始めてやってきた緊張が吹っ飛んでしまった。
「後はとても後宮内を歩き回れないおじいさん、おばあさんだらけなのよ」
そこで空気を明るくするように、麗景殿の女御が言う。
「唯一元気な方は、伊勢に行かれているし……。それで、私達三人なわけ」
説明を聞いて、侑子も選択肢に入った理由は理解した。
しかしもう一つ疑問がある。
「あの、帝が……典侍をなさるので?」
典侍は女性の仕事だ。
男性だけでは滞りがある部分を担うために、女性が登用されているわけで。
名前だけとはいえ帝が兼任するというのは……と、侑子は思ったのだが。
帝はひょうひょうとしたものだった。
「なに、名前だけだ。意表をついているから、逆に誰も私のことを疑わないだろうよ」
「それはそうですが……」
困惑する侑子に、麗景殿の女御が言った。
「それでも、居なければならないのよ『花守の典侍』は」
どうも、かなり重要な役目らしい。
「それで……あなたを見つけて私達、とても喜んだのよ。役目を請け負う確率が下がるわけだから」
「そんなに大変なのですか?」
欠員が許されないような役目で、そのためなら帝が代わりになるとまで言うのだ。とんでもなく重いので、やりたくないのかと思ったが、麗景殿の女御の返答は意外なものだった。
「私も帝も、できればあちこち歩きたくないのよ。御簾の中にいたいの」
「……はい?」
見れば、帝も深々とうなずいている。
「私はできれば宴もしたくない。政は仕方なしに出席しているが、御簾がなければ嫌がっていただろう。なにせ御簾の内でなければ、気楽に過ごせないのだからな」
麗景殿の女御も深々とうなずく。
「内親王に生まれたばかりに……」
「皇子に、いや、帝になったばかりに……」
そして二人が唱和した。
「人前になんて出たくないのに」
ここにきて侑子は理解した。
(引きこもりたいんだ、この人達!)
だから重要な役目だし、選ばれたらやると覚悟はしているけど、出来る限りやりたくないという、後ろ向きな姿勢なのだ。
だからこそ、侑子という光を見つけ、すがる思いで山寺から呼び寄せたのだ。
なぜ今頃と思っていたが、その理由がこれだったとは……。
ただ侑子にも、微妙な思いがある。
「私も、人前に出るのはこれが初めてで……。あまり人と話したこともなく……」
しどろもどろに説明する。
そして侑子の状況を理解した帝と麗景殿の女御は、決意を固めた表情になった。
「ではやはり、くじ引きをしましょう」
公平に、決めることになった。