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桜に眠る 1

 その日、明るくなっていく空を見て、侑子(ゆきこ)は思う。


「眠りそこねたわ……」


 裁縫の途中でうたた寝し、その後花守の典侍としての仕事をしたのが一昨日のこと。

 翌日は眠ったものの、裁縫のことをすっかり忘れていた。


 そのため次の日は一生懸命針仕事をしたのだ。

 自分の着る物ぐらいは仕立てておかなければならない。

 そして日増しに気温は上がり始め、夏はもう目前だった。


 急がないと、夏の衣装が足りなくなってしまう。

 真夏の暑い時に針を持つなんて、想像もしたくない。とんでもなく億劫だろう。

 だから、今のうちに終わらせたいのだ。


 そうしてようやく一着出来上がり、そのまま眠ったのだけど……体勢が悪くて早々に起きてしまったのだ。

 全く眠っていないわけではないが。いつも起きる時間より前に目覚め、夜明けを見るとちょっとがっかりしてしまう。

 一方、今日も麗景殿の女御は元気いっぱいだ。


「今日の朝餉は何かしら?」


 侑子とそう変わらない時間に起き出した麗景殿の女御は、すでにご飯のことに意識が向いていた。


「間もなくお持ちしますので」


 他の女房にそうなだめられつつ、角だらいの水で顔を洗った女御は、まずは着替えをさせられている。

 寝間着にしていた単衣はさすがに皺がついているし、いつ誰が来るともしれない後宮で、油断しきった服装でいるわけにはいかない。


 女房達がはりきって選んだのは、樺桜かばざくらかさねだ。

 蘇芳に赤い色目が、女御の若々しくつややかな魅力を引き立てている。

 女御が着替えをしている間に、侑子は自分も装束を整えた。


 引き立て役である女房ではあるが、かといって華やかさも失ってはいけない。女房達もまた、後宮における花の役割を持っているからだ。

 とはいえ侑子は目立つつもりはなく、大人しめの紫と緑の壺菫(つぼすみれ)の襲を選んだのだけど。


「また五条さんは、地味な色目を選んだのね」


 隣の局にいる、宰相の君が屏風から顔をのぞかせていた。

 侑子より一つ年上の大人びた顔立ちの彼女は、華やかな花山吹(はなやまぶき)の襲を着ている。

 浅紅と黄色の明るい色目に比べると、紫と緑の壺菫はたしかに地味だろう。


「もう少し明るい色を着てみたら?」


「私には似合わないわ。あまり華やかな色だと子供っぽく見えてしまうし」


 そこそこ苦労して生きてきたはずなのに、侑子は童顔なせいで、ゆったりと穏やかな環境で育った娘だと思われがちだ。

 時にはそのせいで、他の殿舎の女房にも侮られてしまうので、出来る限り背伸びしたい。


「それも似合っていないわけじゃないけど、明るい色を着てごらんなさいよ。女御様の周囲も明るくなっていいし。せめて花菖蒲(はなしょうぶ)とか……」


 花菖蒲だなんて白い表地の衣はもっと目立ちそうで、侑子は頬がひきつりそうになった。


「そうね……。明日はおすすめ通りにしてみようかしら」


 やんわりと流せば、宰相の君は微笑んで顔を引っ込める。

 年下で新参の侑子をいつも気にかけてくれる、やさしい先輩女房だ。とはいっても、その優しさを歓迎できないことはままあるもので。


(目立ちたくないのよね……)


 侑子の装束の色選びは、そこが一番重要だったりする。

 内裏に上がって二年。それなりに存在感を出さずに生きて行くことは慣れてきたものの、何かの拍子に目をつけられるのが一番困る。


 たとえば、女御への伝手がほしくてその女房に恋文を送るような公達とか。

 そういう人間は、華やかで目立つ女房に目をつけて文を送ることが多い。

 目立たない装束にするようになってから、公達を避けられるようになったおかげで、侑子は平和に花守の典侍の役目を果たしていられるのだ。


 後宮の花達の声を聞いて、引き受けた願いを叶える。

 それが花守の典侍の役目。


 侑子はその役目を担うことになって以来、それを遂行し続けている。

 性質にあっているということもある。


 侑子は基本的に、人と会って会話をするのが苦手だ。

 できないのではなく、なるべく遠ざかって静かな場所に行きたくなる。


 なにせ幼少期のうちから捨てられるように山寺に預けられ、静かに余生を過ごす尼以外には、少数の牛飼いや下働きの人以外とは接触せずに来た。


 もっと悪いことに、その状況でさえ侑子は人との関わりについて注意されていたのだ。


 一つでも運が巡っていたならば、やんごとなき身分についていてもおかしくないお生まれの姫なのですから、と。


 幼少期はまだ、父親が都の公達(きんだち)なのだろうと思っていた。

 よくあることだったのだ。

 都の公達が世間には妻と公表することもできない端女(はしため)と逢瀬をし、生まれた子供がいるなどという話は。

 牛飼い童でさえそんなことを口走る程度には、どうやらぽつぽつとご落胤というのはいるらしいので。


 そのため十六歳になってから、突然父の縁者の使い、という人がやって来た時には、「一体誰が実父だったんだろう。大納言家? それとも参議の誰か?」程度に考えていた。

 だが連れて行かれたのは後宮。

 その一角である、麗景殿だったのだ。

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