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猫と鍵 1

 夜中の訪問者というものは、恋人でもなければ、招かれざる者に違いない。

 揺り起こされた侑子ゆきこは、真っ暗な自分の曹司ぞうしの中で、伸びをした。


「思ったより肩がこるわ……」


 針仕事の続きを終わらせたくて、切燈台きりとうだいの明かりをたよりに作業をし続けていたのだけど。

 途中で眠気に勝てず、変な体勢で眠ってしまったからだ。


 切燈台の明かりはすでに消えていた。

 灯すのは面倒だと思っていたら、外から声をかけられた。


「もし……。どなたか起きておられませんか?」


 侑子は外へ顔を向けたけれど、その先に相手の姿は見えなかった。

 御簾だけなら、手燭を持つ人間の輪郭などがわかるのだけど、少しでも手元を明るくしたかった侑子が、白地の几帳きちょうを御簾の前にも置いたせいだ。


 侑子は几帳の隙間を開いて顔を出す。端から見ると布の間からぬっと顔を出した間抜けな状態だが、こちらは暗いので相手からは見えまい。


「どなた?」


 声をかけると、相手が名乗る。


掌待ないしのじょうの美濃でございます。こちらの殿舎に『特別なお方』へご伝言をお伝えするよう、あらかじめ伺っておりました」


 掌待とは内裏に勤める女官の一人だ。この役職を持つ者は受領の娘などが多い。

 名前からして美濃の守の娘か、その親族だろう。

 彼女はそのまま話し続ける。


「蔵人所より、依頼がございました。梅壺で飼う猫に鍵を盗られ、そのまま猫が隠してしまったそうです。その鍵を探してほしいとのこと。できれば夜明けまでに……と」


「夜明けまでに必要な鍵……」


 侑子はつぶやく。

 殿舎にも鍵をかける場所はあるものの、夜明けまでにとなれば限られるだろう。たとえば、内裏にもいくつかある門の鍵とか。

 しかし鍵は一本だけということはないはず。

 万が一のための代わりの鍵も作ってあると思ったが。


(代わりの鍵は使えない? いえ、おそらく失くした者とは別の派閥の者が握っていて、頼んだ時点でその方の失点となるのね)


 内裏の鍵を紛失したとなれば、多少なりと叱責されるだろう。

 万が一にも盗賊の手に渡ることがあれば、夜の人が少ない頃を狙って内裏に忍び込まれてしまう。

 その危険があることから、紛失した者、そして当人が属する派閥にとっても失点とされてしまうのを危惧して、夜明けまでに探し出したいのだろう。


(さて……)


 侑子は考える。

 自分としても、内裏の中で派閥争いが激化するのは面倒なので避けたいが。


「その蔵人は誰ですか?」


「六位の蔵人、大江正道殿でございます。けれど一緒に、五位の蔵人藤原冬継様がいらっしゃいました」


 依頼の出所は蔵人。しかもその座が交代しそうな左大臣派の者達だ。

 答えを聞いた侑子は、仕方ないと一人うなずく。


「……『特別なお方』にご連絡してみましょう。きちんと伝わるかはわかりませぬが」


 侑子の答えに、掌待は安心してほっと息をついたらしい。手燭の明かりが吐息に触れたように揺れる。


「結果については、一刻の後に、私からお知らせをすると申し上げております。よしなに、お願い申し上げます」


 手燭の明かりが、掌待が立ち上がったことで上に移動する。

 そうして衣擦れの音とともに、灯の光が遠ざかり……。

 けれど遠くでその灯りが動かずにいることを見て、侑子は微笑んでしまう。


「花守の典侍が誰なのか、知りたいのね」


 先ほどの伝言を聞いた侑子が、どこの誰に接触するのかを探るため、離れた場所で見張っているのに違いない。

 それが個人的な興味ゆえか、それともいつか機会があった時に探るように『誰か』から命じられてのことかはわからないが。


 それぐらい、花守の典侍については素性についての情報がないのだ。

 たしかに御所内に存在しているのに。


「花守の典侍は、主上に呼ばれる時も顔を隠して、夜の闇に紛れるような時間にしか現れないから、あちらの女官達にも顔はバレていないものね」


 とはいえ面倒ではある。

 このまま見張られると、『侑子が』動きにくい。


 ――万が一にも、花守の典侍が自分だとは気づかれたくないのだ。


 それもあって、麗景殿女御に仕える女房のフリをし続けているというのに……。

 じっと御簾越しに明かりを見つめていた侑子は、ふと気づいた。


「あら。明かりを分けてもらえば良かったわ」


 自分の曹司はものすごく暗い。おかげで身支度も苦労する。

 今さら気づいたものの、もう遅い。


 とりあえず侑子は立ち上がった。

 手っ取り早く明かりを求め、昼御座ひのおましへ通じるふすまを少しだけ開ける。

 本来なら麗景殿の主である女御がいるはずの場所だ。

 そのため、ふすまがつけられて区切られている。

 でも今は夜で、麗景殿の女御は塗籠の中で就寝しているため、無人だ。

 侑子は昼御座から自分の燈台のための火をもらい、曹司を明るくしてからつぶやく。


「鍵ねぇ……」


 先ほどの掌待が頼んできた相手は、蔵人だと言っていた。

 日ごろから顔を合わせる人物からの頼みに、普通の女官として交流があった掌待としては、断り切れずにこちらへ伝言をつなげたのだろう。


 しかもこの頼みごとをしてきたのは、六位の蔵人、大江正道おおえのまさみち

 彼は『花守の典侍』が主上に呼ばれるところを見ている。

 確かに存在していると知っているからこそ、掌待は伝言すると約束したのだろう。


 これをすげなく断れば、長年勤めてきた蔵人との間に、あの掌待は何らかの葛藤を抱えることになる。

 侑子が気にする必要もないといえばそうだが。


「まぁ、単なる探し物ですものね」


 政争に直接関わるとんでもない依頼でもない。

 探し物ならそれほど大がかりな物でもないので、侑子はうなずき、この一件を引き受けることにした。

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