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後宮の花守典侍  作者: 奏多


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桜に眠る 10

「桜が、あるかもしれないのですか?」


 麗景殿の女御に塗籠へ呼ばれ、伝えられたことに侑子は目を丸くした。

 自分でもきっと無理だろうと思っていたので、猫はあの藤の蔵人に看取られるのだろうと想像し、苦い思いをしていたのだ。

 しかし主上がとある知恵者に知識を借り、桜を探せるかもしれない、という話が出てきたのだという。


「ええ、主上からの文ではそのように書かれているわ。公達の中に知恵者がおり、その者によると、もしかしたら京の中で咲いている桜を探せるかもしれない、と」


 麗景殿の女御はそう言いながらも、浮かない表情だ。


「何か、桜を手に入れるのに問題でもあるのでしょうか?」


 懸念と言えばそれしかない。

 手に入るかもしれないけれど、阻害する原因が存在するのではないだろうか。

 すると麗景殿の女御は困った表情で、主上からの文を侑子に渡した。


「読んでもよろしいので?」


 一応確認した上で、女御がうなずくのを見た侑子は、広げた文に視線を落とす。

 そうして女御の表情の理由を知った。



 ――その知恵者が言うには、おそらく今すぐに桜を探しに行くしかない。さもなければ散ってしまうと。

 万全を期すのならば、密かに猫ともども出発し、現地の桜を確認するのが安全だとも書かれている。


 これには侑子も、納得できる。

 まだ桜が咲いていること自体が奇跡なのだ。内裏で安穏と桜の枝が運ばれるのを待っていたら、運ぶ途中に散ってしまったと言われる可能性もある。

 問題はここからだ。


 ――その知恵者は、自分でなければ案内できない、と主上に言ったそうだ。

 花守の典侍を案内することはできるが、もし桜が咲いていて、猫の呪を解くことができた場合に、一つ依頼を受けてほしいらしい。


「依頼ですか……」


 侑子はつぶやく。

 このような頼み方をするのだから、おそらくは後宮外の件について依頼したいのだろう。花守の典侍は、内裏の中の問題だけを受け付けているからだ。

 しかしこちらも、猫を救う……巡り巡って、主上が窮地に立たされることを回避するためには、急がなければならない。


 文にはまだ続きがあり、上東門院の女房達が先ほどやってきて、急ぎ藤壺のネズミ駆除をするために猫を放ったのだ、と書かれていた。

 二晩もあればネズミはいなくなるだろうと、先方の女房達は言い、上東門院からも方違かたたがえさえ行えば明後日には参内できる、と連絡が来たそうだ。

 猫の呪を解くまでに、あまりに日がない。


「これは誰かに取ってきてもらった方がいいのではない?」


 麗景殿の女御はそう言うが、侑子は考えた末に首を横に振った。


「女御様。一日ほど御前を下がることをお許しくださいませ」


「あなたが行くの? 大輔の命婦に頼むこともできるのよ?」


 案内する者が同行するのだ。素性がバレてしまうかもしれない。


「もし大輔の命婦に内裏をお任せできたとしても、麗景殿の女房がなぜ……と思われてしまいます。そこから麗景殿の女房が疑わしい、という噂が広まっては、元も子もありません」


 麗景殿に花守の典侍がいるのではと、監視や探る者が増えて、侑子は動きにくくなってしまう。

 だが今回は、時間との勝負だ。


「でも、あなたの役目は身元を秘匿してこそ達成できるものでしょう? あなたの身を守るためにも必要なことだわ」


 麗景殿の女御は、言い難そうに続けた。


「それに、あなたが御所を去るようなことになると、私が寂しいわ。あなたみたいに、じっくり私の話を聞いてくれる人はなかなかいないのよ?」


 侑子は微笑む。


「それなりの対策は講じます。ご安心ください女御様」


 そうして侑子は、主上の元へ届ける文を麗景殿の女御に託した。


 ――本日酉一刻(17時)朱雀門の前でお待ちしております。


 侑子は急ぎ支度をした。

 壺装束に改め、大輔の命婦に借りた傘と虫の垂れ衣を被る。

 準備ができたところで、大輔の命婦が侑子の局にやってきた。


「五条の君、これを」


 大輔の命婦から、前栽に咲いていた花を一輪と、細く小さく畳んで結んだ文を渡される。

 中を見れば、主上の手跡で伝達事項が書かれていた。


 ――猫は案内の者が連れて行く。女御からは問題ないと聞いたが、くれぐれも素性が露見せぬように留意せよ。


「猫を連れてくる……?」


 たしかに侑子が清涼殿へ行き、猫を預かると人目につく。太郎丸や次郎丸の力を借りるしかないと思っていたが、無用だというのならそれでいい。

 着替えに手間取って時間がないので、侑子はすぐさま出発することにした。


「太郎丸、次郎丸、お願いね」


「任せるぞえ」


「さぁそなたの姿は見えぬ、見えぬのじゃ……」


 二匹が懐の中で唱え始めたところで、侑子は麗景殿を出て、庭先から内裏の門を抜けて外へ向かう。

 途中、門を守る衛門府の者達も、内裏の中へ向かう公達の姿も見かけたが、誰一人として侑子を一顧だにしなかった。

 気づいていないのだ。

 太郎丸と次郎丸の力で、侑子の姿が見えていないから。

 しかしそれにも限りがある。


「ふぃ~限界ぞえー」


「しまいじゃー」


 二匹がため息をつく。侑子の様子は変わっていないが、これが二匹の力が解けた合図なのだ。

 同時に、侑子が麗景殿から手に持ち続けていた花が、しおしおと枯れていく。

 侑子が「ありがとう」と声をかけると、花は乾燥しきったようにくずれてしまった。


「お二方ともお疲れ様」


「もう大丈夫な場所まで来たのか?」


「ええ。すでに大内裏の外へは出ていますよ。ぐるりと回って朱雀門へ行きましょう。その途中で、次のお願いについてもよろしくお願いします」


「よかろう」


 侑子の言葉に二匹は応じた。

 それを受けて侑子は歩き出す。

 東の門から出たものの、朱雀門すざくもんまではいくらか時間がかかる。


「久々に自分の足で、長い時間歩いている気がするわ……」


 侑子はしみじみと思い、息をついた。

 内裏は広くて、清涼殿との往復だけでもそこそこ歩くのだけど、かといって山里を駆け巡るよりは狭い。よって、かなり足が弱くなってしまったと感じる。

 おかげで朱雀門の近くへ来た時には、息切れしそうになっていた。


 が、ここで弱みを見せるわけにはいかない。


(相手は、私が花守の典侍だと知っていて、会うのだから)


 どこの誰ともわからない存在でいなければならない。

 そのためには、侑子という存在に繋がるような情報は、何一つ与えるわけにはいかない。女性らしい弱さですら、仇になる。

 だから侑子は、一度息を整えた上で朱雀門へと近づいた。


 門の近くには、網代車あじろぐるまが一台止まっていた。

 夕暮れの光の中、不思議と人通りが絶えていたため、その網代車だけがぽつんと取り残されているように見える。


「アレに猫が乗っておるぞえ」


 太郎丸に教えられた侑子はうなずいた。


「では、もう一つの頼みを、お願いいたします」


「わかったのじゃー」


 侑子は袖の中に入れていた花を、懐にいた二匹に差し出す。

 白い毛玉の中から小さな猫のような前足がちょんと出て、花に触れた。

 すると花が見る間に枯れ落ち、代わりにふわっと侑子を包む空気があらわれる。


「これで顔は見られぬぞえ」


「露見する心配はないのじゃ」


 二匹は侑子の顔が誰にもわからないようにしてくれたのだ。見えないというより、はっきり認識できないというのが正しい。

 これがなければ、さすがに花守の典侍として牛車に同乗することなどできないので、太郎丸と次郎丸には感謝しきりだ。

 侑子は網代車に近づく。


「もし」


 そう声をかけると、網代車の側にいた長身の随身ずいじんが、心得たように網代車の御簾みすを上げる。


「どうぞ、お入りください典侍殿」


 中から聞こえるのは男の声だ。


(これは……藤の蔵人?)


 ごく最近聞いた声なので、間違いはしない。そして中に入れば、開けられた物見窓から入る光で、たしかに藤の蔵人、冬継の顔が見えた。


(この人が……私の正体を知りたがったのかしら)


 さもなければ、一緒に行くなどと言うはずもない。

 でも、どうして。

 そんな疑問が浮かぶのは、彼が侑子自身に普通に思いつくような興味を抱いているように見えないからだ。


(恋愛ごとではない……ような)


 公達というのは、恋文を書かねば失礼にあたると考えているような人が多い。まして顔を見たいだの、正体を知りたいだのということであれば、十中八九恋愛沙汰になるものだ。


 女は親族でもめったに顔をさらさないもの。

 侑子も市女笠いちめがさと虫の垂れ衣で顔を隠している。扇を使わないのは、太郎丸と次郎丸のおかげで、顔を覚えられることはないとわかっているからだ。

 なので垂れ衣の隙間から冬継の顔を見ているのだが。


 冬継は布にくるんで抱えた猫に視線をやりつつ、少しは侑子の方を見るけれど、それは恋愛を期待しての表情ではない。

 何かを確認するような。本当に侑子が花守の典侍なのかと疑うような、そんな感じだ。

 そんな冬継は、礼儀正しく侑子に告げた。


「ご同乗いただきありがとうございます。目的地までは遠く、大変暗い中になると思いますが、お付き合いくださいますよう……」


「わかりました」


 なるべく素っ気ないようにふるまう。

 声も最小限にしておく。

 相手は殿上人だ。いつ何時、後宮で顔を合わせて声を聞かれるかわからない。顔は認識できないようにしているものの、声から麗景殿の女房だと露見しては元も子もないのだ。


 その後は沈黙が降りる。

 言われたとおり、道行は長くかかった。

 牛車は歩くよりは早いものの、馬を走らせるよりはずっと遅い。

 じりじりと陽の力がかげり、空が暗くなっていくのを感じる。


 それを冬継も気にしているのだろう。

 ぽつりとつぶやいた。


「本当は、馬を走らせたいところですが……。白梅の命婦の体にさわると思いまして」


 彼の指先が、目を閉じている白梅の命婦の背中を撫でる。さらりと、休眠を妨げないように。

 彼は猫好きというわけではないのだろう。清涼殿での会話からも、特別猫が好きでかまったというより、情から世話に手を出し、懐かれて困っているような感じだった。

 優しい人なのだろう。


「…………」


 侑子はどう答えて良いかわからず、沈黙を守る。

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