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後宮の花守典侍  作者: 奏多


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桜に眠る 9

 ぬっと壁が現れたかのように、体が大きな緑の袍の人物。

 六位の蔵人の源義時みなもとの よしときだ。

 体格の威圧感とは裏腹に、地蔵菩薩のごとく柔らかな表情の義時は、冬継としても話しやすい相手の一人だ。


 冬継が右衛門府から蔵人所へ移った時にも、以前から校書殿の東と西で交流があったこともあり、相談に乗ってもらいやすくて助かっている。

 そんな義時は、笑み崩れた表情で冬継の腕の中にいる猫をのぞき込んだ。


「これが白梅の命婦ですかー。とても可愛らしいというのに、元気のないのが残念ですな。本復をお祈りしますぞ、命婦殿」


 かしこまって言う義時に、白猫はちらりと視線を上げてまた目を閉じる。


「……」


 義時はばっと口元を手で押さえ、ふるふると肩を震わせた。

 この程度の仕草でも、猫でありさえすれば義時は可愛くて仕方ないらしい。目を潤ませて猫を見つめる。


 義時は蔵人になって、時折内裏で猫を見かけるのが励みだと言ってはばからない。

 むしろ現在は清涼殿で猫を飼っていないので、それが寂しい、主上はどうして猫を飼ってくださらないのかと言うほどだ。


(そういえば一時期、梅壺の女房の元へ通っているのではと言われていたが……)


 女房が目当てではなかったのだ。

 そこには従姉が勤めており、なんとか猫を見たいがために、囲碁をするという名目で訪れていたらしい。


 結局はその女房に愛想をつかされたというか……猫好きな本性を知ったその女房がなにもかも諦め、普通に『猫を見においでなさい』と言われるようになったのだと聞いた。

 おかげで大手を振って猫を見に行けるのだと、本人が嬉しそうに話していたので間違いない。


 冬継としては、女の恥になりかねない話なので、『他の者には言わない方がいいですよ』と忠告するしかなかったが。

 そんな無類の猫好きな義時が、清涼殿に猫がやって来るのを見逃すわけがなかった。

 しかもその猫を冬継が預かって来たのだから、なおさらだ。


「と、ところで白梅の命婦をちょっと抱っこさせてもらえませんか?」


「本人が嫌がらなければ……。というか、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに言わないでくれませんか。周囲に変な目で見られそうなので」


 冬継が注意すると、義時は我に返って一度咳ばらいをする。

 そんな義時を連れて、冬継は自分の曹司に戻った。

 清涼殿にいる間に、いくらか書が運び込まれていたようで、文台の上に整理されて置かれていた。


 冬継は曹司に入って座った。

 書類を見るのにも楽だから、向かい側に坐した義時にすぐに猫を渡そうとしたが。


「……」


 猫は、くるんと丸まるようにして冬継の腕にからみつき、爪を立ててまで離されまいとした。


「残念だが仕方ない……」


 正しい猫好きであるらしい義時は、それ以上食い下がることはなく、あっさりと手を引いた。


「おおそうだ。水の用意などはされないのですかな?」


「さほど時をおかずに、清涼殿の女官が来るので。後で用意をしても間に合うと思ったのですが……。すぐに置いた方が良いですか? あまり猫は飼ったことがないもので」


 幼少期から、猫を飼ってはいなかった。

 元服後、父が伊勢へ下向げこうした後にも何度か、猫を飼ってみようと思うことはあったが……。

 父の降格で使用人がいくぶんか離れて行き、世話をする者も少ない家では猫も不自由するだろうと、飼うのは止めていたのだ。


「それなら私が用意しましょう。そうしましょう」


 義時は喜んで水を入れた皿を用意した。


「さぁ、少しは飲んでおけ」


 猫に水を飲ませ、膝の上で寝かせ続ける。

 そうしていると、十分に猫を観察して満足したのか、義時が帰って行った。

 白い毛並みはまだつややかだが、いずれは毛艶も悪くなってしまうのだろうか。そんなことを考えているうち、夕暮れが迫り、清涼殿の女官がやって来た。


「もし。藤の蔵人様でいらっしゃいますか?」


 簀の子の側から、扇で顔を隠した女官が声をかけてくる。


「いかにも。白梅の命婦の迎えですか?」


「はい。ただ、蔵人様が白梅の命婦をお運びくださいませ。そして主上から、内々にお話がございます」


「主上から……?」


 冬継は目を瞬いた。

 猫に懐かれた一件について、何か話があるのだろうか。

 理由はわからないものの、主上のお召しとあれば女官についていくしかない。猫を抱いて立ち上がった冬継は、一路清涼殿へ。

 そうして元のひさしの間に通されたのだが。


「藤の蔵人、待たせたね」


 間もなく主上が現れた。

 冬継よりも二つ三つ年上の主上は、そうして柔和な笑みを浮かべていると、自分と同年代にも見える。ただ清涼殿の昼御座にいて他の上達部を相手にしている時は、どこか老獪ろうかいな老人のような雰囲気をかもしだすのだ。


 不思議な人だ、と冬継は内心で思っていた。

 自分よりも確実に見聞きするものは限られるというのに、なぜこんなにも、と思うほどに時々深い考えに感銘を受ける。


(それとも、内裏の中で密やかに行われる権謀術数を目の当たりにし、後宮の妃たちの思惑の中で生きて行くと、このようになるのか)


 だとしたら、なんとも気の毒なことだ……とやや不敬な考えが冬継の脳裏をよぎるのだ。

 当の主上は、冬継の前に置かれていたしとねの上に座る。


「待たせて済まないね。藤の蔵人は、なかなか知恵者だと聞いて、その知恵を借りたいと思ってね」


「……己ではそのようには思っておりませぬが」


 知恵?

 冬継は内心で首をかしげた。

 まだ蔵人として働き始めたばかりの自分に、一体なんの知恵を求められているのか、全くわからない。

 すると主上は、とんでもないことを言い出した。


「この時期に、桜を咲かせる方法を探してほしい」


「桜……ですか?」


 なぜ、と思う。

 主上の酔狂で、急に桜が見たくなったのか。そんな考えが浮かんだ冬継の前で、主上は冬継が抱えた猫を指さした。


「率直に言おう。白梅の命婦を助けるには、咲いた桜が一枝必要だ」


 猫を見下ろすと、話を聞いているかのように、目を開けて主上をじっと見つめている。

 猫の目を見返しながら、主上は続けた。


「この猫は病気だということだったが、医師に見せても原因も理由も全くわからない。そこで祈祷もさせたが、一向に良くなる兆しはなかった。そこで、私は占断ができる者に猫のことをみせたのだ」


 主上は占いと言ったが、冬継はすぐにわかった。

 花守の典侍のことだと。


「その者の占いによれば、この猫は呪われているらしい。それを解くには、咲いた桜が一枝でいいので必要なのだとか。先ほど梅壺にそれを知らせたところ、桜の時期が終わったばかりで、咲いた桜など見つからぬと泣かれてしまってな」


 主上がため息をつく。


「そこで、様々な物事について詳しいと評判を聞く藤の蔵人に頼みたいのだ。どうだ。何か策を思いつくか?」


 言われた冬継は渋面になりそうなところを、寸前にこらえた。

 それでも自分の頬がこわばるのを感じる。


 たしかに、他の公達よりも妙な知識は多いかもしれない。

 漢詩などを学ぶと見せかけて、あちこちに出かけては人の話を聞き歩いたり、学問の師に学問とは関係のないことをあれこれ尋ね、時にはその話を確認しにこっそりと出かけていた冬継だ。


 それらは全て、あの山寺で見た物の怪の存在について知り、目の錯覚だったと思いたかったがためだ。

 しかし主上が、冬継のそんな理由など知るはずもないのだが。


(一体誰が、私に雑学があるなどと言ったのだ?)


 以前は出世からも外れているからと、気楽に自分の興味の向くことを追求していたが、蔵人になってからは慎んでいたのだが。しかし主上に奏上できるほどの身分を持つ人間が、そこまで知っているとは思えない。

 とりあえず冬継は主上に答えた。


「なぜそうまで、猫の本復に力を尽くされるのでしょうか」


 冬継の問いに、主上が苦笑いする。


「近日中に、上東門院が内裏へ来る。このままでは梅壺が、上東門院の機嫌をそこねたと言われるであろう。それは私の本意ではない」


「……納得いたしました」


 白梅の命婦は、元々上東門院が梅壺の女御に与えたものだ。

 もちろん、内裏に来るからには白梅の命婦を見たいと言い出すだろう。

 そして白梅の命婦が病気ならば、梅壺の女御に厳しい態度をとるのが目に見えている。


 結果、上東門院の機嫌を損ねた女御として、摂関家の派閥から女御は冷たくされることになる。

 人の訪いは減り、寂しくなるだけなら女御達がただ耐えればいいだけだろう。


 問題は、主上も女御を呼びにくくなることだ。

 このような状況になった時、女御を召せば、様々な政策に対する主上の提案を拒否されることが増え、審議に時間がかかって物事が進まなくなる。

 もし災害などがあれば、多大な影響が出て主上の威光は翳り、譲位が人の口の端に上がることになるのだ。


 それほどに、先々々代の皇后であった上東門院は権力を持っている。

 おろそかにはできない人だ。


(それに父の派閥にも影響が出る)


 主上が国政のために上東門院の意に沿うよう動いてしまったら、世の人は『今でも摂関家の力は健在だ』として、藤原摂関家の……ひいては現左大臣家に世論が傾いてしまう。

 そうなれば右大臣派は勢力が衰える。

 結果、ますます上東門院の意に反することができない世になってしまうのだ。


(…………?)


 そこでふと、冬継は妙な違和感が胸に残る。

 何かが引っかかったのだが、上手く考えがまとまらない。

 今主上の前で、自分の考えに没頭するわけにはいかないので、ひとまずその違和感は横に置くことにした。


「……上東門院様が参内なさるのは、いつでしょうか」


「早々にと言われたが、私の方で方位が良くないとか、藤壺にネズミがいたと偽って、駆除のためだという理由で日延べさせているよ」


「ネズミ……」


 冬継は主上の力技に苦笑いする。

 たしかにネズミが住んでいる殿舎へは、上東門院も来たくもないだろう。身動きも鈍くなっている老女なのだから、ネズミから逃げ回るような目には遭いたくないはずだ。


「本当は、ネズミの話を聞いて取りやめにしてくれたらよかったのだけどね。妙な所で胆力のある方だ」


「それは胆力という問題なのでしょうか」


 主上はネズミの話で、参内そのものをやめさせたかったらしい。確かに普通の貴族の姫君なら、聞いたとたんに参内を嫌がるだろう。


「しかし、滞在なさる殿舎を変えるというお話はなかったのですか?」


「だから方位が悪いと言うことにしたのだよ」


 ネズミと方位の話は、ひとまとめにして上東門院に伝えられたそうだ。

 普通、ここまで主上に『参内は日延べせよ』という意志を伝えられたら、遠慮しそうなものだが。

 それでも来たがる上東門院もなんというか、とんでもない人物ではある。

 一瞬、冬継の脳裏に、鷹と蛇がにらみ合う図が浮かんだ。


「とにかくそれで、一週間は確保したのだが。なんとかなるか? 藤の蔵人」


 尋ねられた冬継は答えに迷う。

 桜を探す術は……確実ではないが、あることはある。

 今の時期ならばまだ、間に合うかもしれない。

 ただ冬継は一つ、叶えたいことがあったのだ。それを言うかどうかを迷い、数拍を置いて主上に進言した。


「心当たりはございます。日数からも、場所が京の近郊までが関の山ですので、確実にとは言えませぬが」


「あるのか」


 主上が目を見開いた。

 一応尋ねてみたものの、諦め半分だったのだろう。


「ただ一つ、お教えするにあたってお願いがございます」


 そうして冬継が告げた願いに、主上はしばらく考え込んだ末にうなずいたのだった。

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