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桜に眠る 7

「ねぇ、あの藤の蔵人って、五条の君にひとめぼれしたのかしら?」


 麗景殿へ戻る道の途中、女御の声が弾んでいた。

 女御は意外と、こういう恋の話を聞くのが好きだ。

 自分では特に恋愛をしているわけではないというが……。そもそも主上とは従妹に近い関係だったので、どうも結婚した相手という意識が湧かないらしい。


 夜のお召しもあるというのに、妙に自分のことには乾いた感覚の女御なのだ。

 一方、あの様子を見ていれば、早晩そんな話題を振られると思っていた侑子は、冷静に返した。


「私を見初める人などいないと思いますが……」


 目立たない襲の色目に、唐衣もより深い色の紫を重ねると言う徹底的な暗さを貫いている自分だ。変人と思われこそすれ、ひとめぼれなどされるわけがない。侑子は自信を持ってそう主張する。


「そうかしら? 意外とつつましやかな人がお好みなのかもしれなくてよ?」


「つつましやかを通り越して、変人と言われそうな地味さですもの」


「……自分のことをそこまで低く評価する人も、珍しいこと」


 話を聞いていた大輔の命婦がそう言って、忍び笑う。


「私に恋は必要ありませんし」


 秘密をいくつも守るために、恋愛は『やっかいごと』でしかない。

 せいぜい、男が通ってきてはすぐに遠ざかる……という、刹那の恋を楽しむのが関の山ではないだろうか。


 だからだろう。先の花守の典侍も、一生結婚をせずにいたそうだ。


 静かな場所で花に囲まれて過ごしたいと望み、先の花守の典侍は右京の比較的湿気の少ない場所に家をもらい、出家して静かに過ごしているらしい。

 ただし庭は草花が生え放題で、いたちやキツネが住み着き、様子を見に行った主上の配下が廃屋のようだと呆れていたそうだ。


 でも侑子には先代の気持ちがわかる。

 宮中は何かと人の気持ちがざわめいて、せわしない。

 草花と語らうことに慣れると、人が多い場所では心が疲れてしまう。侑子も時々は宿下がりを許されてはいるけれど、それでも落ち着かないものだ。


 そんなことを考える侑子に、女御が微笑む。


「色々なことが気にかかるのは分かるけれど、私も協力するから、恋の一つぐらいはしてみてもいいのじゃない?」


「どうしても気が向かないのです」


 自分も、恋愛に興味を持っていたら、なんとかしてひと時の逢瀬を楽しみつつ役目を果たそうとしただろう。

 時には秘密を探られそうになって、泣く泣く別れる……という、麗景殿の女御が喜びそうな話もあったかもしれないが。


式部卿宮しきぶきょうのみや様にも、興味を引かれないようでございましたものねぇ」


 大輔の命婦が、しみじみとつぶやく。

 式部卿宮は、麗景殿の女御の従弟で、母君が王の女御(内親王)という身分だった。

 そのため、内親王として内裏で暮らしていた麗景殿の女御とは、主上同様に親しい人物である。


 けれどそんな式部卿宮が話に上がるのは、彼が大変に美麗な人物だからだ。

 歩く姿を垣間見れば目が釘付けになり、舞を見れば卒倒する者が出るとまで言われた式部卿宮は、時折麗景殿へ訪れる。

 その時は麗景殿の女房達も慌てて唐衣を上等なものに変えに走ったり、より式部卿宮の側に近づきたがり、じりじりと膝を進めたりと妙な緊張が走るものだ。


 侑子も、たしかに式部卿宮は美しい人だと思う。

 麗景殿の女御に仕え続けていればその顔を見慣れて来るだろうに、それでも女房達が色めき立つのもわかる。


 でも侑子は、近づこうとは思わなかった。

 少し離れているけれど、その顔はよく見えるわけで。噂の人を見るという目的は、それで達成されていたので満足だった。


 それよりは女御の求めに応じて、それまでつま弾いていた琵琶を片付けようと、さっさと納戸としても使われている、塗籠のある部屋へ下がっていたのだが。

 一切未練もなく行動する侑子の姿が、逆に目立ってしまった。

 式部卿宮は侑子に興味を持ち、戻って来たところをわざわざ声をかけてきた。


「見慣れない女房だね。最近女御様にお仕え始めたのかな? 名は何と言うの?」


「五条と申します」


 知らない人間がいるのを不思議がっているのだと思い、侑子は普通に受け答えて一礼する。そしてあまりぶしつけに相手を見てはいけないと思い、視線は床の上へ。

 もう顔は見たので、改めて確認する必要もないだろう。


「なかなかしつけが行き届いた女房だね」


 式部卿宮の言葉に、やや自慢げに麗景殿の女御が答えた。


「五条の御息所様にお願いして来てもらった女房なのよ」


「なるほど。しかし礼儀正しすぎるというのも、なかなか興味をそそられるね。その心を覆う衣を取り去ってしまいたくなる」


 背後から「そこまでおっしゃるなんて」「私もそうしたらよかったかしら……」と小声でのざわめきが聞こえた。


「……?」


 一方の侑子はとまどっていた。何かおかしなことをしただろうか。

 上達部の機嫌を損ねるようなことをしては目立つ、と御息所の女房達に指導を受けた通りにしているのだが。これは普通じゃなかったのか?


 一応、式部卿宮が何を言おうとしているのかはわかる。

 四面四角な対応の侑子が、取り乱す様を見てみたいということだろう。そんな妙なところに興味を持たれては困る。


(なんとか他の人のような態度を身につけなければ……)


 侑子は焦ったが、この場で急に行動を変えては怪しまれるだろうと、黙って床の木目を見つめるしかない。

 そのうちに麗景殿の女御が「まだ内裏に上がって日の浅い女房をからかわないでください」と注意し、式部卿宮は侑子から興味の対象を移してくれたのだが。

 彼が帰った後、他の女房達によってたかって言われたものだ。


「もったいないわ。あそこで印象付けておけば、宮様がさらに興味を持ったでしょうに」


「宮様と仲良くなる機会を逃すなんてもったいないわ」


 なぜあそこでもっと攻めないのか。そう言われて、侑子は根本的に認識がずれていることを認識した。

 普通の女性は、ああいった人に見惚れて、なんとか恋人になるきっかけを得ようとするものだと。


 そしてどうやら、自分は恋愛への興味が薄い……もとい、男性にそういった意味で恋する心が足りないらしいことを知ったのだった。



 その時のことを思い出しつつ、侑子はいつもの言い訳をする。


「式部卿宮様は、私にはもったいない方です。もっとお美しい姫君もいらっしゃるのに、私のような蓼に興味を持って頂こうなどと思うのは、あまりに申し訳ないので。そもそも藤の蔵人様は、恋愛という感じの興味を持ったようには見えませんでしたが……地味な様子が物珍しかっただけでございましょう」


 麗景殿の女御がため息をつく。


「全く興味がわかないのなら、残念だけど仕方ないわね。藤の蔵人なら主上の伯父様側の方だから、何の問題もないのに」


 なるほど。特に問題のない人だからこそ、浮いた話が出てこない自分に勧めたのか。


「それで、あちらの方は?」


 麗景殿に戻ったところで、大輔の命婦が侑子にささやいた。


「わかりましたが……少々難しいかと。今、お伝えすべきことを文に記しますのでお待ちくださいませ」


 そう言って侑子は自分の局に戻る。

 急いで文台に向かい、墨をすって白い陸奥紙に伝言を記す。

 連絡事項なので、歌にする必要もない。


 ・猫は病ではない

 ・呪を解くには咲いた桜の枝が必要


 書いてみて、侑子はため息をついた。

 まず間違いなく、白梅の命婦は助からないからだ。


 桜の時期は終わったばかり。京の都の中では、咲いた桜を見つけることなど難しい。

 何を思って猫にそんな呪いをかけたのかわからないが、あの僧形の人物はなんとも酷いことをするものだ、と思う。


「そもそも、僧形なのに呪をかけるのだから、元々罰当たりも気にしない人間なのでしょうね」


 あとは、白梅の命婦が少しでも延命する方法を書くかどうかだが。


「私が預かって、一時しのぎを施すか。それとも……」


 あの蔵人がつきっきりでいるか、だ。


「藤の蔵人様……か」


 侑子は口の中だけでつぶやく。

 公達の中では、なんとも珍しい人物ではある。あれほど清涼な気を持つ人物はそうそういない。

 主上ぐらいのものだろう。


 上達部など言うに及ばず。黒々としたものや、ゆらりと揺れる捨てた女の怨念など、様々なものを引き連れている者もいる。

 そんな中で、藤の蔵人は一人際立って異質だ。


 猫が懐いたのは、猫もそれを感じ取ったからだと思う。

 あの蔵人からは、清涼な山のような雰囲気と懐の深さ、それ以上に木々の息吹を感じた。

 呪によって弱った猫にとっては、かの蔵人の腕の中が最も休息を感じられるのだろう。


「かといって……ずっと宿直というわけにはいかないでしょうし」


 猫につききりというわけにもいかず。そうしたとしても……猫の呪を断ち切ることもできず、いずれは命を失ってしまうのだ。

 侑子は考えた末、それでも多少の猶予が必要だった場合のために……と、蔵人のことを付け加える。

 それを大輔の命婦に託したところで、肩の力を抜いた。


「これ以上出来ることはないもの……」


 すでに花が散った桜を咲かせることは、侑子にはできない。太郎丸と次郎丸に手伝いを頼んでも無理だ。蕾を咲かせることならできたのだが……。


「絶対に解かせないつもりで、呪いを桜に託したのかしら」


 そこまでして、猫をじわじわと病気のように見せかけて殺したかった? 何のため?


「気にすることはないぞえ、お姫。猫の運命ゆえ」


「儂らにも無理じゃからな」


 考え込んでしまった侑子は、太郎丸と次郎丸にもそう言われて、思い切ることにした。


「……とりあえずひと眠りしましょう」


 眠くてたまらない。これでは考えもまとまらない。

 とにかく猫は、あの蔵人の側にいれば今すぐ容体は悪化しないだろうし。

 侑子は硯箱を片付け、褥の上に転がったのだった。

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