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「花守の典侍はなもりのないしのすけ?」


 冬継ふゆつぐは一歩前を歩く男に尋ねた。

 春の闇は深く、近くの桜の香りがふわりと届くものの、その姿さえ見えない。

 そんな中、冬継と正道は手燭の明かりをたよりに内裏の渡殿を通り、目的地へと歩き続ける。

 目的は、花守の典侍という聞いたこともない存在に縋るためだ。


「木や花の声がわかる不思議な存在なのだとか。時には神羅万象から失せ物についてまで主上に助言を求められる、と聞いています」


「そんな話は聞いたことがありませんが、少し占いができる典侍ないしのすけがいるだけでは?」


 冬継が言えば、緑のほうを着た正道まさみちが笑う。


「実態は占いができる典侍、というものでしょうね。ただ主上が呼び出したことがあるのは、本当なのですよ」


 長く勤めている六位の蔵人くろうどである正道がそう言うのだから、『花守の典侍』が呼ばれて主上の側に上がったことは確かなのだろう。


「そして冬継様がご存知ないのは仕方ありません。御父君が政敵に追い払われ……こうして呼び戻されるまでの間、内裏のこんなにもささいな出来事は、噂すらお耳に触れる機会がなかったはずですから」


 正道の言葉には、冬継も納得する。

 冬継の父、藤原兼達が時の関白の謀略によって遠ざけられた。

 そうして国守を長年務めることになったのだが、子である冬継は京の都に残っていたのだ。

 それは元服直後の冬継のことを父が考えたからだったが、出世の道が絶たれたせいで殿上の声などかからず、上達部とはほとんど交流がないまま時は過ぎた。


 正道自身も、殿上については諦めきって、大学寮に通うことで表向きの体裁をととのえつつ、いずれは父と同じ地方へ行き、そこの国学で教える側に立つつもりでいたぐらいだ。

 そんな日々が一変したのは、つい先ごろのこと。

 父が復権した。


 それもこれも、父を政敵とみなした時の関白が亡くなったからである。

 長く藤原関白家の圧力を脱したがっていた帝は、ここぞとばかりに関白家から遠い者達や、自身の意に賛同する者を重用した。その結果、冬継の父が復権した。


 様々な役職の代替わりのどさくさに紛れて、父は都の参議さんぎに。

 冬継は先の除目じもくでようやく五位の蔵人に抜擢されたばかりだ。


「なんにせよ、私達はどうあっても鍵を探さなければなりませぬ。そして朝まで時間がございません。ならば頼れるものは全て頼るべきでしょう」


 そう言って冬継を先導する正道は、父と同じ派閥にいたせいで、六位の蔵人のまま出世の芽が全くなかった人物だ。


「しかし未だに信じられません。典侍に鍵が探せるのですか? もしその者の占いが外れたら……」


「滅多なことを申されませんよう」


 正道は人差し指を口に当て、声を潜めるように冬継に願う。


「もうすでに後涼殿こうりょうでんにいるのですよ。どの局にご当人がいるのかわかりませぬ。疑っていることを耳にした典侍に、へそを曲げられては困ります」


 正道の言葉に、冬継は素直に口をつぐんだ。

 簀子縁すのこえんからは蔀格子こうしで隔てているとはいえ、声を潜めなければ、眠りについていない女官に聞きとがめられる可能性は高い。


 そうして冬継達は、後涼殿の東庇ひがしびさしの局の一つへ近づいた。

 そこに、正道の知り合いがいるらしい。正道はその人物から、典侍へ話を通してもらおうとしているのだ。

 灯りがまだついていて、御簾を隔てても中に人影があるのはわかった。その人物はまだ起きているのだ。


「もし、先に文をお出しした者です」


 声をかけた正道に、内側から応じる声がした。


「お待ちしておりました。この度は何の御用でしょうか?」


 答えた声は、まだ若い女人のものだ。その人物は御簾を開けないまま応じた。


「女官殿。率直にお頼み申し上げます。花守の典侍様にお願いを申し上げたいことがあるのです。どうかご仲介いただけないでしょうか」


 仲介役を頼んだ正道に、その女官は考えるようにしばし沈黙した。

 それから、一言尋ねた。


「典侍様には、どのようなご依頼を?」


「梅壺の庭に。門番の交代をするはずだった衛士が、猫に鍵を取られまして……その鍵を探しております」


 正道の答えに、しばし考えるような間を置いて彼女は答えた。


「鍵をお探しですか。しかとわかる保証はありませんが、典侍様にお伺いしてみましょう」


 正道はぱっと表情を輝かせてその場に額づいた。


「ご厚意感謝申し上げます。それで申し訳ないのですが、できれば朝までにわかると……」


「留意いたしましょう。今より一刻(二時間)経ってもご連絡がなければ、典侍様が動かれなかった、ということでご納得いただければですが……」


 女官は『必ずしも内侍が行動するとは限らない』と釘を刺した。

 それでもいいと正道は応じる。


「人をやって探しても、全く見つからず。梅壺の女御様にはご自身の猫を盗人呼ばわりする気かと、大変お怒りになられて……。ただこのような夜半ですので、典侍様が動かれずともお恨みは申し上げませぬ」

 

「では、一刻後に」


 女官はそう告げて、格子を閉じた。

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