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独特な香りが立ち込めた部屋は薄暗く、灯りは手に持っているランプのみだった。
「火にはくれぐれもご注意ください」
トーチがゆっくりと案内をする。薄暗い中を見渡せば、そこには書庫以外にも沢山の品があった。装飾品、剣、鎧、絵画、壺、像、様々な物が飾られていた。
見覚えの無いデザインの物は恐らく遥か昔に他国へ戦略した時に奪ったものもあるだろう。公には出来ないような代物が眠っていると聞いている。
「…………壮観ね」
「ええ。ここには様々な文献、美術品が揃えてあります。さて、王子の探し物はなんでしょうか。よろしければお手伝い致しますよ」
嬉しそうに尋ねてくるトーチの様子から、彼はヴィクトリアがアンディ王子に代わり禁書庫の逸品を質にしようとしていることが分かった。
「大丈夫よ。目星はついているから。あと、王子に頼まれて調べものをしないといけないから……暫く一人にしてくれるかしら」
「左様ですか。では、御用がお済みになりましたらどうぞお声がけ下さいませ」
トーチは納得した様子で頭を下げると禁書庫を出ていった。
「…………人事異動必須ね」
職務怠慢もいいところである。
改めて周囲を見まわしてから、ヴィクトリアは気合を入れてドレスの袖を捲った。
書籍の量も膨大だ。しらみつぶしに調べたところで、一日で終わるとは到底思えない。
「…………とりあえず目録を見てみようかしら」
薄暗い中に設置された机にランプを置くと、入口手前に置かれていた目録と書かれた書物を持ち上げ机の上に置いた。分厚く埃被っていたため、本を胸に抱いただけでくしゃみが出た。
ランプを近づけ、ページをゆっくりと捲る。そこには細かな時で何処に何が置いてあるのかが書かれていた。予想より細かく丁寧に書かれていた。
「この果てしない量の中から時を巻き戻せるような記録はないかしら」
丁寧にじっくりと、一枚一枚しらみつぶしに読みだした。
…………二時間後。
「…………全然見つからないわ……」
重たい書物を丁寧に広げるだけでも一苦労な上に、薄暗い部屋で読みづらさもあり目が疲労で涙目になっていた。
固い椅子で大きな伸びをしてから辺りを見渡す。窓もないためどのくらい時刻が経過したのか分からない。
「ここに来てからどのくらい経ったのかしら」
普段なら教会が奏でる鐘の音で時刻を確認するのだが、あいにく音も聞こえない。
「時計が持ち運びできればいいのに」
無理だろうと思いながら、ヴィクトリアは苦笑した。どの地にも一定数教会があり、教会の塔に設置された機械式時計が鐘を鳴らすことで時刻を報せるのだ。その生活に何一つ不自由を感じていなかったが、こうして閉じこもっていると時間を忘れてしまう。屋敷に戻れば振り子時計があるのだが、あいにく禁書庫の中に刻を報せる時計は無いらしい。更に外の教会が報せる鐘の音も聞こえないとなると、閉じこもっている間は不便なものだ。
(…………そういえば)
ヴィクトリアが二年前の今に目覚めた日。
「秒針が聞こえたのよね……」
しかしヴィクトリアの部屋に振り子時計はない。だから、聞こえるはずがないのだ。
「…………まさか……」
あり得ないと思う。けれど、確かめてみる価値はある。
ヴィクトリアは目録の中から一つの単語を探し続けた。
『時計』
(カミルは時を巻き戻したと言っていた。巻き戻すなんて言い方をするのは……時計に関係するからじゃないの?)
ヴィクトリアが目覚めた時に聞いた秒針の音が確かであれば、時計にまつわる何かをカミルが所持しているのではないかと思った。
「…………どこ…………?」
心臓が早鐘を打つ。指で紙面をなぞりながら目的の単語を探し続ける。
そうしてようやく捉えた。そして、その文字を読んで息を呑んだ。
「…………時を戻す時計…………」
まさか、と思った。
そんな都合の良い話があるのかと。
(こんなところにあったら、誰だって使うに決まっているじゃない……!)
悪用されるに決まっている。
顔を近づけヴィクトリアは文字の続きを読んだ。
『時を戻す時計。時計、と名を付けられるまでの名は「過去を下る階段」と呼ばれていた。その理由は、時計という物が生まれるよりも前にこの時計を発見しているからだ。精密な作りをしているため中身を確認することはできない。頑丈な番で留められているため、無理矢理に中を開ければ破壊してしまうだろう。この時計は恐ろしいことに過去に戻れると記されていた』
ヴィクトリアの手が止まる。
(本当に……あるなんて…………)
『時を戻す時計は名の通り時を戻すことができる。しかし、時戻しに代償は必然である。必ず元の時に時計を戻さなければ、時を戻した者の命を奪う。元に戻さなければ何の意味も成さない。元ある場所に必ず返すことだ。さもなくば手に取った物の身体を蝕み代償を得ることだろう。それこそが時を戻す時計の動力となるのだ。故に、限られし扱える者は死を覚悟しなければならない』
(嘘よ…………!)
言葉を失った。
文をなぞっていた指が震える。
必死になって時計に纏わる文書を探す。説明文に注釈として記載されていた古文書を探し出し、更に古い本を読み漁る。
古語が使われているため、所々分からなかったが、それでもどうにか訳しながら読んだ。
『昔、一人の男が国に現る。男は大層に器用な職人であった。手に音の鳴る小さな道具を持っていた。名を懐中時計と呼ぶ。男の言動は尽く当たり、故に占者と呼ばれた。男は言う。我自らが過去に戻り国を良くすれば、即ち未来が美しき国を治めると。男は国の王となりて民を導くが時短くして命尽きる。男の名を国に名づける。コーニリアスと』
「…………なんですって?」
自国の習わしを、まさかここで知ることになるとは思わなかった。
考えてみれば、国を初めに治めた国王の名は見聞が少なく国の歴史を学ぶ時にもろくに出てこなかった。
まさしく、禁書庫でしか知ることのなかった事実である。
「…………待って。いやだわ、大事な事を確かめていないじゃない」
ヴィクトリアは誰もいない部屋の中で声を漏らすと、慌てて目録を確認してから部屋の中を探し出した。
「時計……もし、本当に時計が本当だとしたら、今もあるんじゃないの?」
もし仮に時を戻すことが出来る時計が存在するのならば、今はこの禁書庫の中に眠っているはずだ。
目録を調べてから、在り処を探す。目録に載っているのであれば……現物がここにあるはずなのだ。
予想は的中した。
「あった!」
大分埃の積もった箱類の中に、それはあった。
古びた木箱は小さく、目録に記されている管理番号が微かに刻まれていた。
ヴィクトリアは緊張しながらゆっくりと箱を開ける。
そこには……何もなかった。
箱の形状から、開けた箱の中は何か丸い物が飾られているはずなのに、それがない。
「…………どういうことなの?」
もし、仮にこの時計で本当に過去に戻れたとして、それでも過去となる今は誰の手にも取られていないはずなのに。まるで昔から存在しなかったかのように箱の中には何も入っていなかった。
(まさかアンディ王子が質に入れたりしていないわよね?)
思わず顔を顰める。後でトーチに確かめる必要があるだろう。
だが、何よりも確かめる人物がいる。
「ああ、ヴィクトリア様」
「どうもありがとう、トーチ卿」
禁書庫を出れば、トーチが机に座って書き物をしていた。
「今回は確認のために参りましたの。ねえ、トーチ卿……王子は小さな時計を持ち出したりしていないかしら?」
「時計……ですか?」
トーチは少し考えてから自身の懐から手帳を取り出しページを捲る。どうやらそこに王子の質に入れた品々の詳細が書いてあるのだろう。
「…………いえ、そういった品は記録にありませんねぇ」
「そう。どうもありがとう」
礼を告げ、いくつか会話を交わしてヴィクトリアは王立図書館を出た。
気が付けば空は夕暮れ時に変わっていた。随分長い時間図書館の中にいたらしい。
待たせていた馬車に乗り、屋敷へと戻る。
行きと同様に窓の景色を見ていたが、窓にカーテンを掛けて目を閉じた。
冷静でいられない気持ちをどうにか堪えながら、短くも長い距離を馬車に乗りながらずっと。
カミルのことを考えていた。
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