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「行ってきます」
カミルがフードを被り、目立たない恰好をして外出していった。
ヴィクトリアは見送りで玄関扉前に立ち、カミルが愛馬に騎乗して出ていく姿をぼんやりと眺めていた。
二年前に戻ってきてからというもの、カミルはこうして出掛けることが増えた。
どこに行くのかと尋ねても明確な答えを出すことはないし、ヴィクトリアも深く追及することは止めた。
(私の死を避けるために行動しているのでしょう)
「離れないと言った口はどこに言ったのよ」
これは、ちょっとした八つ当たり。
出掛けるのはヴィクトリアのことを想ってのことであり、遊びに行くわけではない。
けれど、彼は言ったのだ。「自分の傍から決して離れない」と。だったら一緒に連れて行ってくれればいいのに……なんて我が儘を考えたところで首を横に振った。
止める理由はない。それにこの考えは何と言うか……寂しがっている子供のような感覚だ。
(無理をしていないか……それだけが心配なだけよ)
既に姿が見えなくなった外を眺めていたヴィクトリアは頬を軽く叩いた。
「私もやることをやるだけだわ。誰かいる?」
声を軽くあげて周囲を見れば、待機していた侍女が二人がやってきた。
「出掛けるから支度して頂戴」
「かしこまりました。馬車を用意致します。どちらまで行かれますか?」
一人はヴィクトリアに付いて支度を手伝い、一人は御者の元に向かうのだろう。
ヴィクトリアは侍女を見て「王立図書館よ」とだけ答えた。
王立図書館。
貴族だけが出入りを許される王国最大の書物庫であり、そして博物館でもあった。何百年もの間に起きた諍いから勝利した戦利品を王立図書館に展示している場所もあった。王国としての威信を見せるために展示されていると聞く。
他国からしてみれば手が出るほど欲しい本もあるらしいが、厳重に管理されているため外部に持ち出されることもない。
中には魔術書のような物もあると聞いている。
だから、確かめなければならない。
支度を終えると馬車の一人乗り込んだ。
「王立図書館まで」と一言告げれば、馬車はゆっくりと走り出した。
白薔薇城が建てられる王都とヴィクトリアの住む屋敷の距離は数刻掛ければ行ける距離のため、そう遠くはない。
窓から見える景色を眺めていれば、流れるように景色が移り変わっていく。
ヴィクトリアは、先日考えて決めたこと、『過去の戻り方』を調べることにしたのだ。
(過去に戻れるなんて都合の良いこと、そう簡単にできるはずがないのよ)
もし軽々しく行われるようなことであれば、今頃時代はもっと飛躍しているだろうし、都合の良い奇跡ばかりが起きているはずだ。
(私とカミルに何が起こったのか……私はそれが知りたい)
実際、カミルにどうやって過去に戻ったのか何度か聞いてみたのだが、彼は「知らない」の一点張りであった。もちろん、嘘だろう。
(あの子……普段は大人しく従順なようにみせて、とんでもない頑固だから)
カミルが一度でも貫き通していることを覆している姿を、ヴィクトリアは見たことがない。
(そう。一度だって…………)
ふと、思い出すカミルの声。
『愛しています。どうすれば姉上と結婚できますか?』
「…………」
あの時だって、どんなに無理だと断っても気持ちを覆さなかった。
唯一覆すことがあったとすれば。
『婚約、おめでとうございます』
「…………いやな事を思い出したわ」
ヴィクトリアは窓のカーテンを閉めて目を閉じた。
図書館に着けば目を酷使するのだから、今は休もうと決めた。
脳裏に浮かんだ悲しみに染まるカミルの表情を。告げられた時の、心が針で刺されたような感覚の記憶を。
心の片隅に閉じ込めた。
王立図書館は人が多く出入りしていた。
貴族だけではなく学問に長けた者も資格を得られれば入室することができるためか、眺めていれば貴族よりも学者の方がよく見かける。
(貴族の者がわざわざ書物を読みにくることなんて滅多にないのね)
ヴィクトリアは馬車から降りると侍女を一人従えながら中に進んでいく。独特な書物の匂い。陽にあたらないよう注意されており、場所によっては薄暗い。
火事が起きないよう頑丈なオイルランプが点々と並んでいる。
果てしない広さの中で案内板を確認してから目的とするコーナーに向かう。
目的地に到着すると、側で事務仕事をしている男性に近付き声を掛ける。
「これはこれは……フェルチェ嬢ではありませんか」
「ご無沙汰しております、トーチ卿」
司書をしている男は男爵位を持つ貴族であった。男は手にしていたペンを机に置いて立ち上がる。
「何かお探しでいらっしゃいますか?」
「ええ……実はトーチ卿にしかお願いできないことがありますの」
「おやおや何でしょうか」
「ここでは詳しいことをお話できないのです」
と、人気のない場所に視線を向けた。
「……かしこまりました。それではどうぞこちらへ」
何かを察したらしいトーチは目線を横に逸らす。視線の先を辿れば、そこには小さな扉が見えた。
「事務官の控室です。込み入った話をする時に利用するのですよ」
「まあ。ではお言葉に甘えて」
人の視線を気にしながら、ヴィクトリアは侍女と共に控室へ向かった。
トーチが扉を開ければ、先には闇が広がっていた。どうやら灯が点いていないようだ。訝しんでいればトーチがオイルランプに火を灯した。
中に入ると小さな打ち合せができるテーブルが置かれていた。
トーチはヴィクトリアを座らせると向かいに腰掛けた。
「それで、御用は何でしょうか」
「アンディ第一王子と婚約したことはご存知でしょう」
「ええ、勿論でございます。ご婚約おめでとうございます」
「どうもありがとう」
祝福されても嬉しく無いせいで、全く笑えず真顔で礼を返せば、トーチは困った顔をしながら汗を拭っている。
つくづくヴィクトリアは愛想笑いを学びたかったが、今はそれどころではない。
「早速なんですが、禁書庫の入室を頼めるかしら」
「き、禁書庫ですか!?」
禁書庫とは直系の王族や一部の許可を得た者しか入室することが出来ない、名の通り禁じられた書庫である。
「ええ。内密だけれど……アンディ王子の用事で入らないといけないの……分かるでしょう?」
「な…………っ」
トーチの額から先ほど拭いたはずの汗が滴れる。明らかに動揺をしていた。
(王子……呆れたわ。この頃から使用していたのね)
カマを掛けてみたのだが、どうやら大当たりであった。
(結婚後、王子が禁書庫の逸品を高利貸しに貸していたことが分かったのよね……まさかもう利用しているとは思わなかったけれど)
叩けば埃が出ると言うが、もはや叩かずとも埃が出てくるようだ。
(この後、王妃に事実が露見して……どうしたんだったかしら。ああ、そうだ……高利貸しに渡した品の偽物を作って保管したんだったかしら)
「その……王子の御用であるならば……その……」
「…………?」
随分と歯切れの悪い言い回しにヴィクトリアは首を傾げる。が、暫くして閃いた。
「ああ、ごめんなさい。大事な物を忘れていましたわ……」
近くにいた侍女に目配せをし、「アレを」と告げれば侍女は頷き荷物の中から小さな包みを取り出した。
「手土産を持ってきていた事をすっかり忘れていたわ。良ければ貰ってくださる?」
するとトーチは露骨に破顔し、何度となく頷いた。
「ええ、ええ! 勿論ですとも! ありがとうございます」
小さな包みを丁重に侍女から預かるとトーチは大事そうに懐にしまった。
渡した物は賄賂だ。ほんのひと握りだが決して安くない通行料を用意しておいたのだ。
(王子の悪行を洗い直している間に覚えたことが……こんな風に役に立つなんて……)
嬉しくない。
「王子の命となれば致し方ありませんね。ご案内しますので、どうぞこちらへ」
トーチによって案内される先は、頑丈に施錠された扉。ヴィクトリアが一度も入室したことのない、禁じられた場所。
思わず手に力が入る。ゆっくりと深呼吸をして歩を進める。
(見つけてみせるわ。必ず)
辿り着いた答えが、自身の死を回避するよりも大切な答えでないことを祈りながら。
ヴィクトリアは禁書庫の中へと入って行った。
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