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「今日の紅茶はハーブティーにしてみました。姉上はレモングラスがお好きでしたね。少しばかり蜂蜜を入れてみました。お口に合えばよいのですが」
「…………美味しいわ」
適温の紅茶を一口飲んでみれば、仄かなレモングラスの香りと蜂蜜の甘さが調和して喉を潤してくれた。茶葉の濃さも加減が良く、苦味や癖も強く感じない、とても良いバランスだった。
ヴィクトリアの回答に気を良くしたのかカミルは穏やかに微笑んで義姉を見つめていた。その視線が気恥ずかしくてヴィクトリアは茶器に目線を送る。フェルチェ領にいた時愛用していた茶器だった。
「今日一日ゆっくりと過ごせますね」
「そうね。婚約者のアンディ様のところに愛人が押し掛けているらしいから、箝口令も出して口封じに奔走しているんじゃないかしら」
そう。
今日は本当は、数カ月ぶりとなる婚約者アンディとのお茶会の日だった。
一度目の茶会がものの数分で終わってしまったこともあり、改めて王室から謝罪の書面が届いた。
何が起きたのか知らない父は訝しみながらも承諾した。どうやら父には高利貸しの件が伝わっていないらしい。
ヴィクトリアにも脅迫めいた忠告の書状が送られてきた。直接的な文ではないが、口外すれば家族に影響を及ぼすこともあるだろうといった内容だった。
(父にまで知られてなくて良かったけれど……)
二度目もこうして予定がなくなったと分かれば流石の父も首を傾げることだろう。
いくら王室とはいえ失礼な態度を公の場で見せているのだ。フェルチェ伯爵家に対する扱いとして十分に失礼だからだ。
「…………カミル」
紅茶を一口飲んでからカップをソーサ―に戻す。
正面に座って自身が淹れた紅茶を飲んでいたカミルが顔をあげる。
「お前がやったの?」
「……何のことですか?」
ふわりと、優しく微笑んだ。
背後で待機していた侍女から微かに溜息が零れていた。
侍女達とは異なる溜息をヴィクトリアは漏らした。
(王家に対し直接的に交渉をするわけにもいかない。だとすればやることは、王家側から婚約を破棄してもらうしかないものね)
だが、皇室も一筋縄ではいかない。
どれほどアンディの悪癖を使い婚約破棄に向けて行動を示してみようとも一向に姿勢を崩しはしないだろう。常にもみ消してきているのだから、今更と言えるかもしれないが。
(カミルとて分かっているでしょうね……)
賢いカミルのことだ。今日のような行動が付け焼刃であることは承知だろう。
それでも有難いのは、苦痛でしかないアンディとのお茶会をしなくて済むということだ。
「カミル」
「はい」
二杯目の紅茶を選んでいたカミルが顔をあげる。切れ長の澄んだ薄藍色の瞳、整った顔立ち。誰もが見惚れるほどの美しい顔だと思った。
ヴィクトリアは外を眺めながら「ありがとう」と呟いた。
暫く間を置いてから、「……どういたしまして」という声が返ってきた。
「そういえば……皇室からドレスがまた贈られてきましたね」
「ええ。半年後に行われる婚約披露宴に着るドレスだそうよ」
これもまた、ヴィクトリアにとって二度目となるドレスであった。
「……藤色のドレスでしたね、確か。皇室を象徴する白薔薇が飾られたもので、姉上は何を着てもお美しいとは思いますが、あれは良くない。姉上の良さが何一つ惹き出せないドレスです」
「……お前、見たの?」
ヴィクトリアは驚いた。
一度目の時、皇室から贈られてきたドレスを着たのは自宅ではなく、皇室の控室だった。あの日は雨がひどく降っており、屋敷から王室に向かう間に濡れてドレスを駄目にしたくなくて、少し早めに白薔薇城へと向かい、そこでドレスを着たのだ。
だから、カミルが見たことは無いはずだ。
「父に頼み込んで使用人として覗いていました」
「危険なことを……」
ヴィクトリアは顔を歪ませた。
怒っているのだ。
「姉上」
「無謀なことはしないで頂戴。見つかったらどうするつもりだったの」
「…………もう、十年も前の人間です。顔を覚えている者も少ないでしょう」
「だからって!」
「心配して下さるのですね」
ヴィクトリアが怒っているというのに、カミルは嬉しそうにヴィクトリアを見つめていた。
「……当然でしょう。二度とやらないで」
「承諾致しかねます」
「お前を殴ってやりたいわ」
「姉上に殴られるのなら喜んで頬を差し出します」
やりかねない、この男。
ヴィクトリアは黙って紅茶を飲み干した。
カミルは蒸らしていたポットを手に取ると立ち上がりヴィクトリアの隣に立つ。そして新しいカップに紅茶を注ぐとヴィクトリアに差し出した。
「姉上には金色のドレスが似合います。小さな赤と紫、青や白といった小さな宝石を散りばめて飾れば星のように煌めいて姉上をより美しく彩るでしょう」
「そんなことを言うのはカミルぐらいよ」
「光栄です。お作りしてもよろしいですか?」
「いつ着るのよ」
婚約披露宴には皇室から贈られたドレスを着るしかない。ヴィクトリアの好みなど一切通らないのだ。
「いつになるか分かりませんが、私は姉上に私が仕立てたドレスを着て頂きたい」
「……いつ着るのと聞いているの」
ヴィクトリアは淹れてもらった茶を飲む。今度は花の香りがよい紅茶だった。
「姉上。覚えていらっしゃいますでしょう? 約束を」
「…………」
答えなかった。
だが、カミルは見逃さない。義姉の耳が赤らんでいることを。
「今度こそ私は……約束を守ります」
「無理よ」
「無理でも、一度目の時のように諦めたりしません」
「無理よ……」
声色が小さく萎んでいく。
「姉上」
ヴィクトリアに反して、カミルの声には強い意志があった。
「必ず約束を守ります。だから……それまで何処にも行かないで下さい。私ももう、貴女の傍を決して離れません」
「……………………」
「お約束します」
ヴィクトリアの座る椅子の横で膝を付き、カミルがヴィクトリアの手の甲に口づける。ヴィクトリアは抵抗しなかった。
ただ、ヴィクトリアの胸が痛いぐらいに高鳴っている。この音がカミルに聞こえてなければいい。
「……私には分からない。お前を止めるべきなのでしょうね。だけど……」
言葉を続けられなかった。
「いいのです。姉上、私はもう二度と……後悔をしたくない。貴女を愛しているから」
そしてもう一度手の甲に口づける。唇はゆっくりと指先に、爪先へと移動する。
「…………お前は本当に、見る目がないわ……」
ヴィクトリアは庭から微かに見える空を見つめていた。
これ以上、カミルの顔を見れなかった。
言ってはいけない言葉を、彼に伝えてしまいそうになるから。ギュッと唇を噛んで、まるで平気なフリをして。黙って空を見つめていた。
「婚約披露宴まであと半年……」
自室に戻り、ヴィクトリアは机にかじりついていた。
カミルの強い意志を聞いて、ヴィクトリアもまた動かねばならないと自覚した。
(このまま何もせずにいれば、きっと私はまたアンディ王子の妻となり……命を落とす)
考えるだけで不快だった。
白い紙にペンを走らせる。これから起こる行事や事象を思い出すために記憶の限り文字に記した。
婚約披露宴を終えれば、ヴィクトリアはそのまま王城で過ごすことになる。家を離れなければならないのだ。
つまり、時間はあと半年しかない。
何があったのか記憶を取り戻す。婚約披露宴を終えてからは、怒涛のような日々だった。
王子妃としての教育の日々。目まぐるしい執務、そして王子の尻ぬぐい。
(最悪だったわね)
考えるだけでぐったりしてきた。
あの時、婚約披露宴を終えた時から、カミルは屋敷を出ていった。
出ていく直前に別れの挨拶を交わした時のことを、ヴィクトリアは今でも覚えている。
「……………………」
首を横に降る。
この記憶は、思い出さなくて良いものだ。
ヴィクトリアは自身に起きた歴史を連ねながら、最後に処刑と書いたところでペンを止めた。
「この後……反乱を起こしたのよね。それが一年後とかだったかしら」
つまりヴィクトリアが亡くなってから一年の間に呆気なく白薔薇城を陥落したのだ。
「…………行動力が半端ないわね」
呆れつつ、続きを書こうとして止めた。
その先の話をカミルは一切していなかった。
肘を付きながらヴィクトリアは首を傾げ、ペンを綴る。
「お前はどうやって私達を戻したの……」
時を戻すという非現実的な事象を、どうしてカミルは当然のように受け入れているのだろう。ヴィクトリアでさえ現実を受け止めるのに時間が掛かった。まるで同じ歴史が繰り返されているのを目の当たりにしてようやく実感をしたぐらいだ。
では、カミルは一体どうやって実感したというのだろうか。
そもそも、どうやって過去に戻ってきたのだろうか。
「…………私が調べるべきは、ここかもしれないわね」
ヴィクトリアはとある文字に丸を付けるとペンを置いた。考え事をしている間に喉が渇いた。水を飲むために立ち上がった。
彼女が記したメモには『過去の戻り方』に丸が付けられていた。
その時、ヴィクトリアの部屋の扉にノックの音が響いた。
ヴィクトリアは驚いて顔をあげ、慌てて書類を整理してしまった。
「はい」
「ヴィクトリア、今いいかな」
ヴィクトリアの父、リーマスの声だった。
「どうぞ」
ヴィクトリアが返事をすると扉が開く。少し落ち着きのなさそうな様子のリーマスは中に入ると「遅くにすまないね」と詫びてきた。
「いえ、どうなさいましたの?」
リーマスの元に寄ってヴィクトリアは父を部屋にある小さなソファに案内した。リーマスは神妙な表情をしたままソファに腰掛ける。
「その…………アンディ王子との婚約の件だが……」
遠慮がちな声色から、ヴィクトリアは「ああ」と納得した。
心配で来てくれたのだ。
「私は大丈夫ですわよ。アンディ王子が素敵な旦那様だなんて微塵も思っておりませんでしたから」
「…………それもどうかと思うんだがね……」
どうやら父の元にも彼の素行の噂が入ってきたらしい。
「ふふ……心配症ですね。私は王子妃になると決めた時から覚悟してました」
「私の娘には敵わないなぁ……」
そうしてリーマスは寂しそうに笑う。そして表情を戻すとゆっくりとヴィクトリアを抱き締めた。
「…………辛い思いをさせてすまない…………」
抱き締めてくる父の温もりに一瞬驚いたヴィクトリアだったが、そのままゆっくりと抱き締め返した。父のやさしさが嬉しかった。
「何を仰いますの。王子の元に行くことは、私が自らの意志で決めたことです。お父様が謝る理由なんて何一つないでしょう」
「…………それでも…………」
「お父様」
抱き締められていた身体を少しだけ離し、ヴィクトリアはリーマスを見つめた。その瞳は強く、何も揺らいではいなかった。
「家の命で女が嫁ぐのが当たり前の中、お父様は私に聞いて下さったでしょう? 決めたのは私よ。だから、私のことで悲しまないで下さい」
はっきりと告げてみたが、ヴィクトリアは眉を下げて困った顔をする。どうして宣言すればするほど父の顔が悲しそうになるのだろうか。
「別に自己犠牲だなんて思っていませんし、家族を守るためなら当然の行動だと思うのですけれど」
「私の娘はたくましすぎるんだよ」
ぎゅっと強く抱き締められた。
父の温もりが愛しく、嬉しい。
「ありがとう、お父様」
嬉しくてヴィクトリアは強く父を抱き締めた。
アンディ王子との結婚を望んだのはヴィクトリアだ。
幼い頃。
まだカミルもヴィクトリアより背が低く、ヴィクトリアが一番彼に対して姉としての威厳を振り撒いていた時。
ヴィクトリアは誓ったのだ。
絶対にカミルを殺させはしないのだと。
あの時からもう、ヴィクトリアにとってカミルは特別だった。
だからこそ彼の愛に応えられないのだ。
カミルを愛しているから。
次回は本日の夜か明日に更新予定です!暫くは更新頑張ります……!