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 ヴィクトリアが処刑された。

 義姉の訃報はフェルチェ伯爵家を絶望に叩き落とした。


「まさか……そんな……」


 ヴィクトリアの父、リーマスはその場に座り込み呆然と天井を見上げた。手に持っていた書状は王国からの伝書で、そこには一言「ヴィクトリア・フェルチェ逝去」と書かれていた。

 使者が屋敷を出ていった後、陰で話を聞いていたカミルが呆然としているリーマスが持っていた書状を手に取った。そこには確かに義姉の死が記されていた。


「…………遺体を引き取りましょう」

「…………カミル」

「遺体を見るまでは、信じません」


 温度の無い声色で言い放つとカミルは自室へと戻った。

 異国を巡って帰国したばかりである彼の部屋は雑多だった。物が散らかっており、日頃整理している性格とは真逆で、まるで今の心を表しているかのようだった。

 その中でもテーブルの上にはいくつもの箱が並んでいた。

 全て、ヴィクトリアのために買った土産だった。

 彼女がアンディ王子の妻となったと分かっているのに、忘れなければならないと分かっているのに。

 それでも町を歩いていればヴィクトリアに似合う土産を買ってしまう。

 美しい景色を見つければ、義姉に見せてあげたいと思う。

 どんなに美しい景色を見たって、ヴィクトリアの炎のように紅い瞳の美しさには敵わないのだと、そんな考えに自嘲して溜息を零すばかりの旅だった。

 ヴィクトリアとアンディの結婚式は、身も引き裂かれんばかりの苦しみから逃げ出した。一秒たりとも彼らの祝福をする声を聞きたくなかった。

 自分は、祝えない。呪いたいとさえ思った。

 自分の元に来てくれないのなら……いっそ……

 そこまで思ったところで、思考を止めた。

 分かっているのだ。

 ヴィクトリア自身も結婚に喜びを抱いてなどいないということを。いっそ呪いたいと思っているのはきっとカミルだけではないのだ。

 分かっているから……だからこそ己が不甲斐なかった。

 薄暗い部屋の中、自室の扉を締めたところでズルズルと己の身体を扉に凭れながらカミルは座り込んだ。

 顔を両手で覆った。


「嘘だと言ってくれ……ヴィクトリア」


 普段は義姉と呼ぶ声で名を呼んだ。美しい響きの名前。

 小さな頃から真っ直ぐ瞳でカミルを捕らえ離さない愛する人。

 義姉と呼びながら、一度だって彼女を姉だと思ったことはない。姉に抱くはずのない劣情は、一体いつから感じていただろうか。

 きっと、初めて会った時からだ。


「ヴィクトリア……」


 愛している。

 けれど自分は臆病で、意志が弱かった。

 だから、約束を果たせなかった。

 結婚できないのも、仕方がないのだと諦めて……それでも諦めきれず、ただ足掻くだけの矮小な生き物と成り果てて。

 そうして、彼女が辛い時に離れてしまったのだ。

 顔を覆い隠していた指先に、涙が伝った。

(どうか、無事でいてください。貴女の顔を、声を……弟のままで良い。どれほど苦しくとも、もう二度と離れたりはしない。だから)

 だから、どうか生きていて。




 願いは呆気なく砕け散った。

 翌朝白薔薇城に押しかけ、ヴィクトリアの遺体を返すよう要求して出てきたものは、亜麻色の遺髪だけだった。


「ヴィクトリア様は伝染病に罹られたため、遺体をすぐに火葬致しました。遺されたのはこちらです」

「は…………?」


 焦燥したリーマスの声色は、もはや希望もなかった。背後でフードを被り使者として追従していたカミルは黙って亜麻色の髪を見つめていた。

 カミルが見間違う筈もない。

 ヴィクトリアの髪だった。

 だが、近くでみれば分かる。明らかに薄汚れ、土埃さえあった。


(これが、ヴィクトリアの……王子妃の遺髪だというのか……!?)

 怒りに支配されないようこぶしに爪を立てれば血が滲みだした。声を出さないのがせいぜいだった。


「う……あああぁ…………」

 遺髪の入った箱を手に取ったリーマスが泣き崩れた。悲痛な無き叫び声が王城に響いた。


「…………行きましょう」

「ああ……」


 これ以上此処にいては目立つと思い、カミルは泣くリーマスの肩を支えながら来た道を戻った。


 頭が痛い。

 ガンガンと叩き割られるような痛みは、思考と視界を鈍らせていった。

 吐き気がこみ上げるが我慢して前を進んだ。

 視界がぐらついて、一度目を閉じてから開けば。

 世界がモノクロに変わっていた。

 先ほどまで見えていた彩色が全て消え失せていたのだ。

 リーマスが手にしている遺髪を覗き込めば、そこだけ鮮やかな色が見えた。

 亜麻色だ。ヴィクトリアの髪の色。


(ああ……そうか)


 カミルは、理解した。

 もう自分の世界を彩る存在を失ったということを。





 それからは早かった。

 絶望の淵に立っていたリーマスに復讐心を与え、反王子派だけではなく、反王家の者達を集結させ反乱を起こさせた。

 元々第一王子によって綻んでいた糸を、反乱という名目で断っただけだった。

 王城に攻め込み、第二王子を新国王として立て、人心を掌握した。

 影の功労者であるカミルは一切表舞台に立たなかった。常にリーマスの後ろから援護し指示をしていたに過ぎなかった。

 けれど一つだけ成し遂げたことがあった。

 それが、第一王子アンディの処刑だ。

 水責めし、四肢を引きちぎらせ、命乞いする喉を潰した。

 残虐なまでの拷問に初めは賛同していたリーマスが顔を青褪めさせ止めに入ったが、それすらも振り切って、最後は剣で刺殺した。


 殺してやる。

 ヴィクトリアを道具扱いし、あげくに殺した男を。

 だが、いざ殺しても何も心は晴れなかった。

 殺したところでヴィクトリアは戻らない。分かっている。それでも止められなかった。

 アンディの死後、彼の素行を確認したが酷い有様だった。偽名を使って高利貸しに高額に金を借り、平民から貴族、使用人まで好みの女性に手を出していた。あげく、一人の女性は妊娠していた。調べればお腹の子は王子の子ではないと説明しているらしいが、問答無用で爵位を剥奪し、監獄に入れた。生まれる子がアンディと同じものであれば、恐らくより地獄を見ることになるだろう。

 アンディの計画では、お腹の子をヴィクトリアの子として宣言しようとしていたらしい。馬鹿馬鹿しい話だ。彼とヴィクトリアは一度たりとも房事をしていないことも王族の記録に記されていた。それに安堵して、けれど虚しい気持ちになった。

 何処まで調べても最悪な情報しか出てこない。こんな男のせいでヴィクトリアが殺されたのかと思うと、許せなかった。

 白薔薇城を制圧し、城内全てを探してようやくヴィクトリアの遺体を発見した。

 囚人を埋葬する墓地の一つに、墓があった。名前すら書かれておらず、掘り起こしてみれば薄汚れた箱の中に遺体があった。

 言葉は無かった。

 アンディを惨たらしく殺したカミルだが、殺したいのはあの男ではなく、自分自身の弱さだった。

(私がもっと強ければ……貴女を死なせることなどしなかった)


『お前が強くなったら考えてやってもいいわ』

 ふと、幼い頃に聞いたヴィクトリアの言葉を思い出した。

『そうね。じゃあ……たら、考えてあげてもいいわよ』


 ヴィクトリアは教えてくれた。カミルが望んだ結婚しても良い条件を。

 約束を果たせなかったのは、弱い自分のせいだ。


 ヴィクトリアも理解していた。

 アンディ王子との婚約をカミルが祝ったその時から、カミルがヴィクトリアを諦めたという事実を。

 ヴィクトリアは笑って「ありがとう」と答えた。

 望まぬ結婚に祝福を贈る最低な義弟に対して、普段見せない笑顔を見せて礼を述べてくれたのだ。

 ヴィクトリアは嘘をつかない。

 だから、本当に礼をしてくれたのだ。

 責めることも、カミルを罵ることもなかった。

 結婚したいと告げておきながら、むざむざ行動に出ることもなく、約束を果たすことも出来ずにいる愚かな義弟に。

 それでも彼女は笑ってくれたのだ。


「…………今からでも遅くないですか? ヴィクトリア」


 棺の中に眠る彼女から、答えは無い。

 遅すぎることは分かっている。それでも、「もし」という思考が頭から離れなかった。

 瞼を閉じれば、鮮明に思い出せるヴィクトリアの姿。

 その景色はいつも色鮮やかだった。


『……たら、考えてあげてもいいわよ』


 彼女は言った。

 冗談のように。けれどヴィクトリアは、嘘をつかない。


「約束です」

 瞳を閉じてカミルは微笑んだ。

 瞼の裏に映るヴィクトリアもまた、嬉しそうに笑っていた。


続きは明日更新します!

次回以降から糖度が増すはず……珍しくちょっと甘いです

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