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「お前が婚約者のヴィクトリアか? 吊り目で細いな。俺は柔らかい身体が好みなんだ。もう少し丸くなっておけ」
初めて顔を合わせた未来の夫の第一声が、コレだった。
婚約者となったため少しでも打ち解けるべきだという両親と国王の計らいにより、王家の庭園で二人、お茶会をしていた時のことだった。
相変わらずヴィクトリアは笑みを浮かべることが出来ず、無表情で第一王子のアンディを見つめていた。
「何だその不機嫌そうな顔は。王子の俺が直々に来てやっているんだぞ。嬉しいだろう?」
本気で言っているのだろうか。
だとしたら大変だ。名医に診せた方が良い。
「お母様の命令だから仕方なく結婚してやるが、今のままならお前を好きになることはない。少しでも俺の好みになるよう努力をすることだな」
二度目の絶句である。
残念な人間というのは、ここまで人に言葉を失わせるのか。
いや、しかしもっと残念なのはヴィクトリアだ。
(この人が夫になるの…………!?)
衝撃すぎて言葉を失うのも仕方がないと思う。
それと同時に、これほど最悪な第一王子の悪癖をひた隠し出来ている王家の威信に感服した。
疲労しかないお茶会を終えたヴィクトリアが馬車で屋敷に戻った時のこと。
馬車の扉が開くと、そこにはカミルがいた。
「おかえりなさい」
「…………ただいま」
カミルがヴィクトリアに手を差し伸べる。エスコートしてくれるのだ。
手袋のついた手を差し出してから馬車を降りた。
御者が馬を走らせる。蹄の音が遠ざかったところでカミルがヴィクトリアを見た。
「いかがでしたか?」
「そうね。吐きそうだったわ」
数時間の間だったというのにアンディとのお茶会は最悪だった。飲んでいるお茶は高級品のはずなのに、まるで飲めた心地がしない。
楽しくもないお茶会で過ごすことに途方もない疲労を感じたヴィクトリアは疲れていた。
「お父様には言わないで。心配かけたくないから」
「ですが……」
「婚約は決まったことなのよ。今更覆すことなど出来ない」
「……………………はい」
義弟のエスコートは続く。会話はそれ以上出てこなかった。
婚約が決まった日、ヴィクトリアの元にカミルは現れなかった。
顔合わせのために屋敷に訪れた王子が必要最低限の手続きを済ませて屋敷を出ていった後、久しぶりに顔を合わせた時。
『……ご婚約おめでとうございます』と。
色褪せた瞳に笑みを浮かべてそう告げた。
エスコートする義弟の所作は優雅だった。日に日に端正な男性として成長していくカミルに、気が付けば身長を抜かれていた。見上げる形となったカミルは真っ直ぐに前を見据えていた。風に揺らめく黒髪は、幼い頃と変わっていないはずなのに。
「どうしました?」
視線に気が付いてカミルがヴィクトリアを見つめる。見透かされそうな瞳を向けられて、ヴィクトリアは目を閉じ首を横に振った。
「何でもないわ」
婚約者のアンディに触れられエスコートされた時は不快さが、カミルには全く感じなかった。
あの時から数年経ち、殺され、そして時が戻り。
人生で二度目のお茶会が開かれることになった。
「どうしようカミル。私、王子を見たら殴らない自信がないわ」
「お気持ちは分かりますが、国家忠誠義務違反罪でまた首を絞めることになりますから、どうか我慢なさって下さい」
使用人によって支度を済まされた若草色のドレス。王家から贈られたドレスを、まさかもう一度着ることになるとは思わなかった。
「私も姉上とあの男がもう一度顔を合わせると考えるだけで腸が煮えくり返り、いっそあの男をみじん切りにでもして豚の餌にしてやりたいのですが、ここは落ち着きましょう」
「…………そうね。落ち着くべきね」
カミルの発言により一瞬で冷静になれた。誰より落ち着くべきなのは恐らくカミルなのだと悟ったのだ。
屋敷の玄関先が賑やかになりだした。どうやら王家の馬車が迎えに来たらしい。
「……時間ね」
「はい」
ヴィクトリアは黙ってカミルを見上げた。
「あの時もこうして見送ってくれたわね」
「…………」
一度目のお茶会の日も、カミルは黙ってヴィクトリアの姿を見つめていた。言葉はなく、出ていく瞬間に「お帰りをお待ちしております」とだけ告げた。それだけだった。
「あの時と今は違います」
明確な意志を持ってカミルは告げる。
「姉上。私は必ず姉上の命をお救いします。あの時のような悲劇を決して繰り返しは致しません」
「…………どうやって?」
「考えがあります」
それ以上言葉はなかった。
支度部屋の扉が軽く叩かれる。時間だという合図だ。
「……お帰りをお待ちしております」
「ええ」
以前と同じように扉を出ていこうとした時だ。
「きっと、早くお戻りになれますよ」
一度目の時には聞かなかった言葉に思わずヴィクトリアは振り向いた。
そこには、まるで聖母を見つめるように慈しんだ笑みを浮かべたカミルが立っていた。
ゆっくりと扉は閉まり、その笑顔は見えなくなった。
(どういうこと?)
王宮御用達の馬車に揺られながらヴィクトリアは考える。
カミルが一体何を知っているのかヴィクトリアには全く分からなかった。
一度目の時は最悪だったお茶会を夕刻まで過ごし疲れた身体で帰った。
あの時と同じではないというのだろうか。
考え事をしていると、ふいに馬車が止まった。驚いて顔を挙げて窓を覗き込んでみれば、そこには広大な土地を有する美しき王宮が見えた。
コーニリアス王国の栄華を誇る白薔薇城。王家の家紋である白い薔薇と時計のマークが刻まれた旗が揺らめく。長く続く階段には点々と衛兵が立っていた。
(到着したのね)
気を引き締め、ヴィクトリアは馬車を出る準備をした。
少しすれば扉が開き、使用人の一人が手を差し出した。
エスコートされるまま馬車を出て城を見つめる。僅かな間ではあったが暮らしてきた白薔薇城に、ほんの少しだけ郷愁の思いが浮かんだのだ。
(良い想い出など一つもないのに)
案内されるまま、ヴィクトリアは歩き出した。
階段を登り終えれば次に渡り廊下へと進む。建物の中は精巧な彫刻や絵画が飾られている。
一度目の時は慣れない場所に視線を泳がせるしかなかったが、今のヴィクトリアには分かる。
(向こうの扉から繋がっているのは王国の図書館……あっちは駐屯地よね。訓練所には中を通っていけば行けたはず)
複雑な建物の内部は、一年以上暮らしてようやく覚えられると言われていた。一年以上暮らしてきたお陰で覚えているようだ。
(ここね)
覚えている道を反芻すれば、このまま向かう先に中庭があるだろう。
ヴィクトリアとアンディが初めてお茶会をした場所だ。
大きな建物内の廊下を抜ければ、そこには美しい庭園が広がっていた。中庭の中央に建てられたガゼボの中には、既に何人かが座っていた。
ヴィクトリアの父、アンディ王子、そしてアンディの母親である王妃の姿だ。
「ヴィクトリア。待っていましたよ」
優雅な笑みを浮かべた王妃がヴィクトリアに気が付くと顔をあげて名を呼んだ。その声にアンディとヴィクトリアの父も顔を向ける。
「……お待たせして申し訳ございません、妃殿下、お父様……アンディ王子」
表情こそ固いが丁寧な所作で礼をする。穏やかそうに微笑む父、そして口を閉ざしたままのアンディ王子。
「畏まらなくて結構よ。貴方は未来の娘ですもの」
ほほ、と笑う王妃の様子に表情こそ変えないがヴィクトリアは失笑した。真っ先に罪をヴィクトリアに擦り付け、民から反感を買うようにさせたのは王妃その人なのだから。
「どうぞお座りになって」
促され、ヴィクトリアは父親の隣に座った。
そしてゆっくりと父の顔を見る。
戻ってきてから当たり前のように接してくれる父は当然だが未来に起きたことを知らない。ヴィクトリアが殺されたことも、カミルの言う通りであれば反乱を起こしたことも。
「……どうした?」
「いえ」
見つめていた視線を逸らし、前を見る。
(父にもう、そんな辛い思いをさせたくないわ)
そうして改めて見据えた。
将来の夫であり、ヴィクトリアを殺した張本人の姿を。
「……昨日の取り交わしにより二人の婚約が成されました。あとは結婚の時までに少しずつ打ち解けてくれると嬉しいわ」
「はい、お母様」
模範優等生ぶっているアンディが王妃の言葉に頷いた。
(そうだわ。私のお父様の前では一切の醜態を見せていなかった)
そう考えると人を見て態度を変えているのだから、それなりの脳はあったらしい。
「それじゃあ、私達は行きましょうか。フェルチェ伯爵」
「ええ」
王妃が立ち上がりヴィクトリアの父に視線を向ければ、頷いて立ち上がる。
「くれぐれも失礼のないようにな、ヴィクトリア」
「承知しておりますわ」
これから失礼なことをするのはアンディなのだ。私がするはずもないだろう、など口に入れすはずもなく。
二人が立ち去っていく姿を最後まで見送った。
(ここからね)
王妃とヴィクトリアの父の姿が見えなくなった瞬間、アンディが口を開くのだ。「お前が婚約者のヴィクトリアか?」と。
ヴィクトリアが姿勢を正す。二人が見えなくなった途端、アンディの態度が横柄な様子に変わった。
来る。
「お前がー……」
「アンディ王子!」
突然、緊迫した叫び声が王子の名を叫んだ。
口を開いて悪態吐こうとしていたアンディの口が開いたまま声の主を探していれば、一人の男性が酷い血相をしてアンディに向かってきていた。
「大変です!街の高利貸しがアンディ様の名を出して面会を求めていらっしゃいます! アンリ・ダレノ」の名をお出しになっています!」
「なっ…………! なんだって!?」
王子の開いた口から出たのは、何とも言えない叫び声だった。