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カミルの脳内を考えるの、とても楽しいです
行きと同じく、馬車はカミルとヴィクトリアを乗せてゆっくりと進んでいく。
向かいに座り合う二人に会話はない。
陽が落ち始めた夕暮れの空が窓から姿を覗かせている。
ヴィクトリアは時折カミルに視線を向けては外の景色に視線を戻す。そして時間を置いてまた、盗み見る。
ということを繰り返しやっているため、カミルにはバレバレだった。
(これで気付いていないと思ってるのなら)
どれだけ可愛いんだろうか。
カミルは澄ました顔を作りながら外の景色を眺めていた。視線を合わせてしまったらヴィクトリアが驚いてこちらに視線を向けなくなってしまうことまで把握しているため、敢えて目を合わせない。
(…………)
カミルにはヴィクトリアが礼拝に訪れた理由が分かっている。彼女自身が言っていたように、時を戻した時計に関する情報を収集しに来たのだろう。
(それと共に私の状況を確認しに来たのだろうな)
足を組み直し、ふうと息を漏らす。
カミルの目的をヴィクトリアは知っている。何故ならヴィクトリアの死を回避することと、ヴィクトリアがカミルに提示した結婚するための条件が一致しているからだ。
だが、それは決して容易くない。容易くないからこそ、一度目の生では諦めた。
(ああ…………嫌だな)
過去のことを思い出すと必ず思い出す光景がある。
それは、ヴィクトリアがアンディ王子との婚約が決まった披露宴の日。
アンディのために誂えたドレスを着て、アンディのために美しく装うヴィクトリアを見てどれほど嫉妬に狂いそうだったことか。自身が下した決断を、あれほど後悔したことはない。
ヴィクトリアは美しかった。だが、あのドレスは似合わない。ヴィクトリアを美しく着飾らせるのなら、どんなドレスが似合うだろうか……それは何百回と想像してきた。
マーメイドラインのドレスであればスタイルの良いヴィクトリアのラインが映えて美しいが、その滑らかな肢体が観衆の目に焼き付けることは嫌だ。
プリンセスドレスは似合わないため却下。しかし出会った頃の幼いヴィクトリアにはよく似合っていた。あの頃のヴィクトリアはプリンセスドレスがよく似合っていた。
だとすれば……
「カミル? ねえ、カミル」
ヴィクトリアの声に現実へ引き戻される。
「何でしょう?」
澄ました顔のままヴィクトリアへ視線を向けた。
馬車の中ぐらい距離が近いと、彼女の瞳を間近で見れて良い。
「貴方は一体どこまで事を進めているの」
「…………滞りなく」
「何よそれ」
不機嫌そうに眉を顰めるその顔も可愛いと思う。恋をすれば盲目になるという言葉があるが、そんな言葉では足りない。
(愛している)
何をしていても、その言葉しか出てこないのだ。
何かもの言いたげな視線を十分に理解していながらもカミルは答えない。どれほど愛するヴィクトリアの言葉であっても、カミルは止めることは出来ないのだ。
(…………貴方は知らないでしょう)
ヴィクトリア自身が亡くなった後の未来を。愛する女性が己の選択を誤ったことにより命を失ってしまった苦しみを。
二度と戻らないと思っていたヴィクトリアの生を取り戻せることを知った時、カミルは初めて神に感謝した。取り戻すのならば喜んで自身を捧げると誓った。時を戻すことに何一つ躊躇など無かった。
ヴィクトリアを真っ直ぐに見つめる。瞳を捕え、寸秒たりともヴィクトリアから視線を外さなかった。
「……………………っ」
徐々に顔を赤らめ、視線を逸らせる顔すら愛おしい。
(こんなに愛しているのに、どうしてあの時、諦めるなんて選択をしたんだろう)
自身を思いきり罵ってやりたかった。
「………………もういいわ」
カミルの視線に堪えきれず、ヴィクトリアは身体ごと動かして窓の景色を眺めだした。見つめていただけだというのに、何だか虐めているような気持ちにカミルは苦笑した。
「…………」
帰り際、ヴィクトリアが見ていないところでセイランがカミルを呼び止めた。
『王妃は君の行動に気が付いている。どうか気を付けて』
忠告のような助言を囁いたセイランの言葉を思い出す。
(受けて立つさ)
何があろうとも、ヴィクトリアを失った苦しみ以上の地獄はないのだから。
翌日。
ヴィクトリアは使用人に支度をしてもらっていた。
というのも、火急の用事があるからと、朝早くから王国から書状が届いていたのだ。それも、ヴィクトリア個人に向けて。
(アンディ王子のことかしら)
そろそろ王子妃としての勉強も本格化してくる頃合いで、婚約披露パーティが終えたらヴィクトリアは王城で暮らすことが決められている。
一度目の生で呼びだされたことは無かったが、過去と随分変わってきているためか全てが同じように物事が起きることはなかった。
支度を済ませて馬車に乗る。
今日もカミルの姿は見当たらなかった。
「……………………」
無茶をしているのではないか、と思う。
だが、ヴィクトリアには止める術がない。そう、何も出来ない。
(歯がゆいわ)
応援することも出来なければ引き止めることも出来ない。どっちつかずな自身の状態に嫌気がする。
(私が殺された原因はアンディ王子の反感を買ったことだから、もしもう一度結婚したとしても……どうにか回避できる術を考えればいい)
しかしアンディを好き勝手にすれば確実に国は傾く。しかしアンディ以外に王位を継ぐ者がいない今、彼を正しい道に戻すしか術がない。だからこそヴィクトリアは口煩くアンディに対し忠告をしていたのだが、それが余計に彼に不快だったのだろう。
馬車がゆっくりと進む中、昨日も眺めた景色はいつもと違ってヴィクトリアには見えた。
(…………何だか広く感じるわね)
向かいに座っていたカミルの姿がいないだけで、どうしてか退屈な空間に思えた。
王城に到着すると、家臣がすぐさまヴィクトリアを案内してくれる。
(どこに連れていくというのかしら)
招待されるだけされて、具体的な話は一切聞かされていないヴィクトリアは緊張した面持ちで長廊下を進む。
(この先は…………)
ヴィクトリアには憶えがある。正しくは、一度目の生の時に行ったことがある場所だ。
王族の住む区画、その一室の前で止まる。
(ここは……王妃の私室だわ)
どうしてここへ?
訳も分からないままに扉の前に立っていれば「お連れしました」と家臣が扉の前で告げる。中から返事が聞こえてきた。女性の声、間違いなく王妃の声だった。
扉がゆっくり開く。
ヴィクトリアは緊張で顔を強張らせながら扉の先を見れば……そこには王妃の姿があった。中央の円卓でお茶を飲んでいる彼女はヴィクトリアの顔を見つけると穏やかに微笑んだ。
「ヴィクトリア、急に呼び立ててごめんなさいね。どうぞいらして」
「は…………はい」
ヴィクトリアの背中から冷や汗が伝う。
扉が厳かに閉まると、部屋にはヴィクトリアと王妃、そして給仕の者が二人、茶の準備をしていた。
ヴィクトリアは王妃の前に立つと優雅にカーテシーを見せた。
「本日はご招待頂きお礼申し上げます。ご挨拶申し上げます」
「そう畏まらないで。貴方は未来の娘なんだから」
優雅に微笑む王妃、シャーロットはアンディの母とは思えぬほど若く美しく見えた。穏やかな笑みに、アンディと同じ青色の瞳。しかしヴィクトリアは彼女が並々ならぬ野心家であり、この王国で最も気の抜けない女性であることを知っている。
ヴィクトリアは失礼します、と声をかけてから席に座った。座ったと同時に給仕がカップとソーサーを前に出す。香りからヴィクトリアの好きな紅茶だと分かる。
「この間はごめんなさいね」
「え? あ、……いえ」
この間、と言われてすぐに思い出せなかったがアンディとの茶会のことだろう。あの時はろくに会話もすることなくアンディの賭博が露見しうやむやに終わったのだ。
「改めて調整をしようと思っていたけれど、それよりも婚約披露の方が先になりそうだから、せめてものお詫びに貴女にドレスを贈りたいと思って」
「…………そんな……お気になさらないで下さい」
ドレスの言葉にヴィクトリアは気持ちが沈んだ。
あまり考えたくないが、二度目となる婚約披露宴の日が着々と近づいていたのだ。
カミルの行動あってか、アンディと直接会う機会はほとんどないが、それでも婚約が白紙になることはない。着々と本人達を除いて物事は進んでいるのだ。
「私が贈りたいのよ。だって……貴女は未来の娘になるのだから」
笑顔が怖いと思ったのは、王妃が初めてだった。
笑顔を浮かべているというのに、一切の感情が見えない。底知れない恐怖を感じ、ヴィクトリアは目を伏せた。
「……ありがとうございます」
体が想像以上に強張っていることが分かる。それでも、精一杯笑みを返した。
まるで値踏みするかのような青い瞳は、今も穏やかにヴィクトリアを見つめていた。
(疲れた……)
緊張で身体中に疲労が溜まるお茶会を終え、ヴィクトリアは来た道を戻っていた。長い廊下を越え、正面エントランスホールに辿り着く。招待客を迎え入れるために建てられたホールには豪華絢爛なシャンデリアに彫刻像、美しい絵画が飾られている。
ほんのひと時の筈だというのに、永遠のように長い時間だった。
「あれ……フェルチェ嬢?」
聞き覚えのある声に名を呼ばれ、顔を上げてみれば少し先の入り口にセイランが立っていることに気がついた。
「セイラン様」
「王城でお会いするとは奇遇ですね」
「ええ。セイラン様は礼拝に?」
王城にも一室礼拝堂が建てられており、時折神官が祈りを捧げにくる行事があるのだ。
尋ねればセイランは頷いた。
「そうです。いつもひと月ごとに礼拝に来ておりますので……とはいえ、このようにお会いするのは初めてですね。……彼は一緒ではないのですか?」
声の大きさを抑えて尋ねてくる。
「ええ。今日は王妃に拝謁しておりました」
「…………そうですか。ああ、すみません。呼び止めてしまって。それでは僕はここで」
「ええ。ごきげんよう」
ヴィクトリアは会釈をすると、セイランから視線を外し入口に向かい歩き出した。
途端、激しい音が真後ろから響いた。
あまりの衝撃音に身体が驚き、思わず後ずさる。次に後ろを振り向いた。
信じられなかった。
先ほど挨拶したばかりのセイランの姿が消えていた。代わりに見えたのは、豪華絢爛な装飾がなされたシャンデリアのなれの果て。
天井に吊るされていたシャンデリアが、セイランを襲い潰していたのだった。