13
彼はセイラン・コーニリアス。
コーニリアス王国の元第二王子で、アンディの弟である。
しかし、聖堂に赴き神官に就いたことにより王位継承権を辞退したのは、彼が五歳の頃である。
以来、彼は王城ではなく聖堂で生活をしている。現在は職位を得て神官長となった聡明な青年だ。
「ご無沙汰しております、セイラン様」
ヴィクトリアは最敬礼のお辞儀をすればセイランはゆっくりヴィクトリアを席に座らせた。
その隣にセイランは座る。
「アンディ兄上との婚約が決まったとお聞きしました。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
にこりとセイランが笑う。
「兄の手綱を引いてくださる素敵なお方が義姉となること、とても喜ばしいです」
「恐れ入りますわ」
アハハ、フフフ。
腹の中を隠さない和やかな会話から、セイランもまた兄に手を焼いていることをヴィクトリアは知っている。
「……僕の元に顔を見せてはいけません。謀反を疑われますよ」
「あら。私は礼拝に参っただけですわ。それに日頃の行いが良いのでそのような噂立つはずありませんもの」
「日頃の行い……そうだね……」
凶暴な令嬢と噂されていることを知った上で言っているのだろうか……セイランは言葉を飲み込む。
ヴィクトリア・フェルチェは人となりを知れば癖は強いがいたって常識人である。それどころか知見もあり、アンディ王子妃にヴィクトリアが選ばれたことを知った時もセイデンは賢い選択だと王国を称賛したほどだ。
しかし評判は良くない。令嬢としての社交性の部分で圧倒的に不足しているのだ。野蛮というわけではないが、令嬢特有のお茶会や作法、社交性を、ヴィクトリア自身が好まないため、令嬢の中で評判が悪い。結果、噂が乗じて『横暴な令嬢』、『狂人令嬢』といった名が広まってしまっている。
「それで……礼拝を済ませられたようですが、他に何か御用が?」
「ええ。セイラン様にお会いしたかったのです」
言葉を飾らないヴィクトリアの様子にセイランは一瞬目を大きくすると、くすりと笑った。
「それは誘い言葉と受け止めても?」
「え?」
誘い言葉? とヴィクトリアが首を傾げていると、彼女の顎にセイランの細長い指が触れた。
「僕に会いたくて来てくれたなんて、可愛いお方だ」
「えっ?」
何でそうなるの? と大きく目を見開いて硬直するヴィクトリアの顎を軽く持ち上げるとセイランの唇が近づいた。
「目を閉じていてください……」
「ちょ、セイラン様!?」
何が起きているのかと混乱するヴィクトリアがセイランを引き剥がそうとした瞬間。
「その手を離して頂けますか? ……神官長」
ドス黒く低い声が響いたと共に、ヴィクトリアの腕が強く引っ張られる。勢いのまま身体が倒れると誰かの温もりに支えられた。
顔を上げて目を見開く。
そこには、顔を険しくしたカミルがセイランを睨んでいたからだ。
「カミル……!」
いつの間に礼拝堂に入室していたのだろう、気配を全く感じなかった。
カミルの腕がヴィクトリアの腰に伸ばされ、しっかりと抱き締められていた。セイランを警戒するようにヴィクトリアを僅かに後ろに下がらせ、自身が前に立ちはだかる。
「神官長ともあろう方が……神に背くような行いをなさるのですか?」
冷え切った声にヴィクトリアは背筋が寒くなった。今まで蜂蜜のように甘く低いカミルの声しか知らなかったから、カミルがこれほど冷たい声を初めて聞いた。
カミルの鋭く睨まれたセイランは苦笑しつつ一歩離れる。
「冗談です」
「…………神に仕えるのであれば、相応しい行いをなさってください」
深々と、呆れた様子でカミルが溜息を吐いた。
カミルの様子を見ていたセイランが嬉しそうに笑っていれば、カミルが嫌そうに睨んでいる。こうして感情を剥き出しにする姿は珍しかった。
(いつも見ないカミルばかり見るわ)
なんかちょっと面白くない。
顔に出したつもりはなかったが、まるでヴィクトリアの気持ちを見透かしたかのようにセイランは「さて」と話題を切り出す。
「今まで礼拝で祈りを捧げるようなことをなさらなかったお二人が同時にいらっしゃったのはどうしてですか?」
「…………」
ヴィクトリアとカミルは顔を合わせる。が、答えを先に切り出したのはカミルだった。
「貴方の力を借りたいからです」
「へえ…………」
セイランは眉をあげてセイランを見る。驚いた声色に聞こえるが、恐らくは想定済みだろう。
「あれほど王家に……王妃にバレないよう、頑なに身を潜めて生きてきた君がどういう心境の変化です?」
「…………」
カミルは一瞬俯くが意を決したように顔をあげてセイランを見た。
「姉上とアンディ王子を結婚させないため……と言ったら、貴方は信じてくれますか」
ヴィクトリアの胸が跳ねた。
直接的に言われるだけで、どうしてこんなにも胸が煩く鳴りだすのだろう。
セイランはふぅん、と指を顎に添えると微笑んだ。
「信じますよ。貴方は一癖あるように見えて、実はとても単純だから」
「……………………」
カミルが不機嫌そうな顔をしてセイランを睨んでいるのを察したのだろう。セイランは表情を変えて次にヴィクトリアを見た。
「フェルチェ嬢は彼の付き添いでいらしたのですか? それとも、僕に何か別の御用で? 先ほど仰ったように……特別に僕に会いたいと思って来られたとか?」
「それはありません」
ヴィクトリアが答えるより前にカミルが答える。
「……貴方に聞いていませんよ、カミル」
苦笑しつつもカミルを邪見にあしらうセイランだったが、それでもカミルの態度は変わらない。
「神に代わって罰を下してもいいですよね。神もお許しになられるでしょう」
「あいにく神は暴力を望みませんし、神籍を下りれば婚姻も可能だということは……知ってるでしょう?」
次第に空気が悪くなるのを感じ、ヴィクトリアは冷や汗が伝う。
(何でこんなに仲が悪いの……!?)
ヴィクトリアは空気を変えるために大きく咳払いをした。
「用件は二つありましたが、一つはカミルの話した通りのことでしたわ。もう一つありまして……セイラン様はコーニリアスに伝わる時計のことを何かご存じですか?」
「時計…………ああ、コーニリアス創世記に記述されている懐中時計のことでしょうか」
ヴィクトリアは頷く。どうやらセイランが禁書庫で読んだ書物の内容を知っていることは瞭然だった。
「よくご存じですね、ヴィクトリア。懐中時計の記述は一般的な歴史書籍には一切載せていません。王族の者や禁書庫の文献を読めるような者でしか知りえない事なのに」
「禁書庫にお邪魔しましたわ。アンディ王子の婚約者候補ですもの」
「ああ…………なるほど」
どうやら何かを察したらしい。セイランは複雑そうな笑みを浮かべた。
「兄はそこまで手を付けていたのか…………まさしく手に負えない」
「ええ。ですので、司書の人員配置は検討すべきでしょうね。幸いなことに、売り出したリストはお持ちみたいですので取り戻しは可能だとは思いますわ」
ヴィクトリアの言葉にセイランは項垂れる。
実の兄が国の宝を私情で高利貸しに渡していることが少なからずショックだったのだろう。
「ありがとうフェルチェ嬢。それで、時計の事を知りたいと言っていたね? 恐らく貴方が調べた文献以上に特段これといって資料は見つかっていないよ。あまりにも内容が曖昧すぎて、歴史書にすら載せていないことだからね」
「そうですか……」
残念そうに俯くヴィクトリアの様子を見て、カミルがそっとヴィクトリアの背に触れた。慰めるように触れる掌は少し遠慮がちではあるが、それでも確かにヴィクトリアに触れたのだ。
セイランはその様子に多少驚く。彼が知るカミルは、たとえこの場にセイランしかいないとしても、ヴィクトリアに接するような姿を見せたことがないからだ。
驚くことばかり続く一日にセイランは礼拝堂に飾られる神の像を見る。まるで軌跡を見させられている光景に、仕える神に問う。
(貴方の御業なのですか?)
勿論答えはない。
ただ、窓から差し込む陽の光が穏やかに礼拝堂を照らし続けていた。
ゆっくりですが4月上旬までには完結させたいです…!