12
ヴィクトリアと王子との婚約は書面上で決議され、正式な婚約披露宴が三か月後に行われることとなった。正式に世間に周知されるのはその披露宴を持って執り行われる。
一度目の時も同様だった。その後、更に時間をかけて一年後に盛大な結婚式を迎えた。
(もう一度繰り返すなんて最悪だわ……)
ヴィクトリアはうんざりした様子でソファにもたれ掛かっていた。
婚約披露宴はヴィクトリアにとって最悪の想い出しかない。何故ならエスコートするはずの王子が気に入った令嬢……たしかリーナ・キャバル男爵令嬢に出会うのだ。
べったりと鼻につく甘い香水と可愛らしい瞳、猫撫で声で王子に寄り添う彼女の姿を見た時は目を疑った。
不敬罪と言われてもおかしくない姿や態度をしているというのに誰も注意をしないのだ。ヴィクトリアは心底コーニリアス王国の未来を心配した。
(いずれは愛人になさるだろうと思っていたけれど……)
まさかヴィクトリアを処刑して、彼女を正式な妻にする目論みがあったとは知らなかった。
カミルから話を聞いたところヴィクトリアの死後、周囲の反対を押し切って王子妃になったと聞いている。恐らくお腹にいた子供のことがあったからだろう。
ヴィクトリアは自室の椅子に座りながら、先日書いていたメモを取り出していた。
『過去の戻り方』は分かった。そして、解決しないとカミルの命に関わるという苦しい情報も手に入れた。
だとすれば次にやることは決まっている。
ヴィクトリアはテーブルの上に置かれていたペンを手に取ると、持っていたメモに文字を追記した。
『正しく時計を戻すためには』
(私が死なず、かつカミルが王城の金書庫に入って時計を元に戻すために必要なことと言ったら…………やっぱりアレしかないのかしらね)
思いついた案をどうにか叶えるためにやるべきことを考えれば、行くべき場所は決まっている。
ヴィクトリアはメモを握りしめると使用人を呼びだす。
「出掛けます。支度をお願いできるかしら」
外に出て、いざ馬車に乗ろうとしたところでカミルと遭遇した。
どうやら彼も馬車で移動をしようとしていたらしい。
「………姉上はどちらへ?」
「それは私の台詞よ。お前はどこへ行くつもりなの?」
お互い牽制しあうように見合っていれば、遅れてやってきた年老いた御者が「お待たせしました」と声をかけてくる。
「聖堂へお二人お出かけになられるとのことで……今日は礼拝にでも行かれるのですかな」
はははと笑いながら御者は専用座席に乗り込んだ。
「…………」
「…………」
どうやら行先は同じだったらしい。勘違いされて一緒に行くことになっていたようだ。
「姉上」
カミルが穏やかに微笑むと手を差し出してくる。
「エスコートしても?」
「…………許すわ」
カミルの腕に手を添えてヴィクトリアはカミルと共に馬車に乗り込んだ。
暫くすると馬車が動き出す。かわっていく景色を眺めていたヴィクトリアは視線をカミルに移した。
カミルはじっとヴィクトリアを見つめていた。ずっと眺めていたのだろうか、目が合えば穏やかに微笑んでくる。
ずっと見つめられていたのかもしれない事実に頬が赤らむ。
「…………アポイントは取っているの?」
「いいえ。姉上は?」
「取っていないわ」
会話が終わる。どちらも何をしに、誰に会いに行くのかを語らない。
行く理由が同じだということを分かっているからだ。
気まずさからヴィクトリアは視線を窓に移す。それでもなお、カミルからの視線は感じていた。
「…………幼い頃、共に聖堂に礼拝に行ったことを覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。覚えているわ。忘れるはずがないでしょう?」
何故ならそれは、カミルの父の葬儀だったから。
「……ずっと手を握ってくださいましたね」
カミルの手が伸びると、正面に座るヴィクトリアの手を取った。
「そうだったかしら」
ヴィクトリアも覚えている。
あの時はヴィクトリアよりも小さな手だった。冷え切った冷たい手を暖めるように強く握りしめた。
今ではすっかり手のひらを包まれるほどに大きく成長したカミルの手がヴィクトリアの手に触れる。
「……またこうして、姉上の手に触れられて私は幸せです」
「…………幸せのベクトルが低すぎよ。もっと高く持ちなさい」
きょとんと、薄藍色の瞳が大きく開くと弧を描くように微笑んだ。
「姉上が私と結婚してくださる時が、人生で一番の幸いでしょうね」
ヴィクトリアの表情が唖然とした様子で、カミルは思わず笑えば、ヴィクトリアの蹴りが左脚に入った。
聖堂は王城から見て真東に建てられている。聖堂の塔には巨大な鐘があり、王国に時刻を知らせる大事な役目を果たしている。
聖堂が窓から見えてくると、カミルはマントのフードを被る。目元まで隠すとヴィクトリアを見る。
「できればご一緒に向かいたいところですが目立つので中で落ち合いましょう」
「分かったわ」
ヴィクトリアが内々でアンディ王子との婚約が決まっていることは知られており、それは聖堂も例外ではない。そんなヴィクトリアと異性が隣に並んで歩けば嫌でも目立つだろうことは理解していた。
馬車が止まる。
内側からカミルが馬車の扉を開けると、ヴィクトリアに目配せする。先に降りてほしいということだ。
ヴィクトリアは視線を前に見据えながら馬車を降りた。厳粛な雰囲気を醸し出す聖堂に人の出入りは少ない。
降りて聖堂の正門に向かう。その間にカミルがどのように移動しているか、ヴィクトリアには何一つ見えない。
正門に向かえば門兵がヴィクトリアの前に立つ。
「フェルチェ伯爵家のヴィクトリアと申します。礼拝に参りました」
「お待ちしておりました」
ヴィクトリアは向かう前に早馬で訪問する旨を伝えていたため、問題なく通される。従来、身分を証明するための書状や紋章を見せるところではあるのだが、どうやら顔を知られていたらしい。
使用人の一人に中を案内されながら周囲を見渡す。滅多に訪れない聖堂は荘厳な建築物の中に創造神の彫刻や女神の絵画が飾られていた。
(宝物庫みたいね)
華美な装飾から、聖堂がいかに王家と繋がりがあるのかをよく知らしめている。
礼拝堂に向かえば何人かの礼拝者が祈りを捧げていた。その中央、一人の男性が壇上に立ち祈りの言葉を唱えている。
男性は入室してきたヴィクトリアに視線を向けると、穏やかに微笑んだ。
ヴィクトリアは案内してくれた使用人に礼を告げると礼拝堂の一席に着席して祈りを捧げた。
(神のお力により生きながらえてしまいました)
本当なら「何て変な物をカミルに与えるんですか」と文句も言いたいところだが、天罰が下されそうなので心のうちに押さえておいた。
祈りを続けていれば、鐘の音が大きく鳴り響いた。
聖堂の塔にある巨大な鐘の音だ。
あまりの大きい音に一瞬耳を塞ぎたくなる。この音は王国中に響くと言われるほどに大きいため、直下に聞くと大変耳に響く。
鐘の音を合図に祈りを捧げていた者達が退室していく。壇上にいた男性に感謝を述べる老人もいる。男性は穏やかに微笑みながら手を差し伸べ語りかける。
そうしている間にヴィクトリアを除いた全員が立ち去った。
最後の一人まで見送ると、男性はゆっくりと礼拝堂の扉を閉める。
そしてそのままヴィクトリアに振り返った。
「ようこそおいでくださいました、フェルチェ伯爵嬢。僕に何か御用ですか?」
つかみどころのない笑みで問いかけるその顔は、どこかカミルを思い出させた。
遅くなりました!