説得 2
その日、俺は北沢にラインを送った。
『起きてるか?』
『起きてるよ。どうしたの?』
『来週の日曜の十七時。うちの店に来られるか? お前の父親にも話をつけた。そこで、説得を行う。
だから原稿を印刷して、そのとき持ってきてくれ』
『……うん』
『なんか、ごめんね。色々手間取らせちゃって』
『お父さん、説得できるかな……』
『できるもなにも、やるんだろ?』
『それにここで引く気か? 冗談じゃねぇぞ』
俺と北沢は、それだけ時間を掛けてきた。
夢に向かっては知った距離は、決して自分を裏切らない。
だから北沢にも、こんなところで諦めて欲しくなかった。
『ありがとう』
『なんか元気出たよ』
『そうか?』
『ならよかった』
俺は安堵して、スマホを置いた。
しばらくして、北沢から連絡が来た。
『小島くんって、太陽みたいだよね』
そんなこと初めて言われた。しかも女子に。喜んでいいのか、悪いのかわからない。
『どういう意味だ?』
『言葉のままの意味だよ。何か、情熱を持ってて、周りを照らし出す……みたいな』
『俺はそんなに輝いてないぞ。友達も少ないし』
『そうかもね笑』
『でも、少なくても私は照らされてる。小島くんのおかげで、前に進む勇気が出た』
『そうかよ』
俺はむずがゆくなってきたので、適当に返した。
これ以上ラインをすると、どこかぼろが出そうだ。
どうせなら、格好付けたままで当日を迎えたい。
好きな女の子の前で、自分のダメなところはなるべく見せたくないのがふつうってもんだろ?
そのあと、ウサギが口を押さえて笑っているスタンプが送られてきたきり、北沢から連絡はなかった。
ついにその日がやって来た。
日曜日。十六時五十三分。
外の駐車場に、黒塗りの車が止まった。
その車の中には、北沢の父と、北沢本人の姿があった。
「お邪魔する」
「……」
俺は彼らを迎え入れる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。あちらの席にどうぞ」
「すまないな。………………いい店だな、ここは」
「ありがとうございます」
社交辞令がかわされる。
この時点で、向こうの方が遥かに精神的余裕を保っていることがわかる。
翻って、俺の心臓はバックバクだ。
北沢は今、なにを考えているのだろうか。
北沢は鞄を持ってきている。あの鞄の中に、原稿が入っているのだろう。
俺が案内したのは、北沢がいつも利用している席だ。
窓際の、晴れた日にはよく外の景色が見える席。
「いい席だ」
「ありがとうございます」
「コーヒーを頼もうか。ブレンドコーヒーを二つ。ミルクとガムシロップもつけてくれ、二人分な」
「かしこまりました」
俺は緊張をなるべく悟られないような所作で、コーヒーを入れた。
「お待たせしました」
「悪いね」
「ありがとう、ございます」
空気が張り詰めている。
俺は果たして、北沢の父親を説得できるのだろうか?
「さて、本題に入ろうか。どうして今日、わざわざ私を呼び出したのかね?」
その声音には、俺が今からなにをしてくれるのか、楽しみでしょうがない、といった感情が含まれているように思えた。
俺は動揺を悟られないように、言った。
「北沢の書いた小説を読んで下さい。北沢」
「………………うん」
北沢は鞄から、それを取り出した。
百二十二枚分の小説原稿。
「ほう。これをどれくらいの期間で完成させたんだ?」
「い、一週間も、掛からなかったと思う」
「そうか。それは賞賛に値するな」
ぞくっ、とした。
初めて北沢父に会ったが、彼は非常に冷静なのだろう。
敵である俺たちを、あえて褒めている。
その余裕はいったいどこから来るのだろうか?
わからない。だが一つだけはっきり言えることは、おれの方が動揺していると言うことだ。
深呼吸しろ、深呼吸。
べつにこれが失敗しても死ぬわけじゃないのだ。
「この原稿を、今から読めと?」
「時間が掛かるのはわかってます。ですがこの店は、小説を読むのにはうってつけのお店でしてね」
「そうか、なるほどたしかに、落ち着いた雰囲気のお店だ。いいだろう。ただし、明らかに程度が低いものとわかった場合、途中で読むのをやめる。
それでもいいかね?」
まただ。またぞくっとした。
だが俺は、今度は怯まなかった。
「わかりました。それでいいな、北沢」
北沢は心配そうな表情で、こくりと頷いた。
「……………………では」
そう言って、北沢父は原稿を読み始めた。
あかね視点
緊張の瞬間だった。
今、お父さんは私が書いた原稿を読んでいる。
この返答しだいで私の運命が決まってしまうのだ。
私は今まで、お父さんにここまで反抗したことはなかったかも知れない。
それはつまり、自分の意志でなにかを掴み取ろうとはしなかった、という意味だ。
お父さんが敷いたレールに従って、今まで生きてきた。
それが間違いだなんて思わなかったし、多分お父さんが言っていることは正しいんだろうな、という確証もあった。
けれど、私は小説家になりたい。
たとえそれがお父さんと石を違えるものだったとしても、私は小説家になりたいのだ。
お父さんはぺらり、と原稿をめくっていく。
心臓が張り裂けるかと思った。
もし……原稿をお父さんが読み切ってくれなかったら、と思うと、気が気でない。
けれどお父さんは着々と原稿を読み進めていった。
私の小説、面白いのかな……
読み返したときはものすごい自信があったものでも、いざ誰かに読まれるとなると自信を無くしてしまう。
私は不安になって、小島くんの顔を見上げた。彼は微笑んだだけだった。
――大丈夫だ。安心しろ。お前の小説は面白い。
そう言ってくれているかのようだった。
やがて、ページは最後の方に差しかかる。
ここまで読んでくれただけでも嬉しかった。けれど、もっと先に進まなくちゃダメだ。
ついにお父さんが原稿を読み終わった。私は胸を撫で下ろした瞬間、「あかね」とお父さんの鋭い声が飛んだ。
そして聞いてしまった。
お父さんのその言葉を――