終わらないハロウィン
先に私の作品の『魔的ハロウィン』を読まれる事を強く、激しく、お勧めします。単品でも分からないでもないですが、ないでもない程度なので無理をなさらない方が良いかと。魔的の方はまだ少し短いので労力的には苦にはならないかと。
ならば、私は悪魔と契約しよう。
『良いのだな』
「ええ、良いのよ悪魔」
彼がいなくなった。ハロウィンの次の日は彼の誕生日。その為に買いにいったプレゼントは、遂に彼の手に渡ることはなかった。
彼が姿を消した、ただ彼の痕跡のみを残して。学校に行っても、彼の家を訪ねても、街中走り回っても、彼はいない。また明日、と挨拶を交わしたのに。
彼がいなくなった。それでも、月日は流れる。でも私に明日は来ない。彼と会わなければ明日なんてない。そんな明日は要らないし、あり得ない。
それから私は今日を生き続けた。立ち止まり続けた。一人で探せないなら、探させれる人間になればいい。そうして世界に手を伸ばしても彼は見つからない。その痕跡はあのハロウィンの日に消えた。生きていても死んでいても痕跡を何も残さないというのは、ますあり得ない。
故に思い至った。彼は既にこの世界にはいないのではないか、と。そうと分かれば、次は別の世界に手を伸ばせば良い。その為に私はこの悪魔と契約を結ぼう。彼との日々を、明日を始める為に。
呼び出した悪魔は、尊大に、面白くなさそうな顔で私を睥睨しながら問うてくる。
『ここに契約は結ばれた。では聞こう、願いはなんだ。力か?名声か?』
「私の僕となりなさい」
『承知しました、我が君』
先程までとはうって変わって、恭しく頭を垂れる悪魔。その仰々しい態度が芝居がかっていて、その実では酷く退屈そうで嫌悪すら読み取れる。
「では、まず“彼”を見つけなさい」
だがそんな悪魔の機嫌に左右される筈もない。私は関係を再度理解させる為に高圧的、威圧的に、始めに一番の命令を与える。
『“彼”……?その者の名は?』
予想された返答を返す悪魔。その答えを苦々しくも私は伝える。
「……何故か思い出せないのよ。何度も何度も呼んで、呼ぶ度にその名を抱き締めて、思い出しては心に刻んだのに。私の中を読んで知りなさい。それくらい出来るでしょう?」
『承知しました……では、失礼します』
そう言って悪魔は私の頭を、その右手で掴む。目を閉じた私の視界には、彼との今日まで映し出す。
『彼……ああ、貴女の“彼”を我は知っております』
「本当にっ!?」
やはり別の世界にいたんだ。この契約は無駄ではなかったんだ。彼と別れた後の長く続けた今日での、久方ぶりの喜びが私の中に生まれた。
「彼は何処にいるの!?」
『彼は狭間の鍛冶屋と鍛冶屋の悪魔と共にいます。我々の間では有名です』
「居場所が分かっているのなら、彼の所へ連れていきなさい」
『その彼の場所へ行くためには死なねばなりません。それでも』
聞かれるまでもない。
「そんな事はどうでもいい!私は何としても彼と再開したいの。彼のいない今日に未練はないわ」
それは当然のこと。何のために今日というこの世界に留まっていたのか。私の意思を聞いた悪魔は一瞬豆鉄砲を食らったような顔をしたが、くぐもった笑い声を漏らす。私が悪魔の態度に嫌悪を示すと、失敬、と表情を戻した。
『それだけ現世で人間が求めるモノを手に入れていても、想い人の為なら死をも恐れずとは……貴女も珍しい方ですね。いや、ある意味人間らしいとも言えるのでしょうか……結構、結構。……承知しました、我が君。我はただ貴女に従い仕えます』
改めて私に忠する意思を見せる悪魔。そう、それで良い。それでこそ大量の代価を払った価値がある。彼に会うためならどんな謗りも構わないけど、こんな罪深い私を彼は受け入れてくれるかしら。
『では、逝くとしましょうか』
悪魔の差し出した手を取り、軽く引っ張られながら一歩を踏み出す。三歩目で階段を踏み外した感覚を覚え、意識は身体から転落していく。いや、私の手を握る悪魔に闇へ引きずり込まれると言った方がしっくりくる。
「ねぇ、お前はさっき、我々の間では有名です、と言ったわね。それってどういう事?」
『そうですね……到着までもう暫くありますし、お話し致しましょう』
悪魔は私を傍に引き寄せる。ちょうど並んで落ちる状態となった。悪魔は空いている腕を仰々しく広げて語り始める。
『まず鍛冶屋の話から。彼はウィルと申しまして、なかなかに悪どい口の達者な人間でした。そのウィルは……長くなりますから、はしょりましょう。そのウィルは色々あって天国にも地獄にも逝けず、闇に堕ちる事となりました。それだけなら問題は無いのですが、彼を好きになった悪魔がいまして。鍛冶屋はある程度自由にしておりました。
ところがある日、彼は一人の少年に目をつけます。その少年を悪魔を使って自分と同じ闇に堕としました。少年は帰りたいと申します。その為の努力は惜しまないと。彼もなかなかに口が達者だったのでしょう。鍛冶屋を説き伏せて、鍛冶屋と共に闇からの脱出を目指します。
しかし出入り出来るのは我々のような存在だけ。そこで諦めれば話は終わりなのですが、彼らは違った。闇に勢力を造り、天国と地獄に喧嘩を吹っ掛けたのです。我の同胞の大半や少数の天使は鍛冶屋達につき、一気に力を増した闇の軍勢は遂に両方に穴を開け、新たな階層を生み出したのです』
悪魔は興奮しながら━━これも芝居臭いが、少しはその想いもあるだろう━━手振りを加えながら語る。
「それで今、“彼”は何処で何をしているの?」
『愉しそうにあっちこっちで天使や悪魔相手に殺し合いをしています。殺す、とは言いましても幾日か経てばまた甦りますから。一種、娯楽ですな。もう帰りたいと思っているかどうか』
彼は変わってしまったのだろうか。私の知る彼は、少し無愛想だけど優しい人だったのに。でも私が彼のそんな一面を知らなかっただけなのかもしれない。知れば知るほど新しい顔が見える。そんな彼なら私の罪も受け入れてくれるかもしれない。
考え込んでいると悪魔が私の腕を引き抱える。嫌悪を覚えるが、見下ろした先に闇の中に穴を見た。
『着きました』
穴を超えると落下速度は次第に下がっていく。天高い位置から眺めてふと思った第一印象としては。
「現世とあまり変わらないわね……」
全体的に現世の都会以上に彩りの少ないものであると感じた。街の中央に抜きん出て高い塔が聳えていた。その塔を囲う形でビルのような建造物群が建ち並び、その間隙を舗装された路が敷かれ、その道には見慣れた自動車によく似た火車が駆け巡っている。繁華街らしきこの場所には様々な姿の者がいた。羽根を持つ者や鱗に覆われた身体の者、人間に近い姿であったり異形であった。
『此処が我らが楽園、神と魔王と対等となった二人の人間の統括階層、『灰色の摩天楼』、あの塔の名と同じです。この中央区は特に人間の考え方が多分に入り込んでいます故、人間世界の物と似ているのでしょうな』
勝手に私の思考を読むな下僕悪魔風情が。表情を見れば分かります、と睨む私へ微笑み嘯く悪魔は私を抱えたままビルの1つに着地した。しかしそのまま私を降ろすことなく、別のビルへと高々と跳躍する。飛び交うビルは今までに見慣れた現世のビルと相似であるが、その間に在る者たちを目にするとやはりここが別世界だと私に確かに伝えてくる。彼らは頭上を跳ぶ私達に奇異の目を向けるのではなく、上を跳ばれる事で物でも落ちてこないかを心配しているようである。それでなくとも私達を注視する者の数が少ない事からもこの程度は彼らにとって日常の部類であるようだ。
そうやって幾度か跳躍を繰り返すと上空から見えた天を突くほどに高い塔、『灰色の摩天楼』の側まで来ていた。近くで見るとそのふざけたほどに圧倒的威圧的存在感を持つ塔自体がを誇示しているかという錯覚に陥る。悪魔は一番力強く跳び上がってその塔の側面にある出入口━━そう表すしかない程に出入口然としていた。跳ぶか飛ぶかする者ようとでもいうのか━━の中へ悪魔は入って着地。今度こそ私を降ろした。案外抱えられ続けるのも疲れるものね。
『鍛冶屋!鍛冶屋はいるか!?』
悪魔は私を下ろすや否や声高に問うた。その声は随分広い、ロビーらしい場所に響く。その空間には扇状であり壁には扉が並んでいた。それ以外には取り立てて挙げる物がない。
「誰ですかー、ウィルお兄ちゃんを呼んでいるのはー」
意識の外から舌っ足らずな声がした。そこには一人の少女。綺麗な長い銀の髪に、紅い瞳。背は低く、大体小学四年生ほどに見えた。悪魔は前に出て、その少女に話し掛ける。
『我が君がお前の主の友に用がある。人間世界での知り合いなのだそうだ』
ほへー、と珍しいものを見た顔で感嘆を上げる少女。そんなに彼を訪ねるというのは珍しいことなのだろうか。
「お兄さんの、ですか?今お兄さんは天使との死合いに行ってますし……とりあえず、お兄ちゃんの所に案内しますね」
どうぞ、と少女が手で誘う先にはさっきまで無かった木製の両開きの扉が、まるで今までそこに在ったかのようにあった。壁に、ではなく部屋の中央に扉だけが立っているのだ。その奇怪な扉を開け少女は中に入る。悪魔もその扉の前に立ちドアノブに手を掛け私を待っている。訝しみながらも、意を決して中へと進む。その先は壁ではなく一本の長い廊下があり、遠くにまた木製の両開きの扉が見えた。
「ねえ、あの女の子は?」
赤い絨毯の敷かれた一本道を扉目指して歩く最中に、私の斜め後ろを歩く悪魔に先程の少女について訊ねてみる。
『彼奴は先に述べました、鍛冶屋に惚れた悪魔です。あのような姿はしておりますが、三界でも屈指の強者。我でも相討ち覚悟でなければ打倒出来ない相手です』
「へえ、あの娘、そんなに強いんだ……人は見掛けによらないとは言うけど、悪魔でもそうなのかな?」
或いは幼い少女の姿で相手を油断させる為なのかもしれないわね。実はおどろおどろしい異形なのかも。
廊下の端の扉の前に来た。この向こうには彼を私の今日から奪いさった奴がいるのね。とりあえず、彼の行方を吐かせたら、張り倒してみようかしら。殺しても殺しても殺しても、気が済まないほどであるから、まずどう苦しめてみようか悩む。
扉のノブに捻り開いて、先へと歩を進める。そこはロビー以上に広い部屋であった。ロビーと違って扇状ではなく四角い間取り。扉の反対側は一面窓になっていて、壁一面には本棚が、窓の前には執務を執り行うであろう大きめの机が一つ。
「よォ、お前さんがアイツを訪ねてきた人間か」
そこには両足を机にのせている行儀の悪い男が一人、輝く石炭をお手玉のように左右の手に行き来させている。その傍には机に腰掛けた先程の少女の姿があった。二人して行儀が悪いわね。どういう教育を受けたのかしら
「貴方が彼を連れ去った、鍛冶屋のウィルとかいう屑?」
睨み付け恨みを込めた私の問いに、行儀の悪い男はからからと笑って答えた。
「そうとも。この俺がコイツに指示して、お前さんからアイツを連れ去った屑様だ。こんな遠くまで追ってくるとは、しかもソイツを従えるのにも随分な代償を支払ったんだろうな。全くご苦労なこった」
悪びれる事もなく、それがどうしたといった様子で話す鍛冶屋。駄目だ、抑えきれない。この男の開き直った態度に一層押し込めていた感情が一気に沸き上がって、遂には溢れでてくる。
「なんで!どうして彼を連れ去ったりしたの!?」
「何故って、簡単な事さ。そんなもん、その時の気分だよ」
「き、気分って……!」
コイツは一体何を言っているの?理解できない。しようとも思わ━━
「そうさ、気分さ。なんだ、もっともらしい理由が欲しかったのか?彼は選ばれた存在だったからとか。だが考えてもみろ。ある意味選ばれた人間には違いないさ。たまたま俺の目につき、たまたまこうして新たな階層を創る力を手にしたんだ。もしかしたらその時の俺の気分は、何か運命的なものがそうさせていたのかもしれない」
何を言っているのだ、この男は。彼がコイツに拉致されたのは運命的なものであった、必然的なものであったと?
「そんなこと……」
「そう、んなこと誰にも判りゃしねぇ。全ては全くの偶然であったかもしれないし、必然だったのかもしれない。仮定だらけで結果だけでは真実は見えない。だからさ、今を見ようぜ、お嬢ちゃん。考えようによっては、人間世界で生きて共にいるより、こっちで永遠に近い時を暮らせる可能性が生まれたのだから。……お前さんが固執する“昨日”は終わっているんだ。変えようがないもん悩んだって仕方ねぇ。新しい“今日”を見ていく方がよっぽど建設的だ」
そう、なのかもしれない。……いや待て、なんだろう何かがオカシイ。私の芯が男の言葉に揺さぶられる。唯々諾々と、この男の言葉に染められていく感覚。
自分の境界が曖昧になり始めた時、ふいに悪魔が私の前に、男と悪魔少女の間に衝立になるように立った。
『鍛冶屋。我が君に暗示を掛けるな』
その悪魔の声で私の軸は正される。それでもまだぐらつく意識を立て直しながら、悪魔の影から鍛冶屋の男を覗けば悪戯のバレた子供の如く笑っていた。
「ハハハ、そう睨むな。共に新階層創造に立ち会った仲じゃねぇか。……嬢ちゃん、さっきはコイツの術で説き伏せようとはしたが、俺の話した考え方もまた一つの道だ。俺は騙りもするが、正しく語る事もあるんだぜ?」
鍛冶屋は悪魔少女に声を掛ける。悪魔少女は鍛冶屋と目線のみで意思の疎通が出来ているようだ。何か指示を受けた少女は私の前に出る。
「今からお兄さんの所に転送してあげます。貴女の望みがいち早く叶えられるんです。まぁ、そこから先は貴女の悪魔を頼って下さい。そこらの悪魔よりは有能ですから、ね?」
悪魔が少女のウインクに渋面を浮かべる。なんだ、コイツは彼女が力関係云々の前に苦手なのかもしれないわね。
少女が手を前にかざすと、私を中心に円陣が広がる。見たことのない複雑な魔法陣のようだ。悪魔の方に顔を向けると、問題はないといった表情。罠の類いではないみたい。魔法陣は緩やかに回転を始め、加速、高速に至ると私の身を下から飲み込んで上昇していく。
「ああ、嬢ちゃん。俺からお詫びと親交を兼ねたプレゼントだ」
既に下半身を魔法陣に吸い込まれた私に向かって、棒状の物を投げる鍛冶屋。私の悪魔がそれを掴み、私に手渡す。
「……剣?」
剣として割と細身ではあるがレイピアとはまた違うようだ。私にもう少し力があれば自由自在に扱えるのかもしれないと考える。
「ここは物騒な所が多い。その悪魔に身体能力上げさせれば、その剣で自分の身くらい護れるんじゃないか?なに、俺の作品だ。品質は保証するぜ」
鍛冶屋であるから武器も作れるのか。どれほどの物が分からないけれど、確かに無いよりマシだろう。あの男の腕が自称通りなら良いんだけれどね。そこまで信用は出来ないわ。
「……とりあえず、貰っておくわ」
別に剣を抜いてから投げ返しても良かったのだけれど。邪魔になりそうならその辺に捨てればいいだけですもの。
魔法陣は剣を持った腕を飲み込み、もう肩の辺りまできていた。もはや頭も飲まれるのを残すのみという前に鍛冶屋が呟いた。
「お前にとっての昨日は、アイツにとっての歪んだ幻影になってるかもな……」
どういう事か、答えを聞く前に全身が消えて鍛冶屋に問うことは出来なかった。ただ、鍛冶屋の表情が先程までとは違っていた。どういう想いがあるのかは知らないけれど。
そして視界は白にかき消えた。
≪天━灰 戦線上≫
視力を奪っていた白の世界は、じわりと焼きついて輪郭を得て、いつもの視界に戻る。場所は崖のようで眼下に広がる景色は、想像していたものと少し違っていた。
『ここが今の天国になります』
草木や花に満ち溢れて澄んだ水を湛えていたであろう場所は、大地はめくれ渇き、焼ける臭いの煙が漂い、所々に剣が突き刺さったまま放置されていた。
『この辺りはまだマシです。酷い所は地獄と変わりませんから』
私の表情から考えていることを察したのか、悪魔が付け加える。まあ、戦場であるなら荒れるのは仕方のないことなのだけれど。
「天に綺麗な景色が残っている所は、もうないの?」
『いえ、残っている所は残っています。ですがその様な場所は天の軍勢の本拠地ぐらいなものでしょうな』
生きている間は綺麗な光景なんて眺めるなんて思考はしなかったけど、彼と一緒に眺めたいと彼がいなくなる前はよく考えたりしていた。
『……戦闘が行われている場所を発見致しました。行きましょう、我が君』
「ええ……そうね。行きましょう、彼に会うために。全てはその瞬間の為だったんだもの」
悪魔は私を抱えて跳躍する。悪魔が向かう場所に近づくにつれ、地形は更に荒廃したものになっていく。確かにこれは地獄と思える。顔を上げ前を見ると、果てに小さな点があった。次第にそれは大きくなり目視で戦闘が見え始めると、音も届いてきた。
『オオオオオォォ!!』
私を死合いの場の空気に引き込んだのは、猛声。空間を両断する怒声。一人の人間と、その倍はあるかという身の丈の純白の翼を持った者とが高速で剣劇を演じている。その様はまるで舞台の上、向かい立つ二人は役者のようだった。剣に反射する光と何百合と重ねる度に散る火花が彩る劇場。その応酬は舞踏の如く、その挙動一つには物語性を感じる。
『よく飽きもせず繰り返すものだ……』
隣の悪魔が呆れと感嘆を混ぜた呟きを吐く。つまりはこの光景を見るのは初めてではないのだろう。
『彼処にいるのが、ミカエルと“彼”です』
巨大な剣と盾を持つミカエル。その身体は輝きに満ちた、正に神の使い。それに相対する彼が持つのは、ただ一本の刀。
「あんな刀一本じゃ……!」
彼の元へ駆け出そうとする私の前に、悪魔は腕でその行動を遮った。非難の声を発するより早く、戦闘から目を離さない悪魔は言う。
『貴女が行く必要はありません。百聞は一見にしかず、今の奴の力、ご覧になっていて下さい』
悪魔の言葉に疑念を抱き、その訳を訊ねようとする前に視界の端にいた彼が消えた。慌てて彼の姿を追えば、先ほどの位置からミカエルを挟んで反対側に佇んでいた。刹那、ミカエルの上半身には袈裟に斬られた傷が生じる。
「……堪能。今日はこの辺りで終いにしようか」
体勢を崩した天使へ圧倒する速度で連続した斬りを浴びせ、盾を構える隙を与えない。天使は構えられない盾を彼に向けて投擲して距離を取る。彼は投げつけられた盾を容易く弾いた。
彼の刀が力を纏う。白銀の刀身は暗く、這いよる闇に染色されていく。刀身はもはや濃霧に近い気がする。彼は体勢を低く、天使を見据えて構える。
『頭にのるなよ、人間風情が』
「傲るなよ、天使風情が」
うなじの辺りがピリピリする。これは彼らの覇気、殺意なのだろうか。気迫に圧されて後ろに倒れそうになるのを、悪魔が何処からか取り出したる椅子に助けられる。しかしその事にも気づかず、私の目は彼らから外さない。逸らすことが出来ない。
光輝く刀身を振りかざし、天使が、剣が走る。対する彼は構えたまま動きは無し。
『神罰ゥゥゥゥ!!』
「笑止、神が怖くて人間やってられるか」
ただ一筋の閃き。明暗二対の煌めきは一点で衝突、混濁し、集束、膨張を始め、拡散の後、大気の波紋を経て私の身体に伝わる。私は思わず身体を強張らせた。
巻き上がる粉塵が薄らいで、影が見えた。立っているのは大小二つ。あれほどの力のぶつかり合いでも勝負は着かなかったのか。しかしその思考は間違いだとすぐに気づかされる。
「では、また死合おう天使」
粉塵が収まり、勝敗は明確に視認出来る。そこには剣を折られ、武装を超えて斬りつけられた天使の身体の傷からは暗い煙が立ち上っていた。それが彼の刀に纏っていたものだと推察出来る。
『生き延びたな、人間。次は覚悟せよ』
一歩、二歩、よろめいて倒れるが地に伏す前に光の粒子と化して天使の姿は消えた。それを振り返る事もなく彼は納刀。顔を此方に向けた。
『行きますか、我が君』
「え……ええ。行きましょう」
悪魔に抱えられて、彼のもとへと跳躍する。何故だろう。何か、何か言い知れぬ不安が私の心の片隅に生まれた。
此方を向いた時の彼の瞳は、はっきり見えない筈なのに、私を射貫くほどに鋭利であった。記憶の彼方の姿とは掛け離れている。姿が似た別人だと言われれば信じてしまいそうだった。
悪魔が彼の前に到達し、ゆっくりと彼を警戒しながら私を降ろした。待ち望んだ再会、渇望した姿が私の眼前に立っている。だが先程からの不安が私の心の内を蝕み始めていた。故にまずは訊ねてみる。
「ね、ねえ……私のこと、覚えてる?」
「…………ああ」
「良かった!覚えて……ッ!?」
刀の切っ先が鼻先をかすめる。切っ先から正面へ視線を戻せば、見たことのない顔で笑う一人の亡者。
「新しい相手は過去か。愉快、実に良い。まさか彼女の姿を取るとは良い演出だ。これは公爵、君の仕業か」
『貴様は何か勘違いしていないか?こちらにおわすは、貴様を追って堕ちてきた健気な君、貴様の知る彼女本人だ』
言うと同時に刀を弾く悪魔。彼は手首を返して反動を殺し、体勢が崩れるのを防いだ。
「あり得ない。彼女がここに来る事はあり得ない。彼女はここに気づく筈がない。否定、否認、故に公爵。君の言葉は虚言と断定」
『思想も歪んだか……いや退化と捻れた、少し見ない間に面白くなくなったな貴様』
悪魔の表情は初めて会った時と同じ尊大かつ退屈、その下に憤怒を敷いていた。失望も感じられる。あの鍛冶屋が言っていたように、彼とこの悪魔は知り合いであったのか。
それよりも。今は彼に私が本物であると伝えなくては。彼なら解ってくれる、気づいてくれる。再び彼と明日を暮らすと決めたのだから。
「わ……私は、私は貴方が知る者、貴方の家の隣に住んでいた、貴方と共に過ごした私よ!」
「ならば問おう真を謳う幻影。この身の、生きていた頃の名を」
「それは……!貴方の名は、……!」
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!出てこない。思い出せない。喉までくるのに発声できない。歯痒い、何故私は彼の問いに答えられないのか。何より愛した彼の名を。
「どうした、過去の陽炎、彼女の幻影。君が彼女だと言うのなら答えられるだろう。この身に向けて、優しげに呼び掛けてくれた名を」
「っ!どうして呼べない!?貴方との思い出ならどんなことだっ……て……え、あれ?思い出せない。抜けてッ!?欠けていく……!?」
『我が君!?しっかりして下さい!』
膝からも力が抜けて、立っていられない。私の中からぼろぼろと私が抜け落ちていく。見上げた彼は刀を振りかざす。
「……証明。確定。至るに判明。故に決意。この路をふさぐ贋作を斬り払う」
どうして答えられない。どうして思い出せない。もしかして本当に私は幻影なの?ただの偽者だというの?もう彼の傍に立つことは叶わないというの!?
「……公爵、何故立ち塞がる。君も障害となるのか?」
『言っただろう。ここにおわすは我が君であると。我は主君の盾……いや襲い来るもの、立ち塞がるもの、すべからくを貫き殺す槍ぞ。そして、障害は……貴様だ』
「……呵々。楽しいな、快いな、公爵。ならば始めよう。……さて、君は殺せるのか」
『貴様は死ぬのだろうか、楽殺者』
………ああ。そうか。
「貴方は、進み続けていたのね……」
『我が君、離れていて……』
「悪魔。私の身体を限界まで、いえ限界を超えて強化なさい」
『……我が君?しかし』
貴方は明日に、次に進んでいたのね。冷静に考えれば当然至極。私が手前勝手に留まり続けていただけ。そうであるから彼も留まっていなければならないという理由にはならない。
「はやくなさい」
『ぎ、御意……』
……身体に力がみなぎる。鍛冶屋にもらった剣を持ち上げる。軽い。手に馴染む。これなら問題ない。さて、品質の方はどうなのだろうか。
「フフ……良い感じ。これなら出来る。下がってなさい悪魔。愛の語り合いに手出しは無粋よ?」
『我が君!?』
鞘から剣を抜く。進み続けた彼に、留まり続けた私を強要するのは酷く利己的ね。ここまで追いかけてきた。もう少し進むくらい、どうというものではないわね。だから。
「……追いつくわ」
彼に剣を向ける。彼は笑っていた。その顔は至福そのもの。ああ、それが見たかった。もう名前も過去も今日に置いていこう。私が持っていなくても彼が持っている。それでいいの。
「まずは、告白から始めるわ」
剣を構えて一息に彼に向かう。彼は最小限の動作で私の剣を横に逸らした。剣はそれてしまったけど、彼の間近に迫る。剣と刀の摩擦音が祝福の鐘の音に聞こえる。
「大好きです。今までも、これからも。今ここにいる、この私が貴方を愛しています」
この瞬間、留まり続けた今日は昨日と過ぎだ。やっと言えた、ずっと彼に伝えたかったこの想い。昨日の私が言えなかった言葉。でも今の私は、次の私。彼との対話の道具をくれた鍛冶屋には、これだけは感謝しよう。上目遣いに見る彼の唇が応答を紡ぎだす。
「申し訳ない。心に決めた女性がいるんだ。彼女は割と頑固な娘だったから、また明日と別れたので或いは現世で共に明日を迎える為に留まり続けてくれているかもしれない。……会えなくなって気づいたんだ、彼女が大切な人であると」
その答え、あの頃に聞きたかったな。もっと早くに……いえ、この状態に至り私は告白出来たし、彼は大切だと思うようになった。過ぎた可能性に悔いなんてない。今が最良。
「その女は死んだわ。私が看取った。もう何処の世界にもいない、もう二度と会うことはないの。いない相手を求めても仕方ないじゃない?だから私がその女を忘れさせてあげる。私が貴方を、振り向かせてみせる」
「幻影……いや君は彼女とはもう似ても似つかないな。……剣、そうだ君は御劔。君は君の途を行くと良い。だがこの想いは揺るがない」
「それは落とし甲斐があるわ。私は貴方へ愛を語り続ける。……名付けてくれたんだもの。可能性があるわよね、黒刀」
私が愛するのは名前の思い出せない過去の彼ではなく、それを含みつつも進み続けた今の彼。この想いを届けるのは彼ではない。黒い刀で突き進む貴方は黒刀、黒刀よ。
「それは、この身の新たな名か。……勝手に名付けた手前、断れないな。認定。君の前では黒刀であろう」
全てをここから始めるわ。現世で求めた愛の語らいを、言葉を剣に重ねて、想いを刻みあう。勝つべきは過去の私。私が不要と殺した私。彼の心を手にする為に。
「……なんだか、本当に色々棄ててきたわね。だからこそ、今から手にしていくわ。求めるもの全てを」
「貪欲、その瞳、命を投げ売っても突き進むもの。好し、必死で生きる素晴らしさ。久しいものだ。今に胡座をかく者より高貴なものだ!」
両想いの片想い。剣劇の舞踏に彩られた、愛し(殺し)合いが始まる……。
≪━━━━≫
「…………」
第三階層、通称『灰色の摩天楼』の中央に聳え立つ階層と同じ名を持つ塔の、壁の一面が窓の広い部屋の中。この階層の創設者の一人である人間がいた。
部屋の中は静寂。それこそ時が進む事をやめてしまったかのような室内にいる人間、通称『鍛冶屋』は、ずっと外を、自分たちが創りあげた街を眺める。自分が暮らした人間世界と相棒の生きた世界の混ざった、ちぐはぐでありつつも調和のとれた奇怪な街。暮らしている中に人間は数少ない。そのほとんどが別の階層に暮らしていた天使や悪魔の類い。交じりあう事のない三種の存在は、この街の如くちぐはぐでありながら共存している。
ただ一つ、小さな思いつきから生まれた街。今になって思えば、騙り続けるあまりに自分でも見えなくなった願いが、自分でも気づかない内に思いつきという形で現れた結果だったのかもしれない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。お兄さんとお姉さんからお手紙届いたよー」
不意に聞こえてくるのは、少女の元気な声。その昔、嘘と悪意に逃げた自分に初めて手を伸ばした、悪魔。ここまでの全ては彼女がいなければ成り立たなかった。
「ん?どうしたの、じっと見つめて。……そんなに見られたら恥ずかしいよ……」
「良いじゃねえか、見るくらい。どんだけの付き合いだと思ってる。ところで、相棒たちから手紙だって?」
「え、あ、うん。さっき『手紙屋』から届いたの」
彼女から手紙を受けとる。少女は手渡すと机の上に座り、覗きこんできた。とりあえず、手紙を開いてみる。
「なんて書いてあるの?」
「焦るな、焦るな。えーと、何々?」
開いた封筒の中には二枚の紙があった。軽く見比べるに、筆跡が違う。恐らく二人別々に書いたのだろう。まずは荒い筆跡、相棒であろう方の手紙から読む。
「招待。天界の最前線。そして感謝、君のお陰か、せいか、気づけた。故の招待、来場を願う」
最後に署名があった。それは相棒に彼女がつけた想いの名。
「って、これだけかよ!?」
「だんだん言葉が簡略化と複雑化を増していくね、お兄さんは」
「アイツは刀で語っているつもりだからな。出会った当初はまだマシだったってのに……しかもこれ感謝の言葉のつもりか?」
騙りのない相棒からの手紙を置き、次にもう一枚の筆跡の綺麗な手紙に目を移す。
「さて、足りない言葉は彼女に補ってもらってる事を祈るよ」
その手紙には……。
≪━━戦場━━≫
拝啓。煩く楯突く天の軍勢が華々しく散る季節となりました。ロリコン・スミスはそろそろ絶滅しないでしょうか。
「行こうか、御劔」
「行きましょう、黒刀」
さて、恐らく黒刀は言葉が足りないでしょうから補足しますと、私たち夫婦となりますの。
「見渡す限り、天の軍勢で一杯。見るに後詰めの兵力も動員しているみたいね」
「重畳。一度に随分削れる。思えば神の祝福だ。天使にこれほどまで囲まれるのは聖人でもないだろう?公爵、参列者らは?」
『鍛冶屋に手紙がそろそろ着いている頃合いだろう。支援戦力は我々の軍と魔の軍勢の混成で相手と五分五分というところか。……それにしても、全く素晴らしい式場であるな』
つきましては、良くも悪くも最悪にも、お世話になった貴方に前線に参列者を率いて来場して頂きたく、お手紙をお送り致しました。
「ねえ黒刀。天使の羽根で飾られたバージンロードというのは綺麗だと思わないかしら」
『我が君、バージンロードは赤い絨毯だった気がするのですが……』
「ならば天使の血で染めれば良い」
「悪魔、私と共に歩きましょうね」
『……少々複雑な気分ですな。我が君の願いとはいえ、貴様に我が君を届けなければならないとは』
では式場でお会いしましょう。
≪━━灰色の摩天楼━━≫
「では、式場でお会いしましょう……ね。公爵の奴、複雑だろうな」
「もうなんか父親みたいだよね」
「もう随分あれから経ったからな。そりゃアイツも丸くなるもんだ」
鍛冶屋は立ち上がり、くたびれたコートを羽織り、煌めく石炭を手に取った。
「行くぞ」
「はーい……やっぱりドレスとか着た方が良いかな?」
「……そうだな。せめてお前だけは正装の方が良いな。主役は相棒と嬢ちゃんだが、華が一輪じゃ味気ねえ。ま、あまりの可愛らしさに主役を食っちまうかもしれないが、な?」
「もう、ウィルお兄ちゃんったら!」
鍛冶屋の腕に少女が身を寄せる。その姿はいつの間にか、白と黒のドレスへと変わっていた。鍛冶屋はそのまま扉の先へ進み、バルコニーに出る。眼下には見渡す限りの大戦力。
「さあ、お前ら!祝儀は持ったか、アイツら祝いに行くぞゴルァァァ!」
『オオオオォォォ!!』
鍛冶屋の閧のの声に、そこにいる全てのモノが呼応した。
「トリック・オア・トリート……闘争か愛か……まさかどちらも選ぶとは。なんて奴らだ」
「お兄ちゃん?わっ!?」
少女は見上げようとしたが、鍛冶屋は少女の頭を撫でる事でそれを停めた。その目は遠く、戦場に向けられていた。鍛冶屋はどんな想いで呟いたのか。
「飽きないね、全く」
魔的ハロウィンのその後のお話。割と蛇足感バリバリではありますが、まー趣味ですから。設定に色々聞いたような名前やら出てきますが、基本的に自分設定に改造しています。御容赦下さいませ。宜しければ感想なぞ頂けましたならば幸いです。