息子を救えなかった父の後悔と妻を棄てた理由
今回は加藤のお父さんに取材する話です。
父親としての苦悩が描かれているので、カカア天下に悩まされている人も共感できるのではないでしょうか。
あと、地味に伏線が張られていますが、この後の話でちゃんと回収しますんでご安心ください。
私は伽耶に貰った父親の連絡先に電話をかけ、アポを取ることにした。
何があったのかを知りたいというのが目的だったのだが、父親に電話越しで話すことはない、と切られてしまった。
だが、こんなことで私は挫けるわけにはいかない。
取材理由を詳細に話した上で、もう一度アポを取ることにする。
何度断られても、知ることができるまで、何度でも。
もう15回はかけただろうか。
父親はようやく渋々了承した。
どうやら私の熱意に絆されたようだ。
話によると、現在は前にいた証券会社を辞め、製薬会社に再就職して、3年前に離婚、そしてその一年後、当時の不倫相手だった女性と再婚したとのことだ。本社の会議室で取材を行うこととなった。
今の妻の前で話すことはできないということだったので、私は父親の気持ちを尊重することにした。
そして2日後。
父親と私は、製薬会社の会議室で初対面を果たした。
「改めまして、お初にお目にかかります。私は『幽芳社監修雑誌アナーキー』専属の記者、瀬川晴香と申します。今日はよろしくお願いします。」
私は仰々しく挨拶をした。
そして父親も返す。
「加藤唐助の父、岩館淳一、旧姓加藤淳一です。こちらこそ宜しくお願いします。」
どうやら淳一は、再婚後に今の妻の苗字を名乗っているようだ。
余程「加藤」という苗字を拭い去りたかったのだろう。
挨拶を済ませた私は、淳一に対していきなり本題を聞いた。
「単刀直入に質問をしてもよろしいでしょうか。……娘さんにも事前に取材を済ませてあるんですが、前の奥様から精神的な束縛を、息子さんだけでなく、貴方も受けられていたのですか?」
伽耶の話によると、「男」限定で暴力を振るっていた母親のように見えたのでそう聞いてみた。
淳一の答えは、というと。
「……………息子をあのようにしてしまったのは私にも責任があるのは事実です。……前妻の暴力は、唐助が産まれてから、でしたね。アレは唐助を妊娠した時から『女の子』がいい、それ以外は要らない、ってずっと言ってて……。それで男の子が産まれたものですから、それからは人が変わったように暴力を振るうようになったんです……。私に対しても、息子に対しても。酷い時は唐助の意識がなくなるまで殴っていた時もありました。」
「でも、、その後で娘さんも産まれていますが……」
「……娘に関しては、息子が産まれて以来、性行為を一度もしていません。……だから、、今だから言えるんですが、他の男の子種で妊娠した子なんです……。それでも当然戸籍上は私が父ですし、できる限り可愛がって、育てたんです。唐助が暴力を振るわれている時も、絶対にその場面だけは見せないようにしていて……。でも唐助があの事件を起こして大学を退学になったあとですかね……。娘は、、伽耶は今まで唐助や私にしてきたことを全部覚えてて、、知ってたかのように、前妻に対して今まで溜めていたことを罵倒して、前妻は今まで自分が家で王様気取りでいたので必死で諭していたんですが、伽耶は涙を流していて……。『兄貴がああいうことをしたのはお前のせいだ!!!』って言って、夜に家を飛び出して行ったんです。それで今に至っていて……。娘は今も私にたまに連絡をよこして来てて、仕事の状況も私は全部把握しています。……貴女から何回も電話がかかって来た時、娘も私を説得して、今回受ける経緯に至ったんです。」
私は淳一の言ったことを頷きながら聴いた。
だが、気になる点もあった。
「……ご遺族に払った賠償金のことも聞きたい、というのもありますし、今の奥様との不倫愛はどういった経緯でしょうか。」
淳一はこう答える。
「賠償金のことは、サラ金で借金してまでも全額払いました。私一人で。今もその借金は返済中でして……。今の妻は、前の会社の部署の部下でした。出会ったのが……そうだなあ、もう8年前になりますね。当時彼女は結婚生活が上手くいかなくて離婚したばかりでして……。私が相談に乗っているうちに彼女に惹かれていきましてね………。前妻とは何もかも真逆でしたので…。私も当時相当溜まっていたものですから……。」
「……それでも3年前まで別れなかったのは何故でしょうか。」
「妻が酒浸りになりまして、私も賠償金の支払いでいっぱいいっぱいで……。娘にも事情を話して、AVのギャラの2割をもらって、生活費に回していたこともありました。……息子の死刑判決が確定したのが5年前ですから、賠償金の支払いが終わったらもう別れようと思っていました。私も家に帰るたび罵倒されていたものだったので、廃人になった妻の面倒を私はずっと見なければいけないのか……。私も精神的に疲れていたのだと思います。3年前に妻を妻の実家に送り届けた後、マンションを退去して、離婚届を書きました。……事情を仮に聞かれていたとしても、もう限界だ、と答えるしかないですから……。」
私は淳一が再婚した後も、ここまで疲れの色が見えているなんて思いもしていなかった。
完全に被害者の立場の話だった。
どこまでも加藤の母は私の母に似ている。
私の父は母と離婚した後も私のことを気にかけてくれていたのは事実だったし、たまに父の家に遊びに行った時の父はとても優しかった。
そんな思いもあり、私は淳一にこんなことを聞いた。
「おことばですが、息子さんにはどういう対応をしていたのですか?」
淳一はこの私の問いにしみじみと答えた。
「息子は、、唐助は私たちが食事してる時も、ずっと部屋にこもって勉強させられていたものですから……。可哀想で見ていられなくて……。妻が湯船に浸かっている間に予め用意していた食事を唐助の部屋に入れていました……。勉強も教えてあげたりして、間違いを正解に変えられた時は褒めてあげたりして……。とにかく家での居場所が私になるように気をかけていました……。あの日何があったのかは、私もわかりませんが……。私が気にかけていた分を、元妻が唐助に行っていた暴力のほうが、トラウマがそれを凌駕するかの如く、、唐助に侵食していたんでしょうね……。本当に、、遺族の方には……申し訳……ないとしか……。」
「………」
私も淳一も、お互い涙を流していた。
お互い似たような経験や苦労をしているのは私の目にも、淳一がそう映ったのだから。
私は娘として、淳一は夫として。
私は左腕を見せ、自分のことを語った。
その腕には今も残る、タバコを押し付けられたアザの跡があった。
「私も、、貴方と息子さんが受けた家庭内暴力とほぼ同じようなことを幼少期に受けていました。……だから、、痛いほど淳一さんの言っていることがわかります……。正直なところ、前の奥様の方に問題があると見ておかしくはないと思いますし……。今幽芳社に勤務しているのも、この雑誌の記者になって、取材しているのも、未来のためだと私は思うんです……。殺人犯や犯罪者の8割は生育した家庭内に問題があると言われています……。私は運良く、大学時代にアニメにのめり込んで、、私の母の間違いに気づけましたが、、息子さんはそうじゃなかった。彼の裁判で秋葉原に一度行っていたと証言されていたので、私はそこにトリガーとなったものがあるんじゃないかと思うんです……。」
「私もそこは……疑問に思っていました。元々内気な子で、娯楽も何も与えられてこなかった子でしたから……。ただ、、死刑囚と面会できるのは貴女みたいな立場でないと難しい。私の身辺はゴタゴタ続きでしたから、、あとは貴女に託します……。息子にあの時何があったのかを、聞いて来て欲しい。これは父としての頼みです。」
「承りました……。必ずや、全てを記事の中で明らかにしてみせます。……本日はお忙しい中本当にありがとうございました。それでは、これにて失礼します。」
「いえいえ、こちらこそ。粗品ですが、受け取ってください。」
「私の方も、、こちら、謝礼金になります。少ないですが、お受け取りください。贈り物の方、ありがとうございました。」
そうして、製薬会社を後にし、自分の車に乗り、もらった品を確認した。
どうやらお菓子のようだ。それも一流の職人が作る饅頭だった。
「………しっかり、頑張っているんだな、お父さんは……。今もサラ金に借金が残っている人が私に渡すものじゃないでしょうに……。真面目な人だな。……でもこういう人がDVや虐待に苦しんでいたりするんだよな……。」
私は編集長に経過を報告するため、幽芳社へ向かって車を走らせた。
やっぱ……書いててツライ……。
もし自分がそうだったら、と考えるだけでもツライっすね。
次回は編集長との会話メインですんで、そういう感じでいて欲しいですね。