「自分絶対正義」
ラディカルフェミニズムの象徴として、本来この作品のモデルとなった、「秋葉原通り魔事件」の兄弟は弟なのですが、ここでは敢えて妹に変えて、ラディカルフェミニストが「名誉男性」と罵るAV女優をしているという設定にしました。本来、あの事件のあと、弟さんは自殺されています。ですが、生きていたとしたら、こういった職に就いていたんじゃないかと思ったので、敢えてこう書きました。なんていうんでしょうね……母の悪辣さを今回際立たせた感じになりましたが、こんな教育が凶悪犯を生み出すということを知っていただければと思います。
私は、加藤の生い立ちを知るため、東京拘置所を後にし、千代田区へ向かった。
事前に編集長に長丁場になる、と伝えると、編集長も法務省と掛け合って、死刑執行日を上手いこと調整してもらう、と約束した。
これで心置きなく取材が出来る、と意気込んだが、加藤の実家は、もう人がいなかった。
どうやら事件後に一家離散となって、母親が最後に残っていたのだが、先日夜逃げしたとのことだ。
それもそのはず、家庭から殺人鬼が出たのだ。
今もいられるわけがないだろう。
そこで、近隣の住民に加藤の母親のことを聞いてみることにした。
だが、昼時なのでパートに出かけている主婦の方もいる。
完全に専業主婦であるかを願うしかなかった。
そして運良く、隣の家の方が、仕事もなく、取材OKとのことだったので聞いてみると、この辺で有名な教育ママだった、ということらしい。
裏があるようには見えなかった、とのことだ。
「あー、加藤さんね……。本当に教育熱心な方で、娘さんも可愛がってたし、唐助くんの方も、絶対東大に行かせるんだ、って、熱心に教育されてたのよ。でもそれがあんな結末を、、迎えるなんてねえ……」
どうやら、加藤の母は典型的押し付け型教育者のようだった。
そして、そのお隣さんは続ける。
「同僚だった旦那さんと結婚したんだけどね……どうやら奥さんの方が一番立場が上で、、お父さんの方は家畜以下みたいにこき使われてたって話を、、この前お父さんがウチに来て話を聞いたけど、鬱憤が溜まってたみたいね……。それもあったのかな……浮気して、他の女と再婚した、っていうのよ。……まあ、無理はないんだけど、、あんな事件があったから。」
なるほど、話を聞く限り、女性優位社会の典型的例だ。
そして、話をもう少し聞いてみることにした。
「すみません、、当時の旦那様の連絡先はご存知ですか……?」
「あー、、ごめんね、記者のお姉さん。もう数ヶ月も連絡取ってないし、奥さんも連絡先を変えたのか、全然繋がらないのよ……。唐助くんの妹の、、伽耶ちゃんは今、AV女優として働いてるって話だから……。聞いてみるなら伽耶ちゃんの方がいいんじゃない…? 多分、家庭の事情を一番よく知っているはずだから。」
「……わかりました。すみません、貴重なお時間ありがとうございました。」
そういって、私はお茶を飲み干し、お隣さんのお宅を後にした。
加藤の妹がAV女優。
何があったのかはわからないが、おそらく性的なことを抑制された結果、母親に反発して家を出て、男にカラダを求めるようになったのだろう。
それも、兄の事件がきっかけなのだろうが。
それで元旦那の所在もわからない。
あの事件後に他の女を作って家を出たという話だが、、真偽は定かではない。
そして溺愛していたはずの娘にも、母親は捨てられたというのだ。
よほど加藤にとって、地獄のような日々だったに違いないし、時折暴れることから察するに、「PTSD」の症状と「パニック障害」も同時に併発しているだろう、ということまではわかった。
むしろ、加藤はよく耐えていた、と感心する。
私は大学でアニメの世界の素晴らしさを知り、同時にそれまで正しいと思っていた母を軽蔑するようになった。
今も母とは全く連絡を取ってないし、離れて暮らす父が学費を出してくれなければ、私は大学に通うことも、アニメの世界を知ることもなかっただろう。
だが、もう少し整理することしか道はないと思った。
そこで、レンタルビデオ店に私は行くことにした。
加藤の妹____伽耶の出演しているAVを調べるために。
どうやらお隣さんの娘さんが彼女と同級生だった、とのことで、その卒アルの写真を元に探すことにした。
整った顔立ちだが、メイクっ気はほぼなく、髪もそれなりに長い。
いかにも育ちにいいお嬢さんというイメージだった。
だが、AV女優特有の白塗りの多さと、チーク量の多さが目立ち、なかなか探し切れなかった。
そこで私は、片っ端からAVメーカーのDVDを借りて、一社一社電話することにした。
何故なら、それらしき顔も、新人女優を紹介するとき特有の「ヌキ文句」とでもいうべきか。
そういう情報が一切なかった。
今伽耶は24歳ということだが、デビューしたのはおそらく5年前くらいのはず。
ビデオ店にいたオジサンに話を聞いても、人気があるというのは間違いないようだが、「加藤伽耶」という女優は聞いたことがないそうだ。
私は12社ほどの会社のAVメーカーの作品を借り、自宅に戻った。
私は、連絡を一社ずつ取り、調べたところ、唯一ヒットしたのが「L-1」というメーカーだった。
どうやら「笠木かや」として、AV界で人気を博しているとのことだ。
デビューしたのは5年前とのことで、私の予想とも一致していた。
時系列も合っている。
私は取材のアポを取り、名前は伏せると条件の提示を飲んだ上で、彼女を取材し、情報を得ることにした。
そして5日後。
私は「L-1」本社にて、「笠木かや」もとい、加藤伽耶本人に取材を敢行することに成功した。
彼女のマネージャーの立ち合いもなしで、一対一で話して、取材を開始した。
伽耶の口から飛び出したのは、母に対する蔑みと、兄、唐助に対しての哀れみの言葉だった。
「……兄貴は居ないものとして見ろ、って母に小さい頃からずっと言われてきてて、私は母に私が欲しいものをいっぱい買ってくれたんです。でも、兄貴にはそんなこと一度もなかったし、むしろ勉強しろ、だとか、テレビもアニメは見るなっていうし、ゲームも兄貴には与えられなかった。父に対しても自由はほぼなかったに等しかったんです。とにかく母が一番上で、母の言うことは絶対だったんです。私はそんな家族が『普通』だと思ってたんです。兄貴が殺人を犯さなければ、気づけなかった。私は大学を辞めざるを得なくなって、母と大喧嘩をして、、それで、当時処女だった私は、、、ろくに性教育を受けなかった私は、兄貴の分まで自由を謳歌しようと思って、この世界に飛び込んだんです。」
「……お兄さんは虐待を、、お母様から受けていたのですか……?」
「そう……ですね……私はまだ小さかったんで、覚えている範囲は少ないんですけど、、兄貴が小学2年の時、、だったかな?私がおもちゃで遊んでいると、お風呂の方からバシャーン! って音が聞こえてきてて、、私はビックリしてそこから覗いたら、兄貴が母に浴槽に沈められていたのを見てしまって……。父に見るなと言われて後にしたのは覚えてます。でもその後も兄貴がテストで問題を間違えたり、何か問題を起こしたりしたら、母が兄貴に手を挙げていましたね……。それは兄貴が中学生に上がっても、高校に行ってもそうでした……。」
そして伽耶はこう続ける。
私はこういう家庭ではよく起こりうる話だが、衝撃的ではあった。
「兄貴が誰かと一緒に遊んでたことも、誰かの家で遊びに行ったり、家に友達を連れて遊んだり、、っていうのが全くなかったし、私も友達を家に連れてきたことはなかった。そうしないように教育をされてて、、ましてや恋愛もするなと言われてたんです。今じゃ考えられないんですけど、当時はそれが当たり前だと思ってました。」
「…なるほどね……。でも、東大には行ってるんですよね? お兄さんは。」
「一応東大には行って単位も取ってたみたいですけど、、どこか目が死んでましたね……。講義の時間が終わっても帰ってこないから電話してみたらパチンコ屋さんにいたりとか……。それも一人で。……そのあと運送会社に就職して、母がそんなところに就かせるためにアンタを勉強させてたわけじゃない、って言われて兄貴が家を出たのは覚えてますね……。アキバで何があったのかは知らないんですけど、多分、もう、兄貴の神経が摩耗してたんでしょうね……。私も、あの事件が起こるまで母に逆らえないでいた……。とにかく、母が一番上で、誰も母に逆らえなかった。それがあの事件を引き起こしたんだろうな、って。」
伽耶は本当は思い出したくないんだろうな、という気持ちが私にも伝わってきた。
私は、自分のことも話し始めた。
「………私は両親が幼稚園にいたときに離婚して、それ以来母に育てられたんです。あなたのお兄さんと似たようなことで、私に何かあったり、母の機嫌が悪かったりしたら、タバコを腕に押し付けられたり、殴られたりされてました。……だから、彼の気持ちがわかるし、勿論彼がやったことに同情する気はないですが、もう、私やあなたのお兄さんみたいな人を生み出さないために、この雑誌の記者になったんです。だからまあ、秋葉原で、反動からか、アニメグッズを大量に買ってたりもするんですけど。お兄さんに何か娯楽があれば、、こんなことは起こらなかったんじゃないかな、って考えたりもするんです。」
「私は男を知らなかった。この世界に入るまで。でも、母じゃないところに生まれていたら、この世界には入ってない。兄貴にはいつか顔を見たいなとは思いますけど……どう思うのかな、兄貴は。」
そうですね、と私は薄く笑った。
すると、伽耶は、一枚の紙を差し出した。
どうやら連絡先のメモのようだ。
「……ここに父の今の連絡先が書いてます。あと、これは母方の祖母の実家が書いてます。多分、母は祖母のところにいるんじゃないのかな? って思うので、役立ててください。」
「ありがとうございます、伽耶さん。貴重なお時間ありがとうございました。ではこれで、私は失礼させていただきます。」
私はそういって、「L-1」社を後にした。
この話を曲解するわけにはいかない。
それは記者としての矜持であり、カウンセラーとしての矜持もあった。
全ては、今母親になっている人のために、また、これから親になる世代のために、こんな歪んだ教育を無くしたいと思う、そんな思いからだ。
「さて、、次はここ、行ってみるか。お父さんの方に。」
そう考えて、私は、加藤の父の電話番号に連絡した。
流石に現実社会にあるメーカーを使用するわけにはいかないので、敢えて名称を変えていますが、売り出し方とかは現実のあのメーカーと同じ、と覚えておいてください。
自分でも書いてて、こんな重い話が小説家になろうに投稿されていいのか、とは思いますが、、。ラノベじゃなくて教育書、ですね。これwww
さて、次回は、加藤家の深層に迫りますので、気に入った方は、ブックマークの登録をお願いします。