09 ユルルクの日常
指先で鱗を触ると皮膚より少しだけ硬質で、表面はツルリとしていた。
はじめは皮膚病かと思ったが、鱗はポロポロ剥がれることなく皮膚の一部のように馴染んでいた。
「もしかして亜人?」
亜人とは外見や能力の一部に動物の特徴をもつ人の事だ。
人や動物を生み出した命の女神を始祖に持つという逸話もある神秘の種族。
禁断の交配をしたと蔑む人もいるが、ほんの一部の人族主義者だけだ。
大陸全体でも亜人の割合は人の一割にも満たない。亜人のほとんどが亜人の楽園アマリア公国に住んでいることもあり、ステラはこの目で見るのは初めてだ。
初めて亜人を見て感動したのは一瞬で、男の診察を再開させる。
「なんで傷はないのに顔色がこんなに悪くて、呼吸が浅いの?」
服をめくり外傷がないか確認したが、先程の回復魔法のおかげで見当たらない。異変は血色の悪い土色の肌と鱗だけだ。
そして変わらず呼吸は短く苦しげだ。思い当たるのは何かしらの「病気」しかない。
「どうしよう。回復魔法は得意だけど、治癒魔法は……」
回復は元の状態に強制的に「改善させる」もので、外傷を治すのに有効だ。
それに対して治癒は健康を害する「原因を消す」ことを指し、内臓系の持病に有効。
治癒魔法の方が習得が難しいとされ、ステラは一応両方の魔法が使える。
しかし思い出すのは義兄レイモンドのことだ。治癒魔法を使ったその日から数日間は完治したかのように元気でいられたが、一週間もすればぶり返した。
ステラは未熟な治癒魔法は効かないからと判断し、途中から回復魔法の方がマシだと治癒魔法は使わなくなった。
「弱気になっちゃだめだめ!やらぬ後悔より、やった後悔。私の力も昔のままじゃないはず。それに亜人になら効くかもしれない」
困難は自分の魔法とともに乗り越えてきた。ステラは深呼吸をして、男の頬を両手で包み込んだ。
「癒やしの水」
頭の先からつま先、髪の先まで癒やしの力が行き渡るように魔力を流す。
普通の治癒ではだめでも、得意の水の魔法を重ねて代謝をあげれば変わるかもしれない。
「癒やしの光、回復光、解毒、解呪、あと他に、他に……」
ついでに思いつく限り他の治癒系、回復系魔法も追加していく。得手不得手は関係ない。とにかく無駄に多く持っている魔力を注いだ。
「うっ」
男が身動いだ。
顔は色白であるけど血色はよくなり、鱗は薄くなっていた。呼吸もしっかりしたものになっている。
「大丈夫ですか?」
「……」
しかしステラが声をかけても反応はない。
回復魔法も治癒魔法も体力を戻すことはできない。極度の疲労から眠ってしまっているようだ。
ステラを助けてくれた時の強さからは想像できない。
「こんなに弱ってたのになんでこんな奥地に……とにかく今日は野営に決まりね」
身体強化を使っても、さすがに意識のない人を守りながら街に帰れるほど、自信過剰ではない。
万が一、高ランクの魔物と出会ったら魔力が尽きそうだ。
雷熊を亜空間に収納したステラは男を背負い、馴染みの洞窟に移動した。
水魔法でゴミや虫を洗い流し、魔物よけのお香を焚いてから男を横にした。
顔をのぞき込むが穏やかに眠ったままだ。年齢はステラとさほど変わらないように見える。
「……綺麗な髪。硬質ストレート」
寝ていることをいい事に、ステラは男の青い髪を勝手にいじる。肌の鱗といい、髪色といい、人間には無い特徴に興味が尽きない。
「瞳は何色かな。早く目覚ますと良いなぁ」
観察は程々に、見張りのためにステラは洞窟の入り口に座った。
亜空間にしまってあった魔法書を読んだり、装備の手入れをしながら時間を潰す。
「う……ここは……?」
陽が沈む頃、亜人の男は目を覚ました。
男はすぐに体を起こそうとしたので、ステラは背中を支え、開かれた彼の瞳に瞠目した。
「黄水晶……シトリンみたいで綺麗」
彼の瞳の虹彩は透き通った金色で、瞳孔は細く縦長だ。髪と同じく人間には無い美しい色に、ステラは無意識に声に出していた。
そんなステラの様子を見て男は首を傾けた。
「綺麗なのは天使のあなたでは?」
「……へ?いや私は綺麗でも天使でもありませんよ」
「すみません。あまりにも可愛らしく見えたので。もしかして女神様でしたか?風景も神の姿も外界とあまり変わらないんですね」
寝ぼけ眼でぽやーんとした雰囲気で男は洞窟の中を見渡し、再びステラにシトリンの瞳を向けた。
ステラの心臓はビクッと強く脈を打つ。
「はは、照れていらっしゃるのですね。申し遅れました。俺はリーンハルトです。これからどうすればよろしいでしょうか?女神様?大丈夫ですか?」
眩しすぎる無垢なリーンハルトの笑顔が眩しく、ステラは目を細めた。
(大丈夫じゃない!恥ずかしさで辛いよ。でもこれってリーンハルトさんは死後の世界だと思い込んでるからだ)
一刻も早く事実を教えてあげないと、本人も羞恥で穴に入りたくなるパターンだと思い、ステラは佇まいを正した。
「大変申し訳ないのですが、私は女神ではなくステラという冒険者です。そしてここは死後の世界ではなく、ユルルクの森です」
「まさかご冗談を。俺は熊の魔物に食べられたんですよ。腕ごと肩からがぶりと」
「雷熊なら私が倒しました。ついでに治療も勝手にさせてもらいました」
「あなたが?」
リーンハルトは自分の体を確かめる。服は肩の部分に牙の風穴が残り赤黒く染まっているのに、体には傷跡すら残っていない。
「は?どういうことだ?」
彼はまだ信じられないようなものを見た表情のままだ。
「これ、あなたを襲っていた熊です。潰れてますが、間違いありませんよね?」
ステラは収納していた雷熊を亜空間から出した。潰れてもう熊の形をしていないが、大きさと毛皮から判断してもらうしかない。
「確かにあの熊だ……でも、やはりあり得ない」
「どういうことですか?」
「だって俺は病に冒され、息をするのも辛く、肌も土色に変わり……薬も効かず、旅の途中で出会った回復術士でも治せなくて……もう手の施しようがなくて、奇跡に頼るしかなくて」
リーンハルトが見つめる彼の手のひらは震えていた。
長い間、病という重荷を背負ってきたのだろう。死というとてつもない恐怖と戦い、心も折れかけていたに違いない。
「なのに今は胸の痛みも無くて、肌の色も元に戻ってるなんてあり得ない。夢か天国でなければ、こんな奇跡は……こんな」
「リーンハルトさん!」
ステラはリーンハルトの手を力強く包み込んだ。
「夢ではありません。だってリーンハルトさんの手はきちんと温かいです。生きている人の温もりです。私の手はどうですか?」
「温かい……そうか、生きてるのか」
「はい。なんのご病気か分からなくて、とりあえず数種類の治癒系魔法を使いました。完治しているかは分かりませんが、最悪の状態は脱しているはずです」
「待ってくれ」
するとリーンハルトは目をつむり、黙ってしまった。肌がほんのり青白く光ると、すぐに頬の鱗とともに消えてしまった。
「信じられない、全部治っている。体内で暴れていた魔力も完全に落ち着き、獣化のコントロールもできるようになっている。俺は……助かった?本当に?」
金色の瞳から雫が落ちた。
「そうです!助かったんです!治せて良かったぁ」
「ははは、そうか、俺生きてるんだ……っ」
リーンハルトの涙はどんな宝石にも負けないほど、綺麗だった。