08 ユルルクの日常
異国の男のフードは深く被られ、黒いマスクもしていて顔どころか年齢も分からない。
「誰だ、テメェッ! いってーな、離せや!」
「離したら彼女を殴るんだろ?」
「殴らねぇよ。殴るのはテメェだ!」
ジョニーはステラの胸ぐらを掴んだ手を離し、マントの男に向けて拳を振り上げた。
その瞬間ジョニーは掴まれていた腕から巨体を持ち上げられ、壁に叩きつけられていた。
マントの男の腕力に冒険者はみな、目を点にした。
数秒後ジョニーは咳き込みながら、起き上がった。後頭部を押さえてるあたり、コブもできたようだ。
「あいつにやられたんだ!一方的な暴力をみんな見ただろう?ほら、少し血が出た。ギルドのルール違反者だ。へへへ。違反者は確かランクの降格と被害者への慰謝料だったな?」
ステラもギルド職員も内心で舌打ちした。普通の冒険者はこの程度の怪我では、恥ずかしくて訴えることなどない。
しかしジョニーは金に困窮しているのか、金にがめついのか、怪我を大げさにアピールし、慰謝料を要求した。
明らかにジョニーが悪いが怪我をした以上、マントの男は訴えられても仕方のない立ち位置になってしまっていた。
「ほら、さっさと金をくれねぇか?」
ジョニーはニタニタと笑う。ギルド職員は申し訳なさそうにマントの男にギルドカードの提示を求めた。
「俺は冒険者ではないからギルドカードは持っていない。単なる見学として訪れただけだ。調べてもらっても良い。慰謝料というのなら憲兵を呼んで、裁判を起こせばいい」
「それだけお強いのに冒険者ではないのですか。そうですね、ギルドのルールは冒険者にのみの適用です。一般人のあなたに慰謝料を請求する権限はギルドにはありません。むしろ巻き込み申し訳ない」
「勉強した通りで良かった。職員さんも大変ですね」
つまりジョニーは痛い思いをしただけで、何も得られないということだ。憲兵を呼んで事情聴取され、一般の法律を持ち出され損をするのはジョニーの方だ。
ギルド職員や冒険者はしたり顔だ。
「ふざけんじゃねぇ!」
「体だけ大きくなったガキが騒いでんじゃないわよ!」
ジョニーが怒りで顔を赤くした途端、カウンターからマダム・シシリーがジョニーを超える怒りの形相で現れた。
「ユルルクのギルドの平和を著しく壊す冒険者は追放よ。出ていきな!」
「追放!?そこの女に少し絡んだだけじゃねえか。ユルルクの母か祖母か知らねぇが、ババァがいきがってんじゃねぇよ――――ひぃ」
貶してはいけない人をジョニーは貶してしまった。
冒険者たちの殺気が膨れ上がり、ホールの気温が物理的に下がる。ステラも氷の槍を召喚し、臨戦態勢だ。
ユルルクの冒険者をバックにマダム・シシリーがジョニーに迫る。
「通常、冒険者はホールでの商売は禁止されている中、ステラちゃんが許されている理由を考えたことないのかい?」
「ま、まさか……職員?でもステラは冒険者のはずじゃあ」
「本職は冒険者、副業で臨時職員を頼んでるのよ。つまり今日はギルドの職員ってわけ。職員の業務妨害に脅迫行為、一般人への暴力未遂。正職員の私への侮辱行為も追加……規定によりユルルク冒険者ギルドの立ち入り禁止だよ。さぁつまみ出しな!外のことは知らないわよ♡」
マダム・シシリーの合図でジョニーはベテラン冒険者に引きずられ、扉の外へダイナミックに捨てられた。不慮の事故で気を失ったようだが放置だ。
ユルルクの母を敵に回したのだ。森で死にかけても、もう誰も助けることはないだろう。
一段落すると冒険者たちは何事もなかったかのように動きだす。
ステラは一段落してホッと肩の力を抜いた。
もしステラが殴られていたら、ジョニーは冒険者ライセンスを剥奪されただろう。信用価値の高くない冒険者の身分証すら無い人間の末路は決まっている。
それを見越して煽った部分はあったが、やはり殴られるのは怖かった。
「助けられちゃったな……ってあれ? マダム・シシリー、私を助けてくれた男の人は知りませんか?」
「おや、そういえば」
周囲を見ても異国風のマントの男の姿が見当たらない。マダム・シシリーも他の冒険者もステラに言われて、ようやく男がいないことに気が付いた。
「礼を言わせることなく立ち去る……いい男ねぇ〜顔が見たかったわぁ♡」
「マダムったら、もうっ!もしまた彼がギルドに寄ったらコレを渡してください」
ステラはマダム・シシリーに「なんでも無料回復券」を渡した。ステラが特別お世話になったときにプレゼントする特典だ。
「分かったわよ。じゃあ午後も回復魔法よろしく頼むわね♡」
「はーい」
本当は追いかけて直接渡したいが、残念ながら休憩時間が無くなってしまった。
(綺麗な織物だったなぁ。どこの国の人だろう。旅人なのかな?)
ステラは怪我人の治療を再開させながら頭はどこかぼんやりとマントの男について考え、次第に薄れていった。
数日後、ステラは薬草採集で森の奥地に足を踏み入れていた。
目の前には白地に紫の斑点がついた花が一面に咲いていた。すり潰して固めてから干すとお香になり、野営の時の魔物よけとして人気だ。
「わぁ、よく咲いてる。ここ一箇所だけで依頼達成できそう。では早速――――濃霧」
薬草の群生地の外周を包み込むように広く霧を発生させる。
視界が悪くなることで魔物はステラを認識しづらくなり、魔物が霧に触れることで接近を認識できるようになっている。
いち早く魔物から逃亡するための手段だ。ソロ活動で採集に夢中になっていると、気付いたときには魔物にやられていた――――というのはよくある話だ。
「……あ、きちんと倒せるようにならなきゃいけないんだった。どうやって練習しようかなぁ」
花の部分だけを手で丁寧に千切りながら、魔物を倒すいい方法は無いかと考える。
「誰かに魔法を教えてもらうのが一番なんだろうけど、実力はあまりバレたくないし。でも客観的な出来の評価を誰かに見て欲しいし……」
孤児院から引き取られ前線に行くまでの間は、レイモンドが本を使って魔法の知識だけは与えてくれた。
前線に行ってからは国精鋭の騎士たちの魔法を真似て練習した。
それはもう素材なんて無視の丸焦げ、またはスプラッタ系攻撃魔法ばかり。
今のステラには参考にならない。
「レイ兄さんがいたら気軽に相談できるのに……レイ兄さん、どうしてるかなぁ」
レイモンドを思い出し、採集の手が止まる。本当は手紙を書きたいし、会いにも行きたいが、迷惑をかけたくなくてずっと我慢している。
「――――っ、来た!?」
霧に何かが侵入した気配を感じ、ステラはすぐさま薬草を入れた麻袋を亜空間に収納する。
反応は二つ。一つなら練習で迎撃しようと思ったが奥地で魔物二体の相手はリスクが高い。逃げようと身体強化を発動させるが、足を止めた。
キィン、と小さな金属音が聞こえたのだ。
「人がいるんだ。霧を消さなきゃ!」
急いで濃霧の魔法を解除する。
霧が消えるとビリビリと雷を纏う熊型の魔物が、人を押し倒していた。
人は噛み付こうとする雷熊の牙を剣で食い止めているが、感電して手が震えて耐えられそうにない。よく見れば襲われている人のマントには見覚えがあった。
「昨日助けてくれた人だ!」
ステラは一気に加速し、雷熊との距離を詰めた。
「氷針」
マントの男が傷つきにくいよう氷の針で雷熊を攻撃するが、分厚い毛皮と雷電に弾かれてしまう。
水系魔法は雷と相性が悪いことに、ステラは眉をひそめた。
しかし異国風の男もほとんど意識がないように見えた。一刻の猶予もない。
「氷槍、熊さんコッチに来なさい!」
「ガァァァァァァ」
未熟な攻撃魔法では雷熊の皮膚に刺さらない。
しかし痛みに怒った雷熊は男から離れ、標的をステラに変え突進してきた。
「よし、来たわね。大洪水」
大量の水を発生させ、雷熊を包み込んで圧をかける。
雷熊は何度も咆哮や雷で爆発を起こして水を吹き飛ばそうとするが、ステラは魔法を重ねて更に圧力をかける。
「水圧!これでどうだ」
少しすると雷熊は動きを止めた。
魔法を解除して出てきた雷熊の巨体はぐちゃぐちゃに歪んでつぶれていた。
「ふぅ…………あ、お兄さん大丈夫ですか!?」
急いで倒れている男の元へ駆け寄った。
男の意識は無いが、呼吸は弱々しくもマスク越しに確認できた。
「良かった生きてる。回復」
えぐれていた肩と腕の傷が消えていく。
しかし呼吸はまだ弱々しく、今にも消えそうだ。
呼吸がしやすいように首元のマントの紐を緩め、マスクを外した。
「わぁ……何これ」
ステラは目を見開いた。
男の頬には普通の人間にはない、薄く透き通った鱗があったのだから。