06 ユルルクの日常
リンデール王国の最東端にはユルルクという街がある。
ユルルクに隣接する森も瘴気が溜まりやすく、ダンジョンはないものの魔物が出現しやすい土地だ。
魔物の皮や牙といった素材は丈夫なため、コートや武具として人気だ。素材を売れば金になる。素材を手に入れるためには狩らなければならない。
珍しい魔物を倒し一攫千金を狙う冒険者が集まる夢の街、それがユルルクだ。
しかし夢は綺麗であっても、現実はそうではない。
「た、助けてくれ!足が、足が!」
「こんなに強い魔物がいるなんて、頼む!誰か!」
「痛い……もう、動けない」
「くそ!どうすれば」
実力が伴わないうちに欲を出して森の奥地に行けば、この四人パーティのように逆に魔物に狩られる立場になってしまう。
二人は負傷し戦闘不能。残りの二人はなんとか耐えているが、負傷者を庇ってBランク魔物である黒狼三体から逃げるのは至難の業だ。黒狼は野生の熊ほどの大きさで、スピードは犬よりも速い。
万事休す――――その時、天の助けのような澄みきった声が彼らに届く。
「水盾」
パーティを守るように黒狼との間に水の壁が現れた。黒狼は警戒して一度後ろに距離をとった。
「よく耐えました。回復」
遅れて女冒険者が駆けつけ、あっという間に負傷者の傷を癒やす。
後ろは短く横髪だけ長い亜麻色の髪はさらりと風になびき、新緑の瞳は黒狼を前にしても涼しげだ。
パーティのリーダーは希望にすがるように名を確かめた。
「あんたはBランカーのステラか?」
「こんにちは。まずは黒狼を殲滅するのが先決です。手伝ってください」
ステラは黒狼を正面に立ち上がった。
黒狼は獲物と認識したらしつこく追ってくる。このまま街の近くまで逃げて、低ランカーの冒険者を巻き込むわけにはいかない。
「水波」
ステラは黒狼に向けて大量の水を流し、黒狼の体を濡らす。ダメージはさほどではない。
水から逃げていた黒狼は再びステラたちの方へ牙を向けて走ってくる。
パーティの人たちは先程の恐怖もあって足を震わせ、何もできない。ステラはそれも想定済みで、単独で黒狼の正面にでた。
「冷風、氷結」
黒狼を包み込むように冷気が発生すると、体表は一瞬にして白い氷が張った。黒狼の牙はステラたちに届く前に、氷漬けになった。
「略詠唱でこの威力……」
「驚いている場合ではありません。まだ生きているし、長く拘束するのは難しいです。その剣でのど笛を切ってください」
「あ、はい!」
ステラの言うとおり、黒狼の眼球はキョロキョロと動いていた。
唯一動けるようになったパーティのリーダーが慌てて黒狼にとどめをさす。黒狼の巨体は音を立てて横たわった。
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったら」
「いいえ。では謝礼金が欲しいです。黒狼の報酬の三割を私のギルド口座に振り込んで下さい」
ステラの言葉にリーダーはポカンと口を開けた。
「嫌ですか?」
「いえ! たったそれだけの謝礼で良いのか?だって黒狼を倒したのはステラさんなので、むしろ全額欲しいと言われるかと」
「私の魔法だと穴だらけになって毛皮が駄目になってしまうので、剣を使える人がいて良かったです。そういう事なのでよろしくお願いします。では依頼があるので!」
そう言ってステラは身体強化を発動させ、早馬のように森の奥へと駆けていった。
その日、太陽がすっかり沈んだ頃にステラは森からギルドに帰ってきた。ホールはすでに緊急カウンター以外の窓口は閉じられており、人はまばらだ。
「さすがに今日の納品には間に合わなかったなぁ。あ、いい匂い」
吹き抜けから二階のレストランを見上げると、仕事終わりの冒険者たちで賑わいを見せていた。
陽気なオジサマ冒険者たちがステラの帰還に気が付くと、二階の手すり越しに手を振ってきた。
「おぅ、ステラ!今日も活躍したんだってな。助けられた坊主たちがステラが森の奥へ行ったと心配して騒いどったぞー」
「黒狼が出たエリアよりも危険な奥地にソロで行くなんざ、ステラをよく知らなきゃ焦るわな」
「ほらステラもコッチに来いよ。大丈夫だって説明してんのに、心配して居座ってる坊主たちに無事な姿を見せてやれ」
オジサマたちに手招きされて、ステラは階段を駆け上がっていく。
二階は美味しい香りに満たされていて、何を食べようかと意識が持っていかれそうになるが我慢だ。オジサマたちのテーブルに行けば、昼間助けたパーティ四人が感動した表情でステラを見た。
「私はこの通り元気ですよ。あ、報酬の入金しました?」
「は、はい!もちろん」
「ありがとうございます。あ、私もここで食べて良いですか?」
「どうぞ……」
感動の再会の雰囲気を無視して、何事もなかったようにステラはご飯を注文し始めた。
パーティ四人はあまりにもあっさりとした態度に心が置いてけぼりだ。
でも今ステラの胃はご飯を熱望している。一日中走り続けて、全く食事をとっていなかった。
「ステラ、注文がくるまでコッチの皿でも食べてな」
「ありがとうございます!はぁ……胃が満たされるぅ」
ステラは遠慮なく口へ放り込み、舌鼓を打つ。すると他のテーブルからもお裾分けの声がかかる。
「ほら、こっちの新作も食べな」
「これもひとつあげるわよ〜」
「この肉も持っていくが良い」
「遠慮なくいただきます!」
注文した料理も届けばテーブルはステラの好きなものでいっぱいになった。
パーティ四人は冒険者のオジサマたちに問う。
「ステラさんは慕われているんですね」
「そりゃそうだ。ユルルクのほとんどの奴らはステラに助けられた経験があるからな。ステラがいなきゃ俺も今頃は魔物の腹の中さ」
「ステラはユルルク自慢の魔術士なのよ。ステラは報酬を取るけど割にあってないでしょう? だからお裾分けを利用して小さく恩返しをしてるのよ」
「ステラはユルルクの宝じゃからな、あはははは!」
ステラは横でオジサマ冒険者や綺麗なお姉さま冒険者たちの自慢話を聞いて、体をムズムズさせる。
今日助けたパーティ四人の視線もキラキラして恥ずかしい。
「こういうことは本人のいないところでお願いします」
「だってこうでもしねぇーと、お前さんは自分の凄さを自覚しないだろうが」
「自分の実力は十分わかってますって。回復魔法は自信ありで、人より足が早いってことくらい。水系魔法に偏ってる。ね?」
「…………そういうところだぞ」
周りのステラに向ける視線は可哀想なものを見る類に変わる。
危険地帯で見知らぬ人の命を救う。更に単独で奥地に踏み込み無事で帰還する。パーティを組んでいない非戦闘系の魔術士なのにソロBランカー。
ステラには、優秀な冒険者であるという自覚がない。
オジサマ冒険者は諦めたように肩をすくめて、ビールで説得の言葉を飲んだ。
(だって討伐隊の騎士と比べたら回復以外の魔法へなちょこだからなぁ。剣は才能ないし、弓も飛ばないし。うん、自惚れ危険)
ステラはひとり納得してご飯を頬張った。
自分より凄い人はいくらだっている。誰にも負けないと思っていた回復魔法すら一番でなかった。
自己評価は控えめが良いと学んだのだ。
(もうすぐユルルクに来て一年かぁ。何年もここにいる気がする)
たった一年間なのに、五年間いた前線よりもユルルクのギルドの居心地がいい。
特別な地位は無いのに優しくしてくれる。報酬に好きな額を提示しても失望されない。
何より色眼鏡をつけずステラ自身を見て、受け入れ、食事を共にしてくれる人はレイモンド以来だ。しかも大人数。
「うひひ」
今はここが自分の居場所だと改めて実感し、笑いが溢れる。
ステラ、現在二十歳。
前線から一番離れた土地、最東端の街ユルルクにて冒険者生活を謳歌していた。