36 聖女の因果
すぐにステラは悟った。
(この方たちは公表されているものとは違って、オリーヴィア様の証言が伝わっているのね。偽物であっても聖女殺しの未遂容疑が残っているってわけね)
近衛たちが国王やロイドを守るように、前へと踏み出してきたのだ。それに対抗するようにレンは獣化し、リーンハルトが立ち上がってステラを背に庇った。
応接間の空気はピリっと張りつめ、一触即発の緊張状態になる。国王が片手を上げ、近衛に命令した。
「近衛たちよ、下がるのだ」
「しかし」
「下がれと言っておる。先程の話をそなたらも聞いていただろう。ステラ殿にも理由があるはずだ。命を大切にせよ」
国王はリーンハルトにチラリと目を向けると、近衛はおずおずと引き下がった。ドラゴンには勝てぬと理解したのだろう。
それに合わせ、ステラはリーンハルトの腕に触れた。
「ハル、お願い。まずは話をさせて」
「ステラ……分かった」
リーンハルトを再び椅子に座らせると、ステラは国王とロイドに向き直った。
肩の力を抜いた国王のため息は長い。
「久しいな。そうか生きておったか。気付かなかったぞ……うまく化けておったな。それに以前より元気そうな顔色をしている」
「お久しぶりでございます。陛下は少々お痩せになられましたね」
「こちらも色々とあったからの。さて、やはり余たちの情報とステラ殿の事情には差があるのだな?」
「はい。陛下、私は罠に嵌められたのです」
ステラは追放された夜のことを包み隠さず話した。
「なんとか生き残りましたが、生還を知られるとまた命が狙われかねません。国に無事を告げて前線に戻れと言われるのが怖くて、生存を報告できませんでした。死にたくなかった私は髪を切り、森で魔物に襲われたように偽装。ヘイズ家は私を死んだと信じ、国に報告したはずです」
レイモンドが国に報告した内容に合わせ、彼に迷惑をかけぬように辻褄を合わせた。アマリア公国に行く前にレイモンドと会って話をしていて良かった、とステラは思った。
またリーンハルトたちに対しても、ステラが元聖女だったことを数日前まで隠していた――――とアマリア公国はステラの生存隠蔽に関わりがなかったとも付け加えた。
話を聞いた国王は眉間にできた皺を指先で押さえた。
「碌な調査もせずに追放を許したのか。成人前から命をかけて前線で働く少女になんという裏切りを……そして余たちにはいかにも事実のような報告書を出していたとは。ライルめ……野心に飲まれたか」
「お言葉ですが陛下、ライル殿下を庇うわけではありませんが、すべての責任をあの方に押し付けるのはおやめ下さい。元凶オリーヴィア様を聖女と認定したのは誰だったのか――――というのをお忘れなきようお願いいたします」
「……そのとおりだったな」
国王は唸った。前線からの報告よりも、ステラの話を現段階では信じてくれるようだ。
一方ロイドは先程より表情を明るくし、国王に話しかける。
「しかしながら陛下、ステラ殿が戻れば希望が見えてきます。彼女が前線で過ごしやすいよう人事を入れ替えるべきかと」
「確かに、幹部は職務怠慢で厳罰を与え、ステラ殿には賠償と報奨を考えねばならんな」
「では退役処分を撤回し騎士団に復帰とし、改めて聖女の称号と権限を与えてはいかがでしょう」
「うむ。それに専用の神殿を建て今後の住まいとし、後ろ盾とした新たな高位貴族の養子縁組を――――」
「お断りします!」
ステラは勝手に用意されていく報奨に対して、明確に拒絶した。
過去を通じても初めてステラの張り上げた声を聞いた国王とロイドは驚き、二人揃って目を丸くさせた。
「聖女の精神でもしや、薄給で……という都合のいい話では」
「もちろん、ありえません。働いた分はきっちり貰います!タダ働きは嫌です」
ステラがジロリとロイドを睨めば、彼は「言ってみただけだ」と肩をすくめた。ステラは気を取り直して、要求を口にした。
「そもそも聖女の称号も名誉もいりません。神殿も、望まない書類上の家族も不要です。私には清廉な生活は息苦しく、聖女の肩書は邪魔なのです。二度と戻りたくありません」
「じゃ、邪魔!?」
「それに神殿の建設に使うくらいなら、丸ごと予算を私に下さい。養子縁組の貴族に払う予定の給与も直接私が貰いたいです。このように本来の私は聖女像とは離れた性格ですので、ご理解下さいませ」
ステラは不敬を承知で、強気の態度をとる。
リンデール王国としては用意できる最高の報奨だということは分かっている。国に留まらせたい意図も伝わってくる。
しかし聖女を経験した上で、またその座が欲しいと思うほど良かった記憶は無い。むしろ制約が増え、自由に出かけることもできなくなる。その上、後見に選ばれた貴族に財布を握られ「それは聖女らしくない」と好きなものも買えないかもしれない。そんなことは御免だ。
国王とロイドは言葉を失い、ステラを見上げている。以前の物静かな彼女でないことに驚きを隠せないでいた。
「とにかく報奨については後回しです。出来高制でも構いません。今日明日にでも私を前線に送り込み、オリーヴィア様を捕らえる手筈を整えてください。アマリア公国の誇りのためにも、前線の騎士のためにも、これ以上時間をかけてはなりません。陛下、ご英断を!」
ステラの若葉色の瞳には覚悟が乗っていた。善を貫き、悪を砕くような、力強さが。
国王は我に返り、頷いた。
「分かった。物資やステラ殿を守るための小隊をすぐに近衛から用意しよう。転移門の準備もだ。ロイドできるな?もう誰も失望させてはならぬ」
「はっ、承知しました。ステラ殿の勇気に感謝を」
ロイドは騎士流の最敬礼をした。
ではステラが前線に向けて欲しいものは何か――――と話し合いを始めようとしたとき、リーンハルトが話に割り込んだ。
「俺も前線に行く」
彼の予期せぬ発言にステラだけではなく、誰もが耳を疑った。
「ハル、何を言っているの?」
「ステラだけを危険なダンジョンへ送り込むのを見てはいられない。俺もついていく」
「駄目よ。これ以上リンデール王国のことでハルに迷惑がかかるようなことがあってはいけない。私のことは心配しないで。大丈夫だから」
「六年も踏破できないダンジョンを前に大丈夫なんて信じられるか。リンデールの国王よ、俺が行くのは迷惑だろうか?」
問われた国王は数秒だけ思案し、首を横に振った。
「いや、余としても国としてもありがたい申し出だ。その様子だと、噂の不治の病はステラ殿が治したのか」
「えぇ、そうです」
「リーンハルト殿の気持ちは理解した。アマリアの者が恩人への義理が固いことは知っている。アマリア公国へは賠償だけではなく、協力の謝礼金も用意しよう」
国王の返答に「陛下!」と思わず、ステラは抗議の声をぶつけた。しかし、ドラゴンの助力を受けられると知った国王からは、断ることはないだろう。
ダンジョンの問題を除けば、高水準の貿易と産業で栄えている大国だ。資金は十分にある。
次にステラは銀翼隊の隊長レンに視線を投げかけるが、首を横に振られてしまった。ここにステラの味方はいない。
「そんな……ハル、考え直して。あなたは王兄として国を代表して来ているの。このあとの交渉をしなければならないんだよ。ここに留まって、大切な民のために尽力すべきだよ」
「あとのことはレンに任せれば良い。俺の命の恩人を、アマリアの救世主を守ることも大切だ」
立場から諭そうとしても、リーンハルトは引こうとはしない。
「なんで……っ」
ステラは一歩下がった。リーンハルトは距離を保つように椅子から腰を上げ、手を掴んだ。そして周囲に視線を向けた。
「少しステラと二人で話し合いたい。陛下、ロイド殿、近衛を連れて一度退出願えますか?レンも外してくれ」
リーンハルトが頼むとすぐに全員退出し、彼とステラだけが残された。





