03 真の聖女
その夜、ステラに正式な辞令の書面が手渡された。皆とは離れたところで、夕食を片手に眺める。
聖女ではなくなり、実家への功労金の給付は終了。今後は一般の騎士として救護班に所属すること。それに伴い給与は直接本人へと支給になる。その三点のみ。
「なんかタダ働きしたみたいな気分ね」
功労金も義両親に使い潰され、婚約後の優雅な生活も愛も虚無なもので、ひたすら戦場を走るだけの五年だった。これならはじめから一般の騎士として働いていた方が稼げただろう。
結局手元に残っているのは辞令の紙一枚だけだ。
「紙のように薄っぺらい青春だったな」
十四歳から現在の十九歳になるまで、魔物討伐ばかりしていた。
騎士たちの賑わう声を背に、夕飯のステーキサンドイッチを口に押し込む。紙とは違い、分厚い肉が挟まれていた。
オリーヴィアを歓迎するため、今夜は少しだけの豪華な夕飯とお酒のワンショットが振る舞われていた。
パンは白くて柔らかく、ステーキも肉厚で肉汁が多く高級肉だというのは分かるが、残念ながら今のステラには美味しいとは思えなかった。
「さすが本物の聖女様は違うな。ポケットマネーでこんなにも良い食材を提供してくれるなんてさ」
「しかも美人で微笑んでいるところはまさに女神だもんな。前聖女もまぁ可愛かったかもしれないが、オリーヴィア様と比べると……これからは心まで癒やされそうだ」
「回復魔法もさ、昼間のあれ見たらなぁ別格だったな。能力も見た目も、騎士団員に対する気遣いも格が違うよ」
離れていても、騎士たちの陽気な声がステラの耳には聞こえてくる。
空気が重たくなりがちな戦場で、こんなにも明るい雰囲気になるのは久しぶりだ。沈んでいるのはステラだけという状況が虚しさを加速させる。
「声の聞こえないところに行こ」
ステラは賑わいから遠いキャンプ地の端で腰を下ろし、ぼんやりと星空を見上げた。
――――カサ
突如、落ち葉が割れる音と人の気配を感じ振り向いた。そこには二人の男がいた。
「誰?」
服は騎士団のものでは無く、二人とも暗い色のマントを羽織り、手にはナイフが握られていた。
ステラが立ち上がった瞬間、二人の男がステラに襲いかかった。キャンプの中央から更に遠ざかるように、森の中へと追い立てられる。
(急に襲ってくるなんて! 人を攻撃するなんて嫌だけど、こんな危険人物を逃すわけにはいかない)
からだ全体に身体強化の魔法をかけて、相手と距離を取った。
「沼地、氷針」
地面を沼地に変えて足を取られたところに、下級の氷魔法をぶつける。すると相手ふたりは痛みでうずくまり、その場から動けなくなった。
ステラは逃げられる前に男たちをロープで縛りあげる。
結局いい空気を壊してしまうな――――と肩を落としていると、再び別の人の気配を感じたステラは手持ちのナイフを構えた。
「ステラさん!」
「オリーヴィア様!?そしてライル様と幹部の皆様も……」
現れた人物たちにステラは警戒を解いた。助かった――――と思ったのだが、皆の顔色は悪い。
するとオリーヴィアが危険人物に駆け寄った。
「酷いわ。わたくしのテントに毒虫を仕込んだ上に、実家から心配してついてきてくれた護衛まで傷つけるだなんて」
「え!?違います。この人たちは私を襲おうとしたんです」
「言いがかりはやめて! 毒虫を仕込まれても、わたくしはステラさんなら話せばわかると……そう、信じて護衛に呼びに行かせただけなのに」
オリーヴィアは涙を浮かべてステラを睨みつけた。もちろんステラには身に覚えのない話だ。
「私は毒虫なんて仕込んでません。本当です。信じてください」
「護衛がわたくしのテントから立ち去るステラさんを不審に思い確認したら、毒虫がいたのですわ。わたくし、とても怖くて……」
「ありえない」
ステラは首を振って否定する。毒虫を手に入れる手段も暇も彼女にはない。
それに戦場で五年も共に過ごしたのだ。ライルも幹部も自分を信じてくれると期待を込めて視線を向ける。
「――――っ、どうして……」
しかし彼らのステラを見る目は敵を見る目だった。
今まで騎士と言い合いになっても、いつだってステラの味方だった彼らだというのに。
「はは……」
乾いた笑いが勝手に漏れた。
(もう私が聖女じゃないから。オリーヴィア様が今の聖女だから、そっちを信じるんだ)
清らかな心を持っている。人を陥れるような嘘はつかない。それが聖女のあるべき姿。どちらの肩を持つかは明白だ。
(昨日まで信じてくれてたのは……ステラじゃなくて、聖女だったからだ! 誰もステラを信じていたわけじゃなかったんだ!)
ステラは悔しさで下唇を噛んだ。歯が当たったところから血が流れ、薄汚れた白い軍服にポタリと落ちて赤いシミを作った。
ライルが一歩ステラに近づいた。
「どんな理由があれ、オリーヴィアを狙った罪は重い。覚悟はあってやったのだろうな?」
彼の瞳は極限まで冷え切っていた。情など一切感じさせず、五年の歳月などなかったかのような眼差しだ。
(オリーヴィア様は聖女で未来の王族。最初から命を狙ってきたのだから、このままじゃ処刑されるのがオチ。嫌だ……何もしていないのに殺されたくない。死にたくない、死にたくない、こんなことで死にたくない)
ステラはゆっくりと膝、手、そして額を地につけた。頭を向けた先はライルではなくオリーヴィアだ。
「心優しい聖女様、どうかご慈悲を。人を救わんと選ばれたあなた様なら、私の命を奪うような処罰に賛同なさるはずがございません。運命に委ねる道を私にお与えください」
「運命ですって?」
幹部からは「聖女様の優しさに付け込もうとは」と非難の声が聞こえるが無視だ。何を言っても今のステラは全てを否定される。
「私をキャンプ地から追放なさってください。私はひとりで森へ入ります」
キャンプ地の外の森は深く、大地はぬかるんでいる。危険生物や野生動物が多くいるし、取り逃した魔物も生息している樹海。日当たりが悪く、人間が食べられる木の実も少ない。
そして一番近い人里は王都の隣町をさす。馬も使えない森で目指すにはあまりにも遠い。
オリーヴィアが無事にキャンプ地に来れているのは、長距離移動装置の転移門を使用したからだ。
屈強な騎士であっても転移門もなしに、後方の第二キャンプ地も寄らず、単独で森を抜けて人里を目指すのは「自殺」に等しい。
「森での生活を罰としてお与えください。罰が終われば、罪をお許しください」
つまり生き残ったら全て無かったことにして欲しい、ということだ。してもいない罪を償う行為に怒りがこみあげるが、抑え込むようにステラはもう一度深く頭を下げた。
オリーヴィアは少しの戸惑いのあと、頷いた。
「分かりました。わたくしにはステラさんが運命に選ばれることを祈ることしかできません。ライル様、ステラさんを追放して宜しいでしょうか?」
「良いだろう。このまま森へ行け。テントから備品も食料も持ち出すことは許可できない。見逃すことを、聖女オリーヴィアに感謝するのだな」
「はい。このご恩は忘れません……決して」
ステラは立ち上がり、一瞥もせずに森へと走った。
キャンプ地の光はあっという間に遠くなり、涙でぐちゃぐちゃで先はよく見えない。ブーツには湿った泥がついて重くなり、木の根が足を引っ張る。枝が柔らかい頬を切り、体に鞭を打つように当たった。
それでもステラは足を止めずにがむしゃらに奥へと進んだ。
「ふざけんなぁぁぁぁあ!」
その夜、聖女だったステラは戦場から消えた。





