28 アマリアの巡り合せ
「嘘だろ……」
狩人のひとりの絶望したような声が静かに広がった。伝播したように狩人の半分が足を震わせながら後退る。
誰も責めることはできない。
先程までの魔物たちが雑魚だと言わんばかりの風格が、黒獅子から感じ取れてしまうのだ。幸いにも黒獅子はまだ覚醒していないのか、その場で佇んでいる。
「ハル……黒獅子のランクって」
「コイツはSランクだろうな。しかもAランクより桁違いに上の……あと少しだというのに」
リーンハルトが渋面を作った。そして彼は瞳孔を縦に細め、剣をしまい腕を竜化させていく。マスクの上から覗く肌は鱗が覆い、人の姿を保つ限界まで獣化を進めた。
(ハルにはドラゴンの力を使ってあまり無理をしてほしくない。彼は力も正体も隠したいのに……私が支えなきゃ)
ステラは吐き気を覚悟で魔力ポーションを追加で飲んだ。
「ハル。私が全力で支援するから、ひとりで戦わないで」
「――――っ、ありがとう」
そのとき、静寂を割るように黒獅子の叫びが森を震わせた。
同時にリーンハルトの指示も飛ぶ。
「低ランカーはひと塊になり全員でシールド魔法で防御を固め、後退しろ!動けるやつはこの場に残り撹乱を手伝え!ステラ、頼む」
「皆さん目を閉じて――――発光」
ステラが光を爆発させ森を照らす。
黒獅子が眩しさで目を閉じた隙に、低ランカーは大きく距離を取るように後退した。低ランカーと言ってもBランクはあるであろう狩人たちだ。
その場に残ったのはリーンハルト、ステラ、ゼノとその仲間ふたりの計五人。全員一瞬だけ視線を交差させ、頷いた。
「行くぞ」
ステラ以外の四人が黒獅子に飛び込んでいく。引くことはしない。
狙いが定められないよう動きが重ならないように、全員が仲間の動きに注視して緩急をつけて走る。狙い通り、黒獅子の牙や爪などの攻撃には迷いが生まれた。
距離を空けることなく、ギリギリの間合いに入り込む。即席パーティーだというのに、その息はピッタリと合っていた。
「氷矢」
撹乱させている間にステラは黒獅子に小さな魔法を当てて気を散らす。
ステラはユルルクでは駿足と呼ばれたが、リーンハルトや狩人たちのスピードには足元にも及ばない。彼らの邪魔にならぬよう、離れて支援を行う。
それでも黒獅子は巨体からは考えられないほど素早い動きで狩人たちを掠めていく。彼らも傷を負っていく。
「水回復」
ステラは水球に回復魔法を乗せて、離れた狩人めがけてぶっかける。通常の回復ほどの威力はないが、止血くらいにはなった。
「がはっ!」
狩人のひとりが黒獅子の尾に飛ばされた。黒獅子は動きを止め
、その狩人に狙いを定めた。
「風撃」
「黒獅子の野郎こっちだ」
リーンハルトの魔法が黒獅子を狙うが避けられる。ゼノが叫び、気を引きつけようとするが、黒獅子の牙は倒れた狩人に迫っていった。
「氷槍!」
ステラは作れる限り鋭く大きい氷の槍を黒獅子へと落とした。威力重視にしたため脳天を狙ったが外れた。代わりに地面に縫い付けるように後ろ足に刺さり、黒獅子は動きを止めた。
「――――っ」
やった――――と思った瞬間、ステラの世界から音が消えた。それだけではない。首も、足も、指先、唇も動かない。
(あ、やばい)
黒獅子の咆哮を受けてしまったと気付いたときには、既に黒獅子の濁った瞳がステラを捉えていた。
一瞬にして距離を詰められステラに影を落とすように、頭上には黒獅子の前足が掲げられていた。爪でなくても当たれば怪我ではすまなそうだ。
体は硬直し、倒れ込むことも、声を出すことも、恐怖で体を震わすこともできない。
(――――ハル)
黒獅子の爪が迫り、心の中で彼を呼んだ瞬間――――ステラの視界が揺れた。
「ステラ大丈夫か」
「…………」
ステラは一瞬のうちにリーンハルトの腕の中にいた。まだ声が出ないため、なんとか瞬きで「ありがとう」を伝える。
「良かった。ステラに何かあったら俺は―――」
動かないステラの体をリーンハルトは強く抱きしめた。
(ハル、本当にありがとう。って、黒獅子は!?)
目だけ動かし、慌てて周りを確認する。ステラを狙っていた黒獅子の前足に剣が突き立てられ動きを止めていた。ゼノと仲間ふたりは咆哮の影響でまだ立ち尽くしたまま。
唯一動けたリーンハルトがやったのだと分かった。
(凄い……)
そう思ったのも束の間。黒獅子が怒り狂い、天に向けて叫ぶ。大気が震え、ステラの体も震わすがまだ動けない。さすがのリーンハルトもステラを抱えては、黒獅子相手には分が悪い。狩人たちもいる。
万事休す――――そう思ったが、リーンハルトの目には絶望の色は微塵も無かった。
「大丈夫。俺たちの粘り勝ちだ」
「…………?」
夜空をバックにひとつの大きな白いモフモフが横切った。それを追うように他にいくつもの影モフモフが黒獅子に向かって跳躍していた。
「あとは我らに任せよ」
金色の首飾りに白銀のマントを靡かせ、黒獅子を囲んだのは立派な風格の猛獣類たちだった。
「あの湖のダンジョンでも生き残った、アマリア公国の精鋭騎士、銀翼隊だ。あとは見ていれば良い」
リーンハルトが言ったとおり、黒獅子は数分もしないうちに倒されてしまった。
彼らが振るう剣から風の刃が放たれ肉を削ぎ、火の魔法で体表を焦がしていった。威力もそうだが、一糸乱れぬ連携は圧巻だった。
ダンジョンの大穴は氷の塊で塞がれ、その間に銀翼隊の魔法使いが声を揃えて詠唱していく。
「空の父よ荒ぶり、大気を揺すれ!空の母よ嘆き、大地を震わせよ!雷の鉄槌で砕き崩せ、風の刃で切り刻め、雨よ全てを押し流せ、破壊しつくせ――――大嵐」
ダンジョンを取り囲むように竜巻が生まれ、雷が轟き、滝のような雨が打ち付けた。
美しさのかけらもない傲慢な詠唱そのもののような大魔法を前に、塔のようだったダンジョンは崩れ落ち大地に還った。
闇色だった空が白くなり、朝を迎えようとしていたときだった。
ステラはその光景をリーンハルトの腕の中で呆然と眺めていた。数年かけて踏破するものだと思っていたダンジョンが、一晩で踏破されてしまったのだ。
「夢じゃないよね?」
「あぁ、やりきったんだ。俺らの勝ちだ。ステラありがとう」
「ううん、ハルも助けてくれてありがとう」
ステラは喜んだ勢いのまま、リーンハルトの首に腕を回した。彼も返すようにステラを強く抱きかかえた。
そこへゼノと仲間の狩人が黒獅子の尾で飛ばされた亜人を連れてきた。
「うさぎの嬢ちゃん無事か?魔力が残ってたら、こいつを頼む!」
「目を覚まさないし、様子が変なんだ」
出血は見られないが、ガクガクと痙攣し、意識が混濁していた。
「背骨が砕けてるかもしれません。そっと地面に寝かせてください」
ステラはリーンハルトの腕から降りる。ポーションの副作用で軽い吐き気と目眩がするが、深呼吸をして怪我人に意識を集中させた。
「回復」
すぐに痙攣は収まり、呼吸は安定した。ステラはゼノにもう大丈夫だと告げると、両手を握って感謝された。
そこへ銀翼隊の青年が近づいてくる。銀髪に青い瞳に、先の丸いモフモフの耳という特徴から、彼は白い虎の亜人らしい。
リーンハルトはフードを深く被り直した。ステラはリーンハルトと銀翼隊が顔見知りだと察し、前に出た。
「ありがとうございます。助かりました。お礼申し上げます」
「後退してきた狩人たちから、そなたら五人が中心となって魔物を食い止めていると聞いていた。私は銀翼隊の隊長レンだ。代表して皆に感謝を」
レンは拳を心臓の位置に当て、軽く頭を下げた。
それに気を良くしたのは同じ虎でも黄色い毛色のゼノだ。
「俺たちゃただ暴れただけだ。特に奇跡の使い手のうさぎの嬢ちゃんがいなかったら、みーんな今頃あの世に逝ってましたぜ。どんな怪我もたちまち治し、何人助けられたことか」
「後退してきた狩人も、そなたらの体にもかすり傷しか残ってないのは君のお陰か。なんと強い能力だ。しかもうさぎは戦いが苦手で臆病なものが多いというのに、黒獅子が現れてもこの場に留まるとは見事だ」
「い、いえ」
ステラのうさ耳は偽りのものであるため、褒められるとどうも居心地が悪い。
ゼノに前を譲るため下がろうとするが、彼の手がステラの頭に乗った。嫌な予感がした。
「謙遜すんじゃねぇよ。偉業に立ち会ったんだ、もっと嬉しそうな顔をしろや」
そう言ってゼノは頭を激しく撫でた。
ステラのうさ耳は偽物だ。リボンで固定しているとはいえ直接触れられ、激しく動かされれば外れる。
案の定、ポトリと地面に落ちた。
「う、うわぁっ!耳が!すまねぇ。耳が…………って偽物かよこれ。アンタ……ヒトか?」
「……はい。亜人ではありません」
誤魔化しは利かないと観念し、ステラは素直に打ち明けた。その瞬間、空気がピリッと冷たいものに変わった。
「ヒト……だと?」
レンから地を這うような低い声が聞こえ、鋭い殺気がステラに向けられた。他の騎士も一斉にステラに敵意を見せ、ゼノの瞳からは親しみの色が消えた。
 





