23 アマリアの巡り合せ
星の光しかない深い夜、ドラゴンの姿をしたリーンハルトはステラを背に乗せ飛んでいた。
横目で後ろを見れば、ステラは彼の首にぎゅっとしがみつくようにして寝てしまっていた。レイモンドの事で張っていた気が抜けたようだ。
初めて見るステラの寝顔は、ドラゴンを助けた救世主とは思えないほどあどけない。安らかな時間を守るようにリーンハルトはゆっくりと優雅に山脈を越えていく。
アマリア公国は巨大な山脈に囲まれた大きな平野盆地だ。寒暖差が作物の実りを促すだけでなく、北側の山脈の頂上は冬に雪が積もり、雪どけ水が土地を更に豊かにしている。
畑と森が広がる光景にリーンハルトは目を細めた。
彼が帰郷するのは約二年ぶりのことだった。もう帰っては来られないだろうと思っていた故郷。
当時、病を治すために集められる薬は全て使った。それでも治らず、最後は魔法頼み。亜人にはほとんど生まれることのない回復魔法の使い手を探すために国を出て、大陸中探すことにした。
既に病は末期へと進行し、リーンハルトを含めてみな治る見込みはないと半ば諦めた状況だった。今生の別れを済ませ、国を出て旅をしていた。
(全て君のおかげだ。ステラ……俺の光)
背に乗せる小さなステラが何よりも大きな存在で、愛おしさを感じて仕方ない。
人でも数の少ない回復術士を見つけ、魔法をかけてもらうだけでも大変だった。リーンハルトが亜人であることや、末期の症状に足元を見られ、支払いもできないほどの高額な料金を求めるものもいた。良心的な回復術士もいたが、その者の能力では病には全く効果が無かった。
ほとんど死地を探すような旅をしていた頃、ユルルクの森で魔物に襲われた。死を受け入れていたつもりが気付けば抵抗し、生きようとしていた。
そして目が覚めれば世界は一変していた。
気まぐれで寄ったギルドで助けただけなのに、ステラはそのお返しだと言って全てを治していた。回復魔法はそんな安い力ではない。
『この御仁を主として人生を捧げ、仕えたい』
そう膝を付きたくなったが、ステラがそれを望むような人には見えなかった。
だからリーンハルトはドラゴンという自身の秘密を明かすことで信頼を得て、自然体を意識してついていくことを勝手に決めた。
それがどうだ。女神や天使の類と思っていたステラは一緒に過ごせば過ごすほど、普通の人に見えてくる。
居心地の良さを与えたいと思っていたのに、与えられていたのはリーンハルトの方だった。彼は敬愛する恩人に対して抱くには異質な感情に戸惑っていた。
ステラに「何故尽くしてくれるのか」と問われたとき、親しみの感情から『友達』という言葉を使った。
それは早々に後悔した。
ステラのはしゃいだ言葉に、彼女が告げた鼓動のはやさに、はにかむ笑顔に感じた気持ちは友情ではなかったからだ。
あの時リーンハルトの中で、ステラは恩人からただの可愛らしい女の子へと変わった。
――――俺の光、俺だけのステラ
そう思いのまま気持ちを告げられたら楽だったのに……と思うほど既に愛情は深く、リーンハルトの生い立ちは単純ではなかった。
もちろんステラが隠そうとしている過去も含めて。
(俺が区切りをつけて全てを明かせば、君も打ち明けてくれるだろうか。知りたい。君の口から君のことを……)
背中に乗る眠り姫に、そうであって欲しいとリーンハルトは願う。
(まずは俺の事だな。あぁ、本当に帰ってきたんだな)
リーンハルトの金の瞳は、先程と違って故郷を懐かしむだけの目ではなかった。
幸せも憂いも同じだけ詰まった国。病が治っても帰るのが正直怖かった故郷。
星が薄くなった夜空を見て、リーンハルトはステラに声をかける。
「ステラ起きて」
「わ、寝てた。ハルが起きてるのにごめん!」
「問題ない。早めに降りるよ。農作民は朝が早いし、目も耳も良いから俺のことがバレてしまうかもしれない」
「分かった」
ステラはリーンハルトの故郷だというのに、ドラゴンの姿を隠すことを疑問に思っているはずなのに、問うことなく受け入れる。そんなステラにリーンハルトも甘えてしまう。
ステラは着陸に備えてぎゅっとリーンハルトの首にしがみついた。目も瞑ってしまっている彼女の姿に、顔が緩みそうになる。
「ふっ、ステラ。今回はドラゴンの姿のまま降りる。だからそんなにくっつかなくても大丈夫だ」
「ごめん!思わず」
「それとも、いつものように人に戻って降りようか?」
落下型の着陸はステラの顔と最も距離が近くなる。リーンハルトとしては嬉しくもあるが、その分まだ恥ずかしさも大きい。初めてのときはなんとも思わなかったというのに。
「いいえ!ドラゴンのままで!」
拒絶の言葉の割に、横目で見たステラの顔はほんのり赤い。リーンハルト相手だからなのか、単に誰であろうと近い距離に対してなのか。できれば前者であってほしいと彼は願い、翼を大きく広げたまま動きを止める。
「了解。しっかり綱を握ってて」
「うん」
リーンハルトは気流に身を任せるように大きく旋回し、森の割れ目に向かって下降していった。