22 聖女オリーヴィアの意地
リンデール王国の最西の森に出現したダンジョンは、勢いが衰えることなく魔物を生み続けていた。
オリーヴィアはキャンプ地にて重症者の治療に当たっていた。彼女はテント内の地面に寝かされた騎士に手をかざす。
「回復」
呪文を唱えれば魔物にかみ砕かれていた腕が元に戻っていった。顔色の悪かった騎士に血の気が戻り、仲間たちも安堵のため息をついた。
「聖女様、また怪我をしたときはお願いします」
事務的に言葉を残して騎士たちは怪我人だった仲間を連れ、オリーヴィアのテントから出ていった。
オリーヴィアは騎士たちが離れたことを確認し、簡易ベッドを叩いた。
「なんで、まだこんなことしなきゃならないのよ!」
爪を立ててシーツを強く握る。その爪には光沢が既になく、シーツは洗濯の順番待ちでもう三日も替えてもらえていない。
肌のキメも荒くなり、髪だって枝毛があり、オリーヴィアは現状に憤っていた。侯爵令嬢であり聖女である自分が何故このようにみすぼらしい姿でいるのか信じられなかった。
オリーヴィアが王都から連れてきた護衛二人が最低限の世話をしてくれるが、屋敷にいた頃と比べたら天と地の差がある。
(それになんなのあの騎士たちは!わたくしが奇跡の力で治してあげたのに、何故跪いて頭を垂れないのよ。涙を流し、感謝しなさいよ。この戦いが終わったら失礼な騎士の解雇を進言しなければ……早く、早く終わりなさいよ)
オリーヴィアは聖女に着任してから一ヶ月もしないうちに嫌気が差した。あと数ヶ月の我慢と思い耐えてきたが、一年過ぎてもダンジョン踏破が叶う気配はない。
ギシっと軋む音を鳴らしながら、もう一度強くベッドを叩いた。
ここには気分を癒やす高級なお茶も、流行りのお菓子も、希少な花も、虐げたり八つ当たりを許されるような相手もいない。オリーヴィアのストレスは溜まる一方だ。
そこへオリーヴィアが屋敷から連れてきた護衛がテントの外から声をかけてきた。
「殿下がお呼びです」
「ライル様が?すぐ行くわ」
荒れていたオリーヴィアもライルの名を聞き、気持ちが浮上する。今やライルの姿を見るのが唯一の楽しみと言っても過言では無かった。
すぐにライルが待つテントへと入る。作戦の打ち合わせをする木製テーブルに地図を広げ、駒を動かし考え込むライルの姿が目に入る。
「ライル様お待たせしました」
「空いているところに座って待っていろ」
「はい」
そう返事をし、ライルのすぐそばの椅子へとつま先を向けた。
厳しい環境に長く身を置いているためか、ライルの顔付きは以前より精悍だ。戦う強い男の姿をオリーヴィアはうっとりと眺め、座ることなく彼の背に身を傾けた。
広く、服の上からでも分かる筋肉の厚み、体温に匂いを堪能する。
ライルは無言で地図を見たまま動かない。
「ライル様、少しお休みになったら?」
オリーヴィアはライルの頬に手を滑らせ、彼のアイスブルーの瞳に自分が映るよう顔を向かせた。
ライルの反応はイマイチだが、抵抗されたことはない。
それでもかまわない。このようにライルに触れられるのは、この世界で婚約者のオリーヴィアだけ。それが彼女に優越感を与えた。
「わたくしが常におそばで癒やして差し上げますわ」
オリーヴィアはそのままライルに顔を寄せる。
「シアーズ家の聖女はまだ元気が余っているようだな」
「――――っ!?」
唇が触れる直前、テントに入ってきた騎士団長アドラムに声をかけられた。
オリーヴィアは心の中で舌打ちをしつつライルから身を離し、微笑みを貼り付けて出迎える。
「アドラム団長お疲れ様でございます」
「全くだ」
まるで「お前のせいだ」と言っているような態度だ。オリーヴィアは気に入らないが、いまは耐えるしかない。静かに奥歯を噛んだ。
ライルもオリーヴィアよりもアドラム団長を丁重に迎え入れる。
「叔父上、前線の戦況は変わらずですか?」
「変わらなかったら、まだマシだ。今のままではダンジョン踏破はまだ夢の話だ。瘴気がなくなる気配も無く、現状維持もどこまでできるか」
いつも覇気のあるアドラム団長の声に、珍しく疲れが滲んでいた。不穏な空気にオリーヴィアはすかさず質問を投げた。
「どういうことですの?」
「前線の士気が下がってきている。先が見えない戦いに疲れが見え、怪我人も増えている。このままなら前線のラインを下げなければならない。誰かさんのせいでな」
「わたくしのせいと言うのですの?騎士の実力不足を押し付けないでくださいませ」
さすがに黙っていられないと、オリーヴィアは反論した。
しかしアドラム団長は動揺するどころか、威圧感が増した。
「どこかの高貴な令嬢が、ノミのようなプライドで重要な回復術士を損失させ、そのせいで我々の戦力が著しく低下したと言っているんだ」
「し、失礼ですわ。わたくしは被害者でしたのよ!それに運ばれてきた怪我人は全てわたくしが治しておりますわ。きちんと仕事はしておりましてよ」
「――――はっ!とぼけるか。それにこの程度で前聖女ステラの穴を埋められたと本気で思っているのか?」
アドラム団長はオリーヴィアを嘲笑した。
オリーヴィアは怒りで体を震わせた。
「なんですって……」
ステラ・ヘイズの名はオリーヴィアがいま最も聞きたくない名だ。一年前に死亡の知らせを聞いて安堵したのも束の間、前線の騎士たちは事あるごとにステラを引き合いに出し、陰で比較する。
その筆頭がアドラム団長であり、ライルも否定しない。
能力は自分の方が上だと証明されているのにも関わらず、ステラは聖女としてライルたちの記憶から消えてくれないのだ。
オリーヴィアは悔しさを耐えるように、お守りの赤いロングネックレスを握る。
アドラム団長は酒をあおるように水を飲み、深いため息を吐く。
「運び込まれた分のみは治しているらしいが、それが全員だと自慢げに思っているのか……一年経っても気付かないとは随分とめでたい。ステラ・ヘイズの穴埋めをすると言っていたのは虚言か妄言だったのか」
「何を仰りたいの?失礼ですわ。わたくしがどれだけの騎士を助けたかご存知なくて?」
確かにオリーヴィアがいなければ、騎士の被害はもっと多かっただろう。
アドラム団長に怒りを向けるオリーヴィアを咎めるように、ライルがアドラム団長の言わんとすることを引き継ぐ。
「オリーヴィア、君のテントに運んでいるのは重傷者のみ。回復魔法が足りない軽傷者は日に日に増え続けギリギリのところで戦っている。人員が減らないよう、無理もできず、ダンジョンの魔物に数で負けつつある」
「どういうことですの?分かるように教えてくださいませ」
「つまり、回復が間に合っていないということだ」
前線にも回復術士はいるが魔力にも限界があるため、小さな怪我は後回し。小さな怪我も重なれば魔物に後れを取るようになり、重傷化に繋がる。
その騎士を後方のキャンプ地に下げて聖女オリーヴィアの治療を受けている間に、前線の人数は減少。前線ラインの維持が難しく、今は何とか均衡を保っているが、一度崩れれば今まで耐えてきた努力が水の泡に――――とライルは説明した上で提案する。
「オリーヴィア、共に前線へ行こう。そして、もっと早い段階で多くの騎士に回復魔法を施して欲しい」
「――――な」
何でわたくしが前線に――――という言葉は、喉から出る前に飲み込んだ。
オリーヴィアは俯き、断りの言葉を探す。
士気を上げるための顔見せに、一度前線に行った時の記憶が蘇っていた。
大地は血で赤黒く染まり、常に魔物の血の臭いが漂い鼻につく。場所によっては魔物が燃やされており、その焼ける煙が、おぞましい見た目が、温室育ちのオリーヴィアの吐き気を強く誘った。
たった一度だけ晒してしまった醜態。
それからオリーヴィアはキャンプ地より前方へ行くことは無くなった。誰も文句を言わなかった。だから問題ないと思っていたのだった。
しかしライルの瞳は、もうその甘えを許してくれそうもない。
「もう戦場には慣れただろう。一年も時間を与えたんだ。はじめからステラ・ヘイズは白の衣を赤く染め、常に前線にいた。存命ならば騎士の精鋭と彼女で特別チームを作り、ダンジョンの大穴から直接核を壊しに行く作戦も選べ、状況も違っていただろうに……」
ライルの声には強い後悔の色が混ざっていた。オリーヴィアの肩を持って追放した事を悔やみ、亡くなったステラを望んでいる姿に、オリーヴィアの血は嫉妬の火で沸いた。
(あの薄汚れた女にわたくしが劣ると言うの!? ライル様、目覚めさせてあげるわ。ステラ・ヘイズを望んだ言葉は間違いだったと……そして、わたくしに膝をついて許しを乞うのよ!わたくしを心から求めるのよ)
オリーヴィアは己を奮い立たせ、顔を上げた。
「行きますわ。わたくしが聖女ですもの」
「常にそばで癒やしてくれるというのが嘘でなくて良かったよ」
ライルは不敵な笑みを浮かべた。戦場に来て初めてオリーヴィアに向けて見せる笑みに、彼女は酔いしれる。劣等感を利用されたなど気付いていない。
「叔父上、決まりです」
「聖女よ、ぬるま湯の時間は終わりだ。前線にて、本来の存在意義をきちんと証明してみせろ。ステラを超えられるかな?」
「もちろんですわ」
翌日、オリーヴィアは約一年ぶりに前線の地に足を踏み入れた。
目に入る光景は、もう一年前の前線と同じでは無かった。
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