18 訪れる変化
「アマリア公国……」
現実味が無くて、ステラは呟くように反復した。
アマリア公国は亜人の楽園と呼ばれ、土地が豊かな国だ。天然の要塞と呼ばれる山脈に囲まれ緑が多く、水も豊富で澄んでいるという。
しかし二百年前まで、豊かな土地を奪おうと侵略した人族の国と戦争をしていた。今は不可侵条約が結ばれ、それ以来亜人と人族の行き来はわずかだ。
「アマリアなら人族も少ないし、ステラを知っている人は皆無のはずだ。そろそろ国に一度帰ってみようかなって思ってたんだが、一緒にどうかな?その間はアーサーさんからも逃げられるよ」
「人の私が行っても良いの?」
「亜人の俺と一緒ならば大丈夫だよ」
「そう……」
こんなにも都合のいい話があるのだろうかと、ステラは生返事をした。
孤児院からヘイズ家に行ったときも、前線へ行ったときも、ユルルクに来たときも、新しい土地へ行く度にステラの世界は広がった。
特にユルルクに来たときは、大陸一の街だと思ったほど当初は感動した。
しかし人の話を聞けば、もっと素晴らしい街が数多くあるというではないか。興味が湧かないはずが無かった。
「無理強いはしない。だが俺が不在の間は訓練に付き合えないから、時期だけは相談しようと思っていたんだ。一ヶ月以内に判断してくれ」
「ありがとう」
ステラは夜風を思い切り吸って、ぽーっとしてしまった頭を冷やす。
(私がいない間、怪我人がでたら……ううん、マダム・シシリーは大丈夫だって言ってた。現に一年前は臨時治療院なんて無かったもの)
自分がいなきゃ駄目だという傲慢な思い込みを振り払う。
代わりに別の思いが膨らむ。
(ハルの故郷ってどんなところだろう。それにハルがそばにいなくなるの寂しいな……もし国に帰ったままになって、これでお別れとかになったら辛い)
ステラとリーンハルトは出会ってからほぼ毎日一緒に過ごしている。たった数ヶ月だけれど、隣にいるのが当たり前に感じ、今ではひとりで森に行く感覚が思い出せないほどだ。
「アマリア公国に行こうかな」
「もう決めて良いのか?」
「うん。念の為、出発の日程はギルドと相談したいんだけど良いかな?」
「もちろんだ!俺も一緒に相談しに行くよ」
リーンハルトは上機嫌に答えた。
優しいリーンハルトのことだ。ステラを気遣って無理して誘ってくれたんではないか、と不安だったが杞憂だったようだ。
「楽しみだね」
「あぁ、ステラが一緒で嬉しい」
「――――っ」
無邪気な彼の言葉に心臓がドキリと跳ねた。
いつも大人びているのに、時々少年のように幼い態度になるから驚いてしまう。
そして、まただ。今はドラゴンの姿なのに、後ろ姿しか見えていないのに、前と同じくリーンハルトがキラキラして見える。
「私も初めての旅が友達と一緒で嬉しいよ」
友達だから――――と、ステラは自分に言い聞かすように、キラキラして見える理由をこじつけた。
翌日すぐにふたりはマダム・シシリーの暇を見計らって相談した。
先週、臨時治療院の新指針を決めたばかりだったので、マダム・シシリーはカウンターに頬杖をついたまま驚き顔だ。
しかしすぐに笑顔になった。
「経験は財産よ。ステラちゃんが知見を広げて帰ってきてくれると嬉しいわ♡ちなみにどこなの?」
「アマリア公国です」
「俺の帰郷に合わせて一緒に行こうと誘ったんです」
「まぁ、本当に貴重な旅になりそうね!土産話が楽しみだわ♡」
マダム・シシリーは嫌な顔一つせず、賛成してくれた。
「それでですね、マダム。臨時治療院もありますし、出発時期の相談なんですが――――」
そう言うやいなや、ステラの後ろからガシャンと剣が落ちる音がした。
振り返るとこの世の終わりのような顔をしたアーサーが立っていた。
「ステラ、旅に出るって本当かい?しかもその亜人くんと」
「はい。アーサーさんの言うとおりに、素直になって外に出てみることにしたのです」
「ははは……それなら僕たちと一緒に」
「友達のハルと行きたいんです。いい加減邪魔しないで下さい」
「――――なっ」
アーサーはわなわなと体を震わせ、今にも倒れそうだ。
「ぷぷ、友達以下ぁ〜ほらやっぱり押し過ぎは嫌われるんだよぉ。ねぇアーリャ」
「振られてるの。下手な遠回しで、拗れて、気付かれてないの。とてもウケルの。ね、ミーリャ」
イーグルのメンバーで双子の女性が前に出てくる。年上とは見えないほどの童顔で、ともにミステリアスな雰囲気をまとう黒髪のふたり。ポニーテールが姉のアーリャ、ハーフアップが妹のミーリャだ。
この二人がイーグルの魔法使いで回復術士の立場を担っている。
「まぁ、うちら暫くユルルクにいるしぃ、全部任せてぇ、今のうちにいきなよぉ。アーサーたんがいつも迷惑かけている詫びぃ。むしろステラたんはしばらく帰ってこなくていい」
「そうなの。ゆっくりするといいの。話聞いたけど、ギルドのみんなもアーサーたんもそれぞれ身を以て反省すべしなの」
まさかの援護にアーサーは白目を剥いた。折角の砂漠の国王子系の美形が台無しだ。
あれだけグイグイきて、何が遠回しなのか意味不明だが、ステラとしては双子の申し出は有り難いことだ。
「アーリャさん、ミーリャさん、ありがとうございます!アーサーさんはともかく、お二人が困ったときはお助けします」
「ステラたん可愛いぃ〜アーサーには勿体ないぃ。逃げて正解」
「お土産待ってるなの。伝統的な古いのが嬉しいの」
ステラはアーリャとミーリャに挟まれるように抱きしめられ、顔を緩ませた。
マダム・シシリーはいくつかあった心配の種が無くなり、胸を撫で下ろしているようだった。
女性陣で問題を解決している間に復活したアーサーは、リーンハルトに詰め寄っていた。
「リーンハルトという名前だったかな?」
「な、何か?」
その目は鬼気迫るものがあった。
リーンハルトはアーサーの異様な雰囲気に若干引いている。
「どんな手を使ったか知らないが、ステラに安易に触れるなよ」
「…………何のことだ?」
「ずっとふたりきりだぞ?僕は君が優しいステラに付け込み、無理強いしないか心配だと言っているのだよ。そんなことをしたら斬る」
リーンハルトの実年齢はともかく、見た目は年頃の青年だ。アーサーはリーンハルトに下心があると決めつけ、忠告していた。
それにステラはムッとした。
「アーサーさんまでハルと私を色恋沙汰の対象に見ないでください。ハルは私を大切な友達だと言ってくれました。嘘をいうような人じゃありません!ね?ハル」
ステラは言い切った。若葉色の瞳は濁りが一切なく、リーンハルトに全幅の信頼を寄せていることを表していた。
「はは、なら良いんだ。良き友達なら安心だ。リーンハルト、友達の信用を裏切らないようにね」
「えぇ、もちろん」
何故かアーサーの機嫌は戻った。
一方でリーンハルトの笑顔が作りもののように見えた。しかしそれは一瞬で、ステラは見間違いだと気に留めなかった。
「ハル、いつから行く?」
「旅に必要なものを揃えるから、ちょうど一週間後に出発しよう」
「うん!分かった」
こうしてステラの初めての旅が決まった。