15 訪れる変化
「ハル、待って!」
ステラの声はリーンハルトを引き止めることが出来なかった。彼の背はギルドの扉の外へと消えた。
(追いかけたいけど、まだ怪我人が……でもハルは私の事を思って)
迷いは一瞬だけだった。
静まり返っている冒険者たちの方を振り返り、がばりと頭を下げた。
「ごめんなさい。皆さんが自分の都合を優先するように、私も自分を優先します!今日は閉店。また次回お越しください」
誰も文句を言わない。
ステラはなけなしの魔力を使って、ハルを追いかけるためにギルドを飛び出した。幸いにも遠目に背中が見えるところにリーンハルトはいた。
街中だろうが身体強化を使い、彼の近くまで駆けた。
「ハルーッ!」
「――――ステラ?どうして」
振り返った彼は意外なものを見る瞳をしていた。ステラが追いかけてくるとは思っていなかったのだろう。
そう思うと何だか胸がチクリと痛む。ステラにとってリーンハルトを優先するのは当たり前だというのに。
ステラは手を伸ばし、次こそ振り払えないようにしっかりとリーンハルトの腕を掴んだ。
「ハル、ごめんなさい。私がしっかりしてれば、私が――――」
「ステラ、泣かないでくれ」
顔にリーンハルトの袖を押し当てられ、ステラは自分が涙を流していたことに気が付いた。
怖かったのだ。リーンハルトが怒り、愛想を尽かし、離れていってしまうのが。
その不安もすぐに薄れた。ステラの涙を拭くリーンハルトの手は優しく、彼女が落ち着くのを静かに待っててくれていることが分かったからだ。
「ねぇ、ハルの言おうとしたこと教えて下さい」
「しかし…………分かった。場所を移そう」
ステラの頑なな視線にリーンハルトは折れた。
そしてふたりは街が一望できる展望台に登った。夜景が人気のスポットなのだが今は昼。人は誰もおらず貸切状態だ。
ふたりは無言で登りきり、ベンチに腰掛けた。
先に口を開いたのはリーンハルトだった。
「誰でも助けたいというステラの気持ちは知ってる。そのお陰で俺も助けられたし、感謝もしている。応援したいと思った。でも……」
リーンハルトは俯き、静かに語る。
「自分を救ってくれた力は希望の力なのに、軽視されていることに、大切にされていないことに腹がたった。冒険者にも、仕方ないと受け入れるステラにも。当たり前じゃないのに。治ることは当たり前じゃないというのに……っ」
最後は絞り出すような声だった。
たった二ヶ月の付き合いだけれど、何度も一緒に森へ行っているステラは、リーンハルトが狩りに慎重なのを知っている。
病のせいで誰よりも死に敏感で、死の恐ろしさを知っており、生を最優先して動くからだ。
少しでも命を蔑ろにする行為が許せなかったのだと、リーンハルトから伝わってきた。
「そうだよね……治るから、怪我をしても良いわけじゃないよね。私のやってることは、遠回しにみんなを油断させ、危険に晒してたんだね。今日だって全員治せなかった」
最西にあるダンジョンの前線の記憶が今日の光景と重なる。
魔物を倒すために無理をする騎士が多かった。当時は当たり前だと思っていた。
怪我で済めば良いが、無理をして四肢のいずれかを欠損して退役する騎士もいた。
(何が騎士から礼の言葉を聞いてないだ。治してもらえると疑わずに戦っていたんだ。でも現実は治らなくて……むしろ治せないことを責めないように我慢してたのかもしれない。私はなんて傲慢なんだ!ほら、はじめから私は聖女じゃなかったんだ)
ステラは悔しさで下唇を噛んだ。
「ステラ!血が出てる。すまない。責めるつもりで言ったんじゃないんだ」
「ハル謝らないで。逆に感謝してるの。ハルが言ってくれなかったら私はずっと知らないままだった。後悔では足りなくなるところだった」
幸いにもまだ心は折れていなかった。手遅れになる前に気が付けた。
今はもう聖女ではない。
聖女のときは全ての人をすべて平等に、魔力ある限り際限なく回復魔法を使うべしと言われ、疑うことなく使っていた。
欠損まで治せる聖女オリーヴィアのような力もないというのに、自分の力を過信していた。
(他人の判断に甘えていた私は終わり。今は回復魔法の使い方を自分で選択できる。きちんと考えるのよ)
膝に乗せていた手を強く握り、拳を作った。
「ハル、本当にありがとう!あなたのお陰で私はまだ腐らずに頑張れそう」
「怒ってしまった俺に、ステラはありがとうって言ってくれるんだな」
「もちろん。私のために本気でみんなに意見して、私自身にも言ってくれて……それにいつも訓練に付き合ってくれて、薬草採集も代わりをしてくれて、対等に話してくれて……ありがとうが尽きないよ」
リーンハルトはいつもステラのために行動してくれている。
正義感や単なる恩返しとは違う、別の優しさを感じるのだ。どうしようもなく嬉しくなり、離しがたい優しさを彼は与えてくれている。
「ねぇ、ハルはどうして私に優しくしてくれるの?」
答えが欲しくて、ステラは見上げるように若草色の瞳をリーンハルトに向けた。
彼は少し困惑したように目を見張った。
(相変わらずきれいな金色の瞳……あれ?ハルってこんなに格好良かったっけ?)
リーンハルトはイケメンの部類に入る。青い髪は神秘的で、金色の瞳は宝石シトリンのようで、目鼻立ちは整っていることは以前から知っていたのだが――――
「それはステラが大切な……」
「大切な?」
ステラはしっかり答えを聞こうと彼の言葉を反復し、まっすぐに見つめる。
リーンハルトは言葉を選ぶように一度口を閉じ、数拍おいてから恥ずかしげに答えた。
「大切な……友達だから」
「――――ともだち」
ステラに衝撃が走った。
心臓が締め付けられるように収縮し、胸を押さえるステラにリーンハルトは再び困惑の表情を浮かべた。
「嫌だったか?命の恩人に対して気安かったか?」
「違うの!嬉しすぎて。私……友達が出来たの初めてなの!」
孤児のときは、同世代は家族や仲間というくくりだった。
ヘイズ家では外出は許されず、機会すらなかった。
ヘイズ家を出て前線に行けば特殊な立場で友達ができるはずもなく。
ユルルクに来てから他の冒険者とはビジネスライクな関係で、仲は良くても先輩後輩という言葉がしっくりしていた。
「だからハルは違って見えたんだね」
「何が?」
「ハルがね、特別キラキラして見えたの何故だろうって思ってたの。友達だからだったんだね!」
「――――っ」
ステラが満面の笑みであるのに対し、リーンハルトは両手で顔を覆って天を仰いでしまった。
「ハ、ハル?」
「……いや、俺もいまステラがキラキラして見えた」
「同じ、ですね!」
「だな!それに今更敬語に直さなくても良いよ。タメ口で話してくれたほうが嬉しい」
リーンハルトは顔にあった手を外して、少し照れたように笑った。
また胸がキュンと音を鳴らして弾けた。
そしてどこか懐かしくほろ苦い気持ちと、新鮮で甘い気持ちが混ざり合う。その気持ちには覚えがあるが、すぐには思い出せない。
「ステラ、ご飯途中だっただろう?街で食べよう。付き合う」
「ありがとう。実は新しいお店がね――――」
ふたりはベンチから立ち上がり、階段を降りていく。
ステラがその気持ちに気が付くのはもう少しあとのことだった。