13 ユルルクの日常
ユルルクの森の中間エリアでは、ステラの声が響いていた。
「氷槍」
動きの速い黒狼を狙うが、避けられてしまう。または当たっても丈夫な黒狼の毛皮を貫通させることができない。
まだまだ魔法の練り方が甘い証拠だ。
(もっと速度を上げて狙わないと当たらない。でも速度を上げると威力が弱くなる…………でも魔力を込めすぎると刺さるんじゃなくて、潰してしまう)
貫通させなくても魔法が当たればダメージは蓄積されていく。そのうち黒狼は倒れるだろう。
しかし何度も攻撃を受けた皮は傷つき、査定額が減額されてしまう。それでは無意味だ。
「どうしたら……」
「ステラ!」
「え?」
思考が深みに入りかけた瞬間、目前まで黒狼が迫っていた。
しかし黒狼の爪はステラに届くことなく、遠くへ飛ばされた。リーンハルトが割り込み、放り投げたのだ。
「ハル!」
「ステラ、集中して。今は素材の出来よりも練習だ。とにかく数を打って慣れるんだ」
「うん。氷槍」
気持ちを切り替えて、再び向かってくる黒狼への攻撃を再開する。
距離を詰められないよう駆け回りながら、ステラは氷魔法を打ちまくった。そのうち一発が黒狼の脳天に当たり、倒れた。
「ハァ、ハァ……死んだかな。水球」
念の為、黒狼の頭を水で覆って確認する。
一分経過しても空気が出てこない。きちんと絶命したようだ。
「ステラ、大丈夫かい?」
「はい。死んだようです。でもやっぱり……」
「たった一ヶ月、しかも週に数回の実践で簡単には上達しないよ。焦らず経験を重ねよう」
「ありがとうございます」
ステラの上達が遅いほど、リーンハルトの時間が奪われるというのに彼は急かすことをしない。
そしてリーンハルトは万能だった。
森に入れば必ず魔物に遭うわけではない。そういうときリーンハルトはドラゴン特有のスキルなのか、魔物の居場所を突き止め案内してくれた。
ステラが魔物に後れをとれば、先程のようにフォローしてくれる。二体目が来たらそれで練習ができるよう気絶させて残しておいてくれる。
(高ランクの魔物まで無傷で気絶させるなんて強すぎる。人の姿はドラゴンの姿より弱いって聞いてたのに)
腕だけ獣化したとしてもリーンハルトの体格は特別大きいわけではない。体躯だけならオジサマ冒険者たちのほうがゴリゴリムキムキしていて強そうだ。
つまりリーンハルトの見た目もやることもスマートなのだ。
その上練習の方法まで提案してくれて、至れり尽くせりとはこのことだった。
「ハルが格好良すぎる」
「何か言った?」
「なんでもありません。また短剣の使い方を教えて下さい」
「いいよ。じゃあ、この黒狼を固定しよう」
リーンハルトの言うとおりに倒した黒狼を氷漬けにして、立っているような形で固定した。
そして短剣で黒狼の喉笛を狙う。凍っているため毛皮が固くなっており、なかなか切り込めない。
「刃の根元から先端までを全部使うように滑らせて」
「はい!」
「入射角度をもっと浅くしてごらん」
「あ、少し切れた」
武器の扱いが苦手なステラは魔物を氷漬けにして動きを止めたあと、いつも他の冒険者にトドメを任せていた。
氷刃などの魔法でトドメをさしても良いが、短剣も使えた方が魔力の節約にもなるし、倒し方のバリエーションは多いほうが良い。
「一発で刃が通るようになってきたね」
「ハルのアドバイスのお陰です」
他の部位でも練習し、黒狼はすっかりぼろぼろだ。お金にはならないが、それ以上にいい経験が得られた実感がある。
ステラは手を閉じて開いてを繰り返し、ニンマリした。
「ステラは嬉しそうだね」
「この年になってまだまだ自分が成長できるって分かったんだもん。すごく嬉しいです。それにこうやって手取り足取り誰かから教わるのも初めてで、それも嬉しくって」
「じゃあ今まではひとりで?」
「実践はね。本で知識を与えてくれた人はいたけど、その人は体が弱くて」
ヘイズ家でも前線でも捨てられたくなくて、必要とされたくて、生き残るためにがむしゃらに魔法を使った。
求められていた回復魔法は出来るのが前提で、神聖化された中でステラから教えを求めることは難しかった。
十四歳だった彼女はその状況を黙って受け入れることしかできなかった。
一番親しいと思っていたライルにも嫌われたくなくて、好きになって欲しくて、終に頼ることはなかった。
その結果ステラの魔法は水氷の属性に偏った。
「頑張ったね」
「そうなのかな?」
「魔法を見れば分かるよ。頑張らなければ、回復魔法も他の魔法も人を救うことに特化した魔法にはならない」
「――――!」
ステラに向けられたリーンハルトのシトリンの眼差しにドキリとした。瞳には同情の色はなく、ただ純粋な敬意を示すものだった。
(頑張りを褒めてくれた。過去を知らないのに、それまで褒めてくれるなんて)
義兄レイモンドのように罪悪感も乗っていない。それがこんなにも嬉しいのかと初めて知った。
「どうした?」
リーンハルトを見つめ黙ってしまったステラに、彼は心配する表情を向けた。
「やっぱりハルは格好いいなって」
「ステラ、少し優しくされたくらいで簡単にそういう事を言っては駄目だ。俺でなければ勘違いされるぞ」
「そうなの?だってハルが褒めてくれたから、私も褒めようかと思っただけなんだけど。嬉しくなかった?」
「いや、嬉しいけどさ。そ、そろそろ昼飯にしよう」
いつも余裕のあるリーンハルトが慌てる姿は新鮮だ。
(やっぱり可愛いって言うと怒られるかな?それに聖女という最高峰の肩書があっても誰も見向きもしなかったのに、何もない今の私が誰かを褒めたくらいで、勘違いが起きるはずないじゃない。ハルは優しいなぁ)
ステラはクスリと笑いながら、火の準備を始めた。昼ごはんはステラ担当だ。
火を熾したらお湯を沸かし粉末スープを溶かし混ぜ、次に串に刺したソーセージを炙る。
あとは朝ギルドで買ったサンドイッチを半分に千切って、大きい方をハルに渡せば昼ごはんの準備完了だ。
二人はスープを口にして、同時に温かい息を吐いた。
「やっぱりスープがあるか無いかで気分が違うな」
「そうなんですよ〜安いのに簡単にリッチな気分になれるんですよ」
「これも冒険者の知恵か」
リーンハルトは経験豊富そうで、このように疎いこともある。ステラもこんな時だけはちょっぴり先輩気分だ。
「パーティを組んでいる人は比較的作ります。ソロだと面倒で作らない人も多いですが、そんな手間でもないので私は作ることが多いですね」
調味料と乾燥野菜を瓶に入れて混ぜておけば出来てしまう。
昼食中も魔物の出現に警戒しなければいけないが、ずっと気を張りすぎていては長持ちしない。スープはそんな精神面に癒やしをくれるものだ。
「旅人は作らないんですか?」
「団体専用の移動馬車をやっている商会ならスープは出たかもな。でも俺は亜人で、病のせいで人前に姿を晒せなかったから個人で動いてたんだ。だから発想すら無かった」
「そういえば、あれから体の調子はどうですか?ぶり返したり、再発したりは」
実は聞くのが怖くて避けていた話題を出した。
「全くない。俺がどこか悪そうに見えるか?」
ステラは首を横に振った。
リーンハルトの動きは俊敏で、顔色は相変わらず色白だが青白さはなくなり健康さが増したほどだ。
「本当に私、治せたんですね。ようやく実感が湧いてきました」
「ステラはもっと自信を持ったらいい。あの時消えそうになっていた俺の命を救ったことは間違いないんだから」
リーンハルトはパクっと残りのサンドイッチを口に放り込み、熱々に焼けたソーセージにかぶりついてあっという間に平らげた。
ステラは遅れて、ふーふーと息を吹きかけてから慎重に食べる。
この時もリーンハルトは急かすことはなく、剣を磨きながら時折見守るような視線を送ってくるだけ。
(ハルといると緊張せずに過ごせる……付き合いは長くないのに)
いままで助けた人はステラを崇拝してくるか、あるいは利用しようと支援系の魔術士を見下す人が多かったが、リーンハルトは対等に接してくれる。
それに誰かと組むと、過去を詮索されたり、役割を押しつけられると思い、誘いを断ってきた。
でもリーンハルトといると、その考えも変化しそうだ。
(不思議な人。少し一歩踏み出してみようかな)
ステラは今度からはリーンハルトにもう一本ソーセージを用意してあげようと思った。