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10 ユルルクの日常

 

 数分後、リーンハルトの涙は引っ込み、別の意味で体を震わせていた。



「あの、目覚めに言ってたこと忘れてくれないか?自分でも歯が浮きそうだ……頼む……あぁ、なんで俺はあんな風に」



 冷静になり、いまになって甘すぎた台詞が恥ずかしくなったようだ。頭を抱えて眉間に皺を寄せている。



「死ぬ思いをしたら、現実逃避で天使や女神の幻覚くらい誰だってありますから、そんなに気に病まないでください」

「……すまない。色々と情けない姿を見せた。改めて自己紹介をしよう。俺の名はリーンハルト。見ての通り亜人だ。いままで病気を治す方法を探すために国を出て旅をしていた」



 ステラは改めてリーンハルトの姿をチラリと観察した。金色の瞳に、青い髪、耳は少し尖っていて、肌はステラよりも色白、爽やかな容姿の二十歳ほどの亜人の青年だ。


 病気が治ったおかげか、今は見える範囲の肌から鱗は消えて、瞳孔も縦長ではあるが先程ほど細くはない。 



「私はステラです。ユルルクで冒険者をしています」

「ステラ殿、あなたは素晴らしい回復術士だ。改めて礼を言う。本当にありがとう。最大の感謝を」



 リーンハルトは胸の心臓のあたりに拳を当てて、頭を深く下げた。



「頭をあげてください。私も先日助けてもらったので、お互い様です」

「そんな訳には行かない。謝礼が必要なんだろう?命を助けてもらったというのに、俺は払えるほどの対価を持ち合わせていない」



 ギルドでのやり取りを見ていたためか、リーンハルトは申し訳なさそうに視線を落とした。



「大丈夫です!リーンハルトさんには無料回復券が発行されていたので、対価は必要ないんです。それに対価は定額ではなく報酬の三割なので、無料券がなくても雷熊の素材を頂ければ十分なんです」

「たったそれだけの見返りで、他人を助けているのか?割に合わない」

「そうでもないですよ?」



 聖女時代よりも楽して稼げる美味しい仕事だ。

 ステラとしては自分の所用のついでに「贈りつけ商法」のごとく回復魔法を使っているので、小遣い稼ぎのようなものだ。



「……本物の天使か女神じゃないか」

「え?何ですか?」

「いや、俺は随分と幸運だったなと。俺の種族はもらった恩は倍返しって決まってるんだ。俺にできることがあれば考えておいて欲しい。そうでなければ勝手に礼を送る」

「は、はい。考えておきます」



 聞き取れなかった言葉を誤魔化された上に、反論を言わせぬ迫力があり、ステラはすぐさま頷いた。



 そしてステラはこの後の行動を相談するために地図を出した。

 現在の位置と時間を説明し、野営を提案した。薬草は十分に収穫したので群生地に戻る必要もなく、翌日一緒に街に戻る計画だ。


 しかし既に陽は傾いているのに、リーンハルトは首を縦にしない。



「陽がしっかり沈んで、闇夜になったら街まで送ろう。俺は夜目が利くし、もう発作の心配はないからステラ殿を街まで安全に送ることができる」

「でも……」

「恩人には安全な場所で寝て欲しいんだ。大丈夫、ステラ殿は何もしなくて良い。俺に任せてくれ」



 また含みのある言い方が気になるが、笑顔のリーンハルトの圧には再び逆らえず、ステラは素直に頷いた。

 そして夜、ステラは彼の先導でなぜか再び薬草の群生地に戻ってきていた。



「ここなら十分広いな。ステラ殿は少しだけ離れててくれ」

「はい」



 リーンハルトが大きく息を吸い込むと、彼の体がほんのり発光し始めた。消えていた鱗が再び肌を覆い、口元から牙が生え、鋭い爪が伸びていく。最後にパッと強く光った。



 ステラは眩しさで目を瞑り、再び目を開けて入ってきた光景に腰を抜かした。



「ブルードラゴン?うそ……」



 群生地の真ん中に黄金の瞳を持つ青いドラゴンの姿があった。

 伝説ほど巨体ではないが、雷熊の倍以上の大きさの体に、皮膜のついた大きな翼は圧巻だ。


 もう数百年前を境に、ドラゴンは目撃されていない。今では絵本にでてくるような幻の存在だ。

 先程までいたリーンハルトの姿が見当たらない。




「もしかして、リーンハルトさんですか?」

「そうだ。先祖が竜人でね。俺は先祖返りが色濃く、ドラゴンの姿になれるんだ。絵本に出てくる神の使いであるドラゴンとは違うよ」

「は、はぁ」



 鱗の肌から、ステラは勝手にトカゲや蛇の亜人と思っていた。

 ドラゴンとは微塵も想定しておらず、ただ唖然とするしかない。



「あまり人に見られるわけにはいかないから、夜まで待たせてもらった。さぁ首のところに乗って」

「は、はい。失礼します!」



 リーンハルトは乗りやすいように体を地面に伏せた。

 ステラは恐る恐る首の根元を跨ぐように乗り、首に抱きついた。



「しっかり掴まってて」



 そう彼が言うや否や、一瞬のうちにステラは空にいた。

 衝撃は飛び立ったときだけで、今は風が心地良いくらい安定している。翼ではなく、魔法で飛んでいるようだ。

 群生地は既に遠く、西の方角を見るとユルルクの街の夜景が見えた。



「飛んでる。飛んでます!」

「怖くないかい?」

「むしろ感動してます。凄い……リーンハルトさん凄いです!まるで自分も星になった気分です」

「ふっ、じゃあ街まで行くよ」



 リーンハルトはゆったりとした動きで、街に向かって飛び始めた。それでも地上を行くよりも速い。

 しかも野営をしている他の冒険者が時折見えるが、誰も気づかないほど静かだ。




「ステラ殿はこの姿を見て驚いても怖がらないんだな」

「だってリーンハルトさんだって分かってますから。それと殿は付けずに呼び捨てでいいですよ。冒険者の皆さんはフランクですから」

「では遠慮なく。ならばステラ、俺のことはハルと呼んでくれないか。さん付けもいらない」

「分かりました、ハル」



 こんな貴重な機会は二度とないと思い、ステラはキョロキョロと見渡し景色を目に焼き付ける。


 そしてさり気なく鱗の質感も確かめる。色ガラスのような透明感に艶があり、硬いのに手に馴染むような質感はうまく表現ができない。



「ステラ、くすぐったい」

「ごめんなさい!ドラゴンに触るの初めてでつい。というより亜人を見るのも初めてで」

「興味をもってくれてるんだね。答えられることなら教えるよ。だから俺がドラゴンの亜人ということは秘密にしていて欲しい」

「もちろんです!絶対に誰にも言いません」



 そう話している間に街の近くまで来てしまっていた。

 ドラゴンの背の旅はおしまいだ。非常に残念だが我儘は言えない。



「ハル、どうやって降りるんですか?このまま降りたら皆さんに知られてしまいます」



 夜といえど街中はまだひと目が多い。ステラが心配していると、リーンハルトのくすりと笑う声が聞こえた。



「首に回した手を絶対に離さないで。あと口を閉じて声を我慢して」

「え?」



 またリーンハルトの体が光る。瞬きの間に次はドラゴンから人の姿に戻っていた。


 太かった首はもうなく、ステラは人の姿のリーンハルトに抱きついていた。

 ステラの腰に彼の手が回され、金の瞳に自分の姿が映っていると確認できる顔の近さに息を呑んだ。



「落ちるよ」

「――――●△✕◎!?」



 リーンハルトが笑顔で宣言したと同時に二人は浮遊力を失い、真っ逆さまに落下を始めた。息を呑んだおかげで声は出ない。


 あっという間に地面が迫るが、激突することなくふわりと足が着いた。

 街の一歩手前の森の中だ。ゆっくりとリーンハルトから体を離した。



「……」

「怖がらせてしまったかな?」

「……あ、あまりにもすごい事が起こりすぎて驚いてしまってるだけです。こんな体験も初めてです」

「ステラの初めてになれて良かった」



 リーンハルトの笑顔は表裏を感じさせず、ステラまで笑顔にさせられる。

 言葉を交わしたのは今日が初めてだというのに、不思議な感じだ。



「送ってくれてありがとうございます。私はアパートに帰りますが、ハルは今夜どうするんですか?」

「もうひと飛行したら宿に行くよ。久々の空は気持ち良かったし、少し考え事もしたいから」

「そうですか。気を付けてくださいね」

「ステラこそ気を付けて。またギルドへ行くからそこで会おう。おやすみ」

「おやすみなさい、ハル」



 ステラは森の中に戻っていくリーンハルトに手を振り見送った。



「は、ははは、夢じゃないよね?世界は広いなぁ」



 アパートに向かっている間、まだ体も気持ちもふわふわと浮いているようだった。



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