第六話 相談
「ゴブリン?」
「ああ」
親父さんの言葉に、俺は耳を疑った。親父さんは確かに、『ゴブリン』と言ったのだ。
「ゴブリンって、あれだろ? 緑色の魔物」
「そうだ。そのゴブリンだ」
ゴブリン。背が小さく、尖った耳と鉤爪のような鼻、それから緑色の皮膚が特徴的な魔物だ。個々の戦闘力は低いが、群れる特性があり、人ほどではないが知性を持ち合わせるため、時には町一つを滅ぼすほどの脅威となり得る……。
それが、ゴブリンという魔物だ。実物を見たことはないが、なんとなく、どんな見た目なのかは想像ができる。
「そのゴブリンが、この近くに出たって?」
「その通りだ」
大きな鉈を手入れしながら、親父さんはそう言った。
親父さん曰く、狩りの途中で見つけた不可解な足跡が気になり、辿ってみると、ゴブリンたちが森にある洞窟の中に入っていくところを見かけた、と。
だが……そんなことがあるんだろうか?
そもそも、ゴブリンなどの通称『魔物』というのは、どこにでもいるモンスターというわけではない。この世界に満ちている『瘴気』というものが濃い場所にだけ発生するものだ。瘴気の薄い場所や、存在しない場所では、存在することさえ許されない。瘴気というものそのものが、奴らの生命エネルギーとなるからだ。
奴らは、瘴気が濃い場所で自然的に発生する。しかし、この村周辺に魔物が発生するほど瘴気の濃い場所など存在しない。仮に別の場所で発生した魔物であっても、この村の近くまで来ることは不可能だ。
「そんなこと……あるの?」
「無いから困ってんだろ。この村で暮らしてきて、ゴブリンなんざ見たことねえ」
ですよね、などと思いながら、俺も俺で、バン爺さんにもらった剣を研いでいた。
ゴブリン……いや、魔物。それが本当だとするなら一大事だ。魔物の戦闘力は、野生の獣のそれとは比較にならないほど高い。もちろん、一ヶ月前に戦ったあのグリズリーなどと比べると、ゴブリン個々の戦闘力は劣るが……。
奴らの脅威は、その数。獣のように生殖行為で繁殖するのではなく、瘴気溜まりから自然に発生するもの。故に、時に爆発的な数の魔物が生まれることになる。親父さんが見かけたゴブリンは数匹。だが、洞窟の中にどれだけの数がいるかは分からない。
かと言って、村の猟師全てが駆除に出るわけにもいかない。獣と違って、奴らには知性がある。陽動部隊が猟師を引き付け、その隙に村を襲う、なんていう手を使う可能性もある。戦いに不慣れな若い男たちと、戦い慣れた猟師が数名。少なくとも、それだけは村に残らなくてはならない。
実際に駆除に動く人手を減らすことも難しいし、村にも数名は残らなければならない。この小さな村には、それほどの戦力があるわけではない。ゴブリンたちの規模によっては、最悪、村を捨てて逃げるか、別の村や町に救助を求めることになるだろう。
この近くにある一番近い町となると、キベリスク王国の王都、レムナシア。かの勇者というやつが呼び出された町でもある。
「王都に行けば、冒険者やら騎士様やらの力は借りられるだろう。だが、瘴気も無い場所でゴブリンが出たなんて話、お堅い騎士様たちはまず信じない」
「じゃあ、冒険者は?」
「ギルドに討伐を頼むこと自体はタダだ。放っておけば王都にも被害が出るからな。ただ、本当にゴブリンがいるのか、その調査を依頼するのに金がいる」
群れの数によっては、討伐依頼に依頼料は必要ないらしい。もしそれで、さらに数が増えでもすれば、今度は王都にも被害が及ぶからだ。
しかし、中にはいたずらや勘違いで依頼を出すものもいる。そのため、本当に魔物がそこにいるのか、群れになっているのか、それを調査するための依頼に金がいる。
ただしこちらは、前金として金が必要な代わりに、討伐依頼を出すほどの事態だと冒険者ギルド側が判断した場合は返金される。
なんにせよ、王都から人を呼んで調査をして、となると日数がかかる。その間にゴブリンたちに動かれてはかなわない。
(……それに、なんだ、この嫌な感じ……)
王都。勇者。騎士。そんな言葉を聞いて、胸の奥に何か『負の感情』が芽生えたような気がした。記憶を失くす前の俺に、何か関係があるのかもしれない。
冒険者、という言葉を聞いた時には、その負の感情もなかった。救援を頼むとするなら、そちらだろう。
「そこで、なんだがな」
「?」
親父さんが手入れをやめ、改まった様子で俺の顔を見た。
「ソーマ。お前、レベル上げたいって言ってたろ」
「うん?」
確かに、常々レベルは上げたい、強くなりたいとは言ってたけど……それが、今、なんの関係が?
よく分からずに聞き返すと、親父さんは、特に躊躇う様子もなく、とんでもないことを言い出した。
「ゴブリン狩り、やってみるか?」
「は?」
思わず聞き返した。しかし、親父さんの言葉は変わらない。
「ゴブリン狩りだ、ゴブリン狩り。町に応援を頼まずに、村の猟師連中だけでやるのさ」
「え、っと……それ、本気で言ってる?」
こくりと、親父さんは頷いた。
親父さんは……こう言っているのだ。町にいる騎士にも冒険者にも応援を求めず、村にいる猟師の中で希望者だけを募り、そこに俺を加えた討伐隊でゴブリンたちを狩ろうと。
「考えてもみろ。この村で暮らしてる限り、魔物となんて滅多に戦えるもんじゃねぇ。言うなれば、レベルを上げる良い機会なんだ。お前にとっても……他の奴らにとってもな」
それは、確かにそうだった。この村の付近に瘴気の濃い部分はない。この村から出なければ、魔物と戦うことはない。戦うことが『できない』と言い換えることもできる。
何度も言う通り、野生の獣程度ではレベルというものは大して上昇しない。瘴気から発生した魔物を倒すことが、レベルを上げるための近道なのだ。
ならば……強くなりたい俺と、早急に強くなる必要があるわけではないが、レベルを上げたいと願っている猟師たち。この組み合わせでゴブリンを狩れば、『結果的には』強くなれて万々歳というわけだ。
ただし、それには条件がある。
「確かに、それはそうだけどさ。それは『勝てるなら』の話でしょ?」
この話には、最も重要な『前提条件』がついてまわる。応援を求めず、俺たちだけでゴブリンを狩れる、というものだ。いくらレベル上がりやすいとはいえ、死んでしまっては元も子もない。
「そうだ。だから、決定権はお前にある」
「俺に……?」
親父さんが静かに指差したのは、俺だ。
「ゼドの爺さんにも話は付けてある。お前がやると言うならやる、やらないと言うなら町に応援を頼む。そういう約束でな」
ゼドの爺さん、というのは村長のことだ。村長がそれでいいと許可しているらしい。
それは、恐らく、俺の力のせいだろう。この村で俺の力を知らないのは、まだ無邪気な子供たちくらいだ。『不死』という力を持っていることは、村の皆が知っている。
例外として、一ヶ月前の段階ではミレイがこの事実を知らなかったが、あのグリズリーとの戦いで知ることとなった。他にも俺に興味がなく、知らない村人もいたことにはいたのだが、やはり、二度目のグリズリー討伐でいなくなってしまった。
「それは……俺が、死なないから?」
「ああ。酷い言い方に聞こえるかもしれんが、お前は死なない。死なないってことは、いずれ殺せるってことさ」
死んでも死んでも生き返る。グリズリーとの戦いもそうだ。俺は何度も何度も傷付き、死んだが、何度も何度も生き返った。身を引き裂かれるような激痛に耐えながら、何度も死ぬことでグリズリーを討伐した。
要は、精神力が高かったからだ。だからあの痛みにも耐えられる。
親父さんは常々言っている。この世界は、『勝つか負けるか』ではない。『生きるか死ぬか』、それとも『殺すか殺されるか』だ。俺は死なないし、殺されない。ならば残るのは、生きて殺す……それだけだという理屈。
分からない話でもない。ゴブリンが百体いようが二百体いようが、たとえこれが千体でも二千体でも。普通の人間なら途中で死んで終わりだろうが、生憎、俺には死という概念が存在しない。相手を殺し切るまで、止まることはないのだ。いずれは、その全てを殺して、終わらせることができる。
もちろん、それで周りに被害が及ばないかと言われれば、そうでもない話だが……だからこそ、俺に決定権があるというのが、分からなかった。
「なんで、俺に決定権が……?」
「この二ヶ月で、お前はあの巨大なグリズリーを二頭も討伐してるだろ。それも、被害を出さずにだ。その功績を考慮して、だな」
「皆を守れって?」
「そういうこった」
俺はこの村に来て二ヶ月で、普段なら数人の犠牲を出すはずの巨大なグリズリーを、一切の被害を出さずに、二頭駆除している。その功績を買われたのだろう。そんなもので、いいのか。
親父さんは鉈の手入れが終わったのか、立ち上がり、大きな鉈を片手に扉に手をかけた。
「お前が、痛みに耐えてでも強くなりたいって言うなら、これは良い機会だと思う。返事は今日の夜まで待つ」
「うん、分かった……考えとく」
そう言い残して、親父さんは出かけた。どこへ行ったのかは分からないが、知る必要もないだろう。
……ゴブリン討伐。魔物を倒してレベルアップしたいかどうか、か。できるできないは別として、何度も俺が死ぬか……何度、その激痛に襲われて、その痛みに耐えられるかどうか。
(そんな難しい話、俺にするかなぁ……)
一人で、頭を抱え込んだ。どうしよう。