第五話 狩猟解禁
それから、一ヶ月が経った。グリズリー騒ぎも漸く収まり、事態の収拾を察知した親父さんによる、新人猟師ミレイの猟解禁が言い渡された。
グリズリーのこともあってか、親父さんはこの一ヶ月、ミレイを猟に出すことを渋っていた。前回は向こうが気付かないうちに逃げられたから良かったものの、次も同じようにいくとは限らない。あのグリズリーがどこから来たのか、どれだけの数がいるのか、それが分からない以上、愛娘を森に出したくないというのが親父さんの本音だったのだろう。
それは、なんらおかしいことではない。だからこそ、俺もミレイも、その決定には文句の一つもこぼさなかった。事態が収拾するまでは、森に立ち入らない。特に、ミレイは。
そして——今日。もう危険はないだろう、と村の猟師たちが口を揃えて発言したこともあって、ミレイの猟が解禁された。実に一ヶ月ぶりだ。
だがまあ、この一ヶ月も悪いものではなかった。バン爺さんの鍛冶屋に行ったあの日……あの時見たように、ミレイの弓の腕はとてもじゃないが褒められたものではなかった。それを上達させる良い期間にもなったし、俺も剣を振るための力をつける時間ができた。結果オーライ、というやつだ。
で。
「ミレイ、あそこ」
「うん、見えてる」
俺たちの前方には、野生の兎。すばしっこく、手斧で仕留めるのは難しいが、気付かれる前に弓で仕留めたり、罠を仕掛けたりと、それ以外の方法を用いれば割と簡単に狩れる獲物だ。
ただし、的が小さいので、弓で仕留めるにはそれなりの技量が必要になる。一ヶ月前のミレイならまず不可能だったが、さて。今なら……、
ミレイが茂みに隠れ、矢をつがえる。そして目一杯引き絞り、ラビートの胴体に狙いを定め……矢を放った。あれほど小さな体なら、無理に頭部を狙わずとも、胴体に当たれば致命傷になる。ミレイの放った矢は真っ直ぐと飛来し、そして。
——ドスンッ
という音を立て、木の幹に刺さった。
「あっ!?」
「あっ……」
外れたと悟ると、ミレイはそんな大声をあげてしまった。その声と矢に驚いたラビートは、一目散に逃げ去ってしまう。
今のは……惜しかった。何かを悟ったラピートが動いていなければ、確実に命中していただろう。悪運、というやつだ。
「惜しかったね」
「くぅ……仕留められると思ったのに……」
「まあまあ。猟ではよくある話だし」
悔しそうにしているミレイをよそに、俺は外れた矢を回収するために茂みから出た。木の幹に深く突き刺さった矢を引っこ抜くが、やはり、まだイカれてはいない。もう一度くらいなら使えるだろう。
「次も頑張ろう、ミレイ」
「ん……ありがと、ソーマ」
矢を手渡すと、ミレイは少し頬を赤く染めて、それを受け取った。外したところを見られて、恥ずかしかったのだろうか。矢が外れることなんて日常茶飯事。俺たち……村の猟師は所詮ただの猟師で、弓の名手でも、達人でもない。百発百中だなんてことは起こり得ない。村一番の弓の使い手であるウォンさんだって、外す時は外す。
特に、ミレイはまだ狩りを始めて二ヶ月……いや、実地での経験で言えば、まだ二度目。外すのは当然とも言えるだろう。
と、思っていたが、彼女の様子を見ているに、どうやらそれを恥ずかしがっているようではないみたいだ。なんだか分からないが、俺の顔を見て頬を赤く染めている。
……何だろう。何か、顔に変なものでも付いていたか?
「……おい、ソーマ」
そんなことを考えていると、その後ろから、親父さんに名前を呼ばれた。えらくドスの効いた声で、迫力があった。
「どうしたの、親父さん」
「お前、生半可な覚悟じゃ……許さねえぞ?」
「え……何の話?」
……一体、親父さんは何を言っているんだ? 覚悟? 何の?
「何ってお前、ミレイの」
「わーっっ! お父さんほらっ! 向こうで獣の気配! ほらっっ!!」
何か言おうとした親父さんの言葉を、ミレイが必死に遮った。何を言いたかったのか、最後まで聞きたかったが……ミレイはなんでそんなに必死なんだ?
「いやミレイ、お前は」
「お父さんっ! 獣の気配って言ってんでしょうがっ! 早く行って倒してきてっっ!!」
「お、おうっ……」
それでも何か言いたげだった親父さんは、ミレイの更なる圧力に圧され、言われるがままにどこかへ行ってしまった。
……一応、二人だけではまだ危険だって言って、付き添いで来てくれてるんだけど……なんか、申し訳ないことした?
親父さんを追いやったミレイは肩で息をしながら、顔を真っ赤にしている。さっきよりも、更に赤い。
「えっと……大丈夫?」
「だ、大丈夫っ! なんでもないよ!?」
「な、なんでもないなら、いいんだけど……」
結局、彼女が何故そこまで必死になっていたのかは分からず……その日は、淡々と猟を続けた。
その謎の事件が起こったあと、夕食時……三人で手分けをして夕食の準備をしながら、親父さんが何やら興味深い話をしてくれた。
それは……『勇者』というものについて。
初めてその名前を聞いた段階では、それが何なのかさっぱり分からなかった。だけど、話を聞いていくうち、不思議と、頭の中にそれが何であるかが、すっと、入り込んでくるのだ。元々、知っていたみたいに。
いや……そりゃあ、俺は記憶を失っているだけで、元の記憶というものは必ず存在する。だから、記憶を失くす前の俺がそのことを知っていたのなら、すっと入ってくるのも分かる話なんだけど……どうにも、そういうのではないような、そんな感覚があった。
「勇者、ねぇ……その人たち、強いの?」
興味も薄そうに、ミレイがそう問いかけた。
「そりゃあお前。魔族の王に対抗できるってんだから、強いに決まってんだろ」
「ふぅん……」
これまた、興味無さげな返事。俺は割と興味があるのだが……ミレイは、そういうことには興味がないのだろうか。
魔族の王、魔王。この世界を滅ぼそうとしている元凶であり、勇者以外には討てぬとされている、世界最強の存在。
そんなものがいるだなんて、これっぽっちも知らなかったけど……もしそれが本当だとして、勇者というやつは魔王に勝てるのだろうか?
勝てなかったら……一体、どうなるんだ?
「その勇者って人たち……魔王、ってやつに勝てるのかな」
「さあな。だが、勝ってくれなきゃこの世界は終わり……らしいぜ」
「そんなに強いんだ、魔王って」
世界最強、といわれてもあまりイメージが湧きづらい。俺からすれば、一ヶ月前に戦ったあのグリズリーでさえ、遥か高みの存在に思えた。不死のスキルがなければ、背伸びしたって勝てやしない相手だ。
それ以上となると、実力差がありすぎて、その差を脳が理解できない。具体的な、たとえばステータス値なんかで言われれば、まだ理解もしやすいだろうが。
まあ、何よりも気になるのは、そんな魔王を倒せる可能性のある『勇者』という存在だ。世界最強の存在を倒す者たち……そして。
「わざわざ勇者なんてもんを、違う世界からお呼びしてるんだ。そんだけ強いってことなんだろうぜ」
この世界の、外から来た存在。
それ即ち、『異世界人』。
俺が記憶を失くす前から持っていたという、ステータスキー。俺がそれを使うと、当然、そこには俺のステータスが表示される。
そこにははっきりと、表示されているのだ。職業に、『異世界人』と。
それはつまり、俺もこの世界の外から来た存在だということで……。
(親父さんは言ってた。勇者みたいに、こちらから召喚することもあれば、世界の気まぐれで迷い込む異世界人もいる、と……)
俺がどちらなのかは分からない。ただ、もし俺が召喚された勇者の一人だと言うのなら……
……何故、俺は一人、記憶を失ってこんな場所にいるんだ?
俺が暗い顔をしているのを察したのであろう親父さんは、バンッ、と俺の背中を叩いた。そして、耳元で囁いてくる。
「心配すんな。もしお前が勇者なら、もっとマシなステータスのはずだろ」
この村で、俺のステータスキーを直接見たのは、親父さんと村長だけ。だから、他の誰も……ミレイも、俺が異世界人という職業であることは知らないはずだ。
親父さんは心配するなって言うけど……気になるものは、気になるよな。俺が一体、何者なのか。勇者の一人なのか、それとも、迷い込んだ異世界人というやつなのか。
(だけど、もう一つ気になるのは……)
ふと、ここに来た時のことを思い出した。俺が倒れていたのは、この村のすぐそばを流れる川。俺はそこで、『傷一つない状態』で発見されたらしい。
だが、その時着ていた服には、奇妙なことに『右の袖』がなかった。左の袖は健在であるのにもかかわらず、右の袖は肩口から先がなかったのだ。
もっと言えば、胴体部分にもポッカリと穴が空いていた。まるで、何かで『刺した』ような穴が。
それはつまり、記憶を失くす直前……元の世界からこっちに来て、あの川で発見されるまでの間に、俺は『誰かに襲われ』、そして『不死の王の力で再生した』のだということ。
一体誰が俺を襲ったのかは分からない。野生の獣の可能性もあるし、人の可能性もある。そこはまだまだ未知の部分だが、現状……俺は、この村に留まった方が良い。もし俺を襲ったのが、人……たとえば、『同郷の人間』やその『関係者』だったなら。下手に姿を現せば、また襲われる可能性が出てくる。
(し、心配だ……!)
考えれば考えるほど不安になり、そして頭が痛くなってくる。無理に失った記憶を思い出そうとすると、酷い頭痛に襲われるのだ。
今は、やめよう。必要な時が来れば、その時に考えればいい。俺は今、この村で暮らす猟師、ソーマなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
……だが、何故だろう。頭が痛くて、思い出したくないと思っているのに。なのに、『思い出さなければならない』ことがあるような気がして……食欲が、あまり沸かなかった。