第三話 和解
グリズリーの駆除から二日。このスキルの良いところは、『死なない』というメリットに対してのデメリットの少なさ。唯一のデメリットといえば、痛みまでは無効化できないところだが、たとえどんな傷を負おうと再生するし、後遺症も残らない。あれだけ何度も死にかけたというのに、身体はなんともないのだ。
あのあと、流石に……ミレイには色々と問い詰められた。ミレイは俺が村に来たばかりの頃は、俺に微塵の興味もなかったこともあって、俺の力のことを一切知らなかった。死なない、そして超人的な速度で傷が癒える、そんな力を持っているとも知らないミレイは、俺の姿を見るなり大慌てで悲鳴をあげていた。
俺は死にはしないが、服は死ぬ。何度も引き裂かれ、喰われた服は穴だらけになっていて、おまけに血だらけ。何も知らずに見れば、大怪我をしていると誤解されても無理はない。
何とか親父さんと協力してミレイを引っぺがし、村まで帰ってきたはいいものの……今度はグリズリーの解体やら、村医者の一応の診察やらで手間がかかり、気付けば二日。ミレイと二人で話す機会もなく、二日が過ぎてしまった。
(……先に、話しておくべきだったかなぁ)
心配をかけたのかもしれない。あるいは、このどこか『化け物じみた力』を見て、軽蔑したのかもしれない。それは分からないが、グリズリーとの遭遇以降、ミレイはどこか俺のことを避けているようだった。
親父さんは気にするなと、俺に言ってくれたが……やはり、気になるものは気になる。ミレイとは一度、じっくりと話し合わねばならない。彼女とは今後も一緒に狩りをするかもしれないわけで、そんな時にギクシャクしたままだとやりづらいではないか。
そんなわけで、今日も朝からミレイを探しているのだが……中々どうして見つからない。親父さんに聞いても、
『朝早くからどっか行っちまったな。村からは出てないと思うが』
だと言って、あてにはならなかった。自分の足で探すしかない。ミレイの行きそうな場所に目星をつけて回ってはいるが、全然引っかからない。
(ミレイ……一体どこに……?)
あと村の中で見ていないのは、鍛冶屋や見張り台、それから訓練場くらいなものだが……まさかな。
俺は進む方向を変え、訓練場へ向けて進み出した。
訓練場。その名の通り、訓練場だ。だだっ広く整地された場所に、カカシが六体。猟師連中が新しい武器の調整をしたり、暇を持て余した若者たちがヤンチャをしたり。訓練場というよりは、大人専用の遊び場だ。
今日も今日とて、訓練場には何名かの先客がいた。その中に、親父さんに似た、炎のように真っ赤な髪の毛の少女が一人。
ミレイだ
ミレイは訓練用のカカシに向かって、弓を構えている。ミレイの性格上、まさかとは思ったが……本当に、訓練をしているようだった。
すぐに声をかけようかとも思ったが、弓を構えている状態で声をかけ、驚かせては危険だ。つがえていた矢が放たれるのを待ってから、声をかけることにした。
真っ直ぐと狙いを定め、そして、矢を放つ。想像よりも力強く、真っ直ぐに飛んだ矢は、そのままカカシの右方向へ大きく逸れ、その後ろにあった木に刺さって止まった。
……危ない。後ろに誰も人がいなくて、尚且つその進路上に木があったから良かったものの、下手をすれば怪我人が出ていた。まさか、あんなに逸れるとは。
「あ、あれ……?」
この結果は予想していなかったのか、弓を構えたまま、ミレイは首を傾げた。きっと、彼女の頭の中では、カカシのど真ん中に命中していたのだろう。
「惜しかったね、ミレイ」
「はぇっ!?」
後ろから声をかけると、ミレイは素っ頓狂な声をあげ、恐ろしい勢いで振り返った。矢を放ったあとで良かった。矢をつがえた状態で声をかけていたら、どうなることか分かったものじゃない。
「そそっ、ソーマ……も、もう体は大丈夫、なの……?」
「大丈夫も何も、異常はないんだよ? そういうスキルだから」
「そ、そう……」
ミレイは強気な性格だ。だから、普段ならこんな話し方はしない。少なからず、二日前の影響が出ているんだと思う。
困ったな。こうもギクシャクしていると、狩りの時どころか、生活していく上でも影響が出てくる。思っていたより深刻だ。早くなんとかしないと。
俺は家から持ってきたバスケットの蓋を開け、その中身をミレイに見せた。
「親父さんから聞いたけど、朝ご飯も食べてないんでしょ? ちょっと一休みしようよ」
「……そ、そうね。うん……そうしよう」
半ば強引に誘い。ミレイを訓練場の近くにあるベンチに座らせた。家から持ってきたのはサンドイッチ。あのゴツゴツとした見た目からは想像できないだろうが、実は親父さんはかなりの料理上手。幼い頃に奥さんを亡くした影響で、ずっと台所に立ってきたそうだ。
ミレイはぎこちない動作でその一つを取ると、小動物のように、大きな口で頬張った。食べる動作は、いつもの彼女らしい。
「ミレイ、さ」
「はひぇっ」
名前を呼ぶだけで、慌ててサンドイッチを落としそうになる。辛うじて落としはしなかったが、こちらを向こうとする首の動きは、まるで錆び付いた扉のようにぎこちなかった。
「……俺のこと、避けてる?」
包み隠しても仕方がないので、正直にそう聞いた。ミレイの頬を、だらだらと汗が流れていた。バレてない、とでも思っているのだろうか。
「さ、避けてない……よ?」
「バレバレ。ミレイ、嘘吐くの下手だし。露骨すぎるし」
よくいる、嘘が下手な人種。ミレイもそれだ。隠し事が苦手なのだ。だから、今回のこともバレバレなのである。
それからもなんとか取り繕おうと、なんだかよく分からない言葉を並べるミレイだったが、やがて観念したのか……がくりと、肩を落とした。
「……ごめん。やっぱり、気付かれた?」
「最初からね。むしろ、あれで気付かれないと思う方が凄い」
「んぐっ……」
ミレイはこう見えてポンコツだ。流石に、俺が話しかけるたびにトイレだとか、用事を思い出したとか、そんなものが通用するはずがないだろう。
そう。強気な性格ではあるが、ポンコツなのである。
もっとも、本人はそのことには気付いていない。気付いていたら、もっと上手く立ち回るだろう。
「……やっぱり、死なない人間なんて、怖い?」
「ち、違うっ! そうじゃないのっ!」
俺がそう聞くと、彼女は腕を振り、必死にそれを否定した。
否定したが、その言葉はだんだんと尻すぼみになっていった。
「そうじゃ……なくは、ないかもしれない、けど……」
「あははっ。素直でよろしい」
その様子が面白くて、思わず笑いがこぼれた。ミレイは、怒っているようだった。
「な、なにっ!? 今の笑うとこ!?」
「ごめんごめん。急に弱気になるもんだからさ。らしくないと思って」
「らしくないって……」
そう、らしくない。グリズリーが現れた時のように、命の危機に瀕した時のミレイは逃げ足も早いが、そうでない時は基本、強気なのだ。弱く、いじらしいのは彼女らしくない。
「……もう。色々考えてた私が馬鹿みたい」
「色々って?」
「色々よ。どう接したらいいのかも分からないし、それに……」
そこで、彼女は一度、言葉を詰まらせた。
「……村を守ってくれた人に、私、失礼なことばかり言ってたから」
サンドイッチを持つミレイの手に、力がこもっていた。
そうか……俺も、そこまで気が回っていなかった。ミレイの性格だから、そこまで考えてはいないと思っていたが、まさか俺のことを『足手まとい』だの『戦えない』だの言っていたことまで気にしていたとは。
別に、村を守った、だなんて大層な認識は俺にはないし……ただ、居候させてもらってるんだから、村の障害となるような奴らを排除しようとしてるだけで。それを、そんな偉いことみたいに言われると、少しモヤモヤする。
「ミレイ、さ……」
「なに?」
「馬鹿だよね?」
ミレイのこめかみに、筋が浮かび上がる。
「……もう一回言ってみる?」
怒り狂うミレイをどうどうと鎮め、俺は話を続けた。
「ミレイが俺のことを怖いって思うなら仕方ない。でも、俺自身は一ヶ月前から何も変わっちゃいないし、何か言われた程度で気にする性格でもない。でしょ?」
彼女が死なない俺を怖がるのは、無理もない。ここまで人間離れしたスキルというのも珍しいらしく、少なくとも、親父さんは聞いたこともないらしい。
人は、未知なるものを恐れる傾向にある。
現に、ミレイが知らないだけで、村で暮らす数名は、俺のことを怖がって話しかけてもこない。でも、それでいいと思ってる。怖がって話しかけてこないだけなら、まだこれから、仲良くなれる機会だってあるはずだ。
だから、ミレイが俺のことを怖いと思うなら、それも仕方ない。
ただ一つ。俺自身は、このスキルを得てからのほぼ一ヶ月間、『自分が変わった』という認識はない。俺は俺、ソーマという人間だ。俺自身が変わらなければ、いつかきっと、また元の関係に戻れる日も来るだろう。
ミレイはそんな俺の話を聞いて、小さく笑った。さっきまでほんの少し怖がっていたのが嘘みたいだった。
「……ソーマのその楽観的な性格、見習いたいわね」
「記憶を失くす前はそうでもなかった……ような気がするんだよね。気がするだけなんだけど」
「じゃあ、今はなんで?」
「死ななくなったからじゃない?」
「なにそれ」
あはは、と二人で笑い合って、サンドイッチを食べ始めた。ミレイとのことは、もう大丈夫そうだな。
「ところで、ソーマ」
「うん?」
朝食を終えたところで、ミレイがそう切り出した。
「手斧の代わり、どうするの?」
そう聞かれ、『あ゛っ』と声が出た。
そう。あのグリズリーとの戦いで、愛用していた手斧が折れてしまったのだ。柄の部分ならまだしも、折れたのは刃の部分。恐らく、グリズリーの硬い毛皮を切り、あの鋭い爪や牙を受け止めていたせいだろう。修復は不可能だと、鍛冶屋のバン爺さんにも言われた。
「あー……それ、親父さんにも聞かれたよ」
「古い斧なら、お父さんのお古があるだろうけど。またすぐにダメになっちゃうよ?」
「そうなんだよね。新しい斧を用意してもらおうと思ってるんだけど……」
「思ってるんだけど?」
懸念しているのは、鍛冶屋の親父、バン爺さん。村一番の頑固者で、怒鳴りジジイ。新しい手斧を用意してもらうとしたら、あの爺さんに頼るしかないが……、
「バン爺さん、怖いから苦手なんだよ……」
「死なないから平気でしょ」
「そういう問題じゃなくて」
この一瞬で言うようになったな、と内心思った。確かに死なないから何をされても平気だが、それとこれとは話が別である。
別である。
家には親父さんが昔使っていた古い手斧がある。刃こぼれしているだろうが、砥げば使えるようになるだろう。しかしそれも応急処置。いつまた使えないようになるかが分からない。
やはり、新しい得物は用意してもらわないといけないが……それはそれとして、バン爺さんのところには極力行きたくない。
「全く……グリズリーは倒せるのに、バンおじさんには会えないの?」
「怖さの系列が違う」
「普通にしてたらそんなに怒鳴られないわよ……」
いやいやいや、怒鳴られる。怒鳴られるよ、ミレイさん。
普通にしてたら怒鳴られないのは、ミレイがこの村で生まれ育った人間だからだ。俺は違う。『よそ者嫌い』なことで有名なバン爺さんは、当然、俺のことも嫌いなわけで。
ここに来てすぐにグリズリーを駆除したら、なんとか会話する権利は得ているが、それがなければ入店するなり追い出されていただろう。
そんな俺のことを見て、ミレイは大きなため息をこぼした。呆れ返っている様子だ。
「……仕方ない。私も一緒に行ってあげるわ。その調子だと、いつになったら行くか分からないし」
「流石! 流石ミレイ様っ! 今日も美しいっ!」
「うるさい。そうと決まればさっさと行くわよ」
荷物をまとめ、立ち上がるミレイ。それに倣って、バスケットを片付け、俺も立ち上がった。