プロローグ・下
——翌朝。俺は、夢の中にまで出てくるほど大きな鐘の音で目を覚ますこととなった。
この世界は不思議なもので、地球とは全く異なるはずなのに、太陽と月のようなものがある。メレニスで生きる者たちは、世界共通の時間というものが存在しない代わりに、地球上で言うところの太陽、ソムスと、月に相当するレムスの位置から、それぞれの感覚で時間を刻んでいる。
この町で鐘が鳴るのは、日本で言うところの早朝と正午、夕方の三回。早朝の鐘で叩き起こされた、というわけだ。
もちろん、俺たちには地球上の文明の利器、スマートフォンというものがある。だが、電源を確保できない点、電波が存在しない点から、もはやただの置き物だ。ストップウォッチやタイマーくらいには使えるが、保ってあと二日といったところだろう。
(地球上の計算だと、今で五時くらいか……合ってるかは知らんけど)
この世界が二十四時間周期なのかどうかも怪しいし、日本との時差がないのかも分からない。時計も当てにはできないだろう。精々、時間の経過を見るくらいだ。
ともかく、今が早朝だということに代わりはない。空を見れば、太陽……いや、ソムスが遥か彼方に見えた。
ベルティアール曰く、今日は全員分の装備の採寸や、これからのスケジュールについての説明を主にするらしい。装備は体型的に合うものがあれば既存のもの、無ければオーダーメイドで発注。このクラスに非人類的な体型の人間はいないから、殆どは既存のもので対応できるだろう、とのことだった。
「では皆様。続きまして、今後のことについてのお話をさせていただきます」
全員の採寸が終わった時、ベルティアールがそう言った。彼が手を叩くと、扉が開き、採寸をしていた男たちと入れ替わりで、今度は少し貧弱そうな騎士の格好をした男たちが現れた。
その男たちを率いるのは、やけに顔の整った、長い金髪の男だった。
……よく見る顔だ。主に、紙や画面の中で。
「彼は我がキベリスク王国騎士団の副騎士長、サディーノ・エイロン。今後は、この者が、皆様の鍛錬の担当をいたします」
ベルティアールの紹介が終わると、サディーノ、という男がその前に出た。
「初めまして、勇者の皆さん。私はサディーノ。非力ながら、副騎士長を務めているものです。皆さんが強くなれるよう、全力でサポート致しますので、よろしくお願いします」
きらり、とイケメンスマイル。女子たちから黄色い悲鳴があがる。無理もない。日本ではまずお目にかかれないような男だ。
だが……副騎士長? 騎士長ではなく?
訝しんでいると、その後ろにいたベルティアールが再び前に現れた。
「それでは皆様。わたくしは他の業務がございますので、これで失礼いたします。何か分からないことがあれば、サディーノにお申し付けを」
ぺこり、と腰を折り、ベルティアールがさっさと立ち去ってしまう。今日は、あの怪しい笑みを見ることはなかった。
できればこのまま尾行したいところだが、残念ながら、この数の騎士の目を掻い潜れる気はしない。大人しく、サディーノという男の話を聞こう。
「皆さん、肩の力を抜いてください。鍛錬と言っても、今日はまだ武器を持つようなことはいたしません。顔合わせと、今後のお話が主ですので」
サディーノが右手をあげると、その後ろに並んでいた騎士たちが、一斉にヘルメットを外した。顔合わせというのはサディーノはもちろんだが、その後ろの騎士たちとも行うらしい。ということは、他の騎士たちも、ある程度メンバーは固定なのだろう。
「まずは、彼ら。我らが騎士団の訓練騎士……騎士見習いたちです。初めから本物の騎士と戦うのは、皆さんも荷が重いでしょうから、暫くは彼らと鍛錬を行ってもらいます。これは彼ら騎士見習いにとっても良い鍛錬になりますので、手加減は無用です」
彼らが部屋に来た時、少し貧相だと感じたのは彼らが見習い騎士だったからだ。確かに、俺たちは一部例外を除き、戦いというものに慣れていない。矢代やその取り巻きたちは喧嘩には慣れているが、武器を使った戦いには不慣れだろう。
騎士見習いというくらいだから、俺以外のクラスメイトより、ステータス上は数値が低いだろう。だが、戦闘はステータスだけでは決まらない。そういう意味では、騎士見習いとの鍛錬が丁度良いのかもしれない。
何より、それが騎士見習いにとっても鍛錬となる。向こうも見習いにかける時間が減って、まさに一石二鳥だというわけだ。
「その鍛錬ですが、暫くの間は基礎体力作りに重きを置き、武器を使っての戦闘は空いた時間を使って行なっていきます。ただし、個人差がありますので、それについては各自対応していきます」
話の前半で、一部の生徒がしかめっ面をしていたのを、俺は見逃さなかった。矢代たちだ。体力作りは必要ないから、早く戦いたい、そんな風に見えた。
そういう人間がいることも見越しての、後半だったのだろう。その話があったから、矢代たちからは反発も何も出なかった。副騎士長というだけあって、その辺りは上手くできている。
それから、今後の鍛錬についての話と、俺たちの話。色々話し、終えた時には正午の鐘が鳴っていた。
「……キリもいいですし、話はこのくらいにしておきましょう。先程も申し上げた通り、今日はまだ鍛錬を始めません。魔王の出現で時間がないことも確かですが、無理な鍛錬をして体を壊しては元も子もない」
故に、今日は各自の自主的な鍛錬に任せる、とのことだ。走り込みや筋力トレーニングを行うも良し、それをせずに町に出てみるのも良し。俺としても、それは都合がよかった。
「それでは、また明日。何か私に用があれば、騎士団の詰所にいますので」
再び、きらりとスマイル。何人かの女子生徒は、特に用もなく詰所を訪ねることになるだろう。あの笑顔に釣られて。
顔合わせが終わり、その場から去ろうとすると……後ろから袖を引かれた。引いたのは、俯き、顔色の優れない五條さんだった。
そういえば、昨日、勇者だと宣言されてからの彼女はどこか様子がおかしかった。顔色が悪く、ぼんやりとどこか遠くを見つめているような。
突然このようなところに連れてこられて、突然勇者だと言われて。そうなってしまうのも無理はない。
女子の手など握ったことはないが……俺は勇気を振り絞って、五條さんの手を取った。
「五條さん、元気出して」
「三上くん……」
「俺なんて、何の取り柄もないから、こっちに来てもすごく弱いんだけどさ。弱いから、何を言っても届かないかもしれないけど」
弱いということは、それだけ危険から遠いところにいるということ。彼女は勇者として最前線に立つだろうが、俺はもしかすると、後方支援に回ることになるかもしれない。
だから、どんなに励ましたところで、五條さんの心には届かないかもしれない。でも、やるだけやってみたかった。
小刻みに震える五條さんの手を、きゅっと強く握る。震えが、ほんの少しだけ止まった。
「……怖かったら、逃げてもいいと思う」
そう言うと、五條さんははっと顔を上げた。その表情には驚き。
「……私、勇者なんですよ?」
「勇者でも怖いものは怖いし、仕方ない。逃げたいと思ったら、逃げてもいいはずだよ」
勇者。『勇気ある者』と書いて、勇者。
けど、勇気があるだけで、怖くないわけじゃない。それはただの馬鹿だ。勇者でも怖いものは怖いし、それを勇気をもって乗り越えるからこそ『勇者』と呼ばれるのだ。
まあ、人によっては『勇ましき者』だなんて言うかもしれないが、勇ましかろうがそうでなかろうが、やはり怖いものは怖い。怖いものを怖いと言って、そして逃げて、その何が悪い。
ましてや、勇者のことなど、こちらは巻き込まれた立場なのだ。メレニスの人間が勝手に俺たちを呼び、戦わせようとしているだけ。そちらの勝手は通って、こちらの都合は通らないだなんて、そんな話があってたまるものか。
「五條さんには戦う力がある。あとは五條さん自身が、戦うか逃げるか、それを決めるだけだよ」
彼女は再び俯き、肩を震わせた。
「……戦うのは怖いです」
そして、『でも』とその言葉を否定する。
「でも……他の人を見捨てるのも、嫌なんです」
だろうな、と思った。俺は知っている。五條さんは心が強く、優しい人だ。だからきっと、他の人が苦しんでいる中で、自分だけのうのうと生きているような現実は受け入れられないだろう。
故に、苦しんでいた。
俺はそうじゃない。俺は他の人を見捨てようが、何しようが……それこそメレニスが滅びてしまおうが、自分が生きて幸せならそれでいい。ここにいるクラスメイトたちを犠牲にして自分だけ助かることができるなら、喜んでそうするだろう。
俺は……心が弱いんだ。だからきっと、ステータスも最弱なんだ。
「五條さんは……きっと、その強さがあるから勇者に選ばれたんだよ。俺にはない」
少し、羨ましいくらいだ。その勇気を、少しでもいいから分け与えてほしいくらいだ。
「俺、この中で最弱みたいだからさ。死に物狂いで鍛えないと」
「三上くんは、怖くないんですか……?」
「怖いよ?」
即答すると、五條さんが『えっ』というような表情でこちらを見た。まさか、俺が怖がっていないとでも思っていたのだろうか。いや、案外顔に出ないから、そう思われても仕方ないかもしれないが。
「誰だって、死ぬのは怖い。俺も怖いし」
「そんな風に、見えないです」
「戦うかどうかはさておき、強くなっておいたほうが死ににくいでしょ? 俺が鍛えようと思ってる理由、ただそれだけなんだ」
俺は死にたくない。日本で死ぬならまだしも、訳の分からない異世界でなんて、絶対に死にたくない。だから、死にないために鍛えるのだ。誰も、世界を救うために強くなるだなんて、そんな高尚な考えは持ち合わせていない。
「死ににくいから……そっか、そんなことで、いいんですか?」
「いいんだよ、今は。世界を救うためとか、この世界のこともろくに知らないのに、そんな高尚なこと言えないよ。ただ自分が死にたくないってだけさ」
そう言って彼女の顔を見ると、少し、顔色が良くなっていたような気がした。流石にこういう状況は初めてだから、アドバイスとして的確だったかどうかは分からないが、少しは効果があったようだ。
「……ありがとうございます、三上くん。少し、すっきりした気がします」
「それは良かった。笑ってるほうがいつもの五條さんらしいよ」
五條さんの顔に、ほんの少しだけ、笑みが戻った。それを確認して、俺はずっと握り締めていた手を話した。
そういえばずっと握ったままだっけと照れ臭くなり、頭を掻く。その照れ隠しを悟られないように、俺は早口で彼女に別れを告げた。
「俺、少し調べたいことがあるから、もう行くね。また何かあったら、いつでも話して」
「はい。ありがとうございました」
五條さんをその場に残し、部屋を去る。嘘は言っていない。嘘は。
二度目の鐘が鳴った直後の王城は、流石に人の数が多かった。だが、それがかえって好都合になる。夜更けに忍び込んでは怪しまれるが、この時間だと『見物だ』と言い張ることもできる。あの男のことを調べるのは、今しかないと思った。
まずはベルティアールを探すところからだ。見つけ出し、そしてバレないように尾行する。それが簡単にできれば苦労はしないが、まあ、簡単ではないだろう。そもそも、見つかるかどうかも怪しいところだ。
(わざわざあの男を探しているってことがバレるのもまずいか……)
理想は、偶然出くわすこと。万が一に備え、ベルティアール個人を探していることは、誰にも悟られたくはない。
「そもそも、あの男は役職的にどの立場にいるんだ……?」
ふと、疑問に思った。地球でいえば神父のような服装をしていたが、実際にあの男がどの立場にいるのかは聞いたことがない。勇者の案内をしていたくらいだから、ただの下っ端というわけではないだろうが……。
「おや。ミカミ様。どうかされましたかな?」
「あ、はい。ちょっと見物に……」
聞き覚えのある声がして、反射的に用意していた答えを返した。そして、そのあとに声の主が誰か、それを思い出した。
「そうですか。皆様の世界では珍しいそうですので、どうぞゆっくりとご覧ください」
……ベルティアールだ。あの怪しい男が今、目の前にいる。
しまった。完全に油断していた。何か怪しい動きはしていなかったか……返事は怪しくなかったか……頼むからそのまま見過ごしてくれ、と、心中穏やかではない気分で、ベルティアールの目を見た。
口元は笑っている。しかし、目は垂れているだけで、これっぽっちも笑ってはいなかった。
「……どうも。暫く見物したら戻るので」
「ええ、ごゆっくり」
できる限り最大限の笑顔で返事をする。ベルティアールはそのままの表情で顔を逸らすと、そのまま俺の後方にある角を曲がって消えた。
ベルティアールがいなくなったのを確認するのと同時に、額から大粒の汗が流れ落ちてきた。幸いにも他に人はいない。誰にもこの姿は見られていない。あの男が敵だと確定したわけではないのに、この緊迫感。何か、妙な圧のようなものを感じた。
先程から、心臓がかつてないほどに激しく鼓動している。胸が痛いくらいに。ベルティアールの耳が良ければ、その心音も聞こえていたかもしれない。
心臓の音が鎮まるより前に、角を曲がったベルティアールを視認する。まだ追える場所にいる。ベルティアール本人と出くわしてしまった以上、そう何度も『見物だ』という言い訳は使えない。今日ここで、何か証拠を掴むしかない。
俺はベルティアールが次の角を曲がったことを確認するや否や、足音を立てぬ範囲内の早足でそのあとを追った。何故かやけに人気の少ない通路を進み、そして、次の角を右。ベルティアールは確かに右に曲がった。
……確かに、曲がっていたはずだ。
「……嘘だろ?」
角を曲がった先に、奴はいなかった。そんなはずない。この一本道の通路を進み、角を右に曲がった。確かに、この目で見ていたのだ。
曲がった先には、再び通路。しかし、この短時間で渡り切れるほど短いものでもなく、途中に扉や曲がり角は一切なかった。
……そんなはずはない。見失うはずがない。
まさか、俺の尾行に気が付いたベルティアールが、追い付かれないよう、角を曲がったその瞬間に通路を駆け抜けた? その可能性はあるが、だとすると俺の耳に走る音が聞こえてきてもおかしくはない。そんな音、一切していなかった。
それに、尾行と言っても、奴が角を曲がるまでは、ずっと隠れて見ていただけだ。奴は一切後ろを振り返らなかったし、俺も物音一つ立てなかった。
(じゃあ、どこに……?)
残る可能性は……隠し通路? そんなものがあるとすれば、見失ってもおかしかないが……。
通路の左右を見渡し、人が来ていないことを確認すると、俺は通路の端から順に、壁をペタペタと触り始めた。仕組みがあるとするなら壁だろう。スイッチか何か、あるかもしれない。
——そして、見つけた。
「……ここ、何かおかしいな」
それを見つけたのは、壁ではなく柱。見事なまでの金色の装飾が施されている柱だったが、その装飾が、一部分だけやけに変色していたのだ。
変色といっても、ひと目見て分かるほどに色がおかしくなっているのではなく、言われてからよく見れば少し色が薄い程度のものだった。変色と言うよりは、その部分だけ元から材質が違うような、そのような違いだった。
それがおかしいの正常なのかは、実際に触ってみれば分かる。何か仕掛けがあるとするなら反応してくれるだろう。
(ここだけ、押し込めそうだな……)
俺は、躊躇いながらもその仕掛けに触れた。色が違うその部分だけを押し込むと……柱がほんの少しだけ動き、人一人が半身になってようやく通れるほどの隙間が現れた。
(静かだな……さっきも気付かないわけだ)
よくある、『ゴゴゴゴ……』といったような大きな音はない。ただ静かに、柱が少しだけ回転して隙間が現れた。ベルティアールを追いかけていた俺が気付かないのも仕方ない。
(だが……これは、入るべきなのか……?)
仕掛けは見つけた。隠し通路も見つけた。奴がこの先に進んだという確証はないが、恐らくはこの先に進んだのだろう。
だが、今入るべきなのか。俺はステータス的に言えば最弱。下級騎士にも劣るステータスだ。仮にベルティアールのステータスが俺を上回っていた場合、最悪の場合、その場で殺されかねない。
この先がどうなっているか、にもよる。通路になっていて奥に抜けられるなら、今入っても問題はないだろう。だが、この先が部屋になっているなら、間違いなく奴と鉢合わせる。
(……いや、普通に考えてまずいだろ。奴がいない時じゃないと……)
幸か不幸か、通路は再び仕掛け部分を押し込むと元に戻った。俺は何食わぬ顔でその場を立ち去ると、見物をする異世界人のフリをして人の流れに紛れた。
……その時、俺は気付いていなかった。物陰から俺の様子を窺う、鋭い眼光に。
それから、その日は五條さんとの食事やクラスメイトとの交流、自主練やその他様々で、中々あの場所に戻る時間ができなかった。
そして、メレニスに来てから三日目。今日から、本格的に体力作りが始まった。
流石というかなんというか、相沢や矢代、クラスの運動が得意な連中は、トレーニングをこなす量も時間も俺とは桁違いだ。こちらにきて少し体力が向上していた分もあったのか、サディーノの予想を裏切り、早ければ一週間以内には武器を使った鍛錬に移行する予定らしい。
思い悩んでいた五條さんも中々のもので、元の体力こそ少ないが、勇者としての恩恵が凄まじいのか、成長速度は早かった。こちらも、早ければ二週間以内に武器鍛錬に移行するそうで、こうなってくると本格的に居心地が悪くなってくる。
俺はというと……地道な基礎体力作り中だ。相沢たちのように、元から運動神経が良いわけでもなく、五條さんのように成長速度に恩恵があるわけでもない。相変わらずレベルは1で、ステータスは向上せず、スキルは不明のまま。陰では『雑魚』と悪口を言われる始末。
いや、それはそれで良かった。それよりも、例の通路のほうが思考の占有率が高くて、鍛錬もそれどころじゃないという感じだ。
(……そろそろ、あの通路の奥に進みたいところだな)
あそこが気になって他のことが手につかない。ベルティアールが味方であるにせよ敵であるにせよ、それをこの目で確かめないことには気持ちも落ち着かないというものだ。
そんなゆらゆらした気持ちで鍛錬に臨んでいた時だった。
俺たちが鍛錬している様子を、サディーノが満足そうに眺めている。そんなサディーノのもとへ一人の男が駆け寄ってきて、何か耳打ちをした。
彼は驚いた表情でそれを聞き、そして何やら伝えたいことがあるのか、鍛錬を一時中止させ、俺たちを招集した。
「鍛錬の途中に申し訳ない。たった今聞いた話なのですが、どうやら、ベルティアール殿の母君が病で床に伏してしまったらしいのです」
(……ベルティアールの……?)
どうやら、少し離れた町で暮らすあの男の母親が、病で寝込んでしまったらしい。父親はおらず、兄弟もいないため、ベルティアールが様子を見に行くしかないそうだ。
「二度目の鐘がなる頃には町を発つらしく、それから五日間は戻ってこないそうです。ですので、本来明日行う予定だった話し合いが、急遽今から行われることになりまして」
俺たちの今後や、魔族たちの動きについての話し合いだそうだ。
サディーノの隣には、それを伝えにきた男。騎士見習いとは違って、立派な鎧だった。
「上級騎士を一人、この場に預けます。私が戻ってくるまで、何か分からないことがあれば彼に」
『はーい』
場を上級騎士に預けると、サディーノは足早にその場から走り去っていった。それを見送ると同時に、心の中でガッツポーズをする。
(タイミングが良すぎるが……好都合だ)
ベルティアールがいないとなると、あの通路を探索するチャンスはこの五日間。あの男以外にもあの通路の存在を知っているのかは定かでないが、この機会を逃す手はない。
「ベルティアールさんのお母さん、大丈夫でしょうか……」
二度目の鐘が鳴り、ベルティアールが城から出ていく様を眺めながら、五條さんがそう言った。
「……大丈夫だと、いいけどね」
業務的に返した言葉。今は、それどころじゃなかった。
「三上くん、お昼、食べませんか?」
五條さんが昼食に誘ってくる。昨日、あの通路を見つけたあとに五條さんと昼食をとったおかげか、その後の晩ご飯、そして今日の朝と、五條さんと二人での食事にありつける機会があった。何度も言うが俺は五條さんを可愛いほうだと思っており、そんな嬉しいシチュエーションを断るのは気が引けてしまうのだが……。
「あ……ごめん。お昼はちょっと、用事があって」
「あ、そうなんですか。残念です……」
見るからにしょんぼりとしょぼくれてしまう五條さん。あり得ないとは思うが、たまに、この人は俺に好意を抱いているんじゃないだろうか、と思うことがある。あり得ないだろうが。
「晩ご飯は一緒に食べようよ。それまでに、用事は片付けておくから」
「分かりました。その用事が何かは分かりませんが、お昼は我慢します」
……ベルティアールめ。五條さんの誘いを断ってまで動いているんだから、秘蔵のコレクション部屋だったりしたらぶん殴ってやろうか。
(確か、ここ……)
五條さんの誘いを断って、俺は再びあの通路にやってきた。少しの間ここで見ていたが、誰かが入っていく様子はなし。今は誰もいない、と、判断した。
装飾品の仕掛けを押し込み、通路を出現させる。なんとか体を半身にして押し込み、通路内部に侵入すると、内部にも通路の開閉用の仕掛けがあった。それを押し込み、通路を閉じておく。
通路内部は薄暗く、辛うじて足下に下りの階段があるということが分かる程度だった。慎重に一段一段下りると、やがて、小さな部屋に辿り着いた。
「ここは……書庫?」
そう、書庫だった。通路部分よりも明るく、ボロボロの本棚に、これまた古そうな本がずらりと並んでいて、中央には机が置いてあった。
嫌な予感がするが……これはまさか、本当にベルティアールのいかがわしい本が置いてあるだけなのだろうか。だとしたら今までのもやもやを全て返せと言いたいところだ。
本棚に近付くと、やがて背表紙に書かれた本のタイトルが見えてきた。少しかすれていて読めないが、なんとか解読はできる。
因みに、メレニスで現在一般的に使用されている言語は、スキルなどがなくとも読み、聞き、書くことができた。言われてみれば、スキルもないのにメレニス人と会話が通じている時点でおかしい。異世界人の標準的な能力で、スキルとはまた別物だそうだ。
「頼むから全部エロ本って事態だけは勘弁してくれよ……」
左上から、順に、本のタイトルを眺めていく。
そして、思わず首を傾げた。
「……これ、全部そうか?」
この本棚も、隣の本棚も、そのまた隣の本棚も。
全て確認したが、間違いない。ここにある本は、全て、『勇者』に関することだった。
「勇者の本がこんなに……これに異世界から召喚する魔法も書いてたのか……?」
その可能性はある。ならば、王たちは一切その話題には触れていなかったが、『帰る方法』についても記されている可能性がある。
試しに一冊、一番詳しく書いていそうな分厚い本を手にとり、ページを開いた。
中には勇者がどうだの、人類の危機だの、そんな詩的な文章がつらつらと書かれており、そのあとに目次があって、ようやく勇者たちの説明に入った。
——そしてすぐに、あの男……ベルティアールの黒い笑みの理由を知った。
「……嘘だ」
思わず漏れた声。そんなはずがないと、その本を投げ捨て、違う本を手に取った。そして同じ記述を探し、それがまさしく同じ記述であることを確認すると、その本も放り投げた。
読んでは投げ捨て、読んでは投げ捨て。そんな行為を何度か繰り返し、投げ捨てた本が山になった頃、俺は新たな本に手を伸ばすことをやめた。
「……ははっ、まさか、そんなことがっ……」
乾いた笑みだ。笑ってでもいなければ、頭がおかしくなりそうだった。
そうか。奴は……いや、ベルティアールだけじゃない。きっと他の奴らもだ。王も、その娘も、サディーノも。権力を持ってる奴らは全員知ってるだろう、こんなこと。
あの時のベルティアールの笑みは、なるほど、そうか。確かに『思い通りいった』ことを喜ぶ笑みだったのか。
俺たちは、『本来一人しかいないはず』の勇者が、『今回は二人いた』ものとばかり思っていた。
確かに、俺たちは勝手にそう解釈していた。だけど、奴らは『本来勇者は一人』だなんてこと、一言も言っていなかった。だから気付けなかったんだ、奴の演技に。
『勇者は、本来二人存在する』ものだ。だが、その役割を知られると奴らには都合が悪い。だから、『本来一人しかいないはず』の勇者が『今回は二人いた』ことにして、その事実を隠そうとした。
……そう。勇者は本来、二人存在するもの。そして、最終的には一人になる。
今回選ばれた二人の勇者、相沢と五條さんの職業は、『半・勇者』。これまた、俺たちは勝手に、これが半人前の勇者であるから、『半・勇者』なのだと思い込んでいた。
……違う。違う。これはまさしく、『半分の勇者』なんだ。まだ非力な異世界人は、一人で勇者の力の全てを受け止めきれない。故に、その力を二つに分け、二人に与える。
そして、器が成長し、一人で勇者の力全てを受け止めきれるようになった時……二人の力を、一つにする。
故に、『半・勇者』。勇者の片割れ。
それだけならいい。分けた力を一つに戻すだけなら、なんの問題もない。
「なんだよ、これ……!」
器の完成した二人の勇者は、殺しあう。殺しあわなければならない。そして片割れを殺し、残った一人が、勇者の力の全てを受け継ぐことになる。
それはつまり、このまま鍛錬を続け、器が勇者の力を受け入れられるほど成長した時……その時、相沢と五條さんは殺しあって、どちらか一人は……死ぬ?
メレニスの人間は、これを知っていたのか……知っていて、黙っているのか……!? 異世界の人間なんて、どうなったところで構わないと!?
「馬鹿げてる……世界を救うのに、関係ない世界の人間を殺して戦うってか!?」
本当に馬鹿げてる。自分たちの世界を救うためなら、どんな犠牲も厭わないっていうのか。
……いや。そうか。そういうことか。ここの人間たちは、俺と同じなのか。俺だってそうだ。自分が生き残るためなら、クラスメイトを犠牲にしてもいいと思っている。要は、そういうことなのだろう。
そうか……俺のこの考えは、こんなにも、胸糞悪いものだったのか……!
「くそっ……こんなの知ったところで、どうしろってんだよ……!」
机を思い切り蹴飛ばす。この情報を知って、どうしろと言うのだ。
王たちに直談判?
五條さんたちに伝えるか?
いや、そのどちらもない。直談判をすれば俺が消されるし、五條さんたちに伝えても、彼女たちが危険に晒されるだけだ。彼女たちがどう拒んでも、無理やり殺しあいをさせられれば結果は一緒だ。
それなら、危険を承知で、俺がいくしか……。
「俺が直接、陛下たちに話す……そう考えていますね」
「っ!?」
背後から声がした。この声は……、
「サディーノ……エイロン……」
「わたくしもおりますよ、ミカミ様」
副騎士長サディーノと、ここにはいないはずのベルティアールだった。
……タイミングが良すぎると思ったが、罠だったか。俺をここにおびき寄せるための。
「いけませんね。コソコソと嗅ぎ回って」
「何がいけませんね、だ。勇者が殺しあわなくちゃならないなんてことを隠しておいて、よくそんなことが言えるなっ!」
吠えると、まるで道端の石ころでも見るような目で、すかした顔のサディーノが見下してきた。
「隠していたわけではありません。それを知ったところで何も変わりはしない。なら、何も知らないほうが幸せでしょう」
幸せ? 幸せだと? いずれ殺しあう運命にあるっていうのに、幸せだって?
「ふざけるなっ! 二人に殺しあいなんてさせない……絶対にさせない!」
「それは無理な相談ですね。勇者は一つにならなければ。でないと、魔王には打ち勝てない」
「そのために他の……俺たちがいるんだろっ!」
サディーノの目が、より一層暗くなった。石ころを見るような目は、ゴミを見るような目へ。
「勇者以外は所詮雑魚。特にあなたはね、ミカミ・ソーマ」
気付けば、頭の中で何かがはち切れていた。手近にあった本を掴み、サディーノに殴りかかろうとする。
「おまぇぇえええっっ!!」
ステータスに差があるのは知っていた。でも、殴れる殴れないではなく、殴ろうとしなければ、俺の気が収まらなかった。
今まさに殴りかかろうとしていたその時だ。サディーノの後ろにいたベルティアールがひょこりと顔を出し、指を一本立てた。
「わたくし、幾つか嘘を言いましたが」
この状況で、なんだ?
そう考えた時には、既に、俺の右腕の感覚は無くなっていた。
「騎士長クラスのステータス平均値が500と言いましたが、一国の要の力が、そんなに低いわけがないでしょう」
「……え?」
噴き出す鮮血。目の前まで真っ赤に濡らすそれは、俺の右肩から溢れ出しているものだった。
「が……ぁぁぁあああっっっっ!?!?」
本を掴んだ右腕が、ごろりと、地面に転がっていた。痛みと同時に酷い熱も感じる。焼けるように痛い、というのはまさにこのような状況を言うのだろう。
これまで一度も味わったことのないような痛みで、気が飛びそうになる。それでも踏ん張っていたのは、これまで一度も経験したことのないような力で、歯を食いしばっていたからだと思う。
「まあ、ミカミ様程度の力では、仮にステータス平均値が500であったとしても、さほど関係はないでしょうが」
「そう言ってあげるな、ベルティアール殿」
「おっと、これは失敬」
楽しそうに会話をする二人には、罪悪感などこれっぽっちも感じられなかった。人を切ることに一切の躊躇いがない。これが、殺しが当たり前の世界で生きてきた人間たちか。
俺は必死でもがき、後退り、逃げようと試みた。しかし、あるのは本棚ばかりで、逃げ道などどこにもない。
……いや、何か変だ。この本棚の奥から、微かに冷たい空気が流れてきている。
「う、ぉお、お!」
もがきながら本棚を押し倒すと、その裏に、大きな穴があった。奥には洞窟が広がっているようで、俺はなんとかその穴へと身を投じた。
どんっ、という音と共に、地面に叩きつけられる。穴と洞窟の地面との落差で、思い切り体を打ち付けられたのだ。
それでも構わない。壁伝いに立ち上がり、よろけながら出口を探す。しかし、その後ろから、ちゃぷちゃぷと水を蹴る音が聞こえてきた。
「おやおや。どこへ逃げようと言うのですかな」
その音はあっという間に追い付き、そして、今度は両足の感覚がなくなった。
「ぁぁぁああっ!!」
「おっと、反響音が騒がしい」
全身から血が、力が抜けていく感覚がする。いや、むしろ、感覚がしないのか? 何が正解なのか、もう分からない。
痛いのか、痛くないのか、暑いのか、冷たいのか。
何が何だか分からなくなってきて、もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
……誰だって、死なのは怖い? 誰だって死にたくない? そんなの、嘘っぱちじゃないか。俺は今、こんなに苦しいのなら、いっそ殺してくれと……そう思っている。
「……無様なものですね」
今度は、腹を貫かれた。無慈悲に、ただ地を這う虫を、なんの感情もなく踏み潰す時のように。
不思議と、痛みは小さかった。意識がもう殆ど残っていないからか。水に浸かっているせいで血の流出が異常に早い。もう、意識が無くなるまで秒読みというところだった。
そんな様子を見て、ベルティアールはやはりゴミでも見るかのような目で腹から剣を引き抜くと、振って血を落とした。
「……放っておいても死ぬ。参りましょうか、ベルティアール殿」
ちゃぷちゃぷ、という音がして、その音が遠ざかっていく。
「それでは失礼いたします、ミカミ様」
もう一つの音も、遠ざかっていった。
音が聞こえなくなっていくのは、本当にその音が遠ざかっているからなのか、それとも、俺の意識が遠ざかっているからなのか。ここまでくると、どちらでも一緒のように思えた。
「ど……して……こ、な……とに……」
どこで道を間違えたのか。平和だった日々は、一体どこへいってしまったのか。
苦しい。いっそ殺してほしい。
いや、死にたくない。今は、ただただ、生きたい。
死にたく、ない。
ご、じょう、さん……ごめ……ばん、ごはん……たべれな、
「……三上くん?」
用事があると言った彼は、午後の鍛錬には姿を現さず、夕食の時間になっても現れずに……そのまま、永久にいなくなってしまった。
『スキル: 邨カ蟇セ蝗槫クーを習得しました』
『職業:不死の王が追加されました』