翕然主 陸
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「結局、狩籠師はわしらを見捨てたのだ。恐ろしい化け物だけを残してな。お前さんも同じ狩籠師だと言うのであれば、わしらは信用はせん。また、最後には裏切るであろうからな」
語り終わった村長が、凜華をギロリと睨んだ。
だが、その程度の敵意など、凜華にとっては欠片も気にならない。
「狩籠師がすべて同じとは限らぬ。人がすべて同じでないように。あたりまえのことであろう」
かんらと凜華は笑った。
「私は、先に言ったように違う妖魅を追ってきた。別に、お前たちを助けにきたわけではない。だが、その翕然主という妖魅もまた面白そうだ」
「何を言うか。結界の外に出れば、そなたでも危ないのだぞ」
「なぜにそう思う」
脅す村長に、凜華は面を厳しくした。
「その狩籠師が、いかほどの者であったかは知らぬ。だが、主をおいて妖魅を押さえ込もうとするまではいいが、その結果がこのていたらくではその力量もたかが知れたもの。この私とくらべられては迷惑千万だ」
凜華は、絶対の自信をもって言い切った。もしここに村長がいなければ、幽明の太刀が声をあげて笑いながらそれを肯定しただろう。
「それよりも分からないのは、お前たちのことだ。なぜにさっさとここを離れなかったのだ」
「余所者には分かるまいて。わしらは、先祖よりこの地を守っている。人々が、この地の恩恵を受けられるように……」
「今や忌むべき地であるのにか」
笑止と、凜華は村長の言葉を遮った。
この村の者たちは、現実を分かっていないのか。それとも、見ようとしていないのか。
はたまた、この地の穢れが、村人たちをも侵しているのだろうか。
まるで、他を信じる心を失い、恐れや敵対心だけが残っているようだ。
人というものを信じていれば、別の土地でもやりなおせると考えるものだろうに。土地などという物を信じてどうなるというのであろうか。あくまでも、土地は支配する物だ。支配されるものではない。否、人は人によってのみ支配されるものであるのだ。
「今は、そうであるだけだ。いずれは、また元のように霊山となることもあろう」
「それはいつのことやら」
都合のいい物言いに、凜華は呆れて溜め息をついた。他力まかせの願望など、世迷い言に等しい。
使い魔を使いこなすならそれもよし、それができないのであれば、具体的に手の届く力に頼るべきだ。すべての者には、己の分というものがある。
「では、私がその翕然主とやらを退治してやろう」
「なんだと」
凜華の言葉に、村長が驚いた。
「翕然主の力は、山に入り込んだ妖魅をすべて滅してしまうほどのものなのだぞ。そなたがいかに自信をもっていようとも、敵う相手ではない。それに、先ほど手は出さないと約束したばかりではないか」
「私は、翕然主のことを教えてほしいと言ったまでだ。それによって、その妖魅を避けるとは言っていない。むしろ、その逆だな。ただ、何処にいるかが分からぬ。巣のようなものの場所が分かればお教え願いたいのだが」
「なんと恐ろしいことを」
「なんなら、聞きだしてもいいのだが……」
凜華は軽く傍らの太刀に手をのばしてみせた。
一転して凜華に怯えつつも、村長は口を一文字に噤んだ。
「まあいい。しばらくやっかいになるぞ」
「どのみち、この村からは出ることができぬのだ。素直に、現実を認めなされ。さもなくば、自らの足でお山を歩き、あるはずのない道を見つけるのだな」
大声で言う村長を尻目に、凜華はすたすたと外へ出ていった。その挙動が、あまりに淀みなく速やかだったため、外で様子をうかがっていた村人たちの多くが、逃げ遅れてあわてふためいた。
思いの外、この村に人はいるらしい。
「さて、どこをしばらくの仮の寝屋とするか……」
凜華は、泊まれそうな家を物色しながら村の中を歩いた。
村のほぼ中央と思われる場所には、神社の分社らしき、そこそこちゃんとした建物があった。
けれども、凜華はあえてそれは避けた。祀ってある神がなんであるか分からないのに、不用意にその手の中に飛び込むのは賢くない。もしも翕然主を祀った物であるとしたら、なおさらだった
「この家の持ち主はいるか?」
少し歩いて適当な家を見つけると、凜華は大声で村人たちに訊ねた。慌てて姿を隠した村人たちからは、驚きのような息遣いは聞こえてくるものの、非難めいた囁きや泣き言は生まれない。もしも、この家の持ち主がいれば、凜華の言葉に狼狽して騒ぐだろう。
本人たちは息を潜めて身を隠したつもりだろうが、訓練も修行もしていない者たちの気配を察することなど、凜華にとってはたやすいことであった。
「空き家なら、遠慮なく使わせてもらおう」
そう宣言すると、凜華はあちこちが朽ちかけた家の中へと入っていった。
中ほどから傾いた葦簀をくぐると、あちこちにまだ農具や家具らしき物が転がっていた。人が住まなくなってから相応の時間は経っているのだろうが、まだ家としては使えそうだ。半分は土間となっており、残りの半分は板敷きとなっている。村長の家ほどちゃんとした造りではないが、仮の宿としては充分だった。
「さすがに、今日はこれ以上妖魅を追うのはまずいな」
窓や壁の隙間から差し込む光を見て、凜華は残念そうに言った。弱々しい光は、夜がもうすぐそこまで迫っていることを物語っている。夜こそは妖魅たちの時間だ。相手の正体が分からぬ以上は、迂闊に出歩かない方が無難だった。
とはいえ、大蝦蟇も翕然主も、この山をとりまく結界の外には出られないだろう。慌てずとも、獲物は袋の鼠だ。こちらの体調を整えて、じっくりと追い詰めればいい。
『敵は、何も妖魅だけとは限らないぞ』
「ああ、分かっている」
幽明の太刀に言われて、凜華は呪符を数枚取り出した。
壁越しにでも、家の周囲を村人たちがとりまいているのが分かる。
村長の様子からして、ここの村人たちは、余所者に対する不信感を強くいだいているようだ。それがいつ敵対心に変わるか分からない。用心しておいて損はないということだ。
「我、求むるは安寧の域。仮寓にあっては、塞。帳をもちて、耳目を封ず!」
言霊とともに、四方の壁に呪符を貼りつける。
簡単な結界だが、これで村人たちが家の中に入ることはできないだろう。もちろん、中の様子をうかがうこともできなくなる。
『やれやれ、これでやっと喋れるな。ただの刀のふりをするのも疲れるものだ』
人の姿であったなら相相好を崩すといった物言いの相棒に、凜華は束の間娘らしくくすりと笑った。
「疲れて黙っていてくれれば静かなものを」
『それでは、お前が寂しがるだろう』
即座に洒落っ気たっぷりの言葉が返ってくる。
確かに、凜華にとって、この相棒がいてこその一人旅であり、また相棒のための旅でもある。
「馬鹿なことを。なんなら、今夜はそこの灰に突き立てておこうか」
ずっと使われていなかったらしく、湿った灰のたまっていた火鉢をさして凜華は言った。さすがにそれは勘弁してくれと、幽明の太刀がわびを入れる。
凜華は部屋の隅にあったぼろ布で板敷きを拭くと、足袋を脱いで上にあがった。ひやりとした足下の感覚は、心地よさはなくただ冷たいだけだ。
「水は後でなんとかしないといけないな」
『先ほど、村長の家に井戸があったから大丈夫だろう』
「そうだったな」
携帯の瓢箪に残った水を確認すると、凜華は夕餉をとり始めた。
夕餉といっても、飯屋があるわけでもなく、手持ちの乾飯も切れていた上に狩りをする場所もない。先に食料を手に入れようとした村が大蝦蟇のせいで全滅してしまっていたのだから、なんとも間が悪かったと言える。
かろうじて、こういうときのために携帯している仙丹のおかげで、数日は飢えることはないだろう。この村の者たちから食料を手に入れることができなければ、その数日の間に翕然主との決着をつけなければならない。
凜華は、鞠麩大の黒い丸薬を口の中で噛み砕いて、水で喉の奥へと流し込んだ。
決してうまい物ではないが、様々な生薬を混ぜて作った秘伝の仙丹は、強壮剤として体力を維持してくれる。
「布団はないし、床は埃っぽくもあるが、野宿よりははるかにましだな」
浄衣などを脱いで、素肌に白い長襦袢一枚の姿になると、それなりに凜華はくつろいだ。
結界のおかげでこの村にまったく妖魅がいないのであれば、久方ぶりに気を抜けるというものだ。
『やれやれ』
「ん、なんだ?」
幽明の太刀の少し呆れたような声に、解いた髪を櫛で梳いていた凜華は、わずかに小首をかしげた。
『いや、女らしいお前を久方ぶりに見たと思ってなあ……』
「どういう意味だ」
凜華は櫛を投げ出すと、板敷きの上で身体を滑らせるようにして、幽明の太刀の処へやってきた。しなだれかかるように身を乗り出して、幽明の太刀の柄元に顔を寄せる。
「よほど灰被りになりたいようだな」
『冗談を真に……いや、そうじゃない。俺が悪かった。許してくれ』
むんずとつかまれた幽明の太刀が、慌てて弁解する。それを聞き流して、凜華は彼を鞘から抜いた。
暗い屋内が、刀身の放つ淡い燐光に照らされて少し明るくなった。その刀身は妖魅を斬った後だというのに、血糊にも汚れてもおらず、刃毀れ(はこぼれ)一つなく、ただただ冷たく輝いていた。だが、燐光を纏っているにもかかわらず、その刀身は鐵の名のごとく鈍い黒味を帯びていた。
異常がないか子細に調べた後、凜華は一歩前に踏み出した。その先には火鉢がある。
『おい!』
燐光が、微かにゆらいだ。
「おかしいところはなさそうだな」
にやりとしてから、凜華は幽明の太刀を鞘に収めた。
「さて、寝るとしよう。明日は早くから妖魅探しだ」
そう言って、凜華はからからと笑った。
静かに目を閉じるが、何か居心地が悪い。
結界を張ってあるので、この中ではまったく安全だった。だが、凜華はあまり気持ちよく寝ることはできなかった。
不安や恐怖を感じていたわけではない。幽明の太刀もそばにある。そんなものは微塵も感じないのが凜華だ。
だが、この村はお世辞にも気分の良い場所とは言い難い。それが、凜華の眠りをわずかであるが阻害していた。
そっと手をのばすと、凜華は幽明の太刀をだきしめた。