第肆章 御魂鏡 壱拾参
「止まって。何かいます」
周囲に注意を配っていた青陵は、妖氣を感じて鈍たちを立ち止まらせた。
式神たちを先行させる。
道の先に張り巡らされていた糸が、式神たちの炎で焼き払われた。
一瞬の静寂の後、土を蹴立てて巨大な蜘蛛が斜面を駆け下りてきた。
「土蜘蛛か」
呪符を取り出しながら、青陵は言った。
「我、求むるは浄化の壁。迫りくる者にあっては、遮。炎をもちて、悪しきを焼く!」
土蜘蛛が足をのばし、腹を曲げて前方をむけた尻の先から糸を放つ。同時に、青陵の投げた呪符が巨大な炎の花となって花弁を広げた。
青陵たちにむけて放たれた糸が、炎に触れて灰となる。そのまま炎に突っ込みかけた土蜘蛛が、すんでのところで跳躍して難を逃れた。
すっと、一瞬にして炎が消える。そのむこうから、白い紙垂が一文字に飛び出してきた。避ける間もなく、土蜘蛛が絡め捕られる。
「我、求むるは悪しきの調伏。妖魅にあっては、封。縛鎖をもって、玉となす!」
動きのとれない土蜘蛛にむかって、青陵が言った。
「封玉!」
土蜘蛛が、褐色の玉となって姿を消す。
「肆眸子よ、邪魔をしても無駄です。どうしてもと言うのであれば、自ら私と相対してみなさい」
青陵は、姿の見えない肆眸子にむかって、堂々と言い放った。
けれども、応えはない。
さすがに、ここで手を出しても無駄だと悟ったのか、それとも何か思惑があるのか。
「急ぎましょう」
青陵は、鈍たちを急かした。
その後は妖魅と出会うこともなく、青陵たちは村へと辿り着いた。
村は大騒ぎとなり、蘇芳を運び入れた一之宮の周りにはすべての村人たちが集まってきた。
「なんということだ」
「蘇芳様が……」
「こんなことになってしまうなんて」
「これからどうしたらいいんだ」
村人たちは、口々に不安を囁きあった。
「蘇芳様の御容態はいかがですか」
村人を代表して、村長が一之宮の中に入ってきて訊ねた。
建物の中では、蘇芳が静かに横たわり、青陵が黙々と祝詞をあげていた。
けれども、青陵の力をもってしても、蘇芳の回復は見込めそうになかった。
傷のほとんどは治せていたのだ。だが、槍牙樹を通じて蘇芳の身体の中に流れ込んだ穢れが、彼女の身体を急速に蝕みつつあった。このままでは、もうあまり長くはもたないだろう。
「あまり、よろしくはないのですね」
返事もせずに祝詞をあげる青陵に、村長が状況を察して言った。
「大丈夫。大事ない。大事ありません」
村長に気づいた蘇芳が、半身を起こしかけながら言った。
「動いてはだめです」
慌てて青陵と鈍が止めに入る。
「いや、これ以上よくならないことは、私自身が一番よく分かっています」
鈍にささえられながら、蘇芳が言った。
「私の中に入り込んだ穢れは、この山にまだ残っている穢れと繋がっているのです。いずれ、私は穢れに呑み込まれてしまうでしょう」
「ですから、今、その穢れを浄化しています」
青陵は、自分自身に言い聞かすかのように言った。
「でしたら、ここを離れれば、蘇芳様は助かるのでしょうか。そうであるのならば、わしらは村を捨てる覚悟がございます」
突然、村長が提案した。
「何をおっしゃるのですか」
驚いた蘇芳がまた身体を動かしかけ、途中で力が抜けて鈍にもたれかかった。
「わしらのために、これ以上蘇芳様が苦しむのは見ていられません。この地を離れることによって蘇芳様の身体がよくなるのであれば、わしらは喜んでそういたしましょう。なあに、青陵様の話では、麓で新しい村を作っているそうです。そこに移り住めばいいだけのこと。さらに言えば、未来永劫この山に戻ってこられないということもありますまい。いつか、この土地を妖魅から取り返すこともできるでしょう。そうであればこそ、わしらも今は村を捨てることができます」
胸を張って村長が言った。
「そうですか。もう、あなたたちに呪はかかってはいないのですね。喜ばしいことです。ですから、あなた方だけでも、いったんこの山を離れてください」
「わしたちだけでとは?」
蘇芳の言葉に、村長が聞き返した。これでは、蘇芳がこの山に残るように聞こえる。
「私は、すでにここから動くことはできないでしょう。そうですね、青陵殿」
言葉を振られて、青陵は沈黙をもって答えることしかできなかった。
「弱った身体では移動に耐えられませんし、何よりも穢れによってこの地に縛られてしまいました。ですから、私はこの地に残ろうと思います」
そうは言うが、それもまた難しい話であることをは青陵は熟知していた。
「なにも、このような身体になったから残ろうというのではありません。私は、この地に骨を埋めるつもりで戻ってきたのです。だから、この先することについては、私としては本望でもあります。そして、それについては、長きに渡ってあなた方の力もお借りしたいのです」
蘇芳が、ゆるぎない決意をもって言った。
「それは、どのようなことなのですか。わしたちに、いったい何ができるのでしょう」
戸惑いながら、村長が訊ねた。
「青陵殿、あなたはすばらしい力をおもちです。特に、封印の力に長けていらっしゃる。どうかその力を使って、私の魂をこの鏡に封じてはいただけませんか」
「何をおっしゃいます」
胸から提げていた鏡を掲げてみせる蘇芳に、青陵は驚いて言った。
確かに、青陵の力をもってすれば、それは不可能ではないだろう。けれども、それでは蘇芳は人ではなくなってしまう。鏡が壊れぬ限り、ずっと存在していられるだろうけれども、自分から動くことも、他人と手を取り合うこともできなくなる。それは、ある意味、物神に近い存在だとも言えた。
「この鏡は、師匠からいただいた御神鏡です。できれば、私はこの中で在り続けたい。そうすれば、この命は保てなくとも、この思いは保てます」
「それを私にやれとおっしゃるのですか」
青陵は、蘇芳の思いをすべて受け止めきれるのだろうかと悩み、迷った。
「あなたは、私の思いまで死なせるつもりですか」
強い調子で蘇芳が言った。
「よろしいのですね」
青陵は念を押した。
蘇芳が、静かに、けれども、力強くうなずく。
「青陵様、本当にそんなことしたりはしないだろ」
驚いた鈍が、青陵にむかって問いただした。村長も、同じ気持ちであるらしく青陵の方を凝視している。
「蘇芳殿の身体は、もう長くはもちません。じきに朽ちてしまうでしょう。そうすれば、蘇芳殿の張った結界は消え、この村は無防備になります。おそらく、妖魅たちはその機会を待って襲ってくるでしょう。蘇芳様の身体を依代として、肆眸子はすべての穢れを自分の力として取り込むつもりです。おそらくは、御遺体を喰らうことによって……」
青陵は、そう鈍たちに告げた。
おぞましい考えに顔を顰めてから、鈍は蘇芳の顔を振り返ってじっと見つめた。
「やりましょう」
そう言って、青陵は立ちあがった。
蘇芳は、肆眸子の企てを無に帰するつもりだ。それに応えることこそが、青陵の務めだろう。
「青陵様」
鈍が、青陵の袖をつかんで哀願するように叫んだ。けれども、彼自身、何を願えばいいのか分からなかった。
「鈍さん、そして村の皆さんも、手伝ってもらえますね」
青陵の言葉に、鈍は小さくうなずいた。
「ありがとうございます」
蘇芳と青陵は、同時に囁くように言った。




