第肆章 御魂鏡 弐
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「ここから、むかったのですね」
廃村に立って、青陵はつぶやいた。
家々はまだ壊されたままだが、いずれここも復興するだろう。新しい領主が、村長の言ったとおりの人物であるならばだが。
けれども、それが束の間の平和であってはならない。
悪しき妖魅がまだいるのであれば、またここへ舞い戻ってくる可能性は大いにある。そんな不安を人々から払うためにも、青陵は山へ確かめにいかねばならなかった。
そして、何よりも、青陵自身の目的に近づかなければならない。そのためには、まず対となる太刀の存在を見つけださなければならない。
「今度こそ、ちゃんとした手がかりをつかまなくては」
青陵は、狩籠師の足取りを追って歩き始めた。
妖魅と狩籠師は戦いながら山を目指したらしく、道々にその痕跡が見受けられた。
いくらかは浄化されていたけれども、妖魅の振り撒いた瘴氣の痕跡がまだ残っている。
青陵は、できる限りそれらの土地を浄化しながら山を目指した。
急がなくてはならないと思いつつも、焦ることなく青陵は進んでいった。本来は目的地をまっすぐ目指せばいいのだが、ついついいろいろな物を見過ごせないというのは青陵の悪い癖でもあった。
そんなことであったから、肝心の山に着いたのはもう夕暮れ近くのことであった。
これから山に入るには時間がよくないが、妖魅がいるか確かめるのであれば、夜もまた都合がいいとも言えるだろう。
青陵は、止まることなく進んだ。
「この感じは……」
弱い抵抗を感じて、青陵は周囲を見回した。
どうやら結界の名残のようだ。
「それにしても、これはまた大規模な術だ」
手を翳して結界の境界を探りながら、青陵は少し驚いた。結界の範囲が、この広大な山のほとんどを覆っているらしい。
「これだけの術をかけられるとは、どのような術者なのだろう。あるいは、何か仕掛けがあるのか……」
青陵のこれから探そうとしている狩籠師がその術者であるとしたら、少しやっかいなことになるのかもしれない。
青陵は気を引き締めなおすと、結界の中へと入っていった。
「氣が……、変わった?」
違和感に、青陵は立ち止まった。
腰を落として、地面を調べてみる。
どうも、土地自体に妖魅の氣が色濃く染みついてしまっていたらしい。善き物にしろ悪しき物にしろ、大量の氣が土地自体に澱んでいれば、それを利用した大規模な術は可能だろう。
今はかなり薄まってしまっているようだが、結界がほとんど力をなくしているのも、そのせいなのだろう。
しかし、なぜこれほどの結界を張らなければならなかったのだろうか。
「これだけの氣に晒された土地であれば、それが均一であるわけはないでしょうね。より濃き処には、きっと何かがいるはず」
青陵は腰にはさんでいた一尺ほどの木の棒を左手でつかんだ。刀を抜くかのようにして、握った左手を鞘として右手でその木の棒を勢いよく引き抜く。すると、それまでついていなかった長い純白の紙垂が現れ、美しく宙に弧を描いて広がった。
大幣となった棒を、青陵は素早く振って宙に聖印を刻んだ。
最後にヒュンと大幣を振ると、その振られた方向とは違う方向に紙垂がぴんとのび、ゆっくりと地に垂れた。
「あちらか」
紙垂を引き戻すように振ると、それは霧散して消え、大幣は元の棒に戻った。
それを再び腰に差すと、青陵は歩きだした。
紙垂の指し示した方向には、踏み分け道が続いている。ときどき方向を確かめなおしたりもしたが、一番近くにある氣の溜まりはこの道の先にあると考えて間違いなさそうであった。
それよりも、明かりの方が問題となってきた。日が、完全に沈んでしまったからだ。そろそろ周囲には、夜の闇に潜む妖魅たちの気配も感じられ始めている。もっとも、それらは自然現象とほぼ同義な、たわいもない妖魅たちであったが。
「我、求むるは伴いし明かり。闇夜にあっては、明。火球をもちて、導となす」
青陵は、言霊と共に呪符を一枚飛ばした。
それは小さな火の玉となって、青陵に寄り添って足下を照らした。
小さな明かりではあるが、道を歩くには充分だ。
そろそろ今夜の寝場所を探さないといけないかと青陵が思い始めたとき、ふいに式神の炎がゆれた。
反射的に青陵は、大幣を抜いて振り上げた。
パシンと、妖氣が弾けて青白く火花が散った。
道の上にもんどり打った妖魅が、素早く体勢を立てなおす。
青陵が指さすと、式神の炎がその妖魅を照らした。
「狢か」
唸り声をあげる妖魅を見て、青陵は言った。
「人に仇なす者ならば、封滅する。さにあらずんば、去れ!」
周囲に響く声で青陵は言った。暗闇には、まだ他の妖魅たちもいるようだ。この狢だけが、逸って出てきたのだろう。
「いかに!」
動こうとしない狢にむかって、青陵は大呼した。
それに応えて、狢が大音声をあげた。その声に比するかのように、妖魅の身体が巨大に膨れあがる。
「虚仮威しなり!」
一喝すると、青陵は大幣を振り構えた。地面に渦を作るほど長い紙垂が、生き物のように宙を舞い踊った。
それを見た狢が、身を低くして構える。
「我、求むるは悪しきの調伏。妖魅にあっては、封。縛鎖をもって、玉となす!」
青陵を一呑みにせんと、狢が大きく跳躍した。それを待ちかまえていたかのように、複雑に宙に広がった紙垂があっさりと狢を絡め捕った。
串から無限であるかのように紙垂がのびゆき、狢を繭玉のようにつつんで地上に転がした。
「封玉!」
青陵は、狢にむかって印を切った。
繭玉の中身が一瞬にして消えてしまったかのように、紙垂の玉がふわりと崩れて解けた。青陵が串を引くと、するすると紙垂が短くなり、何か小さな物が宙に弾きあがった。
飛んできたそれを、青陵は手をのばしてつかみ取った。
開いた掌には、曲玉状の茶色い玉が載っていた。狢の、封印された姿だ。
青陵はそれを持っていた袋の中にしまうと、まだ暗闇に潜む妖魅たちの方を見てにっこりと笑った。
恐れをなした妖魅たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
青陵は、ほっと一息つくと先を急いだ。




