翕然主 肆
「おうい、お客人だよ。村長のとこに案内するだよ」
男が、誰にともなく声をかけた。
それを聞いた村人たちが、蜘蛛の子を散らすように家の中へと逃げ込んでしまった。
あっという間に、まるで廃村に入り込んだように人影が見えなくなってしまう。
「外の者だ」
「なんでまた、ここにやってきたんだ」
「迷い人か」
「逃げてきたのかのう」
「運のいい」
「わしらを、どうする気じゃろう」
「また、いつものようにするしかあるまい」
気配を探れば、微かに聞こえてくる囁き声と共に、幾つかの家から注がれる視線が感じられた。
戸板の隙間や壁の節穴に、幾つもの目が潜んでいる。それらは、余所者である凜華に一心に注がれていた。その意味するものは、異質なものに対する恐れや敵意だ。
人が隠れている気配はたくさんあるものの、空き家となって朽ちるにまかせている家も多いようであった。
それにしても、あまりにも活気がない。まるで、この村は誰かに監視されている流刑地であるかのようだ。
男と共になおも進んでいくと、凜華たちの後をこそこそとつけてくる者がいた。まだ小さい男の子だ。
まるで物陰の闇に潜む矮小な妖魅のようだと、凜華は溜め息をついた。
やがて、井戸のそばにある大きな家の前で男は止まった。ここが目的地らしい。
「村長、お客人だ。村長よー」
男が、中にむかって叫んだ。
誰かが出てくるのを待っていると、ふいに凜華の袖を引く者があった。先ほどからつけてきていた子供だ。
「おい、あんた、もしかして、本当に外からやってきた狩……」
子供が凜華に訊ねかけたとき、家の中から一人の老人が出てきた。慌てて、子供が逃げていく。
「何事か。騒々(そうぞう)しいぞ。この地に客人などくるはずが……」
言いかけて、村長は凜華を見て息を呑んだ。
「そなた、何者だ」
村長が、凜華を誰何した。
「凜華。狩籠師を生業としている」
「狩籠師だと」
村長の顔が厳しさを増した。
「中へ入るがいい」
くるりと背をむけると、村長は家の中へと戻っていった。
それについて中に入ろうとしたとき、凜華は背後から注がれる視線を感じた。ちらと見れば、先ほどの男の子らしき姿が視界をよぎる。
どうやら、好奇心というものは、萎えた大人は動かせずとも、無邪気な子供はまだ動かせるようだ。それはそれで、凜華としては嫌いではない。もっとも、いつもそうだとは限らないが。
今は子供を無視すると、凜華は家の中へと入っていった。
きちんと片づけられた土間に竈と水瓶があり、一段高くなった板の間に火を熾した囲炉裏があった。
「どうやって、ここにきなさった」
囲炉裏端に座って、村長が凜華に訊ねた。
「この足で」
あっけらかんと答えると、凜華は草履を脱いだ足を袴からのぞかせて、板の間にあがった。
「ところで、この土地は……」
「迷い込まれたかな。それとも、他に何か目的でもおありか」
凜華の質問を無視して、村長が続けた。
どうやら、先にあちらの質問に答えなければ、答えは聞かせてもらえないらしい。
凜華は幽明の太刀を外して傍らにおくと、村長の正面に座った。
「我は狩籠師なれば、退魔こそ我らが生業。追っていた妖魅がこの地に逃げ込んだので、たまさかここまで参ったまでのこと。だが、その妖魅を倒した者がいる。それに、この結界。この地は、いったいなんであるのか」
「それは、村の者にとって口にするも忌まわしいこと」
囲炉裏の中の炭を火箸でつつきながら、凜華の言葉には興味がないかのように村長が言った。
「そのような忌むべきものや穢れを祓うことこそ、我らの本懐。臆せず話されよ」
「やれやれ。狩籠師という者の口からは、いとも簡単に言葉が紡がれるものよ」
「言霊とは、そのようなものではない」
決めつけるような村長の物言いにかっとしながらも、凜華はかろうじて自分を抑えた。
言葉は音をもち、意味をもち、力を紡ぐ。その組み合わせは無限であり、狩籠師は言霊によって様々な力を駆使することができるのだ。それゆえ、狩籠師は、言葉をおろそかに使ったりはしない。
「まあよい。すでにこの地に入り込んでしまった以上、そなたもわしらと同じだ。すべてをあきらめて、この地に住まうしかない。しきたりには従ってもらわねばな。特に、翕然主にだけは、手を出してはいかん」
「それがこの地に棲む妖魅の主か。残念だが、私が追っているのは、あくまでも大蝦蟇の妖魅だ」
凜華は、言質を与えなかった。
「だが、その翕然主がどのようなものであるか分からなければ、私としてもいかんともしようがない。せめて、それだけでも説明してはいただけぬか」
「いいだろう」
村長は、凜華の言葉を約定ととったのか、あるいは、今は言っても無駄と悟ったのか、はたまた、これからの話で凜華の意志を変えられると思ったのだろうか。
とまれ、村長の話は始まった。




