第参章 真珠唄 肆
海辺の村へいくというのに、視界に海はまったく入らなかった。
仲買人が教えてくれた一本道は、こんもりとした樹木に覆われて、そこを歩く者を自身の視界からも他者の視界からも隠そうとしている。現在位置は曖昧となり、どこに進んでいるのかもはっきりはしない。
ただ、道はある。
『やっと小うるさい奴らから解放されたと思ったら、また酷く辺鄙な処のようだな。まあ、人がいない方が自由に喋れて楽だが』
町中ではずっと黙っていた幽明の太刀が、やっと楽になったとのびのびとした口調で言った。
「お喋りが静かでいてくれて、ずいぶんと平和だったんだがなあ」
『だから、それだと、お前が寂しがるだろう』
幽明の太刀の言葉に、余計なお世話だと、凜華は柄先を指先で軽く弾いた。
たわいのない会話を続けながら進んでいく。
やがて、道は断崖を降りていくものへと続いていった。微かに、潮の香りがする。
「仲買人の言った行程とだいたい合っているな。村はこの下だろう」
港町からここまでかかった日にちと地形を考えて、凜華は判断した。
『今度こそあたりだといいがな』
少し皮肉っぽく、幽明の太刀が言った。
途中、何度か同じような道を見つけたが、それらは単に海岸に出るだけのものであったのだ。それだけ、このあたりの地形が複雑であるとも言えるのだが。
道を下っていくと、途中で小さな池に出くわした。岸壁から吹き出した清水が溜まったものだ。
ここまでくると、海風が肌で感じられるようになる。
「さて、物わかりのいい海賊だといいが」
『無い物ねだりは、お前の悪い癖だ。慎重にな』
軽口を叩く凜華に、相棒が軽く注意を促した。
池からは、人の気配に気を配りつつ、慎重に進んでいく。そろそろ浜辺に辿り着くかと思えたとき、怒号と共に誰かがこちらへとむかってきた。
先頭を走るのは若い娘だ。その後を追う男は、どう見ても海賊という悪人面だ。
「待ちやがれ!」
待てと言われて待つ馬鹿もいない。死にものぐるいで走る娘は、隠れる機会を逸した凜華を見つけて救いを求めてきた。
「助けてください。あ、でも……」
凜華の身体にすがりついた娘は、凜華が女であることに気づき、さらに腰の太刀に気づいて、激しく戸惑ったようだ。このまま助けを求めていいのか、一緒に逃げるように言うべきか迷ったらしい。
それは、後を追ってきた海賊も同じであった。女とはいえ、きちんとした身なりで武装もしている。むやみに手をかけていいものかどうか、考え迷ったらしい。
「おい、そこの女。そいつをこっちへ渡せ」
「嫌だ」
手をのばす海賊に、娘が凜華の後ろに素早く回って言った。
「こいつ海賊だよ。早く逃げよう」
娘が、凜華の耳許で囁いた。
「まあ、双方、落ち着いて話をしろ」
嫌らしいほどの落ち着きを見せつけて、凜華は娘と海賊に訊ねた。
何を言いだすかと思い、とっさに逃げだそうとする娘の腰に手を回し、しっかりとかかえ込む。
「話なんかいらねえ。おとなしく、その娘を渡せばいいんでえ」
海賊が凄んでみせた。
「私は、話をしろと言っているんだが」
娘をかかえたまま、凜華は呪符を一枚取り出して構えた。
それを見て、海賊と娘がはっとする。
「そいつは……。や、やろうって言うのかよ」
海賊も腰の刀に手をかけた。だが、どうも刀に慣れてはいないようだ。腰が引けていて、構えも何もあったものではない。
「やっつけちゃってよ、こんな裏切り者。でなければ、その刀を貸して」
娘が凜華を煽った。
「鶸、てめえ」
海賊の一人が、娘にむかって叫んだ。
「裏切り者じゃないか、黒鳶も海松も。それどころか、お前は仇だ」
「へっ、海松みてえな弱虫と一緒にするな。俺は、この村で一番の男だ」
何か痛いところでも触れられたか、黒鳶と呼ばれた海賊が激高する。
「そのへんにしておけ」
突然、凜華たちに声がかけられた。見れば、ひときわがたいのいい男が、数人の海賊らしき者を連れてこちらへとやってくる。
「ああ、早く逃げないから」
凜華の腕の中で、鶸ががたがたとふるえながらもがいた。
「抜いたら、てめえの始末はてめえでつけることになるんだぞ。分かっているんだろうな。その覚悟がなければ、引っ込んでろ。まったく。新参者は、見張り一つできやがらねえ。見ろ、相手は、紙切れしか持ってないじゃねえか」
「でも、お頭、こいつは狩籠師だ。あの紙切れは、刀よりおっかねえ」
黒鳶が、言い訳がましく男に言った。
「狩籠師だと?」
海賊たちの頭領が、値踏みするように凜華を視線でなめまわした。さすがに、あまりいい気分はしない。
「お前は何者だ」
凜華は訊ねた。
「俺は、こいつらを束ねる海賊の頭で、青茅という。さて、お前は、何者だ。何をしにきた」
凜華の堂々とした態度に、それなりの警戒と対応をもって青茅が言った。
「凜華。そこの迂闊者の言うとおり、狩籠師だ」
隠すことなく、凜華は答えた。青茅という男、話が分かるとまでは言わないが、会話ができるぐらいの分別はもっているようだ。
「本当に狩籠師か。なるほど、狩籠師に手を出そうなんて、迂闊者のすることだ。あんたがこいつを殺しても、俺は咎めたりしないぜ。だが、その娘は別だ。俺たちの戦利品だからな。返してはもらえないかな」
「私の手の中にある物をか」
不敵に凜華は言った。
「てめえ」
黒鳶を始めとする手下の海賊たちがいきりたった。