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狩籠師  作者: 篠崎砂美
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魂珠貝 玖

「どうしてだよ。そのくらい、あたいだってできるじゃないか。いつからこの浜の漁師たちはそんな意気地なしになっちまったんだい……」

 我慢しきれなくなって、鶸が叫んだ。だが、言ってしまってから、まったく妖魅を恐れないのであれば、今でも(りょう)にいっているはずだと気づいて、鶸は一人唇を噛んだ。

「海が相手なら、わしらも戦い方を知っておるわ。だが相手が妖魅であっては、どうにもならん」

「妖魅は、私が相手をいたします」

 青陵は、繰り返した。

「口は達者だが、舟を失い、甚三は死にそうな目に遭ったではないか。約束を守れなかったのは、お前様の方だ。網元として、同じ過ちは繰り返せん」

 そう言われては、青陵としても返す言葉がなかった。だが、狩籠師を名乗る以上、このままにしておくわけにもいかない。

「海で命を落とした漁師たちは、舟幽霊となってまで、あなた方に危険を知らせようとしたのです。あなた方が村を捨てたとしても、彼らは救われません。常夜鰐を退治して、舟幽霊たちを成仏させてあげるのが、もっとも良いことなのではないでしょうか」

「おじじ。おとうたちを助けてあげてよ」

「網元……」

 鶸と甚三が食い下がったが、網元はがんとして主張を曲げなかった。ほとんどの漁師たちも、網元と同意見だった。甚三の様子を見ては、やはりいかなくて正解だったと思ってもしかたがない。

「では、せめて舟をお貸しいただけませんか」

「ならん」

 網元が、(かたく)なに拒絶した。

 もともとこの村を捨てることにしていたのだから、今さら青陵が現れて問題を蒸し返されても迷惑なだけなのだ。

「おじじ……」

 懇願するように、鶸が祖父を見た。

「くどい!」

 なおも食い下がる鶸を、網元が一喝した。

「わしにとっては、今ここにいる生きている者たちの方が大事なのだ。妖魅退治に手を貸すことはできぬし、船を出すこともできぬ。死んで舟幽霊になった者たちの思いには応えられん。もう決めたことなのだ」

 網元は、自分自身を納得させるように言い放った。

「話は終わりだ。しばらく休んだら、お前様も村を出ていかれるがいい。ここにこれ以上いてもせんないことだ」

 網元が、漁師たちに甚三を家へと運ぶように指示した。

 残された青陵を、鶸があなたはどうするのという瞳で見つめた。

「お世話になりました」

 青陵は、鶸に深々と頭を下げた。

「ちょっと、何よ、それは」

 予想もしなかった青陵の態度に、鶸が激怒した。

「舟なら、あたいがなんとかするから。あんた、狩籠師なんでしょう。舟幽霊を成仏させてくれるんでしょう。約束したじゃない」

「無理です。私には、もう何もできません。網元の言うとおりです。ここに残っても、私にはもうできることがありませんから」

 そう言うと、青陵は今一度頭を下げた。直後に歩きだし、入り江の出口である坂の方へとむかう。

「嘘つき!」

 鶸の叫びだけが、空しく青陵の背中に投げつけられた。

 そのまま道を進んだ青陵は、最初に鶸と出会った池の処で立ち止まった。

 追いかけてくるかに思えた鶸の姿はない。

 周囲に誰もいないことを確かめると、青陵は衣服をすべて脱いで、池から流れ出す水で衣服と身体に染みついた塩を洗い流した。池に入ってしまえば早いのだが、飲み水として使っている以上、それは(はばか)れる。今後も、ここは使わねばならないのだから。

 綺麗になった衣服を丁寧に木の枝にかけると、青陵は残り少ない呪符の一枚を手に持った。

「我、求むるは清浄なる衣。浸潤(しんじゅん)にあっては、(そう)。熱気をもって、清新(せいしん)となす」

 言霊と共に呪符を投げる。

 呪符が衣服にあたって消えると、白い湯気が濡れていた衣服から立ちのぼった。一瞬にして、濡れていた物が綺麗に乾く。

 青陵は乾き具合を確かめると、まだ子供らしい体型の身体に肌襦袢の袖を通していった。さっぱりとした布の感触に、気分も新たになる。

 再びすべての衣服を身につけると、青陵は残った呪符の数を数えた。慣れぬ海の中で、かなりの数を流してしまったらしい。

 青陵は、反閇(へんばい)歩法(ほほう)で地面に護法陣を描いていった。それが完成すると、そのそばに座って祈祷(祷は正字で。極力簡易字体は使わない方向で)(きとう)をあげ始めた。

 言霊が、周囲に満ちる自然の氣の波動に同調していく。それらは、()り合わさって、()きあげられ、次第に目に見えることのできる力の形、呪符へと変化していった。途切れることのない祷は正字で。極力簡易字体は使わない方向で)によって、ゆっくりとだが、護法陣に描かれた桔梗印(ききょういん)の中央に呪符が積みあがっていく。

 呪符自体に凝集した力を還元することで、狩籠師たちは様々な術を用いる。呪符は力の源そのものとなる場合もあれば、術者やより大きな自然の力を呼び起こすための呼び水ともなる。そのため、特殊な物以外は、呪符はすべて同じ外見をした物だ。

 真夜中になるまで、青陵はできる限りの呪符を補充した。さすがに、周囲の氣を集めるため、特別な霊場でもなければ無尽蔵に呪符を作りだすことはできない。

 もしも、際限なく氣を集めることができるならば、周囲の生命は活力を失い、そこは荒野と化してしまうだろう。それは、邪法に他ならなかった。

「我、求むるは見えざる被衣(かずき)眸子(ぼうし)にあっては、(とう)薄衣(うすぎぬ)をもって、隠しとなす」

 青陵は、頭の上に呪符をかざして唱えた。

 細かな光の粒子になった呪符が、すっぽりと青陵の身体をつつんだ。その姿が、夜の闇に溶け込むようにして消える。

 姿を隠すと、青陵は村の方へと戻っていった。

 坂を下りきった処に、案の定人影が見える。網元が指示したものだろう。

 青陵は、草の葉一つ踏みつぶさぬ足捌(あしさば)きで、するりと見張りの横を通り抜けた。そよ風が通り過ぎていったほどに感じただろうか、いや、それすらも分からぬほど自然に青陵は進んでいった。

 幸いなことに、舟のそばには見張りはいなかった。

 舟を盗むことには多少良心が痛んだが、このままにはしておけなかった。

 常夜鰐を放置しておいては、やがてこの近くの海は、ほとんどの魚が食い尽くされてしまうだろう。そうなれば、腹を空かせた常夜鰐は、別の海域に移動するだけだ。網元のように逃げても、問題は少しも解決しないのだ。

 それに、本来小型の妖魅である常夜鰐が、あれほど巨大化していることも問題だった。影に潜む常夜鰐は、あまりに長い時間光の中にいると影が崩壊して消えてしまう。閃光を一気に浴びせて倒すことができたのもそのためだ。

 どうやって深海から浅い海まで無事に上ってきたのかは分からないが、豊富な餌の影を喰らってあそこまで成長してしまったのだろう。放っておけば、もっと大きくなるかもしれない。

 逃げ込む影がなくなって自滅してくれるのであればいいが、そうでなければ、倒せるのは今のうちということになる。それに、全部で何匹いるかも問題であった。

 それもこれも、すべては行動を起こさなくては分かるものも分からない。


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