魂珠貝 捌
「早く、手当てを!」
異変に気づいて集まってきた漁師たちにむかって、青陵は叫んだ。
すぐさま、仲間が水を吐かせる。なんとか、甚三が息を吹き返した。
「我、求むるは生なる息吹。弱きところにあっては、活。慈愛をもって、活力となす!」
間をおかず、青陵は呪符を甚三の胸に貼りつけ、言霊を紡いだ。ぐったりとしていた甚三が、束の間激しく咳き込んだ後に、意識を取り戻してなんとか落ち着く。
「すまねえ。みんな、世話かけちまったな」
「よかった」
一命をとりとめた甚三に、青陵はほっと胸をなで下ろした。
「だから言ったんだ」
「よせばよかったものを」
黒鳶や海松を始めとする漁師たちがざわめいた。
「これは、いったいどうしたことだ。お前様は、危なくはないと言ったではないか」
網元は、顔を真っ赤にして激怒していた。漁師たちを束ねる者として、この事態は容認しかねたのだ。それは、自らの思いに浸り、無条件に青陵を信じてしまったことへの自省からきていたのかもしれない。
「申し訳ありません」
甚三を危険な目に遭わせてしまったことは、青陵としては返す言葉もなかった。
「いや、網元、俺なら大事ない。それほど柔に見てくれるな」
甚三が間に入ってくれたおかげで、青陵にむけられた怒りは、ぎりぎりのところで抑えられた。
「それより、俺たちは舟幽霊に会ってきた。それから、別の化け物にも……」
「なんだと」
まだ弱々しい甚三の言葉で、話の矛先が一気に変わった。
「舟幽霊に会えたのか。それで、誰かいたか」
網元が、甚三に詰め寄って問いただした。
「ああ、前の網元の姿を見た」
「なんですって」
飛び出してきた鶸を、網元が制した。
「舟幽霊は、あなた方を殺そうとしていたのではありません」
簡単に身なりをなおして、青陵は網元たちに話し始めた。
「理由は分かりませんが、沖には常夜鰐という妖魅がいます。影を喰らい、その影の持ち主をも砕く恐ろしい妖魅です。あなた方の舟が難破したのは、ほとんどその妖魅のせいでしょう。それを警告するために、舟幽霊たちはあなた方の前に現れたのです」
「だが、舟幽霊を見た舟が何艘も沈んでいるんだぞ」
「そうだ、そうだ。大昔から、舟幽霊は船乗りを海に引きずり込むものと決まっているだ」
「舟幽霊は、俺たちを仲間にしたがってるんだ」
漁師たちが、口々に青陵に言い返した。
「舟幽霊を見たから沈んだのではなく、沈む危険に近づいたから舟幽霊たちが現れたのです」
「そんなこと分かるものか」
「分かります」
青陵は、断言した。
「坊主の言うことを聞いてやってくれ。嘘はついちゃねえ」
甚三が助け船を出したが、少し興奮気味の漁師たちを落ち着かせるまではいかなかった。
「もしも、あなた方をも舟幽霊にしたかったのなら、脅かしたりしなくてもよかったはずです。仲間の漁師のふりをして、岩場に誘い込んで舟を沈めればいいだけのことですから」
「いや、舟幽霊に追われて、岩に乗り上げた舟もあるぞ」
「それは、あなた方が舟幽霊を恐れたからです」
「恐れるなと言う方が無理じゃ」
「現に沈んでおる」
「早く、こんな村出ていこうぜ」
「そうだそうだ」
どうにも堂々巡りだった。
確かに、異形の妖魅が人のために何かしてくれるとは思えないだろう。だからといって、頭ごなしに恐れては、自らを危機に陥れてしまうことがある。
何が起きているのかを見極められなければ、何をしなければいけないのかは分からない。狩籠師は、ただの破壊者であってはならないはずだ。だが、すべての者にそれを求めるのもまた無理なことだった。
「真に恐れるのは、常夜鰐です。ですから……」
「そんなことなど、もうどうでもよい」
網元が、青陵の言葉を遮った。
「どのみち、人を殺める妖魅がいるのであろう。だとすれば、わしらのとる道は一つだ。以前から取り決めておいたように、この村を捨てる」
決定は変わらないと、網元が言い切った。
すでに議論を重ねて納得していた漁師たちが、一斉にうなだれる。
「それも一つの道でしょう。でも、まだ他の道もあります。私に、常夜鰐を祓わせてはいただけませんか」
青陵は、あらためて網元たちに提案した。
もともとは妖魅を祓うつもりであったのだ。それが、舟幽霊から常夜鰐に変わったにすぎない。
「だめだ。これ以上、誰も危ない目に遭わせるわけにはいかん」
「ええ。ですから、今度は充分に準備していきます。影がほとんどできない夜のうちに、沖の岩場まで私を連れていっていただければいいのです。そのまま、舟には帰ってもらいます。そこで常夜鰐を祓いますので、すべてがすんだらまた迎えにきていただければいいのですが」
「ならん。夜に岩場に近づくなど、妖魅がいなくとも危険すぎる」
青陵の説明では、網元は納得してくれなかった。