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狩籠師  作者: 篠崎砂美
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魂珠貝 漆

 水中でもがきながら、青陵はなんとか体勢をたてなおした。裳裾の乱れをなんとか手で押さえる。すぐに取り出せるようにしておいた呪符が数枚流れてしまったが、それに構っている余裕はなかった。

 足先からゆっくりと沈み、青陵は海底に降り立った。わずかに、足下の泥土(でいど)が舞いあがる。

 舟が壊れた反動で海面に(さざなみ)がたち、日の光が網目模様のゆらぎとなって海底に光の模様をつける。

 おかげで、海面に浮いている甚三の影もゆらめいて一定しなかった。不幸中の幸いだが、じきに海面は落ち着いてしまうだろう。そうすれば、海底に影ができる。はっきりとした影でないであろうから一瞬にして喰われてしまうことはないだろうが、それはそれではるかにおぞましい結果になるだろう。それまでに、海流に運ばれてここから離れてくれればいいが。

 海に沈んだまま、青陵は妖氣を(さぐ)って常夜鰐を捜した。感覚を広げるかのように、裳裾(もすそ)が海中でゆらゆらと広がる。

 場所的に妖魅が集まる処であるのか、幾つかの妖氣の溜まりが感じられた。姿を消してしまった舟幽霊も、その中にいるのだろうか。

 どれが常夜鰐だと確信するには、妖氣の(かたよ)りは曖昧(あいまい)すぎた。

 --轟然(ごうぜん)

 心の中で唱えると、青陵は取り出した呪符を軽く指で弾いた。呪符が弾け飛び、弱い衝撃波が周囲に広がる。言葉を音として発せられない水の中では本来の力は出しにくいが、隠れている妖魅を炙り出すにはそれなりの効果があるだろう。

 海底のあちこちで、何かが一斉に動きだした。

 大小様々な魚たちが岩場の陰から飛び出してきた。その中には、小さな海月(くらげ)にも似た不定形の妖魅たちもいる。その背後で、何かが(うごめ)いた。

 すわ常夜鰐かと青陵は身構えたが、それは魚たちの隠れていた岩場の一つのようであった。それがぐらぐらと動くと、突如口を開いた。岩かと思っていたのは、巨大な化け物貝だったのだ。貝殻の表面にこびりついていた富士壺(ふじつぼ)などのせいで、岩と見間違えていたのだろう。

 よく見ると、化け物貝は数多く周囲に潜んでいた。だが、常夜鰐の姿は見えない。

 水がだいぶ澄んできた。

 青陵としては、普通の人間と違って水に潜り続けていられる。だからといって、時間が経てば有利になるというわけではなかった。むしろ、海底に影が結べば、不利になる。

 青陵は、心配そうに海面を見あげた。

 泳ぐ甚三の姿が、踊る寄せ餌のように見えて不安になる。

 そのとき、周囲を泳いでいた魚たちの群れの一部が、忽然(こつぜん)と姿を消した。

 巨大な影が、青陵の視界をよぎった。

 魚たちが恐慌を起こしてでたらめに泳ぎ回る。海底に、魚影と鱗の反射する光が乱舞した。

 --轟然!

 青陵は左手で呪符を持つと、勢いよく右の(てのひら)でそれを突いた。狙いを絞り込んで収束した衝撃波が、水中を伝わって正面の岩を砕く。化け物貝たちが慌てて動きだす中、巨大な鮫の形をした影が海底を音もなく滑っていった。

 その影が通り過ぎた場所を泳いでいた魚たちは、粉微塵(こなみじん)に砕けて海底に沈んでいく。青陵の攻撃で少し水が(にご)ったため、影が不完全のまま常夜鰐に喰われたのだろう。

 --速いな。それに水の中では、大幣(おおぬさ)で封じるのは難しい……。

 逃げる常夜鰐にむかって、青陵は今一度衝撃波を放った。だが、影そのものである常夜鰐を傷つけることはできなかった。妖魅の本体は、この世ではない狭間にあって、影だけをこの世界に落としているのだ。敵もこちらの影にしか攻撃できないとはいえ、かなりやっかいな相手だった。

 そのまま、常夜鰐が、別の岩の影に逃げ込んで姿を隠す。

 隠れている魚以外がほとんど見られなかったのは、かなりの数が常夜鰐に喰われてしまったのだろう。だとすると、この妖魅はよほどの大食漢か、あるいは複数がこのあたりにいるかだ。

 --影なら、影なりに扱いましょう。

 青陵は、新たな呪符を取り出した。水の中で海草のようにゆらいでいた呪符が、ぴんとのびる。

 岩場の影から影へ、また常夜鰐が移動する。

 --不動!

 それめがけて、青陵は呪符を投げた。

 水中をくるくると回転しながら、呪符が常夜鰐めがけて飛んでいく。命中して影を海底に縫い止めると思った瞬間、常夜鰐が黒い布のようにひらりと(ひるがえ)った。何もいなくなった海底に、呪符が(むな)しく突き刺さる。

 海底から浮きあがった常夜鰐が、海中を薄い布か海草のようにゆらゆらとゆらめきながら泳ぐ。そのまま浮上した常夜鰐が、海面と一体化した。

 大型の舟の影のように、青陵の見あげた海面に常夜鰐の巨大な姿がはっきりと見えた。その先の方に、別の影がある。甚三の影だ。

 --いけない。

 青陵は、慌てて海面にむかった。甚三の影を見つけた常夜鰐が、それを喰らうつもりだ。

 本物の人食い(ざめ)のように、大きな影が甚三にむかって迫る。さすがにそれに気づいた甚三が、逆方向にむかって泳ぎだした。それでも、常夜鰐との差は見る間に縮まっていく。

 間に合わないと悟った青陵は、出発前に二つに分けた呪符を取り出した。

 --還元!

 呪符を握りしめて念じると、呪符を引っぱる強い力が生まれた。ぐいぐいと見えない力に引かれながら、青陵は海面へと浮上した。

「甚三さん!」

 声をかけて、なんとか甚三の身体をつかまえる。

「驚いた。てっきり……海に沈……んだかと……」

 激しい水の抵抗を受けながら、甚三がなんとかそれだけ言う。

 甚三が漕いでいたときの舟よりもはるかに速い速度で、二人は海上を進んでいった。

 だが、常夜鰐がしつこくもその後を追いかけてくる。しかも、その数はいつの間にか三つに増えていた。やはり、複数の常夜鰐がこの海域に巣くっていたのだ。

 波のゆらぎには影響を受けてはいるようだが、水の抵抗をほとんど受けていない常夜鰐の方が、それをもろに受けている青陵たちよりは若干速かった。このままでは(おか)に辿り着く前に追いつかれてしまいそうだ。

「私に、しっかりつかまってください」

「おう」

 言われて、甚三ががっしりと青陵をだきかかえた。片手が少しだけ自由になった青陵は、なんとか新たな呪符を取り出すことに成功した。

「目を閉じて」

 青陵に言われて、甚三が固く目を閉じた。

「我、求むるは聖なる輝き。陰にあっては陽。光明(こうみょう)をもって、影をば祓う!」

 青陵の手の中で、呪符が激しい光を放った。青陵は、それを常夜鰐たちにむけて投げあげた。

 突然の激しい輝きに、海面を滑るようにして進んでいた常夜鰐たちが、慌てて海中に潜った。何かの影に、素早く逃げ込もうとする。だが、わずかに一匹が遅れた。もろに光を浴びた常夜鰐が、影そのものを消されて消滅する。その瞬間、海の中で何かが弾け飛んだ。海面に大きく水柱が立つ。

 影を失った常夜鰐の本体が、狭間の中で消滅したのだ。

「やった……のか。狩籠師の……坊……」

 激しく波に洗われながら、甚三がそれだけ言って気を失った。無理もない。この状態は、泳いでいるというよりも、縄で縛られたまま足の速い帆船に引きずられているようなものだ。

「もう少しです。頑張って……」

 励まそうとした青陵も、開いた口の中に海水が飛び込んでくる。

 だが、青陵の言葉どおり、ほどなくして二人は入り江に戻ってきた。

 一文字の跡を引いて砂浜に乗り上げたところで、青陵は握りしめていた呪符を手放した。凄まじい勢いで呪符は宙を飛び、木に貼りつけられていた片割れと一つに戻った。


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