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狩籠師  作者: 篠崎砂美
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魂珠貝 陸

「だから、俺はこの役を買って出たんだよ。まだ舟幽霊がいるかどうか確かめたくってな」

 それはちょっとおかしな話でもあった。網元の話では、漁師たちはみんながみんな舟幽霊を恐れて、海に乗り出さなくなったのではなかっただろうか。この甚三のような男なら、青陵と一緒でなくとも、一人で確かめにいきそうなものだ。

「今まで、確かめにはいかなかったのですか」

「再び網元になった鶸のじいさまに止められたからな。いいかい、漁ってのはいろいろな方法があるんだ。竿を頼りに一人で釣る場合もあれば、大勢で網を張って魚を追い込む場合もある。そういうときは、何よりも漁師仲間の呼吸が大事さ。一人でも勝手なことをする奴がいてみろ、そいつのとこから魚は逃げちまう。だから……、だからなんだよ。畜生!」

 言いつつ、甚三が急に拳を握りしめた。

「おかしいじゃないか、俺たち漁師の絆ってのは絶対だと思ってたんだ。なのに、舟幽霊ってのになっちまったら、昔の仲間を取り殺すって言うじゃないか。おかしいだろ。なんでそんなことができるんだよ」

 甚三の怒りは切なく深いものだった。だからこそ、青陵の水先案内の仕事は、格好の口実になったわけだ。

「確かめましょう」

 青陵は、力強く甚三を促した。

 舟が岩場に近づいていく。

 青陵の目にも、海面近くまで迫った岩が幾つも見てとれた。甚三が慣れた様子でそれらを()けていくが、まともにぶつかったら舟は沈んでしまうだろう。

 そのとき、にわかに岩の周囲が(かげ)った。太陽が出ているのに、その一帯だけ不自然に仄暗(ほのぐら)い。

「何かいるぞ」

 甚三が叫んだ。

 岩場の上に、人影らしき物が見える。一つ、二つ三つ……。生気を伴わない数多くの人影がゆらりと岩の上に立ち集まっていた。

 見れば、それらの人影は海の中から次々と岩の上にあがってきているようだ。

「舟幽霊です」

 青陵の言葉を待つこともなく、甚三は彼らの中に見知った顔がないか目を凝らしていた。だが、水に濡れ、うつむきがちの舟幽霊たちは、遠すぎて顔がよく分からない。

「いくぞ」

 甚三が、舟をさらに岩場に近づけようとした。

 大きな水音がした。

「うわ」

 大きく舟がゆれて、青陵と甚三は振り落とされないように身をかがめて舟にしがみついた。

 大量の水を舟の中に持ち込みながら、何かが海から乗り込んできた。

 舟幽霊だ。

 生前の格好だろうか、甚三たち漁師と同じ姿をしている。けれども、全身は濡れそぼり、長くのびた髪は海草のような緑の光沢を帯びて顔や身体に貼りついていた。

『帰れ……』

 青陵の耳に、舟幽霊の声が微かに聞こえた。

『ここから先に進むな。急いで帰れ』

 今度は、はっきりと聞こえる。

 これは警告なのだろうか。

 舟幽霊が、顔をあげた。

「網元!」

 甚三が叫んだ。

 この舟幽霊は、死んだ先代の網元、鶸の父親なのだろうか。

『ここは危ない、帰れ』

「網元よ、俺だ、甚三だ。何か言ってくれ。あんたは、本当に俺たちを取り殺そうとしているのか」

 立ちあがって、甚三が言った。

 どうやら、舟幽霊の言葉は、人には聞こえにくいらしい。

「甚三さん、静かにしてください。舟幽霊は、何かを語ろうとしているんです」

「本当なのか。俺には、何も聞こえない……、いや、風の音か笛の音のようなものが聞こえるぞ。これは、舟幽霊の唄なのか」

 甚三が耳を(そばだ)てた。

「我、求むるは伝わりし声音(せいおん)。静寂にあっては、(きょう)宿意(しゅくい)をもって、()れとなす」

 青陵は、呪符を放りあげた。鋭い音と共に、呪符が砕け散る。一瞬の耳を刺す衝撃に、甚三が両手で耳を押さえた。

「なぜ、あなたたちは舟を沈めようとするのですか」

 甚三にも分かるように、青陵ははっきりと舟幽霊に質問した。

『違う。ここにきてはいけない。ここは、人ではない海の不可思議が棲む玉の(ひつぎ)。ここには、影喰らいの常夜鰐(とこよわに)がやってくる』

「常夜鰐?」

「やっと俺にも聞こえたぞ。なんだそれは。何かの化け物なのか……」

 青陵が口にした常夜鰐という言葉に、甚三がその意味を確かめようと訊ねた。

『影を喰らう妖魅だ。あ奴らは、漁師を、俺らの仲間だった者たちを喰らう。それは許せない。だが、俺らには常夜鰐を殺すことも、追い払うこともできない。だから、ここには近づくな。頼む、近づかないでくれ』

 常夜鰐は、深海の日のあたらない影の中に生まれる小さな(さめ)の影の姿をした妖魅だ。深海の闇の中に棲み、その闇を食べている存在でしかない。

 それが浅い海へと這い出してきたというのだろうか。だとしたら、日の光が作る生き物などの影を食べて変化(へんげ)したのかもしれない。ただの闇に(じつ)はないが、生き物の作る影はその生き物を写している。その影を喰らうことで、必要以上の活力を得たのではないだろうか。

「網元たちは、俺たちを殺そうとしていたわけではないのか」

 甚三の問いに、舟幽霊が水の(しずく)を飛ばしながら(かぶり)を振った。

「なら、なんで……」

 甚三が舟の舳先近くにいる舟幽霊の方へ近づこうとした。

 そのときだ、突然舟が大きくゆれた。一瞬にして、中ほどが粉々に砕けて真っ二つになる。反動で、青陵たちは海へと放り出された。

 その瞬間、青陵は、巨大な鮫の形をした影が眼下を通り過ぎるのをはっきりと見た。

 青陵たちが乗っていた舟の数倍はある巨大さだ。常夜鰐としては、あまりに大きい。

 おそらく、この常夜鰐が、浅くなっている海底に映った舟の影の中央を一噛みに噛み砕いたのだろう。常夜鰐は、影喰らいと呼ばれるように、物の影を食べる。影を失った物は、その影を作っていた本体も消えてしまうのだ。

 本来であれば影を喰われた舟は消滅してしまうわけだが、海底の影がはっきりとはしていなかったせいで不完全に影を喰われて粉砕してしまったのだろう。

 激しい水音を立てて、青陵たちは海に落ちた。

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