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狩籠師  作者: 篠崎砂美
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魂珠貝 伍

 翌日、網元が舟とその漕ぎ手を見つけてくれたのは、日もずいぶんと高くなったころだった。やはり、なかなか人が見つからなかったらしい。それでも、承知してくれる者がいただけでもありがたかった。

「この甚三(じんざ)があないします。甚三、青陵殿をしっかりとあないしてくれ」

「おう、まかせておけや」

 海の男らしく、少しぶっきらぼうではあるが力強く甚三が答えた。

「よろしくお願いします」

 青陵(せいりょう)は、(つつ)ましく会釈した。

 桟橋に用意された漁舟(ぎょしゅう)に乗り込む前に、青陵は呪符を一枚取り出した。

「我、求むるは一なるを二とする物。その居ぬる処においては、()。動かざる物をもって、(しるべ)となす」

 青陵が言霊を紡ぐと、呪符がずれて二枚となった。まるで、最初から薄い二枚が重ね合わせてあったかのように、寸分違わない物に分かれる。

 青陵は、そのうちの一枚を砂浜近くの比較的丈夫そうな木に貼りつけた。

「何をしているの?」

「安全に戻ってこられるように、ちょっとした(しゅ)をかけただけです」

 不思議そうに訊ねる(ひわ)に、青陵はそう答えた。

「おい、甚三、本当にいくのか」

「やめとけよ、そんなこと」

「たいした仕事じゃねえさ。まかせとけ」

 漁師仲間の黒鳶(くろとび)海松(みる)に言われて、甚三が胸を張った。弱気な他の漁師たちとは明らかに違う。

「大丈夫。まだ海は静かだよ」

 くんくんと、鼻で潮の香りを確かめながら鶸が言った。

「鶸が言うなら、確実だな」

 甚三がうなずいた。

「とりあえずは、様子を見て参ります。危ないようでしたら、すぐに戻ってきますので」

 青陵は、集まってきた村人たちに一時(ひととき)(いとま)を告げると、甚三と共に舟に乗り込んだ。

 屈強な漁師の漕ぐ(かい)の動きも力強く、舟が沖へと進んでいく。

 天気は良く、波も穏やかだった。海は美しく広がり、澄んだ水は海底が見えるほどだ。太陽の光に照らされて、水底(みなそこ)には(おぼろ)げに舟の影さえ映っているだろう。

 一見すると少しの危険もないように思える。だが、広く心を水に伝わらせてみれば、広がる心の琴線(きんせん)が、様々な思いの残照のような物に触れる。

 この海は様々な物に満ちている。

 思えば、青陵があの入り江の村の方に()かれていったのも、この海が呼んだのかもしれなかった。

 沖にむかってどんどんと進みながら、ときおり甚三が海面を凝視したり、手を海水に浸けたりする。

「何をしているんですか」

 不思議に思って、青陵は訊ねてみた。

「ここいらは潮の流れが複雑なんでな、細かく確認しないとあっという間に流されちまうんだ」

 甚三が、潮の見方を細かく青陵に説明してくれた。基本的には長年の勘で潮の流れゆく先を予想するのだが、その材料となるのは波の形であったり、海流の色、あるいは水温などであった。それらで、自分の舟がどの潮に乗っているのかを確かめるのだ。これを見誤ると、流れの速い潮に捕まって、あっという間に暗礁域に運ばれてしまうことだってあるという。

「ところが、舟幽霊は、この読みを狂わせるんだ。危ない潮の方に俺たちを追いやって、舟を沈めようとしやがる。ま、そういうことになっている」

 言葉とは裏腹に、甚三はあまり舟幽霊を怖がってはいないようだ。

「水先案内を買って出ていただいてとても感謝していますが、なぜ私と一緒にいこうと思ったのですか」

「そりゃ、お前さんみたいなちっちゃい子供が沖にいくというのに、俺たち大の大人が尻込みしてちゃいられねえだろが」

「網元に、無理やり命じられたわけではなさそうですね」

 豪快な甚三に、青陵はにっこりと微笑(ほほえ)んでみせた。

「小生意気な坊主(ぼうず)だなあ。まあ、そのくらいじゃないと、舟幽霊をやっつけるなんてたいそうなことは口にできないか。まあ、男ならそのくらいでないといろいろと役にたちゃしねえしな」

 予想外によく喋る甚三に、青陵は苦笑いするだけであった。

「お前さんが世話になった網元んとこの鶸がいるだろ」

「ええ」

「あれは勿体(もったい)ねえな。男だったら、さぞかしいい海の男になったものを」

「そんなことを言ったら怒られますよ。結構女らしい人なんですから」

「違いねえ。鶸には今のことは言うなよ」

 豪快に笑いながらも、甚三がひょいと潮を乗り換えた。

「ほら、ずっとむこうに幾つか岩場が見えるだろう。俺たちは魚の宿と呼んでる。根つきの魚とかがたくさんいてな、たまにとんでもない大物が獲れたりするんだ。それに、あのあたりは潮だまりでな、幾つかの流れがあの近くを通って渦巻いてるんだ。運が悪ければ岩に一直線、運が良ければ魚の群れと共に洄游(かいゆう)できるってわけだ。舟幽霊が、一番出やすい処でもあるらしい」

 まだまだ先だが、甚三の指さす(かた)には、幾つかの岩場が海の真ん中に突き出ている。波に洗われているそれらは、ごつごつとした奇妙な形をしていた。

 青陵は感覚を研ぎ澄まして、岩場の方を注視してみた。人の目には見えないかもしれないが、岩の周囲に妖氣の渦が見える。

 甚三の言うことが本当ならば、あの岩場の下には魚が隠れることができる複雑な形の岩が広がっているのだろう。そこに驚くほど長く棲んでいる魚や貝の(たぐい)がいたとしたら、妖魅に近い存在になっていたとしても不思議ではない。

「甚三さんは、舟幽霊を見たことがあるのですか」

「一度だけだ」

 青陵の質問に、甚三がきっぱりと答えた。

 前の網元と共に出発して、唯一戻ってこられた舟に甚三は乗っていたのだ。

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