魂珠貝 肆
外はもう夕刻で、金波銀波を映す海の水面も、茜色の夕焼けに染まって見えた。
砂を踏みしめて波打ち際の方へいくと、桟橋の突端に鶸の姿を見つけることができた。腰を下ろして、ゆらゆらさせた足先で海の水を蹴っている。
近づいていくと、水を蹴る音と共に、微かな鼻唄が聞こえてくる。最初に鶸と出会ったときに、彼女が口ずさんでいた唄の節だ。
「おじじに言われて、捜しにきたんか」
青陵の気配に気づいた鶸が、ぶっきらぼうに言った。
「いいえ、網元は何も」
青陵は、静かに頭を振った。
「そっか」
「心配していないのではなくて、鶸さんのことを信じているのですよ」
青陵は、少し落胆しているかのような鶸の隣にちょこんと座った。こうしてならんでしまうと、青陵の頭が、ちょうど鶸の肩先にくる。
「あんた、本当に不思議な奴ね。あたいよりもずっと年下なのに、それなのに、ときどきずっと年上に思えたりもする。ねえ、本当は幾つなのよ」
鶸に聞かれて、青陵は少し当惑した。
「私にも、よく分からないんです」
「いじわるね」
わざとはぐらかされたように鶸には思われたのだろうが、青陵は嘘を言ってはいない。
「海はさ、あたいたちが魚を獲るのと同じように、あたいたちの魂を獲ったりもするんだ。それが、自然なことなんだってさ。でも、あたいは、そんなの嫌だ。親父を返せとは言わないけど、もし親父が舟幽霊の仲間になっているんなら、やめさせてやる」
一つの決意のようなものを滲ませながら、鶸が言った。
彼女がこの場所を離れ難く思っているのは、彼女の父親の末路を確かめたいという思いがあるからなのだろう。そして、それは彼女の祖父も同じ思いではあるのだ。だが、網元は、村の人々のことも考えなければならない。
「それは私がやります。明日、沖に出て舟幽霊と対峙しますので」
「やっつけちゃうのかい」
複雑な思いを顔に出して鶸が言った。もし舟幽霊の中に彼女の父親がいるとしたら、青陵に退治されてしまうかもしれない。
「会ってみなければ分かりませんが、私たち狩籠師はただ妖魅を滅するだけではないんですよ。救いようのない悪鬼の場合はそれを消滅させますが、それができない場合は封印することもあります。そのほかにも、有益な妖魅であれば調伏して使役することもあります。それに、霊の類の妖魅であれば、成仏させることもできますから」
まったく救いがないわけではないと、青陵は鶸に説明した。
もっと詳しく言えば、使役している妖魅に、敵の妖魅を喰らわすことも不可能ではない。だが、妖魅使いを名乗る者でもない限り、それはかなり特殊な場合だ。
「だったら……、だったら、あたいもいく」
鶸が、青陵の身体をつかんで叫んだ。
「幽霊を成仏させられるんだったら、あたいもいくよ」
「でも、あなたの父上が、本当に舟幽霊になっているとは限りませんよ。何かあっては、あなたのおじいさまである網元に面目がたちません」
「許しなら、もらってみせるから」
そう言うと、鶸は自分の家の方へ駆けだしていった。
だが、危険な場所にいくのに、女子供では無理な話だ。当然、網元がそれを許すはずもない。
話がまとまりそうもないのを見て、青陵はなんとか二人の折り合いをつけようと口をはさんだ。
そもそも、いくら鶸がついていこうとしても、青陵がそれを許さなければ無理なのだ。たとえ鶸一人でいこうとしても、青陵が一緒でなければ意味をなさない。
それを納得させ、鶸は村で待っていることを渋々承知した。その代わり、舟幽霊が成仏することを納得し、その中に鶸の父親がいた場合は、青陵は一度村に戻ってくると約束した。舟幽霊に人に害をなさないと誓わせた上で、その親族に会わせようというわけだ。
妖魅に堕ちたとはいえ、まだ肉親が分かる存在であれば、最後の別れを交わすことは不可能ではない。まずは、それが可能かどうかを確かめることだ。
「明日、全部はっきりするんだね」
夜も更け、同じ布団の中で、鶸が真剣な顔で青陵の耳許に囁いた。
海で死んだ漁師たちは、よほどの運がないとその遺体が見つかることはなかった。陸にあるその墓は、ほとんどが空っぽなのだ。
だから、遺族たちの中には、その死を信じきれない者もいる。
網元も鶸も、それほど物が見えなくなっているわけではない。嫌でも、そういう光景を幾度となく目にしてきたのだ。だが、それでもと心のどこかで思ってしまう。それが、人の性というものなのだろうか。
青陵は、黙して答えなかった。
まだはっきりとしないのに、軽い気持ちで約束することは無責任だと分かっていたからだ。
「寝たふりはずるいよ」
鶸が、ぎゅっと青陵をだきしめた。顔を胸に押しつけられて、青陵はさすがに鶸の腕の中でもがいた。
「本当は、あたいが一緒にいきたいんだ。でも、あんたにまかせるよ。本当に、まかせたよ……」
鶸の囁きに、青陵はこくりとうなずくだけであった。