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狩籠師  作者: 篠崎砂美
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魂珠貝(こんじゅがい) 壱

 (いさ)()が燃える。

 沖では、多くの舟が速い潮流に果敢に逆らって漁を続けていた。

 このあたりは良い漁場であるのだが、潮流が複雑で暗礁(あんしょう)もまた多い。魚にとっては変化に富んだ餌の多い海域なのだろうが、人にとっては決して優しいとは言えない場所であった。

 事実、気がつかないうちに流され、暗礁にぶつかって難破する舟は少なくなかった。まるで水底(みなそこ)が生きていて、日々形を変えているようだと漁師たちは言う。

 そして、そんな自然の脅威の他にも、漁師たちを悩ませている存在があった。

 それは、何もない海上に、突然現れる。

 あるときは、遠くに(とも)る青白い漁り火にも見え、あるときはまた、舳先(へさき)にゆれる火の玉にも。極端なときには、水の中から手を出して漁師たちを引っぱり、いつの間にか舟に乗り込んで身体から(したた)る水で舟底を濡らす。

 舟幽霊(ふなゆうれい)

 漁師たちは、夜な夜な現れる妖魅たちを、そう呼んで恐れた。

 それというのも、舟幽霊の中に、かつてこの海で死んだ仲間の漁師たちの顔を見たと言う者が数多くいたからだ。

 きっと、海の底で寂しく死んでいるのに耐えきれず、仲間を死の淵に呼び込もうとしているのだと漁師たちは噂しあった。

 本当のところは、誰にも分からない。舟幽霊たちと話を交わした者は誰もいなかったからだ。あるいは、そのような者は誰一人帰ってこなかったと言えばよいのだろうか。

 実際に、舟幽霊を見た舟は難破することが多かった。漁師たちにとって、彼らは不吉な妖魅であったのだ。

 それでも、漁は入り江の村の人々の生活の(かて)であった。舟幽霊に怯えつつも、人々は今日も沖に舟を出すのだ。


***


「気持ちのいい風だな。でも、ちょっと塩辛い味がする。少しだけ……」

 高台に立った青陵(せいりょう)は、海風を全身に受けて大きくのびをした。

 落ち着いた物腰と言葉遣いとは裏腹に、その外見はまだあどけない子供だ。前髪は切り揃え、後ろ髪は小さく一つに纏めている。しっかりとした顔立ちをしてはいるものの、着ている浄衣(じょうえ)は裾が短く半尻(はんじり)になった子供用の物だ。白い浄衣から透けて見える赤い単衣(ひとえ)は桜重ねの上品な色合いをだし、深緋(ふかひ)の短い袴が鮮やかな印象を刻む。

 このような身なりをしているからといって、青陵が狩籠師であると名乗っても、人々は簡単には信じてくれないかもしれない。だが、少しの間だけでも注意して見れば、その落ち着いた物腰や気品に、凡庸(ぼんよう)ならざるところを見いだせることだろう。

 海風に誘われるようにして、青陵は高台から入り江へと降りる道を進んでいった。

 このあたりの海岸線は断崖(だんがい)が多く、浜のある入り江は少なかった。漁を営む人々が住むのは、舟を自由に海に出せるそんな入り江だ。

 道は細く急であったが、普通に注意していれば危ないというほどではなかった。斜面に密集した木々に覆われているので、道を踏み外して真っ逆さまということもなさそうだ。

 惜しむらくは、木立が邪魔で、せっかくの海の景色がよく見えないということだろうか。

 流れ聞こえてくる波の音に耳をかたむけながら、青陵はゆっくりと道を下っていった。

 寄せては返す水の音に混じって、別の種類の水の音が聞こえてきた。流れ落ちる水が岩を打つ音だ。小さな滝があるのか、あるいは断崖の裂け目から清水(しみず)が湧き出してでもいるのだろう。

 その音に近づくようにして道を下ると、やがて断崖の途中から水が湧き出している小さな滝の姿が目に映った。同時に、微かに人の声が聞こえる。

 それは、大気を真水で清める滝の音と響き合う、澄んだ唄声であった。


 海の早瀬は運びくる

 魚の幸、海の幸

 海の恵みは我が宝

 寄せては返し、また贈る


 海の早瀬は運び去る

 人の幸、その御魂(みたま)

 砕き岩に舟を呼ぶ

 引いては返し、また奪う


 忘れちゃいけない海のこと

 忘れちゃいけない人のこと

 沖の明かりが囁くよ

 海の言葉で囁くよ……


 道をずっと降りた先に踊り場のような少し開けた場所があって、滝から(こぼ)れた水がそこに小さな池を作っていた。そこに水を汲みにきたのであろうか、若い娘が桶をかかえて岩に座り、一人のんびりと唄を唄っていた。

「誰。誰かそこにいるの?」

 ふいに唄うのをやめると、娘が青陵の方に顔をむけて訊ねた。

「ごめんなさい、思わず聞き入ってしまって。隠れるつもりじゃなかったんです」

 ずいぶんと離れているのに、しかも見あげなければ分からないほどの高低差があるのに、よく気づいたものだと青陵は少し感心した。

「この先に、村はありますでしょうか」

 悪びれることもなく、青陵は道を下って娘に近づいていった。野宿でも構わないが、できれば屋根の下に泊めてもらいたかった。

「あんた、誰? そのお、らしくないわね」

 見慣れない姿の青陵に、娘が少し警戒して訊ねた。

「私は、狩籠師の青陵と申します」

 軽く会釈(えしゃく)して、青陵は名乗った。

「狩籠師? なんだか、大人びて変わってる。ちょっと生意気かも」

 屈託のない笑顔を見せながら、(ひわ)という名のその娘は、ころころと心地良い響きの声で笑った。そのたびに、長い黒髪が少しゆれる。袖のない膝丈の簡素な着物からのびた手足や少し開いた衿からのぞく胸先(むなさき)は、日に焼けて(つや)やかな小麦色をしていた。

「あんた、村にいってどうするの」

「旅の途中の一夜の宿をいただけないかと思いまして」

「ふーん。子供のくせに、旅の途中なんだ。そりゃ、野宿はよくないわよねえ」

 鶸は、値踏みするように青陵の全身をじろじろと見回した。

「いいわよ。それじゃ、水を運ぶのを手伝ってくれたら、あたいんちに泊めてあげる。これでも、あたい、網元(あみもと)の娘なんだから」

 そう言うと、鶸が青陵の返事も待たずに、かかえていた桶を押しつけた。自分は、足下においておいた、もう一つの桶を手にする。

「ありがとうございます」

 青陵は両手に桶を提げたまま、ぺこりと頭を下げた。

「はいはい。お礼よりも先に、水を運ぶ」

 手本を見せるとばかりに、鶸が池の水を桶に()んだ。それに(なら)って、青陵も桶に水を満たした。

「せっかくきてもらったのになんだけど、たいしたもてなしはできないからね。最初に言っとくよ」

 前後にならんで水を運びながら、鶸が後ろを歩く青陵に言った。

「いえ、泊めていただけるだけでも感謝いたします」

 重い水桶を両手で持って進みながら、青陵は答えた。うっかり水を(こぼ)してしまわないようにと、ほとんどうつむいて桶の水面(みなも)と自分の足下だけを見ている。

「本当なら、動けなくなるくらいたらふく魚を食わせてやるとこなんだけど、今はだめなんだ」

 残念そうに、鶸が言った。

 少し(かげ)った顔を見ることはできなかったが、声音(こわね)だけでもその様子は青陵に伝わってきた。

「何か、あったのですか」

 さすがに少しおかしいと感じて、青陵は訊ねてみた。

「それは……。ああ、ほら、御覧よ、村が見えてきたよ」

 言いかけて、鶸が行く手を指さした。

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