翕然主 壱拾壱
「ここで戦があったとき、当時の領主様と神主様が命を落とされ、その首がここに晒されたんだって。お社も、そのとき焼けたんだって」
鈍が、父親から聞き覚えていたことを話した。
敵が引き揚げた後、村人たちは首塚を作って領主と神主の首を弔ったそうだ。
戦の直後ということもあってお社の修復はままならず、それ以降は神主不在のまま、村にある一之宮で禰宜が祭事を行っていたらしい。
「なるほど。禍々(まがまが)しいものだ。この首塚からは、敵への怨念が湯水のように溢れ出している」
凜華は、寄せてくる妖氣を跳ね返すように首塚を睨みつけた。
こんな妖氣を長い間浴びていては、まともな者もおかしくなってしまう。
おそらくは、この邪氣がこの山全体を覆ってしまったのがすべての元凶だろう。それが妖魅を引きつけ、ここに暮らす者たちを敵意に満ちた存在に変えていくのだ。
だが、無念の討ち死にをした者たちとはいえ、なぜここまで強い怨念を放ち続けられるのか。それに、件の狩籠師がここに立ち寄ったのであれば、この首塚にも気づいたはずだ。なぜ、この怨念を祓ってしまわなかったのだろう。それですべてが終わっていたはずなのに。
「いずれにしろ、このまま捨ておくわけにもいかぬな」
凜華は、幽明の太刀をすらりと抜き放った。
いずれにしろ、妖氣を乱している中心を滅してしまえば、翕然主もいやがおうにも異変に気づいて姿を現すだろう。
「我、求むるは砕けし礎。硬にあっては、砕。心をもって芯をば砕く!」
言霊と共に、凜華は首塚の石にむかって呪符を投げつけた。呪符が貼りついた石から、周囲の石にもむかって細かな罅が広がる。
次の瞬間、凜華は幽明の太刀を一閃させた。横薙ぎに斬られた七つの首塚が爆発するように粉砕された。
「これは、どういうことだ」
石が吹き飛んだ首塚の跡をのぞき込んで、凜華は言った。
それは、穴だった。
中には何もない。ただ、何かがあったという穴が地面に口を開けているだけだ。
『やれ、乱暴なものだ』
『不埒だな』
『ここに敵がくるとは』
『なら、殺せばいい』
『餌にすればいい』
『それがいい』
声が聞こえた。
「すでに、奈落から這い出していたか」
凜華は、くいと刃のむきを変えた。
周囲の木立の間に、こちらをのぞく顔が見えた。それ以外は何もない。頭だけが蔦に絡まって浮いているのだ。
顔は一つだけではない。少し離れた処にもう一つ、そしてさらに一つ……。いつの間にか凜華たちをとり囲んでいる。そのすべてが、幾本もの蔦のような物で周囲の木や大地そのものに繋がっていた。まるで首の切断面からのびた神経束が周囲の物に根を張っているかのようだ。
ゆっくりと、凜華は鈍の処まで下がった。
何度か妖魅を見ているであろう鈍でも、さすがに足がすくんで動けないでいた。
「幽明を分かち、霊紋を刻む。我許さぬ者、狭間を越えざるものなり」
凜華は幽明の太刀を頭上に突き上げると、くるりと円を描いた。丸い光の軌跡が凜華と鈍の頭上に現れたかと思うと、次の瞬間それがどんという衝撃をもって下に落ちた。一瞬にして二人の足下の大地に護法陣が刻まれる。
「この中に妖魅は入れない。絶対に外に出るな」
凜華は、鈍に囁いた。無言でうなずくと、鈍がぎゅっと凜華の裳裾を握りしめた。
「お前たちは何者か」
凜華は、堂々とした態度で首だけの妖魅たちに言った。
『我らこそは、この地の主に仕えし者たちよ』
「それは異なことを。貴様たちはただの亡霊、いや、今は醜悪な妖魅にまで身を落とした者たちではないか。何をもってこの地の主の名をもちだすのか」
自慢げに言う生首に、凜華は言い返した。
『余所者には分からぬか。まあよい、ここは我らが代々力を蓄えてきた場所だ。はるかな昔、跡目争いから親族に親兄弟を弑された方が、わずかな供回りの者と共に、この山に逃れられた。そのとき、山の主であった白蛇が、そのお方を安全な山奥に導いてくださった。幼かったそのお方は、ここで鋭気を増し、やがて仇を討たれたのだ。それが、この地のお館様だ。その後、ここは力を蓄える場所として、白蛇を祀って神社を建立したというわけだ。ゆえにここは我らが聖域。我らの許しなく立ち入る者は成敗してくれん』
「偉そうな物言いだが、所詮は、この地で恨みを募らせていただけではないか。その恨みで妖魅を呼び寄せてしまい、さらには翕然主をも取り込んで魔と化したか。愚かなことよ」
村人たちは領主を助けた土地神がいたということで、長年この隠された神社を守ってきたのだろう。やがて、それは儀式めいたしきたりになり、迷い道を踏破した者はその恩恵にあずかれるとでもなったか。
だが、戦のときにその恩恵がなかっただけに、ここで死んだ者たちの恨み辛みは大きかったわけだ。
山の主が、下界の人の争いにそうそう手を貸すことなどないというのに。
『貴様に何が分かると言うのだ』
『我らが怨敵は、あろうことかこの聖域に踏み込んできて我らのお館様を屠ったのだぞ』
『これを許しておけようか』
『そうだ。恨んでも恨み足らぬ』
生首たちが、一斉に恨み言を叫んだ。
「此度のことは、戦だというではないか。勝者がいれば敗者がいるも道理。それを受け入れられず、未練がましく敵を恨むか。まあ、それはどうでもよい。そのために関係のない人々を苦しめるのは道義にもとる」
『我らが手の内にある物を、我らが好きにして何が悪い』
『ぬしも、我らが手の内にあることを忘れてはいないか』
「どういうことだ」
凜華は、聞き返した。
『翕然主は、我らが失った身体の代わり。そして、それはこの山すべてに広がっている』
『どうあがいても、ぬしは我らの身体の上から逃れることはできぬのだ』
生首の言葉に、凜華はやっと合点がいった。
翕然主はどこかに隠れていたのではなく、この山すべてに広がっていたのだ。果てしなく巨大な妖魅の背の上に乗っていたのだから、その妖氣を探っても位置が分かるはずもない。相手は常に自分の足下にいたのだから。
『よく見れば、ぬしは良き身体をしておる。その霊力、我らの物とすれば、人の形もて怨敵の許へいけるかもしれぬ』
『それは重畳』
『以前いた狩籠師は、残念ながら逃がしてしまったゆえ』
『あれは惜しかった』
『今度は逃がさぬ』
『すでに、我らにつつみ込まれておるからな』
『ならば、そこな巫女の身体をもらおうではないか』
『そうしよう』
『子供はどうする』
『喰らえばよい』
『そうだ、喰らえばよい』
自分たちの考えに酔うかのように、宙に浮かんだ生首たちが、くつくつと奇妙な音をたてながらゆらゆらとゆれた。
「ふふふふ……、はーっはははは」
勝ち誇る生首たちにむかって、凜華は大音声で笑い声をあげた。驚いた鈍が、困惑して凜華を見あげた。
『何事よ』
『恐怖に狂ったか』
『所詮は女』
『さもあらん』
わずかに面食らった生首たちだったが、すぐに気をとりおなすと、凜華たちを囲む輪をじりじりとせばめ始めた。