6.夜桜祭にむけて
次の日から、想いを断ち切るように、ゆかりは水力発電機の製作に集中した。
剛田や吉田秀美と一緒に発電機の主軸を作成したり、山中や牧野と共に発電機の土台造りをしたり、村役場と交渉し、不足した材料を調達したり、ゆかりは目まぐるしく動いた。
一方、高島ゆり子と中川は、学校では交際している様子が全く見られないふるまいだった。普通、つきあい始めると、ついついみんなの前でも親密にしたくなるが、二人には全くそんな様子が見られない。他のみんなは、二人がつきあっていることすら気づいてないようである。
変わったことと言えば、高島ゆり子が積極的に、ゆかりの応援をするようになった。ゆかりの作業が多いとき、彼女は真っ先に駆けつけて、ゆかりの作業を手伝ってくれる。そして、ゆかりがみんなに何かを提案するときには、必ず賛成し、ゆかりの説明不足のところを、みんなにわかりやすく説明してくれた。まさに高島ゆり子はゆかりの応援者だった。
高島ゆり子のおかげで、ゆかりは楽に作業をすすめることができた。
それとは反対に、中川は、ゆかりに対してよそよそしくなった。それは、ゆかりが中川に接するときも同様だった。
「おまえたち、ケンカでもしたのか?」
装置の土台を組み立てているとき、山中がボソッとゆかりに尋ねた。
「ケンカなんてしてないわよ。口喧嘩も最近しなくなったし…」
すぐにゆかりが答えたが、山中の質問は、ゆかりには痛かった。正直、これには触れてほしくなかった。
「まあ、ケンカしてないならいいけど、以前みたいに仲よく口喧嘩しろよ」
牧野も山中と同じ気持ちのようだ。
「俺は、瀬戸口と中川の漫才みたいな口喧嘩を聞くのが好きなんだよ。だってお前たちは、どんなに言い争っていても、お互いを信じあっているのがわかるからな」
牧野の発言は、まさに山中が突き刺した槍で、ゆかりの心をさらにえぐった。ゆかりは「そうね」と答えたが、内心いたたまれなかった。
その後、水力発電機の制作は着実に進んだ。完成するたびに青林川に設置し、桜並木通りには少しずつ外灯が灯るようになった。外灯による光の帯は、やがて五十メートルに達した。
夜桜祭まであと二ヶ月となった土曜日、ゆかりは村木と共に船に乗り、長崎市に向かった。
何故、ゆかりが同伴するのかを村木に尋ねたところ、
「ゆかりちゃんは渉外係だからね。もちろん交通費や昼食費は、村役場が負担するよ」と、さも当然といった返事だった。
長崎港に着くと、早速、観光会社の青葉観光を訪問した。夜桜祭の宣伝をするためだった。
村木は自分とゆかりを青葉観光の担当者に紹介し、夜桜祭の説明を始めた。
青葉観光の担当は酒井という三十代の男性である。
だが、酒井は村木の話に乗り気では無いように見える。なぜならば、青林島への船は、朝、昼、夕の一日三便しかない。仮に午後の船で青林島へ行ったとしても夜7時には帰りの船に乗らなければならない。それだと夜桜祭を見ることができない。
「帰りの船便は船舶会社と交渉して、夜桜祭の期間中は午後八時出航に変更してもらう予定です」
すぐさま村木が説明した。
「それじゃあ、船舶会社の了解を取り付けた後に説明に来てください」
酒井の態度はそっけなかった。観光会社は慈善事業では無い。利益が見込めない観光は行うことができない。それが酒井の信念だった。
村木は困った。なぜならば、観光会社が後押ししてくれる確証がなければ、船の運行時間の変更は難しい。
村木の困った様子を見かねたゆかりが思わず立ち上がった。
「ポスターを張ってくださるだけでもいいので、お願いします」
ゆかりは深々と頭を下げた。
このとき、青葉観光の酒井は、村木の隣にいる可愛い中学生の少女にようやく気づいた。
「瀬戸口ゆかりさん、座ってよ。ところで、夜桜祭を行うきっかけは、瀬戸口さんが水力発電機をつくり、桜並木をLED電燈で照らしたのがきっかけだったよね。もし良ければ、その理由を教えてくれない?」
促されるまま座った後、ゆかりはゆっくりと説明した。
「青林島は、今、過疎化が進んでいます。島民に元気がありません。ついこの前までは港の辺りだけしか外灯が無く、それ以外の地域は夜になると暗闇に包まれていました。島の道路に外灯が灯れば、少しは島の人たちも元気になると思い、仲間と一緒に水力発電機を製作し、LEDの外灯を設置しました」
ゆかりのしっかりした説明を聞き、酒井は驚いた。そして、ゆかりの島を思う純粋な心に、心を打たれた。また、ゆかりの黒い大きな瞳に不思議な魅力を感じた。酒井は、無性にゆかりを応援したくなった。
「観光客が青林島を訪れるようになれば、島の人はもっと元気が出ると思うよ。でも、観光客が島を訪れるには、夜桜祭だけだと魅力に欠けるね。だって、午後一時の船で片道1時間もかけて青林島まで行き、夕方六時から始まる夜桜祭で桜の木を見るだけでは、誰も行こうとは思わないのではないかな」
酒井の指摘は、まさにそのとおりだった。往復二時間もかけて船に乗り、青林島で夜桜祭が始まるまで3時間以上も、何もすることが無く待つのでは、とても行く気がしない。
「青林島には、他に魅力のある場所は無いのかな?」
酒井のさらなる質問に、ゆかりは答えることができない。その様子を察した酒井は、
「それじゃあ、質問を変えるね。瀬戸口ゆかりさんは、青林島のどこが好きなの?」
それならば、ゆかりは答えることができる。
「青林島の美しい自然が好きです。優しい人たちが好きです。新鮮な食べ物が好きです」
「美しい自然とは、具体的に何処?」
「まず、青林島の頂上にある展望台から眺める景色。それが360度のパノラマで、四方八方に青い空と青い海を見渡すことができます。そして、夜明けのとき、東の海から太陽が昇る景色、黄金色の海と茜色の雲、そして澄んだ青空がとても美しいです」
ゆかりが説明すると、まるで青林島で実際に自然に接しているようなイメージが酒井の脳裏に沸き起こった。
「それじゃあ次に、新鮮な食べ物とはどんなもの?」
これもゆかりはすぐに答えることができる。
酒井はまるで、ゆかりの説明を誘導しているような質問の仕方だった。
「まずは魚介類、3月の時期だとウチワエビが旬です。それに牡蠣、これは玄界灘の黒潮が運ぶ栄養分を豊富に含んでいて、小粒ですが磯の香りがします。そして、青林イカ、これは青林島の周辺でしか獲れません。透き通るような透明感があり、噛めば噛むほど甘みが増します」
さすがゆかりは漁師の娘だった。すらすらと魚介類の説明ができた。続けてゆかりは、農作物の説明をした。
「3月だと、ばれいしょ(新じゃが)、白菜、レタスなどです。いずれもビタミンやミネラル分が豊富です」
さすがに農作物となると、ゆかりは説明するのにとまどった。ゆかりの家では農作物を作っていないため、うまく説明できない。
「魚介類の説明は、よくわかったけど、農作物の説明が魅力に欠けるね。ジャガイモや白菜、レタスなどは、わざわざ青林島で買わなくても、どこでも売っているよね」
酒井の指摘は、まさにその通りだった。彼は常に現実を見ている。
「イチゴやオレンジとか、そうだな、ワラビやタケノコ、タラの芽などは青林島にはあるかな?」
酒井が尋ねると、
「ワラビやタケノコ、タラの芽などは山に行けば獲れると思いますが、イチゴやオレンジは…」
ゆかりは自信無さげにこたえた。
「たしか…、五島さんのところで、イチゴとデコポンを栽培していたと思う」
思わず村木が助け舟を出した。
「わかりました。それじゃあ、まず、瀬戸口ゆかりさんは、手書きで青林島の港から山頂までの歩くコースと、桜並木通りまで歩くコースを描いた地図をつくってください。そして、展望台から見える景色を画像にして私のところへ明後日までに送ってください。それと、LED照明を浴びた降龍桜の画像が撮影できたら、それも直ちに送付願います」
酒井は手慣れた様子でゆかりに指示した。
「わ、わかりました」
思わずゆかりが答えた。
「それから村木さん、出店での千円分の商品券と船舶の割引券をセットとして、こちらでは二割引きで販売します。さらにこちらでは手数料として、売り上げの2割分をいただきます。つまり、出店で千円のものを売ったとしても、商品券で購入した場合は、結果的に六百円しかそちらには入らないことになります。それでよければ、我が社が夜桜祭をサポートします」
酒井の説明に、村木はとまどい、答えを出せないでいた。千円分売っても実際には六百円しか手に入らない。仮に材料代が五百円だとすれば、利益は百円しかないことになる。
村木が戸惑っていると、代わりにゆかりが、
「わかりました。それでかまいません」と、あっさり承諾した。
「ゆかりちゃん、そんなにあっさり承諾していいの?」
村木は心配顔だ。
「村木さん、商品券で購入する人たちは、もともと青林島に行く予定が無い人です。私たちにとっては、予定外の人たちが来てくれることになります。それに、島に来る観光客は、商品券以外でも買い物をしてくれるはずです。きっと青林島にとってメリットになります」
ゆかりの説明に村木も納得し、酒井の提案を承諾した。これで、観光客が島に来る可能性がでてきた。
次に村木とゆかりは、ラジオ局とテレビ局に行った。ラジオ局では、ゆかりが説明をすることになった。ここでは問題無く夜桜祭の説明をすることができたが、問題はテレビ局だった。
夜桜祭は今年が最初なので、まだ祭の写真も無ければ映像も無い。ましてや照明に映し出された降龍桜の写真も無い。まだ照明ができていないし、桜も咲いていない。テレビで宣伝するには、あまりにも説得力が無かった。
ゆかりたちが用意したのは、水力発電機やLED外灯の写真、それに昼間に撮影した降龍桜の写真だけだった。
だから村木は、ゆかりたちが製作した水力発電機とLED外灯、それに夜桜祭が企画されたきっかけを中心に説明した。当然、そのきっかけとなったゆかりが注目を浴びることになる。
ゆかりは、テレビカメラに向かって懸命に、青林島へ観光に来てもらうよう、視聴者にうったえた。
もちろんこのニュースは青林島へも放送された。島の多くの人たちがゆかりの懸命に説明する姿を見た。そしてゆかりが青林島をこよなく愛していることを知り、多くの島民がゆかりに共感した。そして多くのものが、ゆかりを助けたいと思うようになった。この放送の終了後から、夜桜祭の実行委員として働きたいと申し出る島民が増えだした。
結果として、テレビでの宣伝は、観光客を呼び込むことよりも、島民の心を団結させるのに効果が働いたようである。
夜桜祭の準備は着実に進んでいた。
いよいよあと二日後に夜桜祭が開催される。
桜並木通りに設置予定の出店の数は20を超えた。祭りの実行委員は、いつの間にか百人を越えていた。赤ん坊から老人までを合わせても、人口が五百人の島である。ほとんどの家に実行委員がいると言ってもいい。実に多くの村民が、夜桜祭を楽しみにしていた。
その日の夜、夜桜祭実行委員長の村木からゆかりへ電話があった。青林中学のみんなを明日の午後六時に桜並木通りに集めてほしいとのことだった。
夜桜祭の前日、テレビ長崎のレボーターが島にやって来た。こんな離島の村にテレビ局の人が来るなんて珍しい。
テレビ局のレポーターは、桜並木通りにいた実行委員長の村木にインタビューした。
村木は、実にわかりやすく、夜桜祭の経緯を説明した。
そして村木は、そこに集まっていたゆかりたち青林中学のみんなを紹介した。
「彼らが水力発電機を製作してLED外灯を設置してくれたおかげで、夜桜祭ができるようになったのです」
いきなりテレビカメラを向けられて、みんなは緊張した。山中や牧野は、前面にいたので舞い上がっているようだ。頬が赤くなっていた。
「では、青林島活性化応援部の部長、瀬戸口ゆかりさん。水力発電機を製作しようとしたきっかけを教えて下さい」
いきなりゆかりは、レポーターから説明を求められた。どうやら村木とレポーターとの間で、事前の打ち合わせがあったらしい。とまどいつつも、ゆかりは説明を始めた。
「私たちの部は青林島活性化応援部。青林島を元気にするための活動をしています。
この島は人口五百人足らず。過疎化が進んでいます。夜になると港のあたりしか外灯は灯りません。だから外灯を増やして夜を明るくする。そうすれば、島民の心も明るく元気になるかもしれない。そう思って水力発電機を製作し、外灯を灯す活動を始めました」
そしてゆかりは説明を続けた。
「幸いなことに、みんなが応援してくれて、夜桜祭も開催されるようになりました。
この島にある樹齢四百年の降龍桜は県指定の名木です。LED照明に照らされた姿を、ぜひご鑑賞ください」
ゆかりがそういうと、あたりが一瞬、真っ暗になり、その後、LED照明が降龍桜を照らし出した。LED照明は中川が担当している。ゆかりと息がピッタリ合った動作だった。
LED照明に照らされた降龍桜は、まさに天空から龍が降りてくるような迫力ある桜だった。そして、ライトに照らされた薄紅色の桜の花びらがとても美しかった。
四百年もの古き昔から咲き誇る桜。
それが今日初めてライトに照らされ、夜の姿をあらわにした。
島民も、今日初めて、この光景を目にした。そして心の底から感動がこみあがった。
身近にこんなに美しい光景があるとは、今まで誰も知らなかった。無理もない。以前は夜になると暗闇におおわれる島だった。それが、ゆかりたちの行動がきっかけで、身近にこんなにも美しいものがあると知ることができた。それはまさに、ゆかりたちが起こした奇跡だった。
テレビを見ていた人たちも、この光景を見て、思わず感動した。そして、多くの人の心に、テレビではなく、実際にこの光景を見たい渇望が沸き起こった。それほどLEDライトに照らされた降龍桜は美しかった。
このニュースが放送された後、テレビ長崎には青林島へ就航する船についての問い合わせ電話が多数あった。そして、青葉観光へチケットを買いに来る人が一挙に増えた。
いよいよ明日から夜桜祭が始まる。
多くの人が明日を楽しみにしていた。