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ゆかりの島  作者: でこぽん
11/12

11.蛍祭り

 蛍祭りの1日目、ゆかりは船の到着を待っていた。

 朝九時に青林島へ到着する船には大勢の人が乗っている。ほとんどの乗客は今夜開催する蛍祭りの観光客である。これは青葉観光の酒井さんからの情報だった。

 だが、ゆかりが船を待っている理由は別にある。大野仁美、彼女の到着を出迎えるためだった。

 蛍祭りの期間中、仁美はゆかりの家に泊まる。そして、ゆかりと共に行動する。普通は観光に来たのならば遊びを優先させる。ゆかりと共に行動するのは蛍祭りの実行委員として働くことになるので遊ぶことができない。だが、仁美はそれを承知で青林島にやって来る。

 入港してくる船の姿がだんだん大きくなってきた。デッキを見ると大きく両手を振っている少女がいる。遠くからでもそれが誰だかゆかりにはわかる。

 ポニーテールの髪形、白いシャツに真っ赤なキュロットスカート。お人形のような愛らしい顔。仁美だった。ゆかりが再会を楽しみにしていた少女。その少女が、わざわざ東京から青林島までやって来た。

「仁美―」

 ゆかりは大きな声を出して手を振った。

 船が入港した。ゆかりは桟橋で仁美の上陸を出迎えた。

「ゆかりー」

 上陸した仁美はすぐにゆかりのもとに駆け寄り、思わず抱きついた。

「ゆかり、会いたかった」

「仁美、私も会いたかった」

 二人とも眩しい笑顔だった。

「まずは家に行こうね。荷物を預けなきゃ。仁美は朝食食べたの?」

「いや、まだ食べていない」

「よかった。お母さんが朝食をつくって家で待っているわ」

「そうか、それはかたじけない」

 港から歩いて五分ほどの場所にゆかりの家がある。仁美はゆかりの家までの道を覚えていた。迷うことなく先に進む。

「ただいまー。仁美を連れて来たよ」

「お邪魔します」

 ゆかりたちが家に入ると、杏子が朝食を用意して待っていた。

「おかえりなさい、仁美ちゃん」

 杏子は仁美を家族のように出迎えた。杏子にそう言われた仁美は、思わず感激した。

「ただいま…戻って来ました」

 仁美は恥ずかしげに顔を赤くしている。

「長旅で疲れたでしょう。今から朝食よ。手を洗ってね」

 ゆかりと一緒に流し場で手を洗い、食卓についた。味噌汁を一口飲むと、

「あああ、懐かしい味だ」

 仁美は杏子のつくる味噌汁がたまらなく好きだった。東京で毎日パンと牛乳中心の朝食を食べている仁美にとって、和食での朝食はめったに食べることができない貴重なものだった。ましてや杏子のつくる味噌汁はどこにも売っていない。ゆかりの家でしか味わうことができない。世界に二つとない格別な味だった。

「遠慮しないでおかわりしてね。たくさん作ったから」

「はい」

 仁美は感激を噛みしめながら杏子のつくった朝食を堪能した。

 

「ゆかり、今日は実行委員の仕事はしないのか?」

 朝食が終わった後、ゆかりの部屋で仁美が尋ねた。

「午後四時からよ。それまでは自由なの。ちょっと休憩したら泳ぎに行かない? 素敵な場所があるのよ」

「観光地図に描かれている北の白浜のことか?」

 仁美はカバンから観光地図を取り出した。

「わー。やっぱり仁美も持っていたのね。そう、そこに行くのよ」

 自分が描いた観光地図を仁美が持っている。それだけでゆかりは嬉しかった。

「この観光地図もゆかりが描いたのだろう?」

「ええ、そうよ。多くの人が青林島を楽しんでくれるように描いたの」

「さっきの船で来た観光客の多くが、この地図を持っていた。きっと北の白浜は、多くの観光客で賑わうだろう」

「そうだと嬉しいなー」

 ゆかりは、海の家が繁盛する様子を思い浮かべていた。


 十時を過ぎた頃、ゆかりと仁美は青林中学校へと向かった。

 北の白浜には着替える場所が無いため、学校で着替えることになる。学校へ着くと、体育館の更衣室に入った。

 水着に着替えると、水着姿で北の白浜へ向かう。北の白浜は学校から歩いて5分ほどの距離である。

 北の白浜は白い砂浜が200メートルほど広がっており、すでに多くの人で賑わっていた。

「仁美ちゃん、久しぶり」

 吉田秀美が既に来ていた。

「大野、久しぶりだな。元気にしていたか?」

 剛田もいた。

「吉田秀美に剛田猛、久しぶりだ。私は元気にしていたぞ」

 仁美は二人の名前を憶えていた。

「私たちの名前を憶えてくれていたのね。嬉しい」

 吉田秀美は仁美が自分たちの名前を憶えてくれたことに感激している。

「二人とも早いわね」

「瀬戸口、向こうにブルーシートを敷いて荷物を置いている。おまえらも置くと良い」

 剛田が指し示す場所に荷物を置き、ゆかりたちは泳いだ。

「水が透き通っている。海水が綺麗だ」

 仁美は海水を手にすくって感激している。東京ではこんなに綺麗な海水は八丈島か小笠原諸島まで行かないとお目にかかることができない。

 ゆかりたちが毎年泳いでいるこの海岸は、都会では決して見ることのできない大切で貴重なものだった。

――青い海に白い砂浜、この島の自然を大切にしたい。

 ゆかりは仁美と一緒に行動することで、その思いを改めて認識した。

 一時間ほど泳いだ後、

「少し早いけど食事しましょう」

 吉田秀美の提案で海の家に行った。

 すると、中は戦場のようなあわただしさだった。高島ゆり子と中川卓也が二人のアルバイトを指導していたが、それでもお客のほうが圧倒的に多かった。

「瀬戸口さん、助けてください。大野さんも吉田さんも剛田さんも、お助け願いします」

 高島ゆり子の悲痛な叫びだった。

 中川は次から次へと動き回り、とても声をかける余裕すらない。

「ゆかり、助けよう」

 仁美の声を皮切りにみんなは海の家のエプロンをつけ、働き始めた。

 剛田は焼きそばを次から次へと炒め続けたし、吉田秀美はお勘定を担当した。そしてゆかりと仁美は注文と配膳係だった。そして中川はかき氷の作成を専属とした。もともといたアルバイト二人と高島ゆり子は注文や配膳、ゴミの方づけや料理の盛り付け、など、多方面の作業に回った。

 これで何とか回るようになった。…はずだった。だが、若くて美人の女性が四人も働いているとの噂が北の白浜に瞬く間に広がった。そして、次から次へと客が押し寄せてきた。これは高島ゆり子の嬉しい誤算だった。

 結局、ゆかりたちは3時間ものあいだ働きづくめとなり、お昼を食べることができたのは午後三時過ぎだった。

 へとへとの体で焼きそばを食べていると、

「沖で誰かが溺れている!」との声が聞こえた。

「舟を出してくれ」

 仁美が高島ゆり子にいったが、それよりも素早くゆかりが駆け出し、沖に向かって泳いで行った。

 その姿を見た仁美は思わず唇をかみしめ、「早く、舟を出してくれ、ゆかりが死んでしまう」と、叫んだ。

 スポーツ万能のゆかりは、水泳でも全国大会クラスの速さだった。だが、その速さがあだとなった。

 溺れている人に近づき、手を差し伸べたところ、いきなり抱きつかれてしまった。しかも溺れている人はゆかりの1.5倍もの体重がある。本人はいやらしさや悪気は全くないのだが、『溺れる者は藁をも掴む』のたとえどおり、必死でゆかりに抱きつき、上からのしかかった。

 結果としてゆかりの体は水面下に沈み、息ができない。どんなにスポーツ万能でも、水の中で体重のある男性からのしかかられたのではどうしようもない。ゆかりは海水を思いっきり飲み、助けるどころでは無くなった。

 そのとき、仁美の操る舟が近づき、舟から浮き輪が2つ投げられた。

「これにつかまれ!」

 仁美の声で、浮き輪に気づいた男とゆかりが必死に浮き輪にしがみついた。浮き輪のおかげで二人とも助かった。

 陸に上がったゆかりは仁美から叱られた。

「これで分かったと思うが、溺れているものを助けるときは、勇気よりも冷静さが必要だ。正面から助けたのでは、ゆかりも溺れてしまう。舟があるときは舟を使い、浮き輪があるときは浮き輪をつかう。そして棒があるときは棒を使う。泳いで助けるのは最後の最後の手段だ。そのときには後ろから回り込んで髪の毛を掴む。それを忘れないでくれ」

 仁美の言葉はゆかりの心に響いた。今日、間違いなくゆかりは死にかけた。スポーツ万能といっても水の中では全く役に立たない。ゆかりは自分を過信しすぎていた。

 溺れていた男性がゆかりに何度も頭を下げて謝った。

「すまない。君まで溺れさせてしまい、申し訳ない」と…。

「いえ、気にしないでください。安易に正面から助けようとした私が悪いのです」

 ゆかりは逆に男の人に詫びた。

 これで仮に男の人が助かり、ゆかりが溺れて亡くなったとしたら、男の人は一生重荷を背負うことになっただろう。ゆかりの親も嘆き悲しむし、仁美やみんなも悲しむだろう。

 二度と安易な行動をしないとゆかりは誓った。

「ゆかりも男の人も助かって良かった…」

 吉田秀美は泣きそうな顔をしていた。

「仁美さん、ありがとうございます。あなたのおかげで、またしても瀬戸口さんが助かり、青林島の祭が事なきを得ました」

 高島ゆり子の感謝は、まさに確信をついていた。大野仁美がいなければ、夜桜祭のときも、そして今日の出来事も、無事では済まなかった。

 瀬戸口ゆかりが青林島の守り神ならば、大野仁美はまさに瀬戸口ゆかりの守り人だった。

「瀬戸口、焼きそばが食べかけのままだ。それを食べて、それからは蛍祭りの準備に行こう。お前がいないと祭りは始まらないぞ」

 剛田は何気無くゆかりを励ました。

「そうだね。もうすぐ蛍祭りだね」

 ゆかりは焼きそばをたんたんと食べた。もちろん、仁美や剛田たちも昼食を中断していたので、食べ始める。冷えた焼きそばが、やけにしょっぱく感じた。


 この日の事件は瞬く間に実行委員長の村木の耳に届いた。彼はすぐに海水浴場監視の体制を強化し、救助用の舟と浮き輪を確保した。そして、明日からは新しい体制で海水浴場警備が行われることになった。


 普段着に着替えたゆかりたちはいったん家に帰り浴衣に着替えた。

 衣服が変わると、ゆかりは少しずつ元気を取り戻した。

 ゆかりは水色の浴衣を着て仁美は薄紅色の浴衣を着た。二人とも浴衣が似合う。美しい姿だった。

「あっ、仁美は短パンもはいてね。その浴衣は裾が広がりやすいから…」

「ゆかりの着ている浴衣とたいしてかわらないと想うが…」

「微妙に違うのよ。外に出たらわかるわ」

「そうか?」

 仁美は疑問を感じながらも、浴衣の下に短パンをはいた。

 それから二人は家を出て、桜並木通りに到着した。

 出店の数は三十軒ほどであり、既に多くの観光客で賑わっていた。そして降龍桜の前には舞台が設置されていた。

「これからゆかりはどんな作業をするのか?そして私は何を手伝えば良いのか?」

 仁美はこれからやる作業が気になっていた。

「私と仁美とで、今から舞台でやる催し物の司会をするのよ。司会は前半部だけなので、あっという間に終わるよ」

「司会?今日ここで何が行われるかも、私は知らないのだが…」

「大丈夫よ。仁美は優秀な助手でしょう?」

 さらりとゆかりが答えた。ゆかりは笑顔を絶やさない。何か魂胆があるようだ。

「それに、私がメインで話すので、仁美は次の出場者の紹介と剛田君が準備する参加賞を出場者に渡すだけて良いわ」

「そうか。それならばできそうだ」

 そうこうするうちに、開始時間となった。

 ゆかりと仁美が並んで舞台に立つと、それだけでみんなから大きな拍手が沸き起こった。

 なんだかんだ言いながらも、仁美はゆかりとの司会を楽しんだ。出場者は島の人たちである。カラオケを歌う人や三味線をひく人、一発芸をする人など、出し物は多数だった。

出場者が三人目になると、仁美も慣れてきた。ゆかりと一緒に出場者への質問もした。いよいよ前半部最後の出場者の紹介を仁美が始めた。

「次のかたは東京都からお越しの大野仁美さんの瓦割りです」そこまで語ったあと、

「えーっ、これは私だ!」

 仁美は驚いた。

「大野仁美さん、舞台中央へどうぞ」

 ゆかりか何食わぬ顔で仁美を導いた。

 舞台中央に立つと、青年部の男たちが舞台上手と下手に二人ずつ、瓦や杉板を持って身構えた。

「さあ今から大野仁美さんが一瞬で四ヶ所にある瓦や板を割って見せます。みなさん括目してください」

 ゆかりの説明に観客席からは「がんばれー」と、大きな声援がうなった。

「短パンをはかせたのはこのためだったのか」

「そうよ。仁美の下着姿は見せたくないからね」

「しかたないなぁ」

 仁美は気持ちを切り替え、仁王立ちで腕を十字に組んだ。そして大きく息を吸い込むと、

「だあーっ」と、掛け声を出したかと思うと、瞬く間に舞台右手にある瓦を手刀で割り、仁美の顔よりも高く置かれた杉板を旋風脚で叩き折った。そしてその反動を利用して、舞台左手にある瓦を拳で破壊し、その上部にある杉板を今度は左足で叩き折った。

 その間、二秒もかからなかった。

 仁美は再び仁王立ちで腕を十字に組み、深呼吸した。仁美の深い息吹が客席まで聞こえた。

 あどけない顔をした少女の驚くべきスピードと技、そして破壊力に、観客は息をのんだ。

「みなさん、大野仁美さんに盛大なる拍手をお願いします」

 ゆかりの声で、多くの観客が我に帰り、拍手をした。大きな、大きな拍手だった。

「これにて前半部を終わります。後半部は十五分後から始めます」

 ゆかりのアナウンスで前半部が終わった。

 すると、多くの観客が仁美のもとに駆け寄った。

「仁美、カッコよかったわ」

 吉田秀美が興奮している。いつものおっとりした彼女には似合わないしぐさだった。いや、吉田秀美だけでなく、多くの観客が仁美の技に興奮していた。そして、多くの人が仁美と話したがっていた。

 特に小学生が仁美のまわりに集まった。

「お姉さんすごい」とか、「僕にも空手を教えて」など、とにかく仁美は人気者だった。

「毎日2キロのランニングを一年間続けることができたら教えてやってもいい」

 さかんに教えを乞う小学生に、ゆかりは真面目に答えていた。

「仁美、かき氷」

 いきなり頬に触れた冷気にヒヤッとした。

 振り向くと、いつの間にか、ゆかりがかき氷を買ってきていた。

「ありがとう」

 かき氷を受けとり、二人して汗ばんだ体を冷やした。

 後半の司会者は青年部の緒方明美と小島明だった。美男美女の組み合わせだ。

「あの二人が司会だと、出場者が霞むわね」

「ゆかりが司会しても霞むと思うが」

「そう?私、みんなからまわりの人の優れた考えを聞き出すのが得意と言われているのよ」

「ただ単に、ゆかりが考えきれないので、まわりが教えてくれるだけだと思うが」

「もう、仁美ったら」

 ゆかりは後ろから仁美を羽交い締めにした

「やめろ。かき氷が食べづらい」

 言葉とは裏腹に、仁美もゆかりから抱きつかれて楽しそうだ。眼が笑っていた。

「仁美、今から蛍を見に行こう」

「舞台は見なくても良いのか?」

「大丈夫、後は緒方さんたちがうまくやってくれるわ」

 ゆかりは仁美の手を引き、大沼に向かった。桜並木通りの端からさらに島の中央へ向かう道のりである。なだらかな登り坂だった。二人は手を繋いで歩いた。

「外灯が延びたな。この前来たときには桜並木通りの端までしか外灯がなかったが」

「今では大沼の近くまで外灯が付いているのよ」

「これもゆかりたちの頑張った結果だな」

「うん。私、頑張った。仁美から誉めてもらえると、すごく嬉しい」

 思わず仁美をつかんだ手に力が入る。と、そのとき、

「あっ、蛍」

 仁美が青林川の方を指差した。指さす先を見ると、青林川の対岸に蛍が二匹飛んでいた。

闇夜にほのかに光る姿に、仁美は感動している。

「もう少し先に行くと、たくさんの蛍が見れるわ」

「そうか。でも、あの二匹だけでも感動するぞ」

「もっともっと感動する場所に向かっているのよ」

 ゆかりの言葉どおり、先に進むほどに、目にうつる蛍の数は増えていった。やがて外灯がなくなり、足元を照らすだけの小さな照明だけとなった。そして手すり付きの小さな階段があった。

「外灯がなくなったな」

「だって外灯があると蛍が見えづらいでしょう?」

 ゆかりか言い終わらないうちに登りの階段は終わり、大沼のほとりに着いた。

「わー」

 仁美は思わず両手を頬に合わせて感嘆のため息をついた。

 空には天の川がくっきりと浮かび、沼のまわりには無数の蛍が飛び交っている。ほのかに光る蛍の明かりも、大量の蛍だときらびやかに感じてしまう。まるで満天の星ぼしが地上に降り注いだような風景だった。

「星降る島…」

 仁美が思わずつぶやいた。

「そうよ。だから昔から青林島は星降る島として語り継がれているの。私もここに来てようやく、その理由がわかったわ」

「ゆかり、青林島に来て良かった。例え何年経とうとも、ゆかりと一緒に見たこの日のことを、私は忘れない。

 嗚呼、まるで宇宙空間にいるようだ。このままどこかの星へ旅立てそうな気がする」

 仁美はまるで別世界に来たような錯覚に陥った。

「そうね。いつか、宇宙旅行に行けるようになったら、そのときは今日のことを思い出すはずよ」

「そのときは、ゆかりも一緒だぞ」

「ええ、もちろんよ」

 ゆかりと仁美は、時間がたつのも忘れたかのように、沼のまわりを飛び交う蛍を眺めていた。


 次の日の朝、

「仁美、東の入り江に行こう」

 開口一番、ゆかりが仁美を誘った。

 東の入り江は文字どおり島の最も東側にある。しかし、原生林で囲まれているため陸地からは行きづらい。だから、ゆかりの父親が船で東の入り江に連れていってくれることになっていた。どうやら一週間前から、ゆかりが父親に頼んでいたようだ。

 桟橋に行くと、剛田や吉田秀美、そして山中や牧野、さらには高島ゆり子や中川卓也もいた。青林中学のみんなが勢ぞろいしている。これも事前にゆかりが連絡していたのだろう。

 やがて、古い型の漁船が桟橋にやって来た。ゆかりの父親が操る船である。

 みんなは礼儀正しくゆかりの父親に挨拶した。

「さあ乗って」

 それを合図に、ゆかりたちは船に乗り込む。仁美は漁船に乗るのは今日が初めてだった。

 みんなが乗り込むと、船が動き出した。船は青林島の沿岸を沿うように航海している。海岸線が美しく、緑の松林と青い海が見事に調和していた。

 東の入り江に向かう際の景色は青林港へ入るフェリーボートからは見ることができない。仁美はこの景色を見るだけでも心がときめいた。

 以前、朝日を見に仁美が行った真弓岬の沿岸を通り過ぎ、しばらく経つと、船は東の入り江に着いた。

「二時間後に迎えに来る」

 そういってゆかりの父は船で去った。

 東の入り江は赤青黄色と色とりどりの珊瑚礁がたくさんあり、まるで南海の楽園のようだった。

「本当はこの場所が私の一番のおすすめポイントなの。だけどここには船でしか来ることができない。だから仁美が島を離れる前に、ここを見せたかったのよ」

「ゆかり、ありがとう。私は今、すごく感激している。周囲から隔離されたこの場所は、まるで別世界のようだ」

 仁美は山中から水中めがねとシュノーケル、それにフィンを貸してもらった。それらは山中の妹、佐知子のものだった。

「大野はシュノーケルやフィンを使ったことあるか?」

「ない。今日が初めてだ」

「それならば、しばらく浅瀬で練習した方が良いぞ」

「わかった」

 仁美は浅瀬で練習した。ゆかりが潜水時のシュノーケルの使い方を手ほどきした。

 しばらくすると、使い方のコツを会得したようで、仁美は深い場所にも自在に潜れるようになった。それから長い間、水中を探索した。クロダイやサクラダイ、コロダイ、コガネスズメダイなど黒色、赤色、青色、黄色と、色とりどりの魚を見ることができた。また、温暖化の影響かクマノミなど亜熱帯の魚も泳いでいる。

「あっ、海ガメだ」

 それは甲羅の直径が1メートル弱のアカウミガメだった。距離にして三メートルほどの場所を泳いでいる。仁美は自然の中で泳ぐ海ガメを初めて間近に見た。

「運が良ければ亀の甲羅に触ることができますわ」

「ゆり子はアカウミガメに触れたことがあるのか?」

「私は無いですけど、瀬戸口さんは2回、アカウミガメの甲羅に触れたことがありますわよ」

「そうか。ところで、ゆり子はゆかりのことをいつも『瀬戸口さん』と呼んでいるが、『ゆかり』と呼べばいい。二人は信頼し合っているのだろう?」

「……」

 高島ゆり子は無言で恥ずかしげに顔を赤らめた。

「仁美、カメと一緒に泳ごう」

 ゆかりがやって来て仁美の手をとった。一緒に泳ぎながら亀に近づいていく。アカウミガメは二人の接近に動じる気配がない。相変わらず、ゆったりと泳いでいる。

 水中を泳ぎながら、ゆかりと仁美とでアカウミガメの甲羅に優しく触れた。固い甲羅だった。

 アカウミガメは何くわぬ顔で沖へ沖へと泳いで行った。

 甲羅に触れた時間はわずか二秒か三秒だった。だが、そのわずかな時間が仁美にとってかけがえのない時間となった。

 今日、アカウミガメと一緒に泳いだことを、仁美は一生忘れないだろう。

 やがて、ゆかりの父の船が入り江にやってきた。

 ゆかりたちは、泳ぐのをやめて船に乗り込む。

「ゆかり、行き先は北の白浜でいいのだな」

「うん、そこでいいよ」

 船はゆっくりと東の入り江を離れた。

 仁美はこの入り江が名残惜しかった。

――いつかまた、必ず来たい。

 仁美は感慨にふけっていた。

「仁美、いつかまた来よう」

 仁美の思いを代弁するかのように、ゆかりがいった。

「そうだな。そのときはまた一緒にアカウミガメと泳ごう」

「うん」

 水しぶきをあげながら漁船が進む。

 遠くにカモメが飛んでいる。

 のどかな時間だった。都会で暮らす仁美にとって、青林島は憩いの場所だった。いや、ゆかりと共に過ごす時間こそが、憩いの時間なのかもしれない。

 しばらくすると、船は北の白浜に着いた。

「お父さん、ありがとう」

 ゆかりの声と同時に、「ありがとうございます」、と、みんなが大きな声で感謝を表した。

「またな」

 手を振りながら、ゆかりのお父さんが船を進ませる。

 船はゆっくりと沖に進み、やがて方向を変え、港に向かった。

「スイカ割りしようぜ」

 山中が持ってきたスイカを取りだした。

「よし、やろう」

 このスイカ割りは目隠しするだけでなく、砂に棒を突き刺し、その先端に額をあて三回回転したあとで割るルールだ。

 最初に牧野が挑んだが、ふらふらで全く違う方向に歩いた。思いっきり棒を振り下ろしたが、砂にしか当たらない。

 次は高島ゆり子が挑んだ。彼女は円を描きながらフラフラ歩き、棒を降ることなく倒れた。倒れた姿がやけになまめかしかった。

 素早くゆかりが駆け寄り、高島ゆり子を抱き起こす。

「高島さん、大丈夫?」

「あ…、ありがとう」

 目隠しをとった高島ゆり子はゆかりを確認し、安心した。そして、

「ありがとう、ゆかりさん」

 高島ゆり子は初めてゆかりを苗字で無く名前でよんだ。恥ずかしいのか顔を赤らめている。

「高…ゆり子、初めて名前でよんでくれたね。ありがとう」

 ゆかりは高島ゆり子を立ち上がらせ、肩を貸した。

 ゆかりも高島ゆり子も、今日は記念すべき日となった。これも仁美の影響だろう。

 次は剛田の番だ。剛田は回転したあとの平衡感覚は崩れなかった。だが方向感覚が無かった。彼は仁美めがけて突進し、棒を降り下ろした。

 仁美は逃げることなく真剣白刃取りの要領で棒を挟み、棒の動きを止めた。

「すごーい」

 仁美の技にみんなが驚いた。

「すまない」

 目隠しを取った剛田が謝ると、

「気にすることは無い」

 仁美は平然としている。

 次は吉田秀美の番だった。

 彼女もふらふらしながら、あらぬ方へと歩き、やがて山中の前で棒を降り下ろした。

 このとき山中はよけようとせず、仁美の真似をして真剣白刃取りをした。 だが、棒を挟み損ね、降り下ろされた棒が山中の額に見事に命中した。

「いたー」

 みんなは大笑いだ。

「大野のようにうまくいかないものだなぁ」

 山中は痛がりながらも笑っている。

 一番笑ったのはスイカに当てたと勘違いし目隠しをとった吉田秀美だった。謝る前にゲラゲラと笑い、立つことができずに砂浜にひざまずいてしまった。

 次は中川の番だ。彼は素早く人差し指を口に入れた後、指を真上にかざした。どうやら風向きを知るためらしい。さすが青林島の神童と呼ばれただけある。彼は風向きからスイカの位置を把握した。しかし、回転の影響で中川自身が傾いている。しかも片手を真上にあげているため、バランスがとりづらい。中川は数歩しか歩くことなく、倒れてしまった。

 いよいよ次はゆかりの番になった。

 ゆかりも中川の真似をして人差し指を口に入れた後、指を真上にかざした。風向きからスイカのある方向を知ると、素早く一足跳びに跳躍した。助走無しで四メートルの大ジャンプである。着地のタイミングにあわせて思いっきり棒を降り下ろす。あまりにも素早い行動だったため、スイカの近くに座っていた牧野は避けきれない。いや、牧野だけでない。誰もが身動きすらできなかった。

 棒は牧野の左肩とスイカの右端の間に超スピードで降り下ろされた。

目隠しをはずしたゆかりが「惜しかったなぁ」と残念がると、

「ああ惜しかった。もう少しで牧野の額から赤い汁が出るところだった」と、山中がうなずき、

「瀬戸口、跳躍は禁止だ。俺は死ぬかと思ったぞ」と、牧野から叱られた。

 次は仁美の番だ。

 仁美も人差し指を口に入れて、素早くその手を真上にかざす。ここまではゆかりと同じである。

 その後、棒を口にくわえ、両手を砂浜につけて前転を二回した後、素早く棒を握りしめ、降り下ろした。

 棒はものの見事にスイカに当たり、スイカが割れた。

「やったー」

 目隠しを取った仁美は喜びに満ちていた。

「仁美、おめでとう」

 思わずゆかりが駆け寄る。

「たかがスイカ割りのはずだったが、最後は全国大会レベルのすごい技を見せてもらったなぁ」

「スイカ割りに全国大会はないぞ」

 牧野が山中の感想に突っ込んだ。


 その後、みんなでスイカを食べた。それからは、またしても海の家の手伝いだ。今日は山中も牧野もいるのでわりと楽にできた。

 やはり山中や牧野は、家が店を経営しているだけに客扱いに慣れている。ゆかりたち女性四人も、それぞれの魅力を十分発揮しており、お客に好印象を与えた。剛田と中川は、バックヤードで焼きそばやかき氷を次から次へと作り続けた。

 海の家は昨日に引き続き、今日も大盛況だった。


 その夜、蛍祭りの二日目の舞台では青林中学のみんなと仁美とでダンスを披露した。男性は短パン一枚、そして女性は色の着いたセロハンで胸を覆い、麻のロングスカートで統一した。

 振り付けは吉田秀美が考えた。夜桜祭りの後の打ち上げで踊った腹躍りをベースにアレンジしたものである。仁美は前もってゆかりからダンスの動画を送られており、事前に練習していたため、みんなと共に歩調を合わせることができた。

 女性たちが美しく踊り、男たちは豪快に躍った。観客はおおいに盛り上がった。

 高島ゆり子や瀬戸口ゆかり、大野仁美の人気はもちろんのこと、いつも控えめだった吉田秀美も、この日ばかりは見違えるほど積極的に躍り、男たちから大きな声援を浴びた。


 その後、みんなで大沼に行った。行く途中、外灯があるたびに剛田や牧野は、設置したときのことを語りだす。彼らは、一つ一つの外灯に想い出があった。そして外灯の下には、吉田秀美がこしらえた花壇がある。そこにはホオズキが植えられており、赤い果実をつけていた。

 やがて、みんなは大沼のほとりに着いた。

 このとき一番感慨にふけったのは山中だった。

 彼は小学生と一緒に大沼と桜並木通りに沿った青林川の清掃をしていた。蛍の幼虫の餌となるカワニナを育て、大沼に放流もした。

 蛍は沼の岸に繁殖している苔に卵を産み落とす。だから沼の岸辺は自然の状態で手付かずの方がよい。

 二ヶ月前に村役場が沼のまわりを工事しようとしたとき、山中は体を張って工事を止めた。岸辺をコンクリートで固めたら、サナギとして地中にいる蛍が羽化できないし、それ以降は卵を生む場所もなくなってしまう。それが工事を止めた理由だった。

 山中の説明を聞いたゆかりは、すぐさま村役場に走って行き、村木助役に工事の差し止めを要請した。

 元々、この工事はゆかりたちの提案を基に観光客の安全を確保するための工事だった。

 だが、ゆかりの説明を聞き、村木助役も納得した。

 観光客のために護岸工事をしても、肝心の蛍が住めないのでは意味が無い。

 工事は結局、沼を回周する歩道の内側と外側に蛍光塗料で線を引くだけの簡単なものにして、蛍の生体系に影響がないようにした。


「今年からは小学生が蛍の飼育を始めるので、来年はもっともっとたくさんの蛍が飛ぶようになるぞ。桜並木通りの青林川にも、蛍が多く飛びかうはずだ」

 山中はいつの間にか来年を見据えていた。いや、山中だけでは無い。夜桜祭と蛍祭りを経験して、青林中学のみんなは成長した。


 中学三年の夏の夜。

 八人の若者のまわりには無数の蛍たち。

 天上に煌めくは天の川と満天の星ぼし。

 暗く静寂な世界。

 聞こえてくるのは虫の音と蛙の鳴き声。

「いつかまた、八人でここに集まろう。それまで俺はこの沼を、蛍を守り続ける」

 それは山中の固い決意だった。

「そうだわ。私たちは来年島を離れる。でも、私たちが社会人となって島に戻ってきたとき、またここに来ましょう」

「そうだな。山中、それまで蛍を守ってくれよ」

「任せてくれ」

「…山中、私は今度いつこの島に来れるかわからない」

「無理せずに、余裕ができて来たくなったときに来ればいいさ。俺たちはいつでも大野を待っている。俺たちは大野の友達だ。大野がどこにいても、それは変わらない」

 

 それからみんなで中学校まで行き、花火をした。

 最初はみんなで煌びやかな手持ち吹き出し花火をつけた。青や黄色の美しい火花がまぶしかった。花火の音とともに、みんなの笑い声がグランドに響き渡った。

 その後、山中や牧野が打ち上げ花火を上げた。夜空を花火が駆け巡った。

 そして最後は線香花火…。

 線香花火の燃え方は5段階に分かれる。最初は蕾の段階であり激しく燃えるが、その後、火球が丸くなり液体状態になる、これが牡丹の状態である。そして松葉の状態になる。このときは火花が激しく散る。そして柳の状態へと変わり火花が弱くなる。そして最後は散り菊の状態になる。これは消える直前のほのかな光であり、その後、火玉は落ちたり燃え尽きたりする。

 仁美はゆかりと共に線香花火の一本一本が燃え尽きるのを見続けた。

「ゆかり、今度はいつ青林島に来れるか、わからない。だから、ゆかりが大きくなったら東京に遊びに来てほしい」

「わかったわ。仁美。いつか東京に行く。そのときは必ず連絡する」

「約束だぞ」

「うん。約束した」

 線香花火を燃やしながら、ゆかりと仁美は指切りをした。

 この夜、青林島の蛍祭りも終わりを告げた。


 次の日の朝、ゆかりたちに見送られ、仁美はフェリーボートで青林島を離れた。

 この二日間の出来事は、仁美にとってもゆかりにとっても格別な思い出となった。

 仁美を乗せた船が小さくなってゆき、やがて水平線の彼方へ消えてしまった。

 夏休みはまだまだ続くが、ゆかりにとっての夏が終わりを告げた。

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